Tale 希望の眼差し

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私はここで何をしているのだろうか、ふとそんなことを考える。ヴェールが捲られ、異常が正常と化した社会で、無糖コーヒー片手に咬冴舞波は黄昏れる。

昔は、私にもがあった気がする。希望があった気がする。何事にも根気強く向き合っていた気がする。悲劇を乗り越え、そして新しい居場所で前を向いていた筈だ。

だが、あの日を境に全てが変わってしまった。自分がただ人のそれと異なる見た目をしているからという理由で、今までのまやかしの幸福の代価を支払わされるように、収容室に入れられた。そのまま生涯孤独に終わると思っていた矢先に、財団から職務復帰命令が下されて、収容室から叩き出された先で見たのは、幾度となく母親のように接してくれた、嶽柳主任研究員の死であった。

あまりにも呆気なかった。収容室の中で、1日たりとも欠かさず思っていた人の死が、あっさりと告げられたにも関わらず、もうどこにも無い過去の残滓を求めるように、財団に縋って生きる自分に、ほとほと愛想が尽きた。

そんなことを思っていると、自然に手に力が入っていたようで、ふと冷たさを感じた手元に目を向ければスチール缶の中にまだ残っていたコーヒーが、自分の手を濡らしながら地面に滴り落ちていた。

そんな様子を無感動に見つめる咬冴。これからも、このように無気力に過ごすのだろうか……。

わずかばかりの自分の血と溢れたコーヒーの混じった物に濡れている潰れた缶を、咬冴は乱雑に缶のゴミ箱に突っ込みながら、咬冴はその場を立ち去った。




その日、咬冴の耳朶をふるわせた音の波は、普通のレスポンスよりも遅れて彼女の脳に浸透した。

ギル将軍が身内のテロに遭って死にかけている」

ギル将軍。SPC南太平洋支局の統括者であり、SPCという組織に所属していながら、度々その理念に反するような行動を取る、異端児。

過去にサミオマリエ崩壊の実態を伝えられた時以来、話は何も聞いていなかったが、よもやこんなことになっているとは。

思考はしなかった。そこに浸る情緒はなかった。浸る余裕もなかった。ただ、右足を前へ。左足を前へ。できる限りまで足の回転率を上げ、財団の管轄の病棟へ駆けこんだ。

「ギル将軍は!?」

1階、エントランスホール。思ったよりも彼女の声は良く響き渡り、多くの患者と医療従事者がぎょっとした目線で彼女を突き刺す。かつてなら、彼女の母代わりだった研究員が「はしたない、もうちょっと落ち着け」と鼻をつまんで激しく𠮟るところであっただろう。だが、彼女はもう20代も中盤。そんなことをされるような歳ではないし、そもそもその人はここにはいない。

「あっ……」

しかし、つい思い出してしまう。自分がまだ何も知らない、目の前を信じ切ることができたあの少女時代を。まだ捨てきれない、あの無垢な思い出が、こうしてふとした瞬間にフラッシュバックする。そして自分が嫌になる。
うつむいて、しかし歩幅は大きく、受付へと向かい、机を挟んだ向こう側の人間に静かな声でこう尋ねた。

「私は財団職員です。ギル将軍がここに搬送されたと聞きました」

それを聞き、IDカードを見るなり受付の人間は「緊急搬送者」と銘打たれたファイルを開き、搬送先の部屋を教えてくれた。集中治療を終え、厳重に匿われているらしい。

「ありがとうございます」

彼女はそれだけ言うと、また歩幅を大きくずかずかと彼の眠る病室へ向かった。


「すみません、この階段は」

「すみません、この階は」

「すみません、この廊下は」

彼に近づくたびに警察の人間から足止めを食らう。きっと、私が悪いのだろう。この魚の見た目が、この死んだような目が、私を異常へと近づける。そのたびに私は無言で財団職員のIDカードを見せる。私もほんの少しだけ偉くなった。今ではセキュリティクリアランスレベルも2だ。かざせば人間はそそくさと引き下がっていった。あれだけ信用していない財団の中でたった一つ、信用できる「力」。それにすがらずには私は生きられないという皮肉に自嘲する。

