ある日、とある海沿いの工業地帯の一角にある建物を出た。
ようやく休職が認められて数か月ぶりに実家に帰宅するところだ。高速道路と並走する産業道路を愛車のホワイトのスカイラインクーペが駆け抜ける。窓を全開にして感じる風がどこか心地よく懐かしくもあった。18か19の普通免許を取得したての頃が遠く感じる。
ふと助手席に目をやると座席に小型のスクラントン現実錨が残っていた。ああ、これは確かあの収容違反時に…と、返却を忘れていたことを思い出した。申請時に誰も疑わなかったのが謎だったけど。
とあるランプを通り過ぎた辺りでやけに速度が鈍化していることに気がつく。周囲の車が追い越し車線に集まっていること、路上のアスファルトに破片らしきものが散らばっているところから何かの事故があったのかなと思う。よくみれば軽自動車と大型トラックの事故らしい。
昔はよく事故処理の際に他のエージェントと共に赴いてオブジェクトの収容なども行ったものだ。ごく自然的な流れで現場に目を向けようとして、やめた。今は(一時的だけど)財団の職員ではない、ただの一般人。別にもう関わる必要はない。
事故現場を抜けて周囲の車も順調に流れ、自宅までの遠い距離をただひたすらに走る。途中のサービスエリアで色々なグルメに舌鼓を打ち、そしてまた車を走らせる。
そうして深夜に自宅につき、おおよそ何年ぶりに家のカギを回す。今までの狭苦しい、殺伐とした空気の中にいたせいで何一つ変わらない自宅の面影を見るだけで、少し涙が溢れてきた。
その日は久々に近所のスーパーマーケットで食材を買い込み、自炊をしてはバラエティー番組を見て、マンガを読み、ゲームで遊んで休みを謳歌した。
憂鬱な環境から解放されたわたしはふと何かが足りない気がした。頭の奥で金属がうなる音がする。
夜が明けると、近所のスーパーマーケットで惣菜、弁当、菓子を買い込んでは愛車に積み込んで、そして小型の一眼レフを片手に自宅を出た。目的地があるわけではない。ただただ旅をしたかった。
買い込んだ弁当を食べては全国のあらゆる観光地、秘境、人間が滅多に入らない場所を散策してはファインダーに収めていった。都会の中に存在する、取り壊し寸前の廃墟も歩き回っては気になったものを撮影していった。…頭の奥の金属音は、次第に大きくなっていった。
ある日の昼間、被写体になるものを求めて高速道路を走っていると、あの事故現場と同じような様子の事故に遭遇した。車種は違うけれど、同じようにジャックナイフ現象を起こして横転した大型トラック。心なしか金属音がさらに大きくなってきた。
車の流れが完全に止まると同時に携帯電話の着信音が鳴り響く。休みなのにと毒づくも電話に出た。相手は若い男の声で、やはり財団のエージェントを名乗った。
「もしもし?」
「もしもし……なんですか」
「ちょっと伺いたいことがありまして…先日、SCP-217とSCP-882のクロステストの承認が得られたので、うちのサイトで実験を行う予定が、今日になってもまだオブジェクトが到着していないので、ちょっと何か心当たりがあるかと思いまして」
「ん?クロステスト?でもあれは……そうか、Dクラスを使用したテストを行うみたいなことを聞いていたわ。でも到着予定は昨日じゃなかった?それにわたしのサイトじゃないし」
「もしかすると誤配の可能性もあったので念のためと思いまして」
「そんなのわたしに言われても知らないわ。第一、わたしは休職中なの。せっかく休みなのに……」
……と思ってふと閃く。さっきからの金属音って…。その音はもう耳鳴りを超えるほどうるさくつんざいていた。
「…あの、どうかしたのですか?」
「ちっ……あんた今からそっちに来られる?GPSの座標は送るから」
「え、どういうこと」
「変だとは思ったけど、あの事故でSCP-882が収容違反したかもしれない。SCP-2519のデータは寄越せるよね?」
「はぁ」
「事態は一刻を争うから、なるべく早くね。それに大型トラックも一台」
