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ファイル名: SurveyTeamA15.Spatial_Psychological_Infomation_Map.29271102.log 回収日: 2951/05/18
2927/11/02 13:52:36 (EUL標準時) |
EUL領 スウェーデン地区エンゲルホルム ニューロバンク『ユグドラシル』 |
EULの管轄するニューロバンク、『ユグドラシル』。
北欧神話の世界樹を由来としている通り、スウェーデン地区に所在するものだが──その風貌はまさに当世風の世界樹といったところ。施設の名を冠する巨大なロゴマークが彫り込まれた幹から、枝葉の代わりに遠景に突き出した天井が影を作る。その幹の下で、A15班は手掛かりを収集するため、ダビングアウト.補足情報: 『ニューロデータ』は各個人にかかる人格素子をパッケージ内で常に予測演算し、絶えずその固有思考パターンをトレースし続けなければならない構造上、複製はその演算の調和が崩壊する原因になりかねないことから理論上不可能である。その前提のもとでニューロデータの強引な複製を行うことは、データの内部から指数関数的に構造崩壊が広がり、データの永続的損失につながる。この一連の現象を『ダビングアウト』と呼称している。事件の全貌を暴こうとしていた。
一同は停車した車輌から降り立つ。この日の作戦に関しては、先日とは打って変わりA15班メンバー全員の出動が認められていた。これまでのメンバーに合わせて2名の追加人員が、天高く聳える鋼鉄の大木を見上げていた。
イサナギ曰く、「ニューロバンクは、一般で使用されているXANETディストリビューション.補足情報: XANETシステムを中心としたオペレーティング・システムを用途別に構築するためのパッケージセットの総称。代表的なものに『ユグドラシル』を保護・管理する『クレイドルシステム』などがある。よりも遙かに強固なセキュリティとバグフィックス、そして何百もの緊急時対応プロトコルを導入している、まさに要塞です。仮に、XANETに致命的な不具合が起きたとしても、中で保存されている人格に被害が及ぶことはないとされていましたが……実際は平均して2割の人口がダビングアウトによって、廃人化している。これはきっと人為的なものです。そして、同じく人為的であるとするならば、私達にもやりようがあります」────つまり、犯人の手口が色濃く残っているニューロバンクの詳細を調べてほしい、とのことだった。
「まさか、あの社長さんの手引きがあるとはいえ、管理官はこんなこともできたんだな」
「俺、ニューロバンクにここまで間近に立ち寄ったのは初めてっすよ。本当にいいんすか、これ……?」
古河の感心混じりの言葉に呼応するように、後ろで少しすぼんでいる赤髪の青年──ローグウェル・マダラザ技術官が畏怖とも取れるような態度で呟く。
「許可が出ている以上、我々は粛々と仕事をこなすだけですよ」
最後に車輌から降り立った褐色肌の女性、テレミー・キュリオン技術官が、マダラザの横に立ちながら呆れ混じりに構えた。
「とはいえ、EULは一日だけの立ち入り許可、1度だけのアクセス特権。アトラスタからはセキュリティ構造の参照後は条件付きのクラスC相当の記憶処理もしくは視聴覚データ抹消処理の実施命令と……よくもまあこんな条件を2日で通したもんだ」
「それってそんなに甘いの?」
ローゼンバーグは機材を準備しながらあの管理官の采配の辣腕ぶりに感心していると、イリシアが少し間の抜けた様子で聞いてくる。彼女にもわかりやすいように説明しようと、ローゼンバーグは「バーチャル・アクション・プログラム.補足情報: 2900年代に一般的に遊ばれていた拡張現実を利用したゲーム。ニューロアーク技術適用者向けであったとされる。で初手から伝説の武器と防具持って3時間以内にクリアしろって言われてるようなもんだ」と頭をかきながら答えた。
「なるほどなー、確かにリアル・タイム・アタックだったらあり得ないくらいのゆるゆる条件だね」
「ま、あの言葉を額面通りに受け取るなら、の話だけどな」
