「分かってます。それでもいい」Chapter 5修正版

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紙カップに湛えられたマンデリンブレンドを飲み干して、戸神はようやく一息付いた。滅多に人が来ないこの休憩スペースは、彼のお気に入りの場所だった。周囲に誰かいると、どうしてもリラックスできない質なので。

(大変なのは、これからだ)

確保した商品の照合や参加客への尋問は、"世良さん"にも見てもらう必要があるだろう。尋問──あまり殺伐としたシーンは彼女に見せないよう、アメリカ支局の連中に釘を刺しておかなくては。

ぐったりと、ベンチに背を預ける。壁に掛けられた鏡に、自分の疲れた横顔が写っている。今の自分を祖父が見たら、どう思うだろう。

考えても仕方ない。

(僕はもう、引き返せないんだ)

紙コップを絶妙のコントロールでゴミ箱に投げ入れ、短い休憩を切り上げる。そして、作戦本部のミーティングルームに戻ろうとしたところで。

通路の角から現れた銃口が、額に突き付けられた。

「!」

身体が勝手に反応する。スーツの袖から超小型の袖仕込み銃スリーブガンが飛び出し、鮮やかに掌に収まる。流れるような動きで、銃口を突き付け返す。

他ならぬ、この"護身術"を教えてくれた相手に。

「よお、少しは速くなったじゃないか」

「わ、悪い冗談は止めて下さいよ」

戸神は苦笑を浮かべてみせる、内心の焦りを押し殺して。物音どころか気配すらしなかった。全く、油断も隙もない男だ。

180を越える逞しい長身、眉間に刻まれた深いしわ、年上なのは間違いないが、それでもまだ二十代だろう。狼を思わせる鋭い眼光を宿した双眸は、しかし今は無表情に戸神を見下ろしている。警戒になど、値しないと言うように。

「蒼井先輩は、これから休憩ですか?」

「まあ、ついでにな」

(──何のですか)

元監査部所属上級フィールドエージェント、現在の肩書きは戸神の指導教官。蒼井あおい 啓介けいすけという、外見とは裏腹に繊細そうなその名が、本名なのかどうか戸神は知らない。一介の大学生だった彼の有用性を見出し、財団に紹介してくれた人物でもある。

それから約一年。戸神は彼から、財団エージェントに必要な全てを教わってきた。訓練施設でばかりではない。時には現場で、敵の兇弾を共に潜りながら。自分一人が生き延びるより、遥かに困難なはずだ。しかし戸神は、師の焦った顔など一度も見たことがない。いつだって涼しい顔だ。

評価せざるを得ない、財団エージェントとしては。

「変われば変わるもんだな。エージェントにしろと言ってきた時は、考え直せと思ったが」

ポケットから取り出したジッポーライターで、マールボロの煙草に火を点ける。そんな何気ない仕草が、いちいち絵になるのがまた腹立たしい。

「え、えへへ、僕なんかまだまだですよ」

「いやいや、マルクス・ヴォルフの真似とは恐れ入ったぜ」

三十年以上に渡って旧東ドイツの諜報機関シュタージに君臨した、伝説的スパイ・マスターだ。数々のスパイ小説の登場人物のモデルにもなっている。西ドイツ官庁の女性秘書にハンサムな青年将校を接近させ、言いなりになった彼女たちから情報を得る〈ロメオ作戦〉で有名だ。

蒼井の口から、その名が出た瞬間。

「心配しているなら、余計なお世話だぞ」

戸神の照れ笑いが、威嚇いかくの笑みに変わった。

「何のことだ」

「僕が罪悪感にさいなまれてるとでも思ったのか」

一説には、笑顔は獣が恭順を示す表情、あるいは牙を剥いて唸る表情が原型だという。似ているからこそ、笑みは牙を隠すのに役立つ。教えてくれたのは、他ならぬ蒼井だ。

そう、評価しているのだ。ゴミ袋から回収したレシート一枚を手がかりに、要注意団体の拠点を見つけ出す分析術。触れる手も見せずに、人間を昏倒させる格闘術。そんな、美しい技術の数々だけは。だから、全て盗むことにした。赤ずきんのお婆さんに成り代わった、狼のように。

「MC&Dを狩るのに使えそうなオブジェクトがあったから、使った。ただ、それだけですよ」

オブジェクト。財団が収容する異常存在の内、実体のあるものはしばしばそう総称される。外見および性質が機械に近ければ、機械型オブジェクト。生物のように振舞うものなら、生物型オブジェクト。人間と共通点が多いなら、人間型オブジェクト。