くそったれ、あの野郎の無様な姿ひとつ拝むのに何が悲しくてこんな思いをしなければならないんだ。

在らん限りの罵詈雑言を吐き捨てたい私は、いつの間にかギルの病室から扉一枚挟んだ場所まで来た。

故郷を滅ぼした元凶、だのに「事故」と宣いあまつさえ地に頭つけたモノ。そして、先日身内にすら叛逆された、無様なモノ。

応報に値する相手が、ここまで惨めな状態で、私の目の前に現れるなど、何という喜劇なのだろう。

「一応強化ガラスの先にPoI-3301はいますが、峠を越えたとはいえ治療が終わったわけではありません。くれぐれも接触しないようにしてください。そのようなそぶりを見せれば即座に拘束し、しかるべき処分をしますので」

そう財団職員が私に告げると、重々しい鉄の扉がゆっくりと開いた。
扉の向こう側は、予想とはひどく違っていた。私の目の前にベッドはひとつ、私とアレを隔てるのは分厚い強化ガラス一枚。酷く殺風景な部屋に、男が一人、ベッドで寂しく横たわっている姿だった。すでに目を覚ましていた男は、目だけで咬冴を見ると、なつかしそうに目を細める。

「お前は……ああ、あの時の嬢ちゃんか」

「ギル将軍に覚えてもらっていたなんて、光栄です」

「……」

咬冴をじっと見つめるギル。しかし、興味を失ったように目を逸らす。

「……あァ、そうか……嬢ちゃん……あんた、弱くなったなァ……」

「……何?」

吐かれた言葉は、咬冴にとって予想だにしない物だった。

「これじゃ、あの時の方がマシだったってもんだ……いや、俺はもうあの時から零落、してたのかもな……」

まさか、コイツ、私を憐れんだのか? こんな無様な姿晒しておいて、私を憐れんだのか?

「ッ! お前……!」

「先程の警告、忘れたわけじゃないですよね!こんなところで財団に要らぬ手間をかけさせないでいただきたい!」

咄嗟に一歩踏み出してしまっていた咬冴は、控えていた別の財団職員に制止を受ける。ギルの顔を睨みつけるも、ギルはこちらをただ真っ直ぐ見ているだけだった。

「クソッ!」

心の霧が晴れることなく、咬冴は病室から立ち去った。




「クソッ!」

つい数分前のセリフを吐きながら、咬冴は地面を蹴りつける。手に持っていたコーヒー缶から1、2滴ほど溢れるが、そんなことはどうでもいい……いや、私がこんな苦いコーヒーを飲むようになったのはいつからだろうか?

「……!」

ダメだダメだと、つい過去を掘り返しそうになった咬冴は短く頭を振って思考を止める。が、そういう時に限ってまた別の思考が湧いてくる。

(弱くなったなァ……嬢ちゃん)

「ッ!」

(腹立たしい、腹立たしい! 私のことを何も知らないくせに、何も見てこなかったくせに! 財団のカウンセリングどもと一緒だ、ささくれ立った心を逆撫でするだけで一向に手を差し伸べてくれる人はいない!)

「ハァーッ、ハァーッ!」

つい息を荒げる咬冴。その負の思考は一向に止まる様子を見せない。

(なぜだ。なぜ私の人生はいつもこうなのだ! 何もかもうまくいかない! 上手くいこうとすれば必ず誰かの邪魔が入る!)

衝動的に頭を掻きむしる咬冴。ブチブチっと何本か髪の毛が抜けるが、それでもやめない。

(あの男だ! あの男が悪いのだ! 私から全てを奪い、こんな茨の道に落とし込んだクソ野郎!)