古河が間から割り込んで答えると、イリシアは「え、そうなの?」と、また首を傾げて聞き返す。
「考えてもみろ?俺たちが探ろうとしてるのは絶対に見られたくない場所だ。EULなら政治的手続き的な面倒で多少嫌がるにしても、それこそ犯人からすれば手口を知られて一気に自分へ近づく。記憶処理を施されるとしても、心配は付いて回る。制限は付いていると言ってもアトラスタのトップと財団の腹黒狐が全力出してるとかいう前代未聞の状況だぜ?」
──「社長の失脚を狙うくらいの人間なら、『そんな条件でも無理なもんは無理ゲー』ってところしか戦場にしないだろうな」と、古河は呆れ混じりに付け加えた。
なるほどなー、とイリシア二度目の感嘆。確かに超高難度のクソゲーはどれだけ時間をかけようとクソゲーなんだからクリアなんてできないものだ。
「どんなクソゲーなんでしょうね?」
「それは見てからのお楽しみだな。さて、機材準備完了だ。古河」
ローゼンバーグは古河に呼びかける。
「おう」
古河はユグドラシルを前に何を考えているのか。その洞察の目は誰もが察せるものではない。古河は、ローゼンバーグの状況を察するや否や、「作戦開始」と、ユグドラシル攻略戦の合図を送った。
「……なんだか、物静かっすね、分析官」
マダラザ……黒髪赤眼の中性的な義体をした女は、異様に静まりかえっているコントロールセンターからの景色を見渡しながら、ローゼンバーグに話を振った。機材の接続とプログラムの立ち上げには多少の時間を要しているのか、作業をしながら追って彼は返事を返す。
「本来、ここは人の手の管理から離れた場所だからな、管理運営はEULということだが、実情はアトラスタの所掌だろう。……とはいえ、既に財閥側すらほとんど関与していないらしいが」
「関与していないからこそ標的になった、とも考えられるっすね。隙のある場所につけ込んだ、セキュリティホール狙いの事件って可能性もあるんでは?」
いくつも並んだ黒色の箱を物理ケーブルを介して接続させる作業を続けながら、マダラザがさらに踏み込んで聞く。
「まあ、それこそXANETが開発される前の技術でありゃそれも考えられただろうな。だがこの数百年間、ニューロバンクは一度たりともこんな不具合を起こしたことはなかった。何千何億という個人の人格を取り込んだ、個人情報のみならず、命の山だっていうのにな」
「無敵のシステムなんてものは存在しないってことでしょう。最強、最高ってヤツはあってもね……最も堅牢であり続けるって偉ぶってたXANETも、今回のインシデントでそれの理屈を見事に証明したようなものですよ」
マダラザとローゼンバーグの応答に重ねるように、彼のすぐ後ろでコンソールを操作しているキュリオンが低めたトーンで答える。
「いずれにせよ、このチャンスをみすみす逃すわけにはいかないのも事実だ。セキュリティシステム『クレイドル』に対する特権が効果を持つのは現在より1800秒、それ以降は脱出が非常に困難になる。それが最大限の作業可能時間だと思ってくれ」
「1800秒って……」
「30分。自動変換はどうしたお嬢ちゃん」
「いや、知ってますよ!?ただ、思ったより短いなあって」
ローゼンバーグのツッコミに対し、慌てた様子でイリシアが頬に汗を落としながらつぶやく。技術面についてはてんで知識のないイリシアを横目に、財団内部システムのメンテナンス業務に追われていた経験のあるキュリオンは更に呆れ果てた流し目をしながら、「まあ、こんな地獄スケジュールは一度や二度じゃないので……」とつぶやいた。
数刻、やがて秒針は予定時刻を指し示す。作業そのものは滞りなく完遂された。「総員、作業を開始しろ」──その古河のかけ声と共に、システムオーバーロードを開始する一同。トランクケース型の端末数機からサーバーステーションへと伸びるケーブルに、解除信号が送られる。
ユグドラシル・ニューロデータ格納環境総合サポートシステム「クレイドル」は正常稼働中です。
システム内部診断により、複数の有機体を施設内に確認しました。権限情報を認証しています…。
認証完了。初期セキュリティプロテクトを解除しました。対象をメンテナンス・ゲストユーザーとして認識しました。
