「エージェントが知るべき化学分析の基礎」
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81地域ブロック新入職員へのパンフレット

エージェントが知るべき化学分析の基礎

2018年版


概説

 本パンフレットは、財団という特殊な組織に参加することとなった新人エージェントに対し化学分析における基礎的な注意喚起を「研究員の立場から」行ったものです。財団が異常なオブジェクトに対抗する際の一番の武器は科学ですが、エージェントが科学の知識を持っていないという場合は少なくありません。また、今までに科学に対する無知により悲惨な事故が多く発生しています。本来ならばエージェント全員に財団科学部門用の映像授業などを視聴してもらうのが一番なのですが、それ以外にも多くの技術や知識を習得しなければならないエージェントに対してはこうしたパンフレットにより心構えを周知してもらうほうが遥かに効率的です。

 本パンフレットで取り扱うのは化学分析──分かりやすく言えば「あるサンプルが何からできているか」の調査方法についてです。科学部門の担当者はサンプルを複雑怪奇な方法で特定していると思われがちですが、実際に行っている手順は比較的単純なものですし、中には高校化学までの知識で扱えるものもあります。

 多くのオブジェクトの報告書、特に初期収容時に作成されるものでは、しばしば「未知の素材」という表現が用いられます。しかし、後の調査により既知の物質であった例は意外にも多いのです。もしあなたが多くのセーフハウスに備え付けの基礎化学分析キットの使い方を知っていれば、あなたがオブジェクトと対面するときに最悪の選択をする可能性を下げることができます。

 ですが、あなたが完璧な分析結果を出す必要はありません。財団科学部門は、必要とあらば人類が今まで作り出してきた物質解析の手法をすべて試すことができます。しかし、初期収容の時点でオブジェクトの化学的・物理学的な特性がある程度判明していればより適切かつ迅速な対応が可能です。

 そして忘れてはいけない事があります。情報災害、認識災害、ミーム災害といったものをオブジェクトが引き起こす場合、分析すること自体が異常性の拡大につながる可能性があるという事です。エージェントは常に自分が“正気”かどうか、オブジェクトに対応していない他のエージェントに定期的に確認してもらってください。

なぜ化学分析が重要か

 あなたの目の前に無色透明な液体があったとします。この液体が何か調べるにはどうしたらいいでしょうか?「飲む」「匂いをかぐ」などといった回答はやめてください。確かに人間の感覚器官は最先端の機械にも劣らず、適切なメンテナンスさえ施せばかなり高性能な観測機器になりえます。しかし、その能力はあなたがオブジェクトに直面したときの回避に使うべきであって、十分な機材が用意されている状況で使うべきではありません。その液体が人体にとって猛毒だとしたら?揮発性の有毒ガスが含まれていたら?財団は貴重な人員をひとり失うことになります。

 その代わりとなるのが機械です。値段は高級車に匹敵することも多いですが、それだけの価値があります。ありとあらゆる物質と反応するガスからほとんど不活性な固体まで、人間が感知できないほど少量の物質であっても分析を行うことができます。そのようにして得られたデータは客観性があり、財団の化学物質データベースと比較すればどのような物質なのか調べることができます。

 化学分析はオブジェクトに対抗するときの大きな武器となります。多くの人命を浪費する実験を行わずとも、いくつかの単純な分析を行うことでその異常性の正体が判明することもあります。ある統計によれば、オブジェクトが発生させる化学現象で分析不能の物質が発生した例は10%にも満たないことがわかっています。逆に言えば、ほとんどのケースにおいて、化学分析はオブジェクトの分析に対して効果的なのです。

化学分析の前に

 後の分析をやりやすくするために、現場でエージェントができることがあります。まずはオブジェクトの状態を記録することが最も重要です。回収や移動の際にサンプルが変質することはあり得ますし、実際に一昨年、変質後のサンプルにあわせて計画を立ててしまったために収容に失敗した例がありました。化学分析の方にも問題はありましたが、エージェントとの意志疎通がしっかりできていれば防げた失敗でした。

 まずは見た目で判断できるいくつかの情報を集めます。基本的には色、形、そして状態――state――です。この場合の“状態”というのは固体、液体、気体を指しますが、他にも2種類の物質が微粒子として入り混じった分散系、高温などによって発生するプラズマ、現実子の拡散によって本来あって然るべき化学的な安定性を失ったオッペンハイマー態など、物質には多くの状態が存在します。質量や体積、内部構造といった比較的簡単に確認できる情報も集めます。

