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紙カップに湛えられたマンデリンブレンドを飲み干して、戸神はようやく一息付いた。滅多に人が来ないこの休憩スペースは、彼のお気に入りの場所だった。周囲に誰かいると、どうしてもリラックスできない質なので。
(大変なのは、これからだ)
確保した商品の照合や参加客への尋問は、"世良さん"にも見てもらう必要があるだろう。尋問──あまり殺伐としたシーンは彼女に見せないよう、アメリカ支局の連中に釘を刺しておかなくては。
ぐったりと、ベンチに背を預ける。壁に掛けられた鏡に、自分の疲れた横顔が写っている。今の自分を祖父が見たら、どう思うだろう。
考えても仕方ない。
(僕はもう、引き返せないんだ)
紙コップを絶妙のコントロールでゴミ箱に投げ入れ、短い休憩を切り上げる。そして、作戦本部のミーティングルームに戻ろうとしたところで。
通路の角から現れた銃口が、額に突き付けられた。
「!」
身体が勝手に反応する。スーツの袖から超小型の袖仕込み銃スリーブガンが飛び出し、鮮やかに掌に収まる。流れるような動きで、銃口を突き付け返す。
他ならぬ、この"護身術"を教えてくれた相手に。
「よお、少しは速くなったじゃないか」
「わ、悪い冗談は止めて下さいよ」
戸神は苦笑を浮かべてみせる、内心の焦りを押し殺して。物音どころか気配すらしなかった。全く、油断も隙もない男だ。
180を越える逞しい長身、眉間に刻まれた深いしわ、年上なのは間違いないが、それでもまだ二十代だろう。狼を思わせる鋭い眼光を宿した双眸は、しかし今は無表情に戸神を見下ろしている。警戒になど、値しないと言うように。
「蒼井先輩は、これから休憩ですか?」
「まあ、ついでにな」
(──何のですか)
元監査部所属上級フィールドエージェント、現在の肩書きは戸神の指導教官。蒼井あおい 啓介けいすけという、外見とは裏腹に繊細そうなその名が、本名なのかどうか戸神は知らない。一介の大学生だった彼の有用性を見出し、財団に紹介してくれた人物でもある。
それから約一年。戸神は彼から、財団エージェントに必要な全てを教わってきた。訓練施設でばかりではない。時には現場で、敵の兇弾を共に潜りながら。自分一人が生き延びるより、遥かに困難なはずだ。しかし戸神は、師の焦った顔など一度も見たことがない。いつだって涼しい顔だ。
評価せざるを得ない、財団エージェントとしては。
「変われば変わるもんだな。エージェントにしろと言ってきた時は、考え直せと思ったが」
ポケットから取り出したジッポーライターで、マールボロの煙草に火を点ける。そんな何気ない仕草が、いちいち絵になるのがまた腹立たしい。
「え、えへへ、僕なんかまだまだですよ」
「いやいや、マルクス・ヴォルフの真似とは恐れ入ったぜ」
三十年以上に渡って旧東ドイツの諜報機関シュタージに君臨した、伝説的スパイ・マスターだ。数々のスパイ小説の登場人物のモデルにもなっている。西ドイツ官庁の女性秘書にハンサムな青年将校を接近させ、言いなりになった彼女たちから情報を得る〈ロメオ作戦〉で有名だ。
蒼井の口から、その名が出た瞬間。
「心配しているなら、余計なお世話だぞ」
戸神の照れ笑いが、威嚇いかくの笑みに変わった。
「何のことだ」
「僕が罪悪感に苛さいなまれてるとでも思ったのか」
一説には、笑顔は獣が恭順を示す表情、あるいは牙を剥いて唸る表情が原型だという。似ているからこそ、笑みは牙を隠すのに役立つ。教えてくれたのは、他ならぬ蒼井だ。
そう、評価しているのだ。ゴミ袋から回収したレシート一枚を手がかりに、要注意団体の拠点を見つけ出す分析術。触れる手も見せずに、人間を昏倒させる格闘術。そんな、美しい技術の数々だけは。だから、全て盗むことにした。赤ずきんのお婆さんに成り代わった、狼のように。
「MC&Dを狩るのに使えそうなオブジェクトがあったから、使った。ただ、それだけですよ」
オブジェクト。財団が収容する異常存在の内、実体のあるものはしばしばそう総称される。外見および性質が機械に近ければ、機械型オブジェクト。生物のように振舞うものなら、生物型オブジェクト。人間と共通点が多いなら、人間型オブジェクト。
さすがの財団職員も、本人の前ではまず口にしない呼称だ。
「第一あれは、僕の元同級生の世良 冬美じゃない。自分はその生まれ変わりだと、思い込んでいるだけだ」