メンバーから不規則なタイプ音が室内に木霊する中、無機質なシステム音声がどこからともなく鳴り響いた。
「よし、プログラムは正常作動中だ、うまく行くと良いが」
ローゼンバーグが端末の物理モニタと、義体を介して見える仮想モニタを見比べながら言う。
「うぅ、私も何か手伝えることはないかな」
「お嬢ちゃんはリーダーと一緒に俺達の後ろを守っておいてくれ、いざというときはその拳が必要だ」
イリシアの献身的な一言は、ローゼンバーグが画面を見ながら打ち返した。
「ちょ、全身義体だからって私暴力得意じゃないんですけど!ちょっと人より強いってだけで!」
「よく言う、お前、入職初日で何したか覚えてるか?」
「機動部隊の方々の喧嘩を『仲裁』しました」
「お嬢ちゃん、そいつは『ちょっと』とは言えねえな」
コントロールセンターの脇で身を固めていたイリシアと、さらにタイプをし続けるローゼンバーグの軽口の応酬の間も、着々と作業は続行されていく。
「クレイドル第1防壁のオーバーライド中っす、残り1520秒!」
「想像より手堅いな……キュリオン技官、マダラザの演算処理をそっちの端末で並列化できるか」
「可能です、物理ケーブルをこちらへ」
幾度となくケーブルを差し替えながらも、ローゼンバーグは冷静に対処を講じていく。対して、ニューロバンクという取りつく島もあるはずがないような城壁を前にして、マダラザは焦りの表情を隠せずにいるようだった。
「第1防壁突破まであと少しです、バイパス領域のリビルド完了」
「……防壁オーバーライド成功っす!やりましたね分析官」
「喜ぶにはまだ早いぞマダラザ、まだこれは玄関を開けただけに過ぎねぇ」
警告。クレイドルシステム領域に未知の接続試行を検出しました。
外郭セキュリティシステム、無効。脅威度、中。検出元を逆探知、成功。
接続元はユグドラシル・コントロールセンター内部です。
接続権限を確認します。接続者、メンテナンス・ゲストユーザー。
警告。当該ユーザーにはクレイドルシステム領域に対しての接続権限がありません。
「言わんこっちゃねえ、どうするリーダー。早速揺り籠に気付かれちまったぞ」
「構うな、このまま作業を続行して遮断される前にシステムを叩け」
「ったく無茶言うぜ……おいマダラザ、聞こえただろ。こっからが正念場だ。第2防壁のバイパスルートを死ぬ気で探せ」
「そんな、ここまで迷路のように入り組んだプロテクションをどうやって……」
マダラザは可能な限りコードに目を通す。瞬きをする度にコード結果が書き換わっていくXANETの強力なセキュリティの前に、彼は必死にしがみつく。
その後ろから、キュリオンが声を張り上げる。
「システム第2防壁の修正挙動パターンを並列処理で予測演算中、残り1200秒」
「よし、演算結果をそのままコマンドに反映して時間を短縮させるぞ」
「システム第2防壁バイパスルート安定化、リビルドタスク完了まで約400秒っす!」
「よし、そのまま続けてオーバーライドまで持って行け」
警告。クレイドルシステム領域への未知の接続試行が継続中。
進行度、10%、脅威度、中。30秒後、排除プロシージャを実行します。
直後、イリシアの脚元に設置されていた黒い箱形のデバイスが火を噴き上げてスパークする。
「ぬわぁっ!?」
「狼狽えるな、いくつかハブを噛ませて防壁を作ってたのが機能しただけだ。所謂身代わりってヤツだ」
「そんな……システム側から焼き切ってくるなんて、ちょっとヤバいんじゃない?!」
「んなこたあ最初から承知だろ。外郭セキュリティは許してもクレイドルさんは許しちゃくれねえってだけだ」
慌てて退くイリシアを強く宥めるローゼンバーグの隣で、マダラザがタイプを続けながら焦りを溢す。
「ほんとにこれ、ただのプログラムだけで動いてるんすか?可能な限り考えられるバイパスルートを見つけても、セキュリティが秒で上書きして……まるで延々と後出しじゃんけんを強要されてるって感覚っすよ」
「ニューロバンクは言わば意識のデータ化を叶えた人達の楽園、そこを守るクレイドルシステムは文字通り揺り籠そのもの。コンマ秒単位で自己改変とアップデートを重ね続けるXANETがセキュリティに利用されるのも当然です」
