黒縁眼鏡に魅せられて

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正月休みを利用して、僕──松川千晴は以前住んでいたこの町にちょっとした旅行で訪れていた。小雪の舞う駅前のロータリーは、タクシーが1、2台止まっているだけで人も疎らだった。そのロータリーの中央に立つ時計が夜の10時を指している。白い吐息を漏らしながら重い身体とキャリーバッグを引き摺って歩みを進める僕に対し、後ろから不意に呼び止める声があった。

「なあお前千晴……松川千晴じゃないか?」
「……優作?」

振り向き様に視界に入った同窓の顔には、歓喜と困惑の色が浮かんでいた。


僕は気が付くと彼──吉野優作に連れられ駅前の小汚い創作居酒屋にいた。優作は僕の幼馴染で、とても気が合う友人というか、似た者同士だった。兎に角趣味嗜好や考え方が一緒で、いつも僕と一緒に居てくれた大切な朋友だ。しかし、10年という時の流れのせいか、それともあの事件のせいか、場の空気を支配していたのは沈黙だった。

暫くお互い無言のまま運ばれてきた料理と酒をつまんでいると、急に優作が嘔吐き始めた。

「どうしたの優作!?」
「クッソ、この餃子トマト入ってやがるぞ……ちゃんと注意書き出しとけよ……」
「もしかしてアレルギー?」
「ああ、丁度千晴があの事件で……」

そこまで声に出しかけたところで、発作で青くなっていた優作の顔色がさらに悪化して土のような色になっていた。

「……?いいよ、別に。気にしてないし。」

僕は正直にそう言い放ったものの、優作は申し訳無さそうに口を閉ざしていた。

「……ちょっと僕店員さんに文句つけて来るよ」

僕は溜息を吐くように言った。

「いいって。幸い隠し味程度の量だったから大した発作じゃないし。その気持ちだけで十分だ。ありがとな。」

優作は諫めるように若干早口でまくし立てたが、僕は止まらなかった。

「いや別に……。まあでも、どう転んでもこれは食べられないから返さないと。」

少し不思議がる優作をよそに、僕は続けて告げた。

「僕もトマトアレルギーだし。」



「それでさ……あの後どうだった?大変だったよな……」

僕が店員さんに食べかけの餃子を返却して席に戻ると、何やら意を決した面持ちの優作にこう切り出された。「あの後」というのは勿論あの事件のことを指しているだろうということは容易に想像出来た。

「さっきも言った通り、あんまり気にしてないよ。あの頃もう既に色々ヤバかったし、どっちにしろって感じだよ。それに、もう10年も前の話だから。終わった後病院で散々泣き腫らして、それで終わり。」
「いや、しかしな……」
「もう限界だったんだよ。僕も含めて。だからあの事件はある意味では渡りに船だったのかもね。」

この言葉を受けて優作は再び押し黙ってしまった。

「……済まなかった、千晴。ずっと力になれなくて……。」

優作から不意に繰り出された謝罪に僕は当惑した。

「……優作は何も悪くないよ。」

今日何度目になるか分からない沈黙。やがて詰まってしまった話の流れを変えようと、思い出したように優作が問い掛けてきた。

「なあ、その千晴が掛けてる黒縁眼鏡ってもしかしてあの先生の──」
「あ、分かる?……あの人は僕に勉強の楽しさを教えてくれた恩人だからね。心ばかりのリスペクトだよ。」

僕がこう答えると、優作は何やら困ったような顔をして考え込んでしまった。

「どうしたの?」

気になって尋ねると、優作は迷いながら口にした。

「いや、その、何というか……これを言うべきか言わざるべきか……」
「優作らしくないね、隠し事なんてさ。君と僕との間柄でしょ?言ってくれて構わないよ。」

この言葉を受けても尚、優作は暫し思案していたものの、間もなく口を開いた。

「じゃあ言うけどよ……その先生がさ、俺たちの学校から去って1年くらいで亡くなってたって知ってたか?」
「えっ……」
「自殺したんだとよ……アパートの自室で、首を吊って……」

その言葉を聞いた瞬間、自分の耳を疑うと共に心を刃物で刺されたような衝撃を受けた。信じられない気持ちで一杯で、考えるよりも早く次の言葉を放った。

「ねえ、証拠……証拠はあるの?」

すると優作はポケットからスマートフォンを取り出し、何やら探し始めた。程なくして、寂しげな表情の優作にスマートフォンの画面を突き付けられた。それは9年前の地方新聞のバックナンバーだった。僕は怯えながら画面をスクロールする。新聞の地域欄に差し掛かった所で目に入る「教師女性、自宅で自殺か」の見出し。自殺したとされているのは紛れもなく師の名前であった。

僕の頭の中は真っ白になって、そして暫く後に当時のことが走馬灯のように脳裏を過ぎった。突然だった出会い。楽しかった授業。伝え損ねた先生への想い。そしてあの事件……。それは僕の人生を変えた激動の一週間だった。



