ODSS: 絵画盗難 前編

日本特異例報告


art

特異例453号、その1種


番号: 特異例 453号

回収時刻: ████年2月2█日 午前

発見地点: 東京都三鷹市 三鷹現代美術館

取扱主体: 財団 日本支部、警視庁 公安部特事課、文化庁 文化財第三課

異常分類: 研究段階につき、未分類

概説: 視認した人物へ、ドラッグ使用時等のトリップ感覚に近い精神異常を与えるステッカー群。

付記: 現在、物品そのものは"財団"の管理下にある。並行して、"財団"が主体となって異常散布の主犯を捜索中。

 堅苦しい割に情報量の少ないページを流し目で読んでいた。向かいの長机の空席へ視線を移し、屋敷は頬杖を突いた。規定時刻が迫っても来ない相手への怒りではなく、自身に場違いさを感じさせる会議室がその仕草を促す。パイプ椅子に座したままで脚を組もうとして、右脚が机の裏に当たる。義足の金属の軸と打ち合って、冷えた音が響いた。
 三鷹現美で発生した超常事件。機構からの要請で複数組織による共同捜査が成立した。
 捜査指揮の筆頭は財団。次に警察の公安特事課。搬入されたホワイトボードの横、待機している警察関係者たちは、退屈か厳格の二文字を身体に塗り付けているように見えた。
 面倒極まりない。それが屋敷にとっての所感だった。舌打ちが、屋敷の口から零れる。隣に控えていた顔の細い調整官の体が揺れた。
 こんな手順に従わなくとも、通例通りにヤマを早々に片付けてしまえばいい。日本政府に介入されないだけの権力を財団は有している。それでも容認したのは、今後の便益が期待できるからだろう。そうした策謀に動くのは構わない。専門家を選定して送り出す必要性も、理解はできる。だが一介の研究者がそれに巻き込まれ、無感情でいられるはずもなく。怯え方を見る限り、この調整官が自ら人員を選定したわけではないようだ。
 ドアノブが回る。扉の軋む音がしてから、頭を下げてその男は入室した。
 財団の便益、容認の理由。首を突っ込んできた相手に、見慣れない顔がいた。そして、相手に繋がっている団体の動向を把握できれば、この国に正常維持機関が根付く前のオブジェクトについても調査を進められる。
「少々渋滞に引っ掛かってしまって……お待たせして申し訳ございません」
 丁寧に整えられたオールバックに丸眼鏡。肉付きのいい頬と伴うように膨らんだ腹。目を線のようにして謝る姿からは、どこを切り取っても穏和な印象を抱かせた。調整官や警察の人員と比較して、着ているグレーのスーツは小洒落ている。
 出た。顔を見て、屋敷は心で発した。
 調整官が彼を席へ促す。後にも二人が続けて部屋に入って座ったところで、警察の一人がホワイトボードの前に移った。
「それでは首都芸大展テロ事件、共同捜査会議を始めます」
「まずは、代表者の紹介から進めましょうか」
 そう発し、財団の調整官が名前と身分を名乗った。誘うような平手を横目で認め、のろのろと屋敷も立ち上がる。
「財団所属、屋敷 信正です。専門は人類学など諸々。お役に立てれば幸いです」
 微塵も幸いとは思っていない、定型文を述べる。顔を凍らせたまま、座り直す。直後に手番を受け取ったのは、先ほどの柔らかい雰囲気を纏った男だった。立つと懐に手を入れ、名刺を取った。
「本日はよろしくお願いします。文化庁文化財第三課、課長の岳本 有三と申します」
 人当たり良さそうに岳本は微笑んでいる。腕組みをしたまま、屋敷は視線を机に落とす。芸術分野の研究を預かれば、政治に詳しくなくとも実働要員から噂が伝わってくる。
 文部科学省外局、文化庁。そこにも超常関係機関は存在する。文部科学省の内部部局である国立室戸研究所に代わり、芸術や文化財の調査と研究に関与している。が、室戸研同様、大した成果は上げられていないのが現状だ。財団には後れを取りながらも日本の自主防衛に務めている、で済めばどれだけよかっただろう。政府側からの待遇は悪く、資金繰りも苦しく、他の省庁に予算と金になる研究を持っていかれている。それは表の世界でも変わらないか、と屋敷は大学研究員時代を回想した。
 ここで縁を結んでおけば、文科省系のオブジェクトに手を出せると上は画策しているのだろう。捜査の頭数に加えられているも温情に近い。
 輸送と通信の技術革命により思想の衝突は活発化し、様々な超常サロンが生まれては離散する。超常芸術家に代表される厄介な文化人どもは表現の可能性を盾に危険物を生み出す。そうした脅威に対応できるのは、日本では財団かGOCのみだ。だからこの会議は時間の無駄だと、屋敷に鬱憤が溜まっていく。
 その屋敷に、岳本が声を掛けた。
「屋敷博士ですよね。あなたにも名刺を渡しておきたいのですが」
「私は手持ちがありませんので。それに、そいつには渡したでしょう?」
「いえいえ、個人的に受け取っておいてほしいんですよ」
 そう言うと、岳本は屋敷の手許に名刺を置いた。立ち上がる時間も、断る隙も与えなかった。超常界隈らしい強引さか、ただ出たがりか。屋敷が名刺を白衣の胸ポケットにしまう間に、岳本は尋ねる。
「そういえば、確保された人物は今どこに? それだけは知っておきたくてですね」
「詳細は追って話しますが」
 前置きを挟み、見上げる形で屋敷は答える。
「制作者なら、都内の初期収容施設で預かっています。今は、聴取を受けている頃合いでしょうかね」


