博士の安息地
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 SCP-978はとある高名な博士を写したとき、彼の安息の地を現像したそうだ。

 僕にそんな場所があるとすれば、サイト-81██の第3中庭の他に考えられなかった。


 スクリーンには、ありふれたビニール傘が映されている。
「今スクリーンに映しているのは、SCP-548-JPの概要を纏めた参考資料となります」
 演説台に立つ男性が淀みなく、スクリーンの内容を説明し始める。僕はそのオブジェクトの概要を、本当に触りの部分だけ知っていた。
「えぇ、私が書いた報告書で、私が担当しているオブジェクトです」
 上級研究員の塚原さん。彼が僕の上司になるからだ。


 塚原さんが指さしたのは僕が背負ったリュックサックだった。
「買ってくれたんだね、それ」
 正確に言えば、リュックサックに下がっているストラップだ。薄いプラスチックの中に四葉のクローバーが封入されているありふれたもの。形式部門のオリエンテーションで塚原さんが薦めていたものだ。
「あー、その。形式部門が家の柱であり鍵、っていう例えに感銘を受けました。それから——」
 要領を得ないうえに、酷く長々と話してしまった。それでも塚原さんは頷きながら聞いてくれる。
「オリエンテーションを担当するのは初めてだったけど。ちゃんと聞いてもらえて嬉しいよ」
「これから上司になる方の話でしたから」
「それでもさ。少なくとも君は、人の話を聞いて自分なりに飲み込める人間だってことだ。形式部門に必要な人材だよ」
 そう言って塚原さんは笑った。オリエンテーションの時は少しクールな印象だったけど、こうやって話してみると穏やかな人だとわかる。財団にスカウトされた時からずっと不安だったけど、彼の元ならやっていけそうだ。
 ふと見ると、塚原さんが手を差し出している。
「きっとこれから、長い付き合いになるだろうから」
「はい。よろしくお願いします!」
 彼の手を力強く握り返した。

実験記録548-42
担当者: 塚原上級研究員
内容: 塚原上級研究員が被験者となった状態で、██助手がSCP-548-JPへ向け、「練習曲作品10第3番ホ長調」をリクエストする。
結果: 通常通りSCP-548-JP-Aが発生、被験者である塚原上級研究員は音色に「嬉しそう」な印象を受けた。


 塚原さんは多忙な人だ。他にも関わっているオブジェクトがあるそうで、1か月のうち半分ほどはサイトをあちこち巡っている。だから、彼が不在のときにSCP-548-JPを差すのは僕の仕事だ。
 そうは言っても、何か感想を言ったり拍手をしたりすることはできない。ただ異常性を維持するため、一曲弾かせておしまいだ。何か余計なことをしてオブジェクトの危険度が上がるなんて真似は、財団では許されない。頭ではわかっている。それでも。
「なんだかなぁ……」
 僕は自分のデスクで溜息をついた。ここは間借りしている塚原さんの研究室で、主人がいない限りは誰にも聞こえる心配のない場所だった。今日の天気はうっすらと雲が浮かぶばかりでただただ肌寒く、雨が降る気配はない。形式部門の仕事も割り振られていなかった。ただの研究助手でしかない僕は、こういう日は資料の整理くらいしかできることがない。
 少し量が溜まってしまった実験記録ファイルをまとめて、一息つこうと立ち上がった時だった。積み重ねていた資料に肘が当たってしまった。資料が崩れて、床にバラバラと散らばっていく。
「いったぁ……ああ、もう」
 散らばった資料にはSCP-548-JPの実験記録も含まれていた。迂闊な僕が悪いけど、他のものと重なってしまった。なんだか何もかもうまくいかない気分になって、僕はまた溜息をつく。順番を揃えるため、実験記録の一つ一つに目を通した。まだ研究員だった、今の僕と大して年の変わらない塚原さんが、SCP-548-JPの形式を確立していく。
「……んん?」
 まとめ終わった実験記録を最初から読み返す。今度は実験内容の部分をじっくりと、二度三度。
 思いついたことがあった。


