本カノン内における人類は、ある時を境に無条件な『幸せ』を抱え込むことになってしまった。彼ら・彼女らは目の前で肉親を屠られようと、自身が肉の裂けんばかりの拷問を受けようと、『幸せ』を感じている。そうした人たちは決して苦しみを覚えず、一様に楽しそうな仮面をその顔に貼り付けて日々を過ごす。
一方で、そんな中でも"通常の"情動を保つ人類が僅かながら存在している。通常の情動を保っている人々は、『幸せ』な人と話すたび、その精神的な平坦さに絶望するだろう。取り残されてしまったまともな人々は、やがて周囲の『幸せ』そうな顔の違いを区別する必要が無くなっていく。最早外見がいくら違えども、その中身はほとんど同じになってしまったのだろうから。
……そしてこんな状況でも、財団はその世界が終わらないよう、只管に努力を強いられている。しかし、一部のまともな職員は『幸せ』に溺れる周囲の無理解に苦しみ、人手の少なさに悩み、心に這い寄る孤独感に焼かれている。
眩い『幸福』の光が溢れる世界で、人類はどのような道を歩むことになるのだろうか。
このカノンに統一された時系列は存在しない。全ての作品群に共通するのは以下の二点のみだ。
1.人類(Homo Sapiens)はある時点から恒常的に『幸せ』を感じるようになり、一方でネガティブな感情を感じられなくなった。
2.ごく一部の人類はそうではなく、私たちと同じ普通の情動を抱えている。
逆に言えば上記の2点さえ守ればあなたの作品には"相貌失認"のタグをつけることができる。あなたは既存の記事と同じ世界で新たな記事を作ってもいいし、あるいは違う世界を想定してもよい。つまりこのカノンは生や財団4k、公費旅行などと似ている体系を取る。
『幸せ』には、一般的に言われる喜怒哀楽の『喜』と『楽』、そして快不快の『快』にあたるあらゆる感情が包含される。このカノンではそのような感情しか持てなくなった大部分の人々の日常や、一部の通常の情動を残した人々が感じる軋轢と悲哀、そしてそんな世界で圧倒的に少人数での収容にあたる財団の奔走などにスポットが当てられることになるだろう。
『幸せ』な人類とそうでない人類、そしてその他の関係がありそうな人々の特徴を以下に記そう。ただし、これらの特徴は厳密に守られなくても構わない。繰り返しになるが、このカノンで守るべきなのはガイドに明記した2点だけなので、あくまで参考程度に考えてもらいたい。
『幸せ』な人類
『幸せ』な人類はその名の通り、常に幸せを感じている。
また、その一方で怒りや悲しみ、妬み、面倒くさいといったネガティブな感情を抱くことができない。
『幸せ』な人類の最大の特徴は無気力さと頑迷さにある。
人間は自身の置かれた状況に対して"満たされていない"と感じるからこそ行動を起こす。今まで不便を理由に発明された品々の数は知れないし、偉業を成し遂げた人々の多くは満たされない気持ちを原動力にしていることが多い。誰かから認められたい、誰かを助けたい、疑問を解消したい。そういった、満たされない気持ちから出る欲によって人は動いている。しかし、『幸せ』な人類は既に完全に感情的に満たされている。だからこそ積極的に状況をどうこうしようという欲求が非常に薄い。彼らは日ごろの小さな不満も、天変地異を目の前にしても、目の前で殺人が起きても(或いは自身が殺傷されるような憂き目にあっても!)積極的に問題の解消や改善に動きはしないだろう。
これが幸せな人類の無気力さだ。
一方で人間は、満たされる感覚を引き起こした行動に対しては執着する傾向がある。例えば、あなたはお気に入りの食べ物があるだろうか?あなたがそれを気に入ったのは、それが過去にあなたを満足させたという経験があるからだ。人は自然と自分自身を満たした行動に対して執着し、叶うならばそれをもう一度経験したいと願う。そして、『幸せ』な人類は自身の行動のすべてに『幸せ』を感じている。だからこそ、『幸せ』な人類は自身の行動を積極的に変えようとしない。日常的に誰かを叱りつけていた人は、『幸せ』になっても叱るという行動を形式上続けるし、自傷を日常的にしていた人は『幸せ』になっても自傷を続けるかもしれない。
これが『幸せ』な人類の頑迷さだ。
もう一つ、興味深い特徴として"刷り込み"を挙げよう。前述したとおり、人間は一度満たされる感覚を覚えた行動に対して執着する傾向がある。『幸せ』な人類に何らかの手段を用いて無理やり新しい行動を起こさせたら、『幸せ』な人類はそれをとても気に入り、何度も繰り返すことだろう。例えば、職場から帰る途中のサラリーマンに誰かを包丁で刺すことを強制させたなら、そのサラリーマンは毎日帰り道に誰かを包丁で刺し始める可能性がある。なぜなら、彼は包丁で誰かを刺すことで『幸せ』を感じる経験をしたからだ。