 もし対象となる物体が純粋な物質からなるものであれば、この時点で正体の見当がつく場合があります。ですがそれでも物質が何であるかわからない場合には、一般的に蛍光ホログラフィや核磁気共鳴、質量分析などといった方法を用い含まれている元素を特定します。もし炭素や水素が多ければ有機化合物であると予想できますし、金属がほとんどであれば合金ではないかと判断できます。元素が特定されれば、物質の中でどのように分子が結合しているのかを調べることもできます。

 さらに異常性との関連について見ていきます。調べたい物質はどのような異常性と関係があるのでしょうか?オブジェクトの素材なのか、産出物なのか、はたまた異常性には直接関係ないが現場にあった奇妙な物なのか。それによって実験での安全対策のレベルや、重点的に調べる分野を変えなくてはいけません。もちろん最終的には基本的な分析すべてを行うのですが、時間などの制約によりできる限り早く確実に情報が欲しい場合は、こういった情報も必要です。

 具体的な方法についてみていきましょう。まずは色です。色というのは反射する光(透かした場合には透過する光)なので、逆に言えば物質が「吸収しない」光のことです。一般的な機材、たとえば標準装備の中にあるカメラの撮影からでも色の解析が可能ですから、写真や映像は出来る限り頻繁に撮影するよう心掛けてください。

 つぎに形ですが、気体や液体は形を持ちません。これは物質を構成している分子同士のつながりが固体に比べて弱いためです。形状については写真を複数の方向から撮影すればコンピューター解析で3次元モデルを作成できますが、一般的にはその後に行われる内部構造の分析の際に3次元モデルを作成します。状態は固体・液体・気体とざっくりと分類してもらって大丈夫です。これは実際の詳しい振る舞いを調べないと正確な状態を決めることができないためです。ただ、粘ついていたり静電気を帯びやすかったりする場合はそのことを特記していただけると、科学部門の手間が少し減ります。

 次に質量ですが、これは多くの場合ただ単純にはかりに載せるだけで知ることができます。体積や内部構造は多くの場合コンピュータ断層撮影(CT)や核磁気共鳴画像法(MRI)などを用いてスキャンされます。CTやMRIは医療関係の用語として聞いたことがある人も多いでしょうが、事実医療分野での研究を応用しています。解析されたモデルを見れば、中空だったり内部が別の素材でできていたりするのを特定できます。また、オブジェクトの一部に発生している空間的なひずみや時間の揺らぎなども検出できます。

 では、今回のテーマである化学分析を具体的に見ていきましょう。

具体的な化学分析の手法

 化学分析の方向は大きく二つ、定性分析と定量分析に分けることができます。定性分析は「どのような物質が含まれているか」、定量分析は「どのような割合で含まれているか」を調べる方法です。多くのサンプルはいくつもの物質からなる混合物であり、その振る舞いを知るためには定性と定量、二つの分析が必要となります。

 今回は5つの方法を紹介しましょう。

・クロマトグラフィー
 原理的には超高精度なフィルターのようなものです。物質によってフィルターの通りやすさのが変化することを利用して物質を分離するこの方法は、とかく組成不明なモノを扱うことが多いこの場所ではとても役に立ちます。実際、液体または気体試料の場合は、大抵この機械の世話になるでしょう。

 クロマトグラフィーの最大の特徴は、やろうと思えば定性と定量を同時進行で行いつつ、混合物をある程度分離させることができる点にあります。定性分析は他にも方法がありますが、「混合物の分離」という点においてクロマトグラフィーは非常に頼りになります。対象の性質がよく分からなくても、流せさえすれば勝手に重さや引っ掛かりやすさに従って分かれてくれるからです。

 ですが、そのようなクロマトグラフィーにも弱点があります。最大の弱点は機械が詰まりやすいことです。なにしろやっていることが濾過と同じようなものなので、測定の設定と試料が噛み合わなければフィルターが目詰まりするのと同じように簡単に詰まってしまうのです。一般の測定であっても“塩”の析出を始めとした原因で普通に詰まるのですから、私たちが扱っているような未知試料なら言わずもがな、ということです。しかも内部では試料を速く装置に通すために加圧しているので、詰まりは事故に直結しやすく、発生したら直ちに対応しなければいけません。