冷静さを欠き始めたマダラザに、キュリオンは冷静に状況を分析して返した。
「俺たち総出で解析しても無理なんだからな、人の身で理解してるやつなんざいねえだろうな」
「やっぱクソゲーじゃん……なんかないの!?防壁絶対突破する切り札とか……」
「そんなもんあったら財閥が真っ先に潰してるだろうよ」
警告。排除プロシージャによる無力化に失敗。クレイドルシステム領域への未知の接続試行が継続中。
進行度、35%、脅威度、高。致死性ガードデバイスの展開を実行します。
「いよいよもって直接殺しに掛かってきたか。ローゼンバーグ、マダラザ、キュリオン技官、進捗どうだ?」
古河の視線は窓の外からこちらを覗くドローンの群れを見据える。
「最終防壁のオーバーライド進行中っす、けど予定よりかなり時間押してるっすよ……」
「プログラムそのものの暗号化レベルも遙かに高度になっています、今は既に確保した領域の維持で手一杯ですね……」
「クソッ……このままじゃ袋小路だぞ。ローズ、コントロールセンターのゲートと窓、防火壁を起動させろ。多少の足止めにはなるはずだ」
「それならもう実行済みだリーダー、ただ処理に時間を食ってるだけだな」
ローゼンバーグの言葉通り、少しずつ外観が薄まっていく施設内。ドローンの接近速度から勘案してもギリギリ間に合う程度となるだろうことは、古河もすぐに理解できたことだった。
「ちょ、ちょっとリーダー、これじゃ間に合わなかったときどうすんのさ!」
「そうならねぇように俺達がここで食い止めるんだよ。なに、勝てば官軍ってことだ」
イリシアは切羽詰まった状況に喚き散らしながらも、腰から取り出した銃を構えて今後の戦闘に準備をする。
2人は自分たちが十数分前に立ち入った出入口の際に立ち、今後の衝突に備えた。
警告。緊急ドア使用中によりガードデバイスが進行不能です。バイパス手段を構成中。
「ここまで殴り込みに来たら俺らがぶっ壊す。そうなる前に持ちこたえさせてくれ」
「相変わらず無茶を言いやがる」
古河の傍若無人とも見えるやり口に、呆れ気味にモニターを睨み付け続けるローゼンバーグ。
「作業可能時間残り300秒を切ってるっすよ、どうするんすかこれ……!これじゃあシステムプロテクトを突破できても、時間内にデータが取れるかもわかんないっすよ……こっから先どっから手をつけりゃ良いのかてんで見当もつかない」
「口より手ェ動かせ弱音を吐くな!第3防壁のバイパスルートは着実に確保できてる。目視だが、とにかく探すしか……!」
ローゼンバーグはマダラザの端末にケーブルを延長しつつ、その作業を支援した。
その時、マダラザはある1点のルートポイントに目がとまる。
「……ん、あれ」
「どうした?」
「いや、なんか、システムの更新ログ辿ってたら気になるやつが。なんだこれ?」
訝しげなマダラザの表情は、電気の通じた豆電球のように切り替わる。
「……あ、あぁ!こっこここっこれ!」
マダラザの吃驚の声に、古河が目を向けた。
「どうした、何かあったか?」
「あ、あ、ありました、蟻の一穴……バイパスルートのログ!しかも、ゆ、有効!暗号化もされないでそのまま残ってる、もう100年前のだけど!」
「っしゃあ、でかした坊主!このログをコマンドにバインドさせて辿れ、そこまでできたら俺たちの勝ちだ!」
ローゼンバーグはマダラザの頭をわしわしと撫でまわす。
「了解っす、今からやるっすよ!」
ようやく見えた希望に、よもや厭戦ムードすら漂わせていたマダラザは意気を取り戻す。その調子に合わせながら、ローゼンバーグは彼と共に作業を押し進める。
「こちら側でもバイパスルート構築しました、分析官。ルートの接続先は──ええっと、システムカーネルのコア領域!?これって……」
「カーネルのコアってことは、今まさに自動セキュリティアップデートを噛ましてやがる中央部分じゃねえか。……なんか、ちょっと都合が良すぎねえか?」
重ねて支援を行うキュリオンが目にしたのは、マダラザの見つけたバイパスルートの接続先。それはセキュリティ制御の中枢部どころか、クレイドルの中核、システムカーネルそのものだった。