通常の情動を保つ人類
通常の情動を保つ人類はその名の通り、私たちと同じような感情を持つ人々だ。
通常の情動を保つ人類は幸せな人類に比して非常に数が少ない。ある記事では全人類のうち、10000人のみであった。実に77万人に1人である。これは大体日本国内なら163人ほどしかいない計算となる。また、この人々は通常の情動を持っているという点以外、一切の共通点が見られないように見える。そのため、これらの人々が自らの力のみで他の通常の情動を保つ人類に会うことは極めて困難だろう。
誰からも自身の内に秘める不幸を理解されない以上、『幸せ』な人類と長く人間関係を保ち続けることは難しい。『幸せ』な人類と人間関係を保ち続けることが出来る人間がいたとしたら、孤独にかなり強いか、根拠のない自信を強く持っているか、頭が元からお花畑だ。そういった人間はそもそも人類の中でも少ないのだから、世界で10000人をランダムに選んだ中にそう多く存在するはずもない。通常の情動を保つ人類はもし"同類"を発見したら可能な限り合流を試み、共に生きようとするだろう。そうして形成されるコミュニティは非常に閉鎖的であり、『幸せ』な人類がそこに付け入る隙は無いだろう。
彼らは、このカノンの世界の中では何よりも貴重な資源だと言える。もし、組織を動かせる立場の人間に通常の情動を保つ人類が存在していた場合、何よりも優先して彼らを確保するだろう。
多くのヒトならざる存在
人ではない存在は、『幸せ』を感じ続けない。ただし、人間の"要素"を多く持つ存在は幸せになりうる。ブライト博士やクレフ博士、SCP-076やSCP-020-JPは幸せになりうるが、エージェントカナヘビは幸せになることは無い。この境界は非常に曖昧であり、著者の主観に任される部分でもある。
動物
人間以外の動物は、『幸せ』を感じ続けない。犬はいつもの時間になればしきりに飼い主へ散歩を要求するし、猫は虐待されればひどく苦しそうに鳴く。飼い主は多くの場合、動物たちの欲求を正しく捉える能力が欠如する。しかし、それを問題視するような風潮も余裕もこの社会には存在しないだろう。
人工知能
AICのように感情を有する人工知能やそれに準ずる存在もまた、『幸せ』を感じ続けない。皮肉なことに、この世界で彼らは人間よりも人間らしい存在としてサイトに存在することとなる。
『幸せ』な人々の日常
“人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した。(B.パスカル)”
このカノンの世界では『幸せ』な人々が圧倒的多数を占めています。彼らは無意識のうちにそのような感情を抱えながら、日常と世界を緩やかに変化させていきます。例えば、怒りと悲しみの感情を喪失した人々が行う裁判はどのようなものになるでしょうか。あるいは、万一に備えて、というリスク感覚が抜けた人々が作り出す社会ではどのようなことが起きるでしょうか。
普通の人々の孤独
“どうせ人生の本質はつらく、人間は孤独なぐらい百も承知している。(遠藤周作)”
『幸せ』になれなかった普通の情動を変わらず持っている人々は、誰か同じような境遇にある同志を見つけるまでは常に孤独の中にいます。彼・彼女が感じる悲しさや怒りを共有し、共感してくれるような人は周囲に誰一人としていません。おそらくそれは究極的な孤立と孤独感をもたらすことでしょう。
財団の奮闘
“我々はみな真理のために闘っている。だから孤独なのだ。寂しいのだ。しかし、だから強くなれるのだ。(H.イプセン)”
この世界の財団は、実質的に当てにできるような人材が少なく、極めて少人数での収容活動を余儀なくされている事でしょう。財団は『幸福』の影響を受けていない人物を必死にかき集め、日常の活動と世界の巻き戻しや再構築、影響の除去など取りうる手段を模索しています。あるいは、この世界こそが正常であり、影響を受けていない人物こそが異常なのだという全く逆の考えに至ってしまうかもしれません。
文化と宗教の変質
“宗教は大きな河に似ている。源泉から遠ざかるにつれて、絶え間なく汚染している。(A.プレヴォ)”
ネガティブな感情が失われた状態が長く続くと、それらの概念はやがて社会や文化、宗教などから緩やかに消え失せていくでしょう。それはいわば言葉が長い時を経て変化し、死語になっていくようなものです。この世界は将来的に今の我々とは全く異なる文化と思考体系を確立させることが予測されます。
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