 思いつきが形になったのは一か月後だった。デスクワークをこなす塚原さんの前に立つ。
「塚原さん! 少しお時間いいですか?」
 気持ちどころか身体も前のめり気味になっている僕に、塚原さんは面食らったようだった。
「なんだい?」
「SCP-548-JPの実験で、提案があるんです」
 僕は今までの実験記録をまとめたバインダーを開いた。塚原さんがのぞき込んだタイミングを見計らって、続ける。
「今までの実験は一曲ずつリクエストしていますよね?」
 最新の実験から、遡るようにページをめくっていく。この日のために何度も確認した内容だった。
「今まで同時に複数曲をリクエストした事例はありません」
「……そうだね」
「複数曲をリクエストしたときの比較実験があってもいいんじゃないかと」
 僕の提案に、塚原さんは実験記録に目を落としたまま答える。
「複数曲を同時にリクエストして、オブジェクトが応じてくれるのか、演奏技術の成長に差があるかを検証したい、ということかな」
「はい!」
「同じ曲を何度もやらせるのかい?」
 待っていた質問だった。僕は満を持して答える。
「僕は、いつもの曲ともう一曲。モーツァルトの『きらきら星変奏曲』をリクエストするのがいいと思います」
「きらきら星?」
 塚原さんが首をかしげた。形式部門の同期からこの曲の情報を仕入れた時の僕と同じ反応だった。
「あのきらきら星を、モーツァルトが大幅にアレンジした曲です。一曲の中でさまざまに印象が変わる曲で、全部弾いたら10分を超えます。オブジェクトの演奏技術を評価するのにも適しています。それに」
 僕は乾いた口からなんとか絞り出す。
「それに、担当の塚原さんも楽しいと思います」
 我ながら、感情に訴えかけるなんて非科学的だと思った。最後のほうなんて震えてしまって、自信のなさが滲み出てしまった気さえする。塚原さんは少しだけ目を見開いて、やがて俯いた。
「私はね」
 彼はデスクの引き出しを開く。一番下の、いろいろと資料が詰まっている大きい引き出し。
「上級研究員になってから、自分で実験の許可を出しているんだ。特別収容プロトコルに則ってね」
 引き出しから出した紙にさらりと署名して、判子をついた。フォーマットは「実験許可申請書」だ。塚原さんはそれを僕が読めるように回転させて置く。空欄の「実験担当者」にペンを添えて。
「実は、他の研究員に許可を出すのは初めてなんだよ」
 僕はSCP-548-JPの報告書を思い出していた。実験の際はセキュリティクリアランス2以上の職員1名の許可。僕は何度も、紙と塚原さんを交互に見た。
 塚原さんはただ微笑んで、僕をまっすぐ見ている。
「いいかい? この実験は、君がやるんだ」

実験記録548-66
担当者: ██助手
内容: SCP-548-JPへ向け賛辞と拍手を送った後、「練習曲作品10第3番ホ長調」、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」を続けてリクエストする。
結果: SCP-548-JP-Aが連続して発生、終始音色は「楽しそう」なものだった。


 僕は研究助手から、正式に研究員の肩書を得た。
 
「や、██。昇進したんだって?」
 だから、僕をスカウトしたエージェントの██さんが訪ねてくることは予想できた。
「僕をスカウトした人事の人です!」
「何? 挨拶もなしか?」

「今回はベートーベンの『交響曲第5番 ハ短調 作品67』ですよ」
「なんだそりゃ」
「『運命』って言えばわかります? ジャジャジャジャーン、って」
「なるほど。でもピアノで弾けるのかアレ? オーケストラの曲じゃなかったか?」
「その検証もするんですよ。まあ、前にもっと激しい曲を弾いているので大丈夫だと思いますけど」

「██さんって、なんというかその……塚原さんにちょっと当たりが強いですよね」
「塚原は他人より少しばかり人がすぎる。俺はそれが心配でね」
 
「いいか、932だ。932-JPを読め。今のお前のクリアランスなら読めるはずだ」
 僕と██さんの話はそこで途切れた。塚原さんが██博士——このサイトの副管理官という大物を連れてきて、会話どころじゃなくなってしまったからだ。

実験記録548-106
担当者: 塚原上級研究員
内容: ██博士、塚原上級研究員、██研究員、エージェント・██の4名による拍手と賛辞の後、ベートーベンの「交響曲第5番 ハ短調 作品67」をリクエストする。
結果: これまでとは飛躍的に演奏技術が向上したSCP-548-JP-Aが発生、音色は終始「楽し気」であった。


 SCP-932-JPの報告書を読む許可はすんなりと取れた。データ管理の都合ですでに電子化されていて、専用の端末からアクセスすることができた。
 琥珀色の眼球と目が合う。すぐにそれがワラでできたフクロウだとわかった。オブジェクトを見つけたのが塚原さんだということも。

塚原研究員はSCP-932-JPの炭化した体組織の一部を引き取りました。

 読む前に淹れたコーヒーはとっくに冷めていた。
 想像してみる。積もった灰の中から眼球と嘴の鉱石を拾い上げる、塚原さんの姿を。

 昼間に見かけたときのスーツ姿のままだった。
「塚原さん? 今日はお祝いのはずじゃあ」
「ちょっとね。早めにお開きになったんだ」
 塚原さんは僕の前を横切っていく。そのまま窓へと向かうと、カーテンを開いた。
「君も早く帰らないと冷えてしまうよ」
 暗闇の中、白い光のような塊が降っている。雪だ。


 やがて、雨音は歌う。
 別れの歌を。

実験記録548-107
担当者: 塚原博士
内容: 約███名の財団職員が聴取する中でSCP-548-JPへ向け、ビゼーの「カルメン前奏曲」、リストの「パガニーニによる大練習曲第3番 嬰ト短調」、モーツァルトの「ピアノソナタ第11番第3楽章」をリクエストし、SCP-548-JP-Aが終了する度に拍手と賛辞を送る。
結果: 「ピアノソナタ第11番第3楽章」の演奏を経て、SCP-548-JP-Aの演奏技術は極めて高まったと認められた。音色は終始「楽しそう」「嬉しそう」なものだった。