さすがの財団職員も、本人の前ではまず口にしない呼称だ。

「第一あれは、僕の元同級生の世良 冬美じゃない。自分はその生まれ変わりだと、思い込んでいるだけだ」

『私のこと、戸神君はどこまで知ってるの?』

(全部知ってるよ、君の知らないことも含めてな)

そう、これは冬美ことSCP-737-JP-1-cも知らない事実。諜報局が故世良 冬美の墓を調査したところ、骨壷は確かにそこに収まっていた。中身も確認したが、特にパーツが欠けている様子はなかった。以前に開封された形跡もなし。要するにSCP-737-JP-1-cは、袴田の異常能力によって世良 冬美の記憶を移植された、喋るダイヤモンドの塊でしかないのだ。

クローンですら、ない。

「本物の世良 冬美は数年前に死んでますよ。ケダモノみたいな父親にレイプされた挙句、絞め殺されて。ああ、調べてみたらその父親、Dクラスにされて何かのオブジェクトの実験中に死んでますね。あれに教えてやれば、ざまあみろって言うかな?」

戸神はおかしそうに笑った。何がおかしいのかは、彼以外の誰にも分からない。

「まあ、あれが本物の世良 冬美だったとしても、やることは変わらないんですけどね。僕は財団エージェントですから──」

蒼井が無表情に口元を引き結んだままなのを見て、戸神は自分が一方的に喋らされていることに気付いた。舌打ちと共に、威嚇の笑みを引っ込める。

「じゃあ、僕はこれで。抜き打ちテストならいつでもどうぞ」

早口に言い捨て、歩き出す。背は見せても隙は見せない。戸神にとって、蒼井は財団の象徴だ。

(僕は)

『なにせこの世には、人知を超えたものが実在するって分かったんだ。なら、本で読むより自分の目で見たいじゃないか。それには、現場に立てるエージェントが一番だからね』

(そんな簡単な話じゃない)

財団との、異常存在との出会い。それは、戸神の魂の根幹を揺るがす衝撃だった。

魔術、神話、オカルト、彼がそういったものに何の興味もない一般人だったら、少し世界が広がるだけの話だったかもしれない。だが生憎ながら、若いとは言え、彼はこの分野のエキスパートだった。その彼が、自分が築き上げてきたものは、全て机上の空論だったと思い知らされたのだ。

神、邪神、天使、悪魔、魔物、妖精、精霊、魔術師、魔女。そんなものは本の中に、人々の空想の中にしかいないという大前提が、そもそも間違っていたのだから。

自分はまだいい。祖父はどうなる。幼い頃に亡くなった両親の代わりに、自分を育ててくれたあの人は、とうとう真実を知らないまま逝ってしまった。魔術の研究に、それこそ生涯を捧げていたというのに。

祖父の研究人生は、無知に──財団による情報隠蔽に殺されたのだ。

(──いいや、例えお祖父さんが許しても、僕は許せない。財団も自分も)

二十年以上も生きていながら、全く気付けなかった。財団に与えられたブロックのみで、無意味な積み木遊びをさせられていたことに。その屈辱は、戸神に研究者の道を捨てさせるには充分だった。本を拳銃に持ち替え、彼はエージェントになった。

財団という悪魔に魂を売り渡し、命じられれば友人でもあざむき、親兄弟でも狩ると誓った。報酬はより高いセキュリティ・クリアランス。財団が秘匿する、世界の真実に近付く権利。それが彼の、財団への復讐だ。

皮肉なことに、それは財団側から見れば、鋼の忠誠に他ならない。エージェントになりたいという、彼の要望が受け入れられた最大の理由だ。

(そう、ブルーホープはチャンスなんだ。任務のためになら、エージェント・戸神がどこまでクズになれるか、上層部に見せるための絶好のデモンストレーションだ)

戸神は早足に歩き続ける。自らの思い出を、その足で踏みにじりながら。それがどんなものだったかも、もう忘れてしまっている。

一方。

取り残された蒼井は、ため息と共に紫煙を吐き出していた。

(言えねえなぁ──)

どの口で言えたものか、自分を誤魔化すな、など。財団の理念だの、プロ意識だの、便利な言い訳でずっと誤魔化し続けてきた癖に──この胸の痛みを。

(理奈)

彼女を撃ち抜いた弾丸。その破片が心臓に突き刺さっている。一度も陽に当てなかったせいで、傷口は膿み腐り、きっと取り返しのつかないことになっているだろう。

こんな顔をしている師を、戸神は想像できるだろうか。

「お前は──俺みたいになるなよ」

この師弟が共に居られる時間は、もう残り少ない。

~以下、修正なしです~

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執筆者: ykamikura
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最終更新: 02 Apr 2020 16:31
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