「確かに、第1・第2防壁は完璧に保護されていたにもかかわらず、第3防壁の中間部にこれは──」
「おい、もう時間がねえぞ。早くしろ!」
「ゲームオーバー近いよぉお!はーやーくーしーてぇええええ!!!!」
キュリオンが訝しみの言葉を綴っている最中に、食い入るように響いてくる、防火壁を溶解させるレーザーの金切り声と、幾度となく響く重い衝突音。
今か今かと壁が突破されつつある状況に緊張を高めながら、古河とイリシアは叫んだ。
「チッ、背に腹はかえられねえか。よし、バイパス通りに進んで、クレイドルの命令に循環定義.補足情報: ある概念を定義するためにその概念自体を用いることである。この場合、定義文のみの知識では定義した概念の本質的な理解が出来ないため、定義は成立しない。を突っ込め。循環参照になる命令を流し込めば、XANETといえどシステムが処理落ちするはずだ!」
「そんなもん突っ込んだってどうしようもないっすよ、すぐに修正されちまう!XANETは自己言及のパラドックスにも対応可能なんすよ!?」
XANETがどういった構造をしているプログラムなのかを知っていれば、そんな作業は無謀にほかならない。マダラザはそれを理解しているがゆえに叫んだが、ローゼンバーグはさらに反論した。
「それは外部から突っ込めばの話だ、だが無防備に晒されてるシステムカーネルの中心にやれば話は変わる、良いからやれ!」
「わ、分かったっすよ……キュリオンさん、手を貸して欲しいっす」
「ええ、任せてください」
ローゼンバーグがその場で簡易的に書き込んだ矛盾を孕んだプログラムコード──それを読み出し可能な形式にキュリオンがコンパイルし、発射秒読みの状態にマダラザが持って行く。
あとは、2人がそれぞれのタイミングで直接カーネルにそれを叩き込むだけだった。
「よし、循環定義プログラム、セットアップ完了っす、送信まで3, 2, 1……」
「「送信ッ!」」
警告。未知の接続元から不明なファイルを受信しました。
内部システムプロテクト、無効。
進化ファイアウォール、無効。
警告。システムカーネル内部に未知のパッチコマンドが適用されました。
警告。システムカーネルに未知の改竄を確認しました。修正を開始します。修正作業中。
警告。システムカーネルに未知の改竄を確認しました。修正を開始します。修正作業中。
警告。システムカーネルに未知の改竄を確認しました。修正を開始します。修正作業中…
「……様子が、変わった?」
イリシアが見上げながら、目を細めて呟く。
「どうやらカーネル内部で修正方向に齟齬が出て、保護プログラムとクレイドルのセキュリティプログラム、それぞれが互いに食い合ってやがるな」
ローゼンバーグの指摘通り、循環参照された不正な改変を修正しようとする処理が衝突し合い、相互に修正を行おうとして競合している様が、狂ったように同じ言葉を繰り返すシステム音声からも容易に見受けることが出来る。
警告。システムカーネルに未知の改竄を確認しました。修正を開始します。修正作業中。
エラー。システムカーネル内部に重大な問題が発生。設定をロールバックします。
エラー。システムカーネル内部に重大な問題が発生。設定をロールバックします。
エラー。ロールバックファイルが破損しています。設定のロールバックができません。
警告。システムカーネルに未知の改竄を確認しました。修正を開始します。修正作業中。
警告。システムカーネルへの未知の改竄を試行するデータを確認しました。ファイル情報を特定中。特定完了。
ファイル、クレイドルシステムカーネルプログラム。
システムカーネル改変率、75%。脅威度、重大。
警告。システム保護のため、不正改竄試行ファイルに対してフォーマットを実施します。
エラー。権限認証が重複しています。警告。強制フォーマットモードに移行します。
フォーマット開始まで、3。2。1。
「やった、か……?」
古河がおそるおそる、壁に預けていた身を引き剥がす。鋼鉄の防火壁を溶解する音も止み、あるのはやけに耳鳴りを残す程度の静寂のみだった。
「クレイドルシステム、完全に沈黙っす」
「ガードデバイスも、動きを止めました」