頭を掻きむしる事をやめた咬冴が顔を上げた時、その濁り切りった目の瞳孔が極限まで開いていた。何かを決意した咬冴は、幽霊のような足取りで今来た道を引き返す。が、呪詛で頭の中が一杯一杯になっていた咬冴は、誰にも止められずに、ギルの病室まで入れたということに気づかなかった。

「なっ……!?」

呪詛で一杯だった頭が、一瞬で空になった。それもそのはず、強化ガラスが破られ、ついさっき咬冴の一歩を阻止した職員がその場に転がっていた。

ふと窓を見ると、格子のついた窓ガラスが格子ごと破られている。

それを見た瞬間、咬冴はその窓から身を投げ出し、本能の赴くままに駆け出した。

その背後で、思い出したかのように病院から警報が鳴り響いた。




暗い夜を駆ける人物が1人。時折顔を歪めながら、それでも足を止めないその大柄な男に、小柄な影が襲いかかる。

「ギルゥゥゥゥゥゥゥゥァア!」

「! もう嗅ぎつけたか……!」

日も沈み、草木もねむる丑三つ時。咬冴は遂にギルの背中を捉える。

「死、ね……ッ!」

渾身の一撃をかますも、それが本当に背中を捉えることはなかった。グリンと首を左に向けると、そこには攻撃を避けたギルがいた。

「早いな、流石は財団と言ったところか」

「……はん、そういうこっちゃ」

グッと拳を握る咬冴。ギルもまた、硬く拳を握る。

「悪いが、私にはやるべきことがあるのでね」

ウチサメを殴るよりも優先すべきことかァ!?」

「ああ、そうだ。はっきり言って、今の貴様に構っている暇はない」

病室での一幕がフラッシュバックする咬冴。より硬く拳を握りしめ、限界を超えた噛みしめは、とうとう自慢の奥歯を砕いた。

「死ねェェェェェェェェェエ!」

「フンッ!」

激しいラッシュが展開される。殴り、殴られ、避け、避けられ。一見すると、拮抗しているように見えるがしかし、治療も半ばに病院から抜け出したギルが、万全の状態の咬冴とまともに打ち合えているということに、他でもない咬冴が腹を立てる。チラリとギルの顔を見てみると、ギルは咬冴の拳を見ずに捌いて、ただ咬冴の顔を真っ直ぐに見ていた。

「そんな目でウチを……見るなァッ!!!」

絶叫を上げる咬冴。

「……ッ!」

何度目かのボディーブローが炸裂した時、ギルの傷口が開いたのであろう腹部からドロリと血が垂れる。わずかにギルの重心が左に傾く。

崩れた。そう思った咬冴はトドメと言わんばかりに連打を仕掛ける。しかし連打を受けてもなお、ギルはそのまま左に倒れ込むことなく踏ん張り、咬冴の連打を見事に防いで見せた。

千載一遇のチャンスを逃すまいとする咬冴、手数ではもう敵わないと悟り、相手のガードごと撃ち抜く一点突破に切り替える。それはギルも予測できたこと。だが、ギルはあろうことがガードを解き、拳を握りしめた。

「ッ!」

「……ッ!」

激突する拳。その拳の拮抗は長く続かず、咬冴の拳が押され始める。己が劣勢なことに気づいた時にはすでに遅く、咬冴はすれ違った己の拳を相手に届かせぬままに相手の拳を喰らい、背後へと吹っ飛んでいく。
うまく受け身をとった咬冴だが、上手く体に力が入れられず、フラフラしながら立ち上がる。足が笑っている。肘がガクガクする。そして何より……握りしめてる拳が震えている。

「……」

その震えの正体に目を向けないまま、ただ憤懣に塗れた拳を再び相手にぶつけんとする。あいも変わらずこちらを真っ直ぐに見据えるギル。燃え上がる憤怒と、心の奥底から湧き出る何か。その何かを認識しないように、咬冴は行動を開始する。左足を前へ。崩れる。構うか、崩れる前に右足を前へ。やはり崩れる。構うな構うな、無視しろ、無視しろ、無視しろ!

