置き土産
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 夢はいつも昼下がりのテラス席から始まる。

 遠くから聞こえるピアノの音につられて目を開ける。テーブルの上に置かれた飲みかけのアイスティーがからん、と音を立てて持ち上げられた。グラスを持つ白い手には銀の指輪が一つ。春の柔らかな日差しを受け一瞬きらめき、私の目を貫く。その煌めきから、これはあの日の夢だ、と頭の片隅で気がつく。同時にその結末がいつもとは異なってほしいとひそかに願った。幾度も繰り返す過去の思い出に半ば呆れつつ、私はついと顔を上げた。
 加藤天音は椅子に深く腰掛け足を組み、ぼんやりとアイスティーをすすっていた。深紅の髪が風に揺れ、目は物憂げに伏せられている。服装の描写。ふいに彼女は私と目線を合わせ、体を前に乗り出し顔をほころばせた。

「覚えていてほしいんだ」

 吸い込まされそうな淡いグレーの瞳が私を見つめる。互いに微笑を浮かべながら見つめあい、つかの間の沈黙が訪れる。どこからか風に乗って響くピアノ曲が聞こえてきた。耳を澄ませずとも、それがショパンのポロネーズ第6番変イ長調「英雄」だと私はわかっていた。学生のとき、天音がことあるごとに弾いていた曲。ストリートピアノの鍵盤の上を踊る彼女の白い指を思い出す。私があいまいに微笑んでいると、天音の真っ赤な唇が動いた。

「私はね、君のことが好きだよ。それは本当だ。だから別れてほしい」
「一見筋が通っていないように見えるな。どうしてだか聞かせてもらえるかい?」

 天音は小首をかしげ、微笑みながら、まっすぐに私を見つめた。

「やりたし仕事につけることになったんだ。でも危険と隣り合わせの職場で、いつ死んでしまうかわからない。それならいっそ、別れは早いうちに済ませてしまおうと思ってね」
「おもしろいことを言うね、天音。自分がいつ死ぬとか、未来のことなんて誰にもわからないというのに」
「だから不安なんだ。君には幸せになってほしいし、できるなら、危険な目に合わせたくないから」
「僕はそれでもいいんだけど」
「私が嫌なんだ」

 ほんの一瞬、彼女は表情を歪め、淀みを吐き出すようにそうつぶやいた。だがまばたきをする間に歪みは幻のように消え、いつも通り不敵な笑みに戻っていた。

「…決意は固いみたいだね」

 一つ大きなため息をつく。途端に肩の力が抜け、どっと疲れが押し寄せてくる。どうやら自分は思いのほか緊張していたらしい。目の前の女の視線を避けるように空を見上げる。綿菓子のような雲が青天井に暢気に浮かんでいた。いくらじっと見つめても、空の青さは何もこたえてくれない。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。太陽に温められた空気が肺を満たす。再び正面を向き、背筋をただした。

「どうせ僕とはもう、連絡は取らないつもりなんだろう?」
 彼女はよくわかっているな、と小さくこぼす。
「そのつもりだよ。その代わり、一つ約束しよう」

 パリン、と音がした。天音の持つグラスにひびが入り、瞬きをする間もなく粉々に砕け散った。途端に彼女の姿がグニャリとゆがみ、視界は急速に白い光に浸食されていく。あぁ、まただ。陶酔の時は終わりを告げ、私は再び現実へ浮上する。微かに響く凱旋のピアノ、耳元でこだまする彼女のアルト。