2人の技術官の報告を受けたローゼンバーグは、ゆっくりと立ち上がった。
「そうか。……どうやら、システムが自分のことを攻撃元だと思い込んで、自分を全消ししたらしいな」
クレイドルのロゴが書かれたサーバーを見上げて、さらにローゼンバーグは続ける。
「進化の方向性がねじ曲がりゃ、あのXANETといえどこんなもんか。だが、カーネルフォーマットなんざまさしく完全消去コマンドのdeleteと等しい。それを入力したはずなんざ無いのに、ここまでなるとは……だが、そうともなればこっちのもんだな」
そう言って半ば呆れ混じりに一息つくと、彼はそのまま作業人員に向き直って指示を出す。
「解析作業、可能か?」
「はい、防壁どころか、クレイドルそのものが全てストップしたので、解析進められます」
「よっしゃ、んじゃああとはやることやるぞ」
調子を取り戻した古河のかけ声とともに、遅れて響いた返事と共に、それぞれは再度画面と向き合い始めた。
「ユグドラシル全システムの解析と情報のサルベージ、ニューロデータ格納サーバーへの接続が完了。やりました、これで、なんとか!」
「やり遂げましたね、大変だったっす……」
マダラザ、キュリオン双方の感嘆の声に同調して、ローゼンバーグも続けて口角を緩めながら次の作業に移るように言う。
「よし、あとはニューロデータを読み出して、状況がどうなってるか確認するだけだな」
作業が再開されてから、おおよそ1時間が経過した頃。ニューロデータがシステム内で活動する度に生み出されてきた膨大なログ解析を終え、長きにわたるニューロバンクの洗い出しを完遂させたA15班。
だが、その先に待ち受けていた真実は、彼らにとって理解していても尚、残酷な結果に他ならなかった。
「……これって」
「何かあったか、キュリオン技官?」
古河が彼女に向かって問いかける。
「い、いえ。大方予想自体はついていましたし、事前の報告通りの結果ではありましたが……まさかこれほどとは」
ローゼンバーグは、古河が見る端末にサルベージ結果を転送させる。
「ユグドラシルのニューロデータのうち、26.73%が無意味化か。既にこの様子じゃ、無意味化した彼らは自我が全部破壊されているし、復活の見込みなんざありゃせん。まるで意識があるまま全身を千切られて野ざらしにされてるようなもんだな」
「そ、そんな。じゃ、じゃあここに住んでいた人達のニューロデータは」
イリシアの不安げな声に、キュリオンが答えた。
「おそらく、クレイドルの暴走によるニューロデータの大量複製、すなわちダビングアウトが延々と行われていたのでしょう。クレイドルは彼らがシステム自らの手で壊され続けているにもかかわらず、我々からそんな壊し続けているデータを守ろうと躍起になった、と」
「これが揺り籠とは皮肉だな。とはいえ、まだ70パー強が無意味化せず無事なだけマシととるべきか」
「こんな結果、あんまりにもあんまりすぎるっす……」
淀んだ空気が立ち籠める中、ローゼンバーグは古河の側へと寄る。
「リーダー、ひとまず俺達が出来ることのほとんどはやり尽くした。ユグドラシルのダビングアウトは悲惨な上に、事件が人為的かどうかを調べる術すら失われているのも事実だ。ニューロデータは大量に破損しているし、その原因たるクレイドルもぶっ壊れちまった。EULも財閥連中も黙ってはいないだろうよ」
「……そうだな。ともあれ、現状を今一度管理官へ報告するべきだろう」
古河はポケットから取り出した端末を操作し、財団の秘匿回線へ接続する。繋がった先で待ち構えているのがあのアレクサンドル管理官であることは、ここにいる誰もが察していた。
会話はそれほど長くは取られなかった。彼は回線を繋げたままに、ローゼンバーグに向かって言う。
「既に管理官殿は事をまとめてくれていたとさ。全く……あの上官殿、どこまで見通しているんだか」
軽口を言ってみるも、全く空気は晴れない。晴らすつもりもなかった自分のための気晴らしだが、ここまで重いとやらなきゃよかったという後悔が強い。気を取り直して、要旨を報告した。
「EUL倫理法32条の発動が正式に降りた」
「32条……『即時安楽死に関わる特例法』か」