 取調室の淀んだ圧迫感はやはり私に合わない。頭の隅で、梅田は考えた。開放感のある部屋にしてもらえれば、情報を吐いてくれるだろうか。今回の事例では、頑固な上層部はまず許可しないだろう。
 相手に向き直る。青緑のメッシュと剃り込みが入った短髪が目に入った。男の耳たぶではピアスが電灯の光を反射していた。
 現在相手しているのはテロ事件の容疑者だ。展示会を超常技術の転用により災禍に陥れた疑いが、この男には掛けられていた。
 腕時計を一瞥して、梅田は彼を凝視した。
「開始から3時間50分ほど経過しました。このまま情報提供が無ければ、夜か明日に持ち越しとなります」
「そうですか」
 口調は荒れていた。
「俺、知りません。何度聞かれても言いますけど、一人でやったんです」
「それは、今後の捜査でこちらが判断します」
「絵を描くのに集団が絶対必要かって言ったら、そうでもないでしょうに。もう一回、言いましょうか」
 噛み締めた歯の隙間から、男は息を零す。
「『Are We Cool Yet?』ってのに知り合いはいました。でも俺は今回、俺だけの力を使ってあれをやりました」
 これ以上留まっても仕方がない。灰色の天井を舐めるように眺めてから、梅田は立ち上がった。
「どうであれ、あなたがステッカーの制作者である以上、しばらくは拘束されるものと考えてください」
 遮断するように言い切る。押し黙った彼を残し、部屋を出った。

 資料を薄目で眺め、俯いたまま移動しようとするが、前方に気配を感じて立ち止まった。
「進展はあったかい?」
 少年を思わせる気さくさで、彼女は呼びかけた。糸目気味の顔には若干、幼さが残っている。実際自分より年下ではあるけれど。白衣の端をはためかせて梅田に近寄ると、右耳の朱色の輪が揺れた。
「同じことの繰り返しですね。尋問は私の分野ではありませんし、これ以上は無意味です。時間を置きましょう」
「僕もそれでいいと思う。セクターの職員に監視は任せようか」
「ところで、なぜここに」
「呼びに来た。もうじき記録撮影も終わるし、集合させたかったからね」
「端末で事が済むのでは」
 弾くように返すと、その人は腰に手を添えてにやりと笑った。
「綾さん、僕たちは同じチームに配属されたんだよ? どうせ時間が空くなら、お互いに話でもした方がいいよ。親睦を深めるのは悪いことではないでしょ?」
「茅野博士、すみませんが」
 彼女の顔を見ないで、再び資料に目を向ける。
「私としては、今はこの事件に集中したいです。後にして頂いても構いませんか?」
「うん、まぁ……まずは敬語から取り払って欲しいんだけどな」
 意に留めず、梅田は歩き出す。横を過ぎる数秒、茅野の苦そうな顔が見えた。目線を手許に戻し、資料を開く。