なんとかギルの元まで肉薄した咬冴。こちらへ向けてファイティングポーズを取るだけのギルのガードの間を縫って、ガラ空きの胸元へと叩き込む……!


……筈だった。


果たして崩れたのは咬冴であった。またしても、握りしめられた拳は相手に届くことなく、無様な自分を支えるだけとなった。そんな無様を晒す自分から、声が漏れ出る。

「なんで……なんでそんな目でウチを見るんや……ッ!」

こちらを見据えるギルは、ただ無感情だった。貴様に構ってる暇は無いと言ったギルは文字通り、咬冴に一片の興味も抱かず、咬冴では無い何かを、ずっと見据えていた。

「ウチを見ろ! ウチは財団の指示でここに来たんやない! 1人で、1人でお前を殺すためにここに来たんや!」

地面に拳を叩きつけながら絶叫する咬冴。

「ウチを見ろ! お前に殺意を向けてるのはウチや! お前が……お前が……」

やがて心の底から溢れ出た何かがオーバーフローし、それは咬冴の涙として目から零れ落ちる。

「お前がそんな目ェすんなよォ……!」

ギルのその目を、咬冴は知っていた。夢がある者の目だ、希望を捨ててない者の目だ、諦めていない者の目だ。かつて、いつかの自分が目に宿していた物と同じ物を、ギルはその目に湛えていた。

「お前に……お前に居場所全部奪われて……居場所を……今度は新しく見つけた居場所も取られて……ッ!」

ばね仕掛けのように跳ね起き、ギルの襟を鷲掴む咬冴。

「お前がァ! お前がその目をすんなよ! 全部、全部うちから奪いよって! 全部お前らのせいじゃァ! お前らが、お前らが悪いんじゃ! お前がテロに遭って、全部失いそうっていうんに、そんな目をすんなァ! クソッ、クソ野郎ッ!」

それは咬冴の口から漏れ出る呪詛は、もはや怒りではなかった。醜い嫉妬。自分に無いものをねだり、羨み、ついぞ手に入れられなかった者が負け犬のように喚く。そんな、自分勝手とも言える嫉妬をぶつけられているギルは、それでもなお、咬冴をその目で見据えることを辞めない。いよいよ咬冴が限界を超え、再びギルの顔面に拳を叩きつけんとした、その時だった。

ふっとギルの目線がようやく咬冴を離したかと思うと、その直後に、どう、とその巨体を地面に横たえた。咬冴が驚きの声を上げる前に、制するかのようにギルが口を開く。

「一か八かの賭けだった……が、負けたか……」

唐突に口を開いたギルに、咬冴はなにも言えない。ギルの腹部から漏れ出る血が、咬冴の足元まで広がる。そして腹部をグッと、右手で握りしめ、体を起こしながらギルは続ける。

「今日、病院を抜け出すと決めた時点で誰にも気づかれないというのは前提条件だった……仲間との連絡手段がない以上、しばらくは潜伏しなければならない。だから、潜伏するまでに気づかれるわけにはいかなかった……」

しかし立ち上がることは困難だったのか、左手で体を支えながら、その場で座り直るだけにとどまった。

「だが嬢ちゃんに追いつかれた時は、もうダメだと思った。この傷で、何やら悩みがあるとはいえ、SCP財団のエージェント相手に、無傷では勝てないだろうと」

「なんで諦めへんねん、そこで」

思わずと言ったように、咬冴の口からそんな疑問がこぼれ落ちる。

「そんなことは決まっている。それでも、俺の信念を折るには取るに足りんからだ」

「……ッ!」

太陽を直視してしまったのように目を伏せる咬冴。

「サメを殴る、ただそれだけの為に我々は存在する……だが奴らはそんな理念すら忘れ、とうとう暴走を始めた。今回、奴らが俺を狙ったのも、サメの保護活動に参加したからだ……その途中を狙われた。その活動は最悪の結果で終わっただろう……私の部下も大勢死んだだろうし、その責任を負うことになるかもしれない……」