ローゼンバーグの思考データベースに記録されていたその法文は、500年以上前、生命の限界と個人の自由、かつて蔓延した致命的な伝染病の存在によって誕生した、「手続きを省いた安楽死処分」を合法とするブリテン島発祥の特例法。博識な者でも名前とその条文しか知らないだろう。その法律が力を持っていた時代を、この場で知っている者は皆無であった。
「まさか、そいつの名前を生涯で聞くことになろうとはな」
今、歴史に残る場面と相対している。その不思議な実感は、平和な事象であれば面はゆい気持ちになったであろう。しかし、そうはならなかった。現実は痛ましく、悲惨であった。
「リーダー……」
しかし、手を下すのはローゼンバーグではない。A15班の兄貴分とはいえ、リーダーではないのだから。
「そんなに心配すんじゃねえよ、ローズ。余計気が重くなるだろうが」
古河は咳払いをして、告げる。
「私、SCP財団フィールドエージェント、古河京介は、欧州統一連盟倫理法第32条、即時安楽死に関わる特例法に依拠した、ダビングアウトによって無意味化したニューロデータの完全削除を、SCP財団サイト-19管理官のオリビア・アレクサンドルによる許諾の上で、ここに実行します」
どうにもならないことを、どうにかすることなど不可能だ。しかし、どうにもならなくなるまでに、何かできることはあっただろうか。たとえ、自分にできなかったとしても。誰かが、為しうる誰かがそれを為すことはできなかったのだろうか。
「……許可を確認した。2人とも、準備は出来てるか」
「ええ、私はいつでも」「やるなら、しょうがないっすよね」
財団の技術担当者3名はコンソールを叩き、緊急コマンドを入力する。
無意味化したニューロデータを削除する際の警告が鳴り響くが、彼らは黙々とそれを無視し、削除コマンドを実施した。およそ4分の削除時間を経て警告は鳴りやんだ。
イリシアがその沈黙の最中で俯き、構えていた銃を握りしめながら肩を振るわせる。完璧なはずの義体は、感情を抑えきる術を知らなかった。
「こんなの、あんまりすぎるよ……。ただ、みんな、長く生きて、幸せになりたかっただけなのに」
「仕方がありません、イリシアさん。……死んだ者が生き返らないのと同じで、これはもう、どうしようもないことですから」
一通りの作業を終えたキュリオンが、彼女の後ろに回り込んで背中を撫でる。
「納得、できるわけねえよな」
古河は曇り空を見上げる。かたかたと震える金属音は、やけにうるさく聞こえた。
◀◀◀ BACK DATA | SCP-3000-JP | NEXT DATA ▶▶▶
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JPのカノンや連作に所属しているか、JPの特定記事の続編の下書きが該当します。
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JPではないGoIやLoIなどの世界観用語が登場する下書きが該当します。
ジャンル
アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:2577572 (14 Jul 2020 12:54)
カノン案『アトラスタ』での合作記事を編集するために使用します。
SOYA-001、
watazakana、
Enginepithecus、
Ryu JPです。
共著メンバーは
いそやん / 一条创弥
批評ありがとうございます。以下に返信をまとめました。
いそやん / 一条创弥
くまなく見れたわけではありませんが、気づいたことを以下に記します。
批評のほどありがとうございます。誤字脱字、表現の修正については総合的にgokisoさんの提案のもとで適用しようと思います。よって、ここでは「まとめ」の折りたたみ他いくつか思ったことの部分についての回答に留めさせていただきます。
いそやん / 一条创弥
gokisoさんの批評コメントの内容を反映させ、一部設定を追加・調整しました。
最後にオチとなるページが追加されているので、ご確認いただけると幸いです。
いそやん / 一条创弥