 SCP-548-JPは跳ね飛ぶように塚原さんの手を離れた。不格好に、ばちゃり、と音を立てて墜落する。塚原さんから離れた僕の位置からも、砕けた石突、折れた骨組み、そして——傘布に現れたタイヤ痕、そのすべてが見えた。予想外の状況に他の財団職員たちが騒めいている。でも、そのすべてがどこか遠くから聞こえるようだった。
 オブジェクトから目を離せなかった。そんな僕の視界に塚原さんが入ってくる。ぐちゃぐちゃになったSCP-548-JPを手に取って、ただ、差した。傘布にパラパラと雨音が当たる音だけが響く。
 頭のどこか冷静な部分で、演奏会は終わったんだ、と思った。もう二度と雨音は歌わない。

「██くん!」

 塚原さんは全身ずぶぬれになっていた。今回の雨はずいぶん冷たいはずだ。彼の声が震えていたのはそのせいだと、僕は思い込むことにした。


 寒気すら感じる無味乾燥な尋問室で、僕は██さんと向き合っている。
「や。災難だったな」
 彼の口調はいつも通りだった。だからこそ、手元の資料に視線を落としているせいで暗く見える瞳が恐ろしかった。何か言わなくちゃと思うのに、唇が震えてうまく動かない。
「そんな緊張するなよ。オブジェクトが無力化した件について、少しばかり証言してほしいだけだ。お前の人事評価のためにも」
 そう言われても。膝の上に置いた自分の手がひどく冷たいように思った。
 異常性の保護。財団の方針のひとつにして、SCP-548-JPがサイト-81██に移された理由。それを、思いがけない形とはいえ反故にしてしまった事実が重くのしかかってくる。
「あの、塚原さんは」
 かろうじて絞り出せたのは僕の上司のことだった。
「塚原さんは、どうなるんですか?」
「……ふうん?」
 不意に██さんが顔を上げる。目は伏せられていた。
「優しいというか甘ちゃんというか。お前も大概だな」
 そう言って彼は瞼を開く。デスクライトの光が入った瞳が、ただ僕を見た。
「まあ。何かしらの処分はあるだろうが、お前が心配するようなことは起こらないだろうよ。実験の手順は何も問題なかった。証人は大勢いる」
 ██さんはついにニヤリと口角を緩めた。
「俺もそのひとりだ」


 結論から言えば、僕と塚原さんに下された仕事は報告書の書き換えだった。実質お咎めなしだ。
 SCP-548-JPは正式にNeutralizedクラスに分類され、研究チームは解散になる。塚原さんは他のサイトへ異動になり、残される研究室は僕が譲り受けることになった。

「あー……塚原さん。ちょっとお聞きしてもいいですか?」

・ワラフクロウの灰

「君のそれと一緒だよ」
 そう言って塚原さんが指さしたのは、デスクに置かれた僕のリュックサックだった。正確に言えば、それに下がっているクローバーのストラップ。

・548-JP研究チーム解散、塚原と握手して別れる

「これからも、遠慮なく質問しに行っていいですか?」
「もちろん」
 春が来ていた。


 部屋が静まり返っていることを差し引いても、演説台のかたわらに鞄を置く音が妙に大きく響いた。鞄につけているクローバーのストラップが地面に当たったせいだろう。ただでさえ角が少し欠けているのに、扱いが雑すぎたかもしれない。
「さて、皆さん」
 緊張した面持ちの新人たちを見渡す。僕は意識的にゆっくりと言った。
「形式部門のオリエンテーションへようこそ。今回のオリエンテーションを任された、上級研究員の██です」

 
 スクリーンにはポラロイドカメラが映しだされる。
SCP-978。簡潔に言えば、写された者の欲望を現像するカメラです。こちらのオブジェクトも充分研究され、危険度も少ないものです。海を越えて、日本支部に貸し出される程度には」
 一瞬、会場がざわめく。
日本支部での実験は形式部門が担当しています。午後のオリエンテーションではこちらの実験記録を交えつつ、具体的な業務を説明していきます」

 僕は現像された写真を手に取る。
 見たことがないような満面の笑顔の塚原さんが写っていた。品のいい正装。大勢の人々と共に拍手をしている。
 スタンディングオベーション。塚原さんが誰に送りたかったものなのか、僕は。僕たちは知っている。
「やっぱり、SCP-548-JPのこと——」
 形式部門のエージェントたちがこそこそと話しているのが聞こえた。僕もなんだか胸が温かくなるように感じながら、引き続き写真を眺める。
「……んん?」
 見つけたものがあった。

「わかるよ……! 中庭だろう!?」
 エージェントが頷くのを確認して、僕は出発した。
 SCP-978は本部の実験でとある高名な博士を写したとき、彼の安息の地を現像したそうだ。塚原さんにそんな場所があるとすれば、僕はあの第3中庭の他に考えられなかった。
 どうしても彼に話したいことがあった。今はきっと、僕だけが気づいている。
 拍手をする塚原さんの袖口に光る、カフスボタン。その琥珀色の輝きが、あの日、目が合ったSCP-932-JPの鉱石に似ていることに。

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