 2月2█日、寒風の吹く昼前。
 数年前に新設された国立の現代美術館で、百人規模の人間が昏倒若しくは狂気に陥った。
 現場で開催されていたのは「首都圏芸術大学共同卒業・修了制作展」、通称『首都芸大展』。関東周辺の美術大学同士が手を取り合う展示会であり、毎年、各大学から作品が集う。表現に制限はなく、絵画、彫刻、陶芸、映像、身体表現等々。元々名の知れた大学の卒展自体注目度は高いが、中でも各大学が集合するこの展示は相当数の集客も見込める――とは、後方で口を尖らせる茅野の言だ。梅田にとっては、首を傾げるしかない。
 警察と救急の介入で宗教テロや流行り病でないことが暴かれ、事態は早急に超常機関の受け持つ案件に変わる。急行した機動部隊が捕捉した主原因こそ、毒々しい見た目をしたステッカー類だった。
「ストリートアートの文脈から発想を得たグラフィティ。それ自体は珍しくない……でもね、分かりやすく尖っててさぁ」
 茅野の苦笑が耳に届く。
 美術館を模して制作された壁と額縁に飾られた複製名画。そこへ、彼はスプレーとステッカーを暴れさせた。薄汚い路地を再現したような、暴力的だが丁重な絵。貼り付けられた塗料とプリントが、公共施設の内装と強烈な不和を引き起こしている。挑戦的、感覚として伝わった。
 視覚異常を無効化する撮影機で撮られた画像には、確かに芸術青年の特性らしい青臭さが広がっていた。厚塗りされた飾り文字や色彩、その上に件のステッカー。ただ、ストリートアートに沿わない例外も見られたが。
 ある額縁の裏に、それは隠されていた。
『Are We Cool Yet?』
 べったりと紫一色に染められたアルファベットと記号。複製画の一つが床に落ち、生まれた空間に文字が塗られている。流れるように、梅田はペイントの下方に描かれていたという文章の記録に目を通す。キャプションらしき英文は、簡潔に纏められていた。
『The world wants Happenings』
 手が止まった梅田の隣、早歩きで追いついた茅野が手許を覗き込んだ。
「どう思う? 僕は嫌いでもないよ、直球過ぎなきらいはあるけど」
「私にはよくわかりません。詳しくありませんので」
 もう一度梅田は資料に目を落とし、さらに紙を捲る。たった今、尋問室で対面した彼の顔写真が飛び込んできた。氏名は金沢 浩也。郊外の美術大学に通う四回生で、卒業を控えていた身だ。世界は事件を欲している。彼に、その言葉は似合わないでもない気がした。