相手の返答を待たずに電話を切るとシフトレバーをRに動かし路側帯にスカイラインを押し込む。そうしてから渋滞の波をかわすように路側帯を走る。さほど離れていないところに現場はあったはず。付近の出口に入っては真っ先に一般レーンに滑り込む。
「すいません、特別転回をお願いします。ちょっと目的地を通り過ぎてしまったので」
特別転回の手続きを済ませると料金所の目の前を文字通り「転回」してはもと来た道を走る。あの事故現場は確か…と横目で確認しながらも右側の追い越し車線を走る。現場の数km離れた場所から渋滞が始まっていたところから察してもう通行止めの処理が始まったのかもしれない。
現場に着いてからというのはすでに白煙が立ち込めていた。何かを怒鳴るようにして呻く軽自動車のドライバーらしき男が警察に今にも殴りかかりそうな形相で取り押さえられているのを横目に、やはり数人の財団エージェントが警察に混ざって調査をしていた。後部座席から白衣を取り出すと羽織るようにして袖を通して車を降りる。
「どいてどいて」
わたしの姿を見たのだろうか、複数人のエージェントが道をあける。
あー、やっぱり…、とつぶやく。そこには軽自動車に煽られたであろう大型トラックが横転していた。中には歯車のような物体が顔を見せており、それが何の動力もなく動き出しているのがわかる。
「SCP-882は数日間かけて周囲の金属と融合すると言っていたよね…大型トラックもほぼ金属の塊のようなものだし、だったらあれしかないわね……ちょっと、バーナーはある?」
「バーナー?そんなものは…」
「それと端末にSCP-2519を入れたでしょ。それを最大音量で流して」
くすぶっている煙の消火作業が終わり、今にも一体化しそうなオブジェクトの切断作業にかかる。やはり周辺の金属を取り込むという特性はわたしにとっても厄介だった。肩が凝り、腰も悲鳴をあげる。数時間たってようやく少しずつ切り離し、海水を浸した水槽に押し込む。そんな地道な作業を終えて100以上に小分けにしたSCP-882を他のサイトからきたであろう大型のトラックに積み込む。丸一日かけて作業を終えた。気分はやけにすがすがしい。頭の中の金属音はほとんど聞こえなかった。
「じゃあ、先にサイトに戻るから。そうそう、わたしの車、いつもの場所に止めておいて」
そういって困惑顔をしているエージェントに愛車のカギを渡すと、大型トラックに乗り込んでエンジンをかける。記憶処理を行う彼らを横目にプロフィアを走らせる。大型免許は何年か前に上司の勧めで取っておいたけど、まさかこんなタイミングで運転することになるなんて…。休暇だというのにフラストレーションが溜まって思わず左手でスクラントン現実錨を頭に押し付けていた。プロフィアのハンドルを右手で掴みながら。
車窓から差し込む夕日が、これから起こるであろう出来事を予言しているかのようだった。
「あああああああ!!」
翌日、せっかく取得した長期休暇がオブジェクトの収容違反でかき消されてしまったことを知ったわたしは左右に揺れ動いていた。机には一枚の書類。そこにはなんて書いてあったと思う?
当該オブジェクトの収容違反に関する案件は、オブジェクトの輸送体制に対し問題がなかったか、倫理委員会とO5評議会の合同で調査委員会を設置する。また、警察との確認及び事故車両の運転手のミーム自白エージェントによる取り調べで軽自動車側の「煽り運転」が事故の主原因と確認されたためSCP財団倫理憲章に基づく処罰を検討している。
また、今回のSCP-217とSCP-882のクロステストにおける担当者を以下の通り変更する。
旧:ジェームス・フォン・マーク博士(ドイツ支部サイト-7562所属)
新:一之瀬 大助博士(日本支部サイト-8190所属)
なお、休職中の一之瀬博士はSRA乱用が認められたためクラスA記憶処理とカバーストーリー「モンスターエナジーの飲みすぎ」を適用し休職期間については特別休暇として処理した。
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