僕がこの町に引っ越してきたのは小学6年の6月という中途半端な時期だった。父が仕事で大失敗をして、この片田舎に左遷されたのだ。父も母も優しい人間であったが、この頃はそれが裏目に出ているとしか思えなかった。父はその性格の為に長年世話になった仕事を辞められず大人しく厄介払いされ、明らかに酷な仕事を押し付けられていた。その影響か引っ越した後はしばしば母や僕に癇癪を起こすようになり、酷い時には暴力に走ることもあった。普段の父から突然豹変するその姿は、幼い僕に恐怖心を植え付けるには十分だった。そして情に厚い母は、父の行為を「今は上手く行っていないだけで、成功すればきっと元の優しいお父さんに戻る」と僕に諭していた。僕も温和な父が好きだったし、それをずっと待ち望んでいたのだと思う。

そんな歪み始めた僕の家庭事情は、僕の転校後直ぐに同級生の家庭内で話題となったようで、小学6年の夏というほぼ完成された閉鎖的なコミュニティ、しかも田舎故に1クラス7人しかいなかったという影響も相まって、僕は虐めを受けるようになった。教科書や机、ランドセルに黒いマジックで罵詈雑言を書かれたり、給食をわざと零されたりというのは日常茶飯事であった。担任含む教師陣もこの状況に対し介入するようなことはせず、僕に対する虐めを黙認していた。学校内に於いて僕の味方は隣の席の優作しかいなかった。当初は優作は積極的に虐めを止めようといじめっ子グループを糾弾していたが、彼らと対立して怪我をし、1週間学校を休むという出来事があり、僕の方から止めて欲しいと頼み込んだ。優作が積極的に僕の虐めに干渉して痛い思いをするのが嫌であったし、現に1週間の優作のいない期間の学校生活はかなり精神的に厳しいものがあったからだ。それに、卒業すればいずれこの生活は終わる。そう伝えると優作は嫌々ながらも了承してくれた。そしてその後も僕を支えてくれたことについて、優作には本当に感謝している。

そんな生活を半年程度送ったある月曜日、僕は運命の出会いを果たす。

事の始まりは、国語の担当をしていた新任の教員がインフルエンザに罹ったとのことで、臨時に教員を1週間雇うというものであった。僕は最初その事を気にも留めていなかった。特に臨時教諭が来たところで今の僕を取り巻く状況が変化する訳でもないと思っていたからだ。どうしようもない現実のことを考えると自然と溜息が口を衝いて出る。僕の心模様と同じ鈍色の冬空を眺めていると、教室の前ドアが開いた。

教室に入って来た女性の姿を見て、僕はそこはかとなく母の姿を想起した。小柄で、髪を団子にしていて、眼鏡は黒縁で……。きっと、母が若ければこんな感じの見た目だったと感じさせる姿であった。彼女はそのまま教壇に立つと、軽い自己紹介を経て、早速授業に取り掛かるのであった。彼女の佇まいは、その見た目に似合わない程に堂々としていた。

黒縁眼鏡の臨時の先生による授業は独創的ではあったものの、非常に分かりやすく、内容がすうっと頭に入り込んでくる感覚があった。少なくとも、僕が見ていた範囲では全員が先生の授業を食いつくように受けていた。聴衆を引き付けて離さない、そんな魅力が先生の授業にはあった。そして先生は、誰にでも丁寧に、真摯に向き合って教えてくれた。やや厳しすぎるきらいはあったものの、間違っている箇所は徹底的に指摘してくれたし、正しい所は全力で褒めてくれていた。僕は先生に気に入られたくて、一所懸命授業を受けた結果、僕の国語ノート1冊は全ページがあっという間に真っ赤になった。

先生の初日の授業が終わる頃には、僕の感情はすっかり様変わりしていた。引っ越しをしてより常に抱いていた諦めにも似た感情は消え去り、興奮と高揚感で満たされていた。昨日までの僕なら、たった一度の授業でこんなに変わるものなのかと問いたくもなっていただろう。しかし、昨日までの虚ろな日々に彩りを与えてくれた先生の授業は僕の中でそれほどに大きな価値を持っていたのだ。気付けば、僕は先生の事を考えるだけで気持ちが昂るようになっていた。過去に経験の無いこの不思議な感情に、僕は名前を付けることは出来なかった。

先生の初日の授業を終えて、良かったことがもう一つあった。それまで幾度と無く行われてきた僕への虐めが急に止んだのだ。僕の私物への落書きや給食の味噌汁に消しゴムが入れられているといったことがその日を境に無くなった。この理由を僕は掴みかねていた。今朝はいつも通り上履きに画鋲が入っていたし、机の中には腐った牛乳を拭いたような雑巾が雑に突っ込まれていた。