ギルの目線が少しばかり地に堕ちる。しかし、その目線は即座に撥ね上げられ、再び咬冴をまっすぐに見据える。


「だが俺は諦めない」


「!」


「いや、俺は、というのは違うな。俺の信念が、諦めるな、立ち止まるなと喧しいほどに急かすからだ。周りから反発されようとも、部下に裏切られようとも、情けないほどに体が軋んだとしても、私はこの信念とSPCの理念に生きる。そして死ぬ。とうの昔に、そう決めた」

グッと拳を握りしめるギル。

「今もなお、俺の中で信念が喚いてやがる……だから、このまま俺が大人しくくたばると思うな……!」

交戦的な笑みを浮かべ、誰から見ても限界な体に鞭打ち、立ち上がるギル。そんなギルを見て、咬冴はただ、立ち尽くすだけだった。

「「……」」

2人に沈黙の帷が落ちる。

「……もう、いい……」

その沈黙を破ったのは果たして、咬冴だった。

「何?」

「決着はついたやろ……ウチはもうお前に負けた……」

「……」

ただ、全身を強張らせながら、大粒の涙を流す咬冴。そんな咬冴をギルが見る。しかし、すぐに目を逸らしたかと思ったその目には、もう咬冴は写っておらず、変わらず何かを見据えていた。

「……私の期待を裏切ってくれるなよ」

そう言い残し、巨漢の男は去っていった。

咬冴はただ1人、その場で泣き崩れた。



2日後、雨。屋内ゆえ天気はほとんど関係ないが、まるで自分の心を映すかのような曇天に、私はひとり、墓石の前に立っていた。いつの日にか逝ってしまったあの人。財団に奪われたあの人。一番近くにいた、しかしその最期を見届けることすらできなかった、「嶽柳」という人の墓だった。

「なあ、ウチ、あの野郎を仕留められんやったわ……あんだけ殴ったる言ってたのに、顔に一発ぶち込んだる言うたのに、未だ届かへん、なんでや、なんでなんや、なんで全部失ってまだ届かへんの……?」

己の限界か、それだけあいつが強いのか、じゃあなんであいつは「期待」している? 嫌がらせか?

悶々として一向に晴れない霧の中を歩いているようで、咬冴には焦りといら立ちが累積していた。そんな中、忘れかけていた声が咬冴の背中をたたいた。

「あぁ、咬冴さんが来ているとは。今日は回忌というわけでもないのに、誰もいないかと思いましたよ」

「……まるで見違えましたね、お久しぶりです。こんな場所に何の用ですか、ソフィアさん」

「ただの老婆の使命感ですよ」

ソフィア、かつて一度だけ咬冴と共にSPCとその殴打資産を追った人。少し雨に濡れたからだろうか。白銀の調査官だったあの頃よりも、だいぶ老いた出で立ちをしているように見えた。

「嶽柳さんが内紛で落命されたと知ってからここに来るまで、何年かかかってしまいました。日露合同異常任務でお世話になりましたからね、やはり、どれだけかかろうと来るべきだと思っていました……すこし遅れすぎましたね」

「……ソフィアさん、日本語しゃべれましたっけ」

「いいえ、あの時はしゃべれませんでしたが、勉強して少し話せるようには」

たしかに見た目は老いている。けれども、まだこの人の目は生き生きとしているなあと、会話は半ば上の空にそればかり意識していた。あの目だ。あの筋肉野郎の目と同じ類の目をしている。きっとSPCのようなやりたい放題な組織ではないだろうに、なんだってそんな目ができるんだろう。