「次私が君に呼び掛ける、そのときは」

 そのときは。

 続きを聞くことなく、私は意識を手放した。

◇◈◇◈◇

 はっとして飛び起きる。あたりを見回すとそこは見慣れた研究所のカフェで、同僚たちは思い思いにくつろぎ、私に気を向けるものは一人もいない。それをどこか心地よく感じつつ、目の前のカップに手を伸ばす。すっかり冷え切ったコーヒーは、思考にかかった分厚い靄を晴らすのに十分な苦みだった。
 加藤天音のことを夢に見たのは久方ぶりのことだ。学生時代に出会い、わずかな時を共に過ごした女性。幾度も私を振り回し、ついにはぷっつりと消えてしまった。目をつぶり、10年たっても寸部たがわぬ姿を鮮明に思い描く。記憶の中の彼女は大人になりかけの年若い姿のまま、私にニヤリと笑いかける。わずかばかりの諦観に目を背けつつ、まだ彼女のことを忘れずにいることに胸を撫で下ろした。ただ、別れ際に宣言された約束を思い出せないことだけが気がかりだった。
 一度息を吐き、胸を張って深く吸い込む。次の仕事に取り掛からねばならない。自らの研究成果が実用化されることを夢見て、今日も私はホールピペットを握るのだ。残りのコーヒーを一息に飲み干し、立ち上がろうと椅子を引く。

 その時、テーブルの上に置かれた端末が鈍い音を立てて震えだした。

 目の前で震えるスマートフォンには「非通知」の文字が表示されていた。いぶかしんで手に取り、光る文字を見下ろす。やがて端末は手の中で沈黙した。そして私が立ち上がる間もなく、再び震えだす。舌打ちしたくなるのをこらえ、私は画面の通話ボタンをスライドさせた。

「…はい」

 無機質な声に続いたのはピアノの音。私はそれを知っていた。ショパンのポロネーズ第6番変イ長調「英雄」。華やかな主題の力強い音色が鼓膜を震わせる。ピアノの鍵盤をたたく白い指先、得意げに浮かべた微笑に穏やかな目元。10年前、何度も目にした天音の姿を連想し、私は身動きが取れなくなる。

「やぁ、久しぶり」

 弾むような女性の声が答える。夢にまでみた懐かしい声だった。手が震える。椅子に深く座り直し、呼吸を整え襟を正す。声が震えないように気をつけて、私は話し始めた。

「…天音。君は、加藤天音なのか。」
 あっはは、と笑う声がスマートフォン越しに聞こえる。
「そうだよ、覚えていてくれたんだね。嬉しい限りだよ」

 電話番号、変えてなかったんだね、よかった、と彼女は続けて呟く。思わず天を仰いだ。手のひらで目元を覆う。言いたいことがたくさんあった。

「それよりどうしたんだ、何で今さら連絡してきたんだ?」
「さぁ、ただの気まぐれかな。それよりさ、私が別れ際に言ったこと、覚えてる?」

 天音の声の背後からは、相変わらずピアノ曲がきこえてくる。遠くから響く英雄ポロネーズ。思考は遠く、過去の思い出へと遡っていく。昼下がりのテラス席、顔を歪める彼女、割れたグラス。パリン、と頭の中で何かが割れる音がした。心の一番奥底に沈めた狂おしいほどの願望が蘇る。そうだ、あの時、彼女は私に一つ約束したのだ。

「『そのときは、君の願いを一つ叶えて上げよう』」

 記憶の中の彼女をなぞるように、かつて紡がれた言葉を吐き出す。耳元からはくつくつと笑う音が聞こえた。相変わらず不敵な笑みを浮かべ、勝ち誇ったかのような表情をしているのだろう。彼女の笑い声につられて私も微笑む。どうやら正解のようだ。

「ご名答、よく覚えていたね。それとも今思い出したのかな?」
「さあどうだろうね」

 二人で声を上げて笑い合った。学生の頃に戻ったかのようだ。ひとしきり笑った後、私は口を開いた。

「それで、今連絡してきたということは、いいんだな。今日がその時なんだな?」
「そうだよ。さあ言ってみて、君は私に何を望むのかな?」
「君に会いたい。出来ればすぐにでも」
「もちろんだよ。私も会いたいんだ」

 続いて場所は任せる、と彼女が続ける。自分の好きなレストランをいくつか思い浮かべ、すぐにあたりを付け場所と時間を告げた。天音はいいね、と呟くと、ではその時にといって電話が切れた。
 あっという間の出来事だった。スマートフォンの通話履歴を見返し、今の会話は夢ではないのだと確認する。喜びを隠すことができそうになかった。今の彼女はどんな姿をしているのだろうか。そんなことを思い浮かべながら、私はカフェを後にした。

◇◈◇◈◇

 先ほどの電話から数十分後。
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