その週の木曜日、お昼前の国語の授業で来週には元々の国語教諭が復帰するという連絡が彼女自身から告げられた。彼女の行う授業が終わりを迎える時が近づいてきたのだ。授業中は皆楽しそうにしていたものの、お昼の時間になると教室がどこか暗い雰囲気を帯びていた。僕は雪の降る空を見上げながら彼女について考えていた。彼女の行う授業は間違いなく僕の人生の中で最高の時間だった。しかし、同時に何か引っ掛かりを感じていた。クラスの皆はきっと彼女のことを好意的に見ているであろう。それは授業中の態度から想像できる。僕も確かに彼女に憧れている。彼女に対する好意なら誰にも負けない自信がある。しかしこれは恋愛感情であるとか、敬意であるとか、そういった感情だけで構成されてないような気がしてならない。僕は恋愛経験が豊富な方ではないが、それでも、ドラマや漫画で見るような感情とは明らかに異なる感情であると本能で理解していた。彼女のことを想うとき、何か別の強く、衝動的な感情が僕を支配しようとするのだ。考えながら給食を口に入れると途端に吐き気がした。トマトだ。トマトが給食に入っていた。今までは問題なく食べられていたこの悪魔の実だが、週の頭くらいから急に食べられなくなってしまった。僕はトマトをトレーの端によけて再び彼女について考えを巡らせた。

その日の給食の終わりに、クラス全員がトマトを残したということで担任に怒られた。口に入れると吐き気がするというのにどう食べればよいというのだろうか。皆も怒られながら不満な顔をしていた。

そして、夢のような時間は唐突に終わりを迎えた。この週の金曜日に記録的な大雪が降り、学校は中止。僕たちは彼女と会う最後の機会を奪われたのだ。

僕は突然の別れにショックを受け、休みの3日間を殆ど自分の寝室で布団にくるまって過ごしていた。両親が心配していたようだったが気にもならなかった。僕の感情は全て彼女が支配していた。布団の中で1人呟く。僕はまだ、彼女にお別れの言葉を告げてない。僕はまだ、彼女に思いの丈を伝えていない。僕はまだー―彼女を殺していない。

僕は一瞬、殺すという単語を口に出したことに違和感を抱いたものの、直ぐに自分の中で答えを出すことが出来た。そうだ。僕を支配しようとするあの感情は殺意だったのだ。当たり前だ。あの輝くような恋愛感情とドス黒い殺意が同一のものであるはずがない。しかし、自分の感情について答えを出したところであのすてきなせんせいが僕の家を訪ねることは無いのだ。その事実に気付いて、僕は何度も枕を涙で濡らした。



ホンナ先生と別れた後、黒縁眼鏡の女性を見ると不意に殺意が膨れ上がるのを感じるようになった。先生を殺す前に刑務所に入るのはいけないと思い対策を講じた結果、一番効果があったのは自分で黒縁眼鏡を掛けて、もし殺意が沸いた時は鏡を見て自傷するというものだった。手首に勢いよく刃物を立てると想像を絶する痛みが襲ったが、先生を殺すためだと思えば我慢は出来た。でも死んだ?先生が?先生を僕が殺すことはもう出来ないのだろうか。僕のこの苦難の10年は何だったのだろうか。圧倒的な喪失感と共に強烈な殺意が僕の中で発生しているのを感じる。それを何とか誤魔化そうと酒を浴びるように飲んだ。大衆居酒屋に相応しい安物の酒だったが、十分なほどに効果は得られた。脳味噌が直接掻き回されているような感覚の後僕の意識は途切れた。最後に僕が見たものは、修平の心配そうな表情だった。



目が覚めると、酷い頭痛と吐き気に苛まれた。どうやら二日酔いの症状のようだが、昨日の夜に何をしていたのか全く覚えていない。暫く便所で吐いた後に俺は、取り敢えず思考をスッキリさせようとシャワーを浴びに風呂場へ向かった。服を脱ぎ、風呂場の扉を開けると、腐ったような強烈な臭いに包まれた。浴槽には昨晩まで友人だったものが血塗れで入っていた。俺はここで思い出した。どうもまた人を殺してしまったようだ。俺は小学生の頃から黒縁眼鏡を掛けた女を見ると殺したくなるという難儀な気性を抱えていた。俺は自分の体を洗う前に元友人を解体することにした。
人をバラす時に出る血の海を見ると、何故だかホンナ先生との授業を思い出す。トマトケチャップを作って塗りたくるだけの、あの授業を。

taleここまで


見て欲しい点
・面白いか
・無駄な文章が無いか
・伝わりにくい文章は無いか
・登場人物の描写について、不可解な箇所はあるか
・この構成は効果的か
等々、教えて頂ければ幸いです。

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  1. portal:lightning-rod ( 01 Jun 2018 16:03 )
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