「やはり、来てよかった。咬冴さんの目は、曇ってしまっている」

「……」

「きっとこのタイミングで再会できたのも、何かしらの縁です。その目が濁ってしまった理由くらいは聴きますよ」

善意だとわかっていた。受け取った方が良い好意だとわかっていた。けれども、そんな目だからこそ、私に受け入れがたいことをずかずかと言ってくるのだろうか。私の神経を逆なでしにやってくるんだろうか。むかつく。むかつく。
いら立ちのおかげか、私は、善意を善意と理解する前に、それを振り払ってしまった。

「……あんたも、筋肉野郎と同じ目をしている。ウチのことなんかわからんやろ……」

そうじゃない。そうじゃないのに。言いたいのも、言うべきなのも、そうじゃないのに。結局こうして私だけ閉じこもっているのかな。
白銀は厳しい顔をして口を開く。その内容は、だいたいこのようなものだった。

「何言ってるんですか、わかるわけないじゃないですか」

「……へ?」

おびえていた返答の内容は、それなりの意外性を持っていた。が、どこか懐かしいような響きも孕んでいた。

「そもそも、クソみたいな無茶ぶりをする上司らの思考回路が過去話ひとつで理解できたらこちとら苦労しませんよ。20年かけてやっっっっっと半分わかるかどうかですよ、あなたにしてもそうです。天才だろうが凡人だろうが秀才だろうが、私は毛ほども理解する気はありません。あなたの原動力を思い出させるために私が相手になろうって言ってんですよ」

ソフィアさんって、こんな苛烈な性格をしていただろうか。多分そうだと思う。そういうことにしておこう。

「大方収容されてる間に財団内での内紛がおきて嶽柳さんが落命されて、あなたはそれを解放されてから知ったんでしょう? それで財団不信になって、でも財団でしか生きる場所がないから財団にすがっていることくらいまでは想像つきます。それで? 何があったんですか? ギル将軍のことですか?」

「……うん、実はな、おととい、ギルと殺し合って───」

ここまでわかられていて、何が「わかるわけない」だ、そう内心毒づいて、洗いざらい全部話した。居場所を失って、財団を信じなくなって、生きる指針を失って……結局、目の前にすがるしかなかったのだと。そして、ギルに負けて、「期待を裏切ってくれるな」と言われたことも含めて。

「……なるほど、結局、あなたは止まってしまったのですね」

「人は居場所がないと生きていけんことくらい知っとるやろ?」

「まあそうですね。じゃあ、もう一回問いましょう。なぜあなたは財団にいるのですか?」

当たり前のこと、愚問だなと私は答える。

「そこでしか私が生きていけないからですよ。私の心が安らぐ場所なんてもうこの世界には無い。なら私の復讐が実現する場所で嫌でも生きていくしかない」

「復讐するだけなら腹に爆弾抱えてとっととSPCに突っ込めばいいじゃないですか。殴5もろとも吹っ飛ばせば組織も吹き飛ぶでしょ」

「んなっ……」

そんなことできない、死んでは何もかもおしまいだ。そう答えると、「じゃあ復讐のことは忘れて数少ない同胞たちとつつましく暮らせばいいんじゃないですかね」と来た。ふざけるな、私は復讐を生きて為すんだ、そう返せば、「そこまで生きることと復讐することとで両立したいですか、なら生きて何をするんです?復讐の先には何があるんです?」と、試すような視線で詰問してきた。

「復讐の先に……なにが……?」

「それはあなたが12年前、きっと得たであろう原動力です」

復讐の先に何がある……? それは……とても長らく、忘れていた気がする。でも───それを思い出せば、一緒につらい記憶まで見えてしまう。それは嫌だ。もうこれ以上、居場所がないことを知らしめないで。

「咬冴さん、今が最初にして最後の機会ですよ。過去に捨てたものを拾うのは今しかない。きっと今を逃せば、二度と後ろを振り向けない。ずっとずっと、未来永劫に子供のままそうやって閉じこもるのか! 振り返って、傷ついて、それでもなお子供から卒業して『生きる』のか! 今ここで選べ!」

子どものままでいたいんだ、私は。でも、あいつをぶん殴れるようになれるためには、大人になるしかないんだ。子供から卒業して、『生きる』しかないんだ。だから辛いんだよ。私の半生には何もかも財団が絡んでいた。でももう財団なんて今更信用できない。だから、あの時私が尊いと思ったものも全部疑わしいんだ、偽物なんじゃないかって、信じられないんだ!