『私のこと、戸神君はどこまで知ってるの?』
(全部知ってるよ、君の知らないことも含めてな)
そう、これは冬美ことSCP-737-JP-1-cも知らない事実。諜報局が故世良 冬美の墓を調査したところ、骨壷は確かにそこに収まっていた。中身も確認したが、特にパーツが欠けている様子はなかった。以前に開封された形跡もなし。要するにSCP-737-JP-1-cは、袴田の異常能力によって世良 冬美の記憶を移植された、喋るダイヤモンドの塊でしかないのだ。
クローンですら、ない。
「本物の世良 冬美は数年前に死んでますよ。ケダモノみたいな父親にレイプされた挙句、絞め殺されて。ああ、調べてみたらその父親、Dクラスにされて何かのオブジェクトの実験中に死んでますね。あれに教えてやれば、ざまあみろって言うかな?」
戸神はおかしそうに笑った。何がおかしいのかは、彼以外の誰にも分からない。
「まあ、あれが本物の世良 冬美だったとしても、やることは変わらないんですけどね。僕は財団エージェントですから──」
蒼井が無表情に口元を引き結んだままなのを見て、戸神は自分が一方的に喋らされていることに気付いた。舌打ちと共に、威嚇の笑みを引っ込める。
「じゃあ、僕はこれで。抜き打ちテストならいつでもどうぞ」
早口に言い捨て、歩き出す。背は見せても隙は見せない。戸神にとって、蒼井は財団の象徴だ。
(僕は)
『なにせこの世には、人知を超えたものが実在するって分かったんだ。なら、本で読むより自分の目で見たいじゃないか。それには、現場に立てるエージェントが一番だからね』
(そんな簡単な話じゃない)
財団との、異常存在との出会い。それは、戸神の魂の根幹を揺るがす衝撃だった。
魔術、神話、オカルト、彼がそういったものに何の興味もない一般人だったら、少し世界が広がるだけの話だったかもしれない。だが生憎ながら、若いとは言え、彼はこの分野のエキスパートだった。その彼が、自分が築き上げてきたものは、全て机上の空論だったと思い知らされたのだ。
神、邪神、天使、悪魔、魔物、妖精、精霊、魔術師、魔女。そんなものは本の中に、人々の空想の中にしかいないという大前提が、そもそも間違っていたのだから。
自分はまだいい。祖父はどうなる。幼い頃に亡くなった両親の代わりに、自分を育ててくれたあの人は、とうとう真実を知らないまま逝ってしまった。魔術の研究に、それこそ生涯を捧げていたというのに。
祖父の研究人生は、無知に──財団による情報隠蔽に殺されたのだ。
(──いいや、例えお祖父さんが許しても、僕は許せない。財団も自分も)
二十年以上も生きていながら、全く気付けなかった。財団に与えられたブロックのみで、無意味な積み木遊びをさせられていたことに。その屈辱は、戸神に研究者の道を捨てさせるには充分だった。本を拳銃に持ち替え、彼はエージェントになった。
財団という悪魔に魂を売り渡し、命じられれば友人でも欺あざむき、親兄弟でも狩ると誓った。報酬はより高いセキュリティ・クリアランス。財団が秘匿する、世界の真実に近付く権利。それが彼の、財団への復讐だ。
皮肉なことに、それは財団側から見れば、鋼の忠誠に他ならない。エージェントになりたいという、彼の要望が受け入れられた最大の理由だ。
(そう、ブルーホープはチャンスなんだ。任務のためになら、エージェント・戸神がどこまでクズになれるか、上層部に見せるための絶好のデモンストレーションだ)
戸神は早足に歩き続ける。自らの思い出を、その足で踏みにじりながら。それがどんなものだったかも、もう忘れてしまっている。
一方。
取り残された蒼井は、ため息と共に紫煙を吐き出していた。
(言えねえなぁ──)
どの口で言えたものか、自分を誤魔化すな、など。財団の理念だの、プロ意識だの、便利な言い訳でずっと誤魔化し続けてきた癖に──この胸の痛みを。
(理奈)
彼女を撃ち抜いた弾丸。その破片が心臓に突き刺さっている。一度も陽に当てなかったせいで、傷口は膿み腐り、きっと取り返しのつかないことになっているだろう。
こんな顔をしている師を、戸神は想像できるだろうか。
「お前は──俺みたいになるなよ」
この師弟が共に居られる時間は、もう残り少ない。
*
~以下、修正なしです~
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