 ここで役に立つのが「混入予測物票」です。詰まりやすいものが入っていると予め分かっていれば、効率が悪くとも詰まりにくい設定にしたり、他の手法で取り除いたりして対策することができます。通常は入っていないはずのものが混入していると手の打ちようが無く非常に困るので、少しでも可能性があると感じた場合は記入しておくようにしてください。

・吸光
 こちらも非常に多用される測定です。使う機械こそ違えど、同じ原理で固体から気体まで状態を問わず使用でき、機械によっては定性と定量が同時に行えるからです。

 「吸光」の名前の通り、測定には赤外から可視光、紫外まで幅広い波長の光が使われます。目標の物質が一定の条件を満たさなければ検出することができない一方で、検出できれば化合物の組成まで粗方突き止めることができるという測定でもあります。試料が多過ぎるとかえって測定が成り立たなくなるため基本的に少量で行うのも、サンプルの節約に繋がるため、立派な利点のひとつです。

 最大の弱点は、混合物の測定にはめっぽう向かないということです。混ぜた絵の具の色を分解して見ることができないのと同じように、光の吸収を利用したこの測定では何か混入していてもその“何か”を見分けることはできません。奇妙な測定結果が得られても、それがオブジェクトとしての正常な結果なのか、それとも何か混じっているのか、未知の相手を測定するのが大前提の状態で判断することは不可能なのです。

 ここでも混入物予測票が役に立つのですが、この測定においてそれ以上に重要な下準備がサンプルの現地処理と初期観察です。どの手法であっても塊のままでは測定することができない上に、光を当てて測定を行うので、砕くのに危険が伴うか否かはっきりさせておかなければ準備すらままなりませんし、光を当てると反応を示す対象には――引き起こされる反応が予め分かっていれば話は別ですが――使いようがありません。去年も特定の波長の光を当てることで急激に反応するサンプルのせいで、測定用の石英セルが6本、測定装置内で溶けました。石英セルも測定装置もかなり高額なものです。可視光下でのちょっとした観察をしっかり行うことで、無駄な出費を大幅に削減できるということは、是非覚えておいてください。

・ルーペ
 レンズで物を拡大して見る、というのは幼稚な、もしくはローテクな手法と思われがちです。しかし、真面目にやれば得られる情報量を侮ることはできません。実験室では光学顕微鏡もまだまだ現役です。といっても、みなさんも触ったことがあるような小学校の理科室にあるタイプの顕微鏡を使うことは、化学においては稀です。生物学分析室にはずらりと置いてありますがね。化学分析において、その分解能ではあまり情報を得ることができません。普通の光学顕微鏡を使うのはある程度大きさのある結晶が相手の時くらいです。

 化学においてよく使うのは電子顕微鏡です。これは光の代わりに電子を使うもので、分子ひとつひとつが確認できるほどの高い解像度を得ることができます。これを使わずとも化合物の構造は種々の測定結果から明らかになって然るべきなのですが、画面越しであっても目で見て直感的に形状を捉えられるというのは大きいのです。オブジェクトが相手であれば測定結果と見た目が食い違うことも充分あり得ますから、皆さんが想像している以上に、電子顕微鏡の出番は多いはずです。

 当然のことですが、サンプルは顕微鏡に合ったサイズ、今回なら電子が通過できるほど薄くできる必要があります。他の測定ではちゃんと測れているのかしっかり検証しなければなりませんが、顕微鏡はとにかく画像が得られればいいので、測定室の混雑次第では顕微鏡での観察を先に行うこともあります。サンプルの現地処理が不十分だと試料として使える状態のものを確保するのに時間がかかるため、細かくできなかったものに関してはその旨をしっかり明記し、スムーズに特殊処理室へまわせるようにしてください。

・磁気
 これは理解するのにかなり専門的な知識が必要な測定なので、こんなパンフレットで多くを語っても仕方がないのですが、我々にとっては切り札と言っても過言ではないものです。丹念に調べ上げれば、物質を構成する分子の並びや、物質の反応で重要な役割を果たす電子の並びまで明らかにできるためです。