「ウチの過去は疑わしい以外の何物でもないねん! どんな時のどんな感情でも、ウチには偽物としか思えへん!」

「それでも、あなたの感じたものは、まぎれもなく本物だ!」

「ッ!!」

そう、本物だった。ごまかしようのない感動、ごまかしようのない絶望、ごまかしようのない怒り、ごまかしようのない悲しみ、ごまかしようのない楽しさ……ぜんぶ本物だった。思い出してしまう、思い出してしまう。本物の怒りに心拍を上げ、本物の感動に懐かしみを覚えて、居場所を奪われる悲しみと絶望を改めて味わった。
私はへたりと座り込む。気づけば、大粒のしずくが頬を伝っていた。ソフィアさんは、すこし落ち着いた調子で、優しく語りかけた。

「まあ、今のあなたが覚えているものは、辿ってきた過去は、あなただけのものです。だったら、抱えていかなきゃ損ですよって話です」

「大人になるって、辛いよ……」

「本当に、辛いものです」

「……わかりました。思い出してしまいました。私は、もう、大人になるんですね。少女時代とはさよならなんですね」

ソフィアさんは、私の顔をしげしげと覗き込む。

「うん、大丈夫っぽいですね。目の曇りは取れてるようです。ですが、曇りを拭きとった後もまた曇りやすいもの。あなたは強く、過去を抱えて行きなさい。では、休暇もギリギリなのでこれにて失礼」

そう言ったと思えば、そそくさと帰ってしまった。

「あ、ちょっと! ……なんや、えらいせかせかしとんなあ……しかしまあ、案外タケナギが引き合わせたりして……」

事実そうならば、異常存在として通報しなければならないが、これはあくまで冗句。
と、ここまで思い及んで、自分が、あの嶽柳の前で飛んだ無様を晒していた事を思い出す。そうだ、嶽柳に今の自分を見られたら何をされるかわからない。今さっき捨てると言ったばかりだが、嶽柳の前でぐらいは許してくれるだろう。他でもない、本人が。

「おおきに! ありがとうなタケナギ!」

と、嶽柳の墓前で一礼。私は駆けだす。さあ、やるべきことがある。それを成しに行こうじゃないか。
いつの間にか快晴とは言えないまでも空は晴れ、嶽柳の墓も心なしかさわやかそうに見えた。




それから一週間後、SPCで妙な事件があった。あのテロに遭った異端・穏健派のギル将軍が、あごに一つサメ肌で擦りむいたような殴打痕をこさえてビーチで気絶していたのだ。SPCは「すわ殴打鮫の登場か!」と大きな騒ぎになったそうだが、被害者であるギル将軍は、ただ「子供はちょっと目を離したうちにすぐ成長しやがる」と、にやけ顔でこぼす以外何も言わず、真相は依然として知れない。




あれから2年後。2020年5月25日。

SCP財団と世界オカルト連合の手助けもあり、サミオマリエ共和国は、過去に崩壊を迎えてもなお、この異常社会で不死鳥的復活を果たしたAFC国家と言うことで、英雄的な存在として祭り上げられていた。

そして5月25日は、サミオマリエ建国記念日である。南シナ海戦争講和条約が締結されて、真の意味で南シナ海戦争に幕を下ろした日でもある。これを受けて、復興大臣は直々に会見を開き、のちに「予想はできてもまさか言うとは思わなかった」と語り草になったある声明を発表した。


次はないと思え


この一言は、「復興大臣として」の発言、つまり「国の意思」を示したものであり、そこに私情は挟まれない。


しかし、その目は確かに、何かをまっすぐに見据えていた。


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