 この測定の結果からオブジェクトの危険性が明らかになるケースは稀ですが、異常性そのものや異常な振る舞いの原因をひとつでも多く突き止めるのに役立つことが多いです。化学的にどういう成分が含まれているのか徹底的に詳らかにするには避けて通れない測定なので多くのサンプルがこの測定を受けることになりますが、含まれている元素の“種類”を突き止めるのには若干役不足なので、測定を行うタイミングとしては他の殆どの測定を終えた後になります。よって、危険なものは磁気関連以外の測定の段階で騒ぎになっているし、これ以降で事故があった場合の原因は大抵研究部にある、ということになります。

 要するに、この手の測定については何も知らなくても全く問題無い、ということです。ですがもし個人的に勉強したいのであれば大歓迎です。忙しくないときに検査室にお越しいただければ、実際の機器を見せながら説明しましょう。

・アナログ
 金属でできた箱型の機械だけではなく、種々のガラス器具を用いた測定も種類と場合によっては未だ現役です。特にオブジェクトはちょっとした条件の違いで異常性が出たり出なかったりすることも多いので、化学者でも教科書でしか見たことがないような古めかしい実験器具をガラス細工で実際に作って測定を行うことがあるのです。

 機械化されていないということは、人間の手で操作を行うことになります。アンドロイド系ロボットでの操作も試されたことがありますが、その場その時での素早い反応が必要とされること、他にもっとロボットの手を必要としている作業があることから、今でも生身の化学者が測定を行なっています。

 ここで頼りになるのが「簡易観察票」です。測定中の作業で実際に実行する予定の動作について、オブジェクトが危険な反応を示さないかどうかを測定の前に確認しておくことができます。また、実際に危険な目に遭った時も、その反応に対して適切な対処をとることができます。予期しない事故を防ぐことができ、不必要かつ過剰な防護を省くこともできるので、安全を確保しながら金銭と時間の両方を節約することができます。

特殊な分析

 ここまでの分析で化学的な性質は把握できたので、さらにその性質に特化した検査を追加で行うことがあります。たとえば生物由来の物質であればアミノ酸や塩基の配列を調査し、似た構成の物質を持つ生物がいないかどうか調査します。

 また、物質の構成が把握できれば、どのような物質と化学反応を起こすかをシミュレートすることができます。結合すれば安定かつ安全な化合物になるような物質があるのであれば、それを用いることで収容時のリスクを減らすことができます。

 これまで書いてきたのは基本的に一般的な科学の範囲で行われる分析です。ですが、私たちが対面するオブジェクトが法則を遵守してくれる保障は全くありません。化学の基本原則である質量保存の法則(口うるさい物理学者曰く"質量-エネルギー和一定の法則")をさらりと破るオブジェクトは珍しくありませんし、解析しようにも破壊・分解が不可能なオブジェクトも大量にあります。霊的実体や現実子に干渉するオブジェクトに至っては、その分野の専門家以外は特定も分類もできないなどという事例もあります。そういう事態に出くわしたらあなたができることはただひとつです。

 被害を最小限にし、退避が可能であればすぐさま退避してください。なんとしてでも財団と連絡を取り、現状をできる限り正確に伝えてください。すぐさま専門化が招聘され、未知のオブジェクトに対する専門的な調査が行われるでしょう。

まとめ

 あなたがサンプルを採取するときに注意を払ってくれれば私たちの手間は減りますが、そのために人材を失っては本末転倒と言うものです。あなたがたがプロであるように、私たちもプロです。状況を的確に伝え、私たちが調べるべきことを伝えてください。

それから、自分の知っている科学の法則を破っているように見えるオブジェクトに対して、必要以上に怯えないでください。法則には例外がつきものですし、“辻褄の合う例外”はごまんとあります。本当にそれが法則を踏み躙っているかは我々が頭と本と論文を突き合わせて判断しますから、あまり深く考えすぎないように。


このパンフレットは2018年に発行されました。もし新しい版がすでに発行されている場合、最新版を参照してください。


※文責
研究部門 測定員/技術士 (化学部門)/実験監督官
潮海 冬真
Tohma Chokai
Scientific Department, Measurer / Professional Engineer (Chemical) / Principal Investigator

研究部門 研究員/工学技術事業部門 設計者
小沼 高希
Takaki Konuma
Scientific Department, Researcher / ETS Department, Designer

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  1. portal:konumatakaki ( 31 May 2018 21:57 )
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