 資料をさらに読み進めようとしたところで、茅野が声を挟んだ。回収物に関する項目だった。
「そこは、実際に確認した方が早いかもね」
 向き直そうとして顔を上げると、目の前に扉が見えた。
「相変わらず、初期作業ってのは骨が折れるね」
「認識異常に意識を払うからですか?」
「単純に数が多いんだよ。あのステッカーさ、何枚あると思う?」
「さぁ。何枚あったんですか?」
「あ、予想とかしないんだ。ごめん、僕はまだ関わってないんだよ。撮影回りは甘梨くんに一任しておく方が安心できるし」
 茅野がドアノブを掴んで、外側へ開いた。
 無機質な狭い部屋の壁面にはコンピュータが設置されている。奥の壁にはもう一枚、扉があった。
 息を吐く声が聞こえる。機材の前、キャスター椅子に腰掛け、一人の男がこちらに顔を向けた。室内にも関わらず掛けたサングラスに部屋の円形照明が映っている。
「甘梨くん、進捗はどうだい?」
「今、最後のプレートをスキャナーに掛けた。そのうちデータに取り込まれるから、作業は終わり」
 サングラスのブリッジに指をやり、甘梨はくたびれたとばかりに伸びをした。周辺に取り付けられたモニターには、形態の異なるステッカーが正方形の枠に納められて表示されている。壮年のその男は手の中でゴーグル型の装置を弄ぶ。様子を見るに、年上にも気軽な茅野のスタンスは誰に対しても変わらないようだ。
「放出異常の種別解析はこれから、茅野博士の出番はそこから。頼みましたよ」
「はいはい」
 甘梨の言葉をいなし、茅野が尋ねる。
「それにしても、早かったね。撮影は君と補助員でやったのかい?」
「いや。セクター側に緊急応対が入りまして。そこでちょっと慌ただしくなったんですが……外勤から帰ってきた一人と補助員の一人が交代。後は知っての通り、時間短縮になったわけです。彼女なら視覚異常も脅威ではないですし」
「危なっかしいねぇ。影響受けたら減給モノなのに」
「ゴーグルがあれば対処できるし、通例のプロトコルにも明記されてるでしょうが。それにあの特異性、把握してないとは言わせませんよ」
「そこを読んでの人選だろうしね」
 言葉を交わす二人を余所に、部屋の奥で音が起こる。伺うように覗かせた顔の口の両端は丸く結ばれていて、頬は綻んでいた。
「お疲れさまです! スキャニング、始まってますよね?」
 甘梨が首肯してから、彼女は緩い歩みで近寄ってくる。茅野と梅田を室内に認めると、仄かな紅のヘアバンドと金髪が目立つ頭を下げて一礼し、繰り返し微笑んだ。礼の際、ヘアバンドに施された花飾りが梅田の目に留まった。
「あれ、撮影室にいた補助員は?」
「やっておくから上がっていい、と言われましたので。私は運搬作業まで手伝ってもよかったんですが」
「元々の役職から外れ過ぎてもダメだしね。ひとまずはお疲れ」
 茅野が笑顔を返し、彼女の肩を叩く。
 笑みの絶えぬやり取りの最中、梅田はそれを意図的に視界から外し、代わりに映ったドアをぼんやりと眺める。掴みどころのない長閑な空気は、普段から嫌っているものでもあった。緊張感の欠如やら何やらと理由を取り付けるまでもなく、個人の感性として。
 記録撮影。収容の初期段階、その手順の一つ。確保された異常物品は分類され、ドキュメントへ恒久保存するために外観情報を画像データ化される。この分類とはSEK分類、いわゆるオブジェクトクラス以前の話で、物品としての性質に基づき判断する。人間、動物、彫刻などと博物館学的で、ここで特異性の性質は関わらない。
 改めて回収地点で発見された異常も加味し、作業は進む。接触が危険に繋がるなら機械を介して移動させ、電子機器を跳ね除けるならより強力な撮影装置を用いる。遅効性異常は現在、ある程度は現場での鑑識により判定可能だ。
 今回のオブジェクトの外観はステッカー、つまりは『絵画/文書』のカテゴリであり、特異性は視覚異常。テロ現場で化学的異物が非検出となれば、視覚への影響を超常機器により遮断するのみで事足りる。まだこの場に顔を見せてはいないが、すべて収容担当の指示によるものだ。記録撮影についても、奥の部屋に設置されたスキャナーを使って行われている。枠の引かれた保管用のアクリルガラスプレートにステッカーを挟んで密閉。最終的に、コンピュータ内部に情報として集積される。
 チームが集合している都内セクターでは、主にそうした初動対応を任されている。東京は人が多い。人間に吸い寄せられて怪異も集合し、回収される物品も必然的に増加する。そのため、確保されたオブジェクトは各地に建設された小規模施設にまず運び込まれ、一時的なリスト登録と分類を済ませる。その後に最適なサイトへと輸送され、本格的な研究が開始される。
 言い換えると、財団といえどセクターに最新の研究機材一式と専門家の一群は用意されていない。職員は補助員や警備員を除き、他のサイトから必要に応じて派遣される。大量の異常存在を捌くため、重工業めいたラインが敷かれているのだ。加え、非常時は末端を切って被害拡大を防止するという縁起でもない役割も潜んでいる。
 たわいない会話の横、甘梨が構えている地点で機械音が生じた。ウインドウの文字を読んでから、甘梨は床を蹴って椅子ごと向き直る。
「画像データ化の全工程終わり。粟倉さん、改めてありがとね」
「いえいえ。お力になれることがあればいつでもお願いします!」
「よし、これでメンバーは全員動けるかな」
 一同の顔を見渡して、茅野はふいと壁にもたれ掛かる。顔を逸らしていた梅田も素直にそちらを見た一方で、粟倉が小首を傾けた。
「全員って、確か屋敷博士も招集されてるんじゃないんですか?」
「詳しいね。屋敷くんにはちょっと用事を任せてるんだ。だからこれで全員」
 そうなんですかと返事する粟倉の隣で、甘梨が安堵の息を漏らす。残念なんてことはなく、むしろありがたい。目許をサングラスで覆っているくせに、歪んだ口許が周囲に内情を伝えていた。
「とにかくだ、仕事を進めよう。僕と甘梨くんは異常性の簡易解析。ここの機材じゃ完全解析には至らないだろうけど、異常の種類くらいは特定できるはずだ。屋敷くんも戻り次第合流してもらうよ。次にエージェントの二人、綾さんと花ちゃんは三鷹現美の方面に向かってくれる?」
「美術館に、ですか?」
 事件の捕捉から6時間が経っている。既に容疑者を押さえ、物品の記録も完了。故に現場周辺の情報などは取り尽くされた、と梅田は決めてかかっていた。
「今更私たちが向かう意味はあるんでしょうか。現場は特事課に任せてしまってもいいのでは」
「うん、現場は彼らに任せるさ。けど、僕らが今やってるのは超常芸術の捜査でもあるから」
 眉間を掻き、茅野は続ける。
「今のところ容疑者は金沢一人。わざわざ超常サロンじゃなく非特異の展示場にオブジェクトを持ち込んできたんなら、何らかの目的があるはずだ。大衆に訴えるような何かがね」
「つまりは、動機を探るわけですか」
「そう。だから、情報を取り零したくない。会場や制作状況、置かれていた環境まで。早い段階でサイトのチームに研究は引き渡すだろうけど、それを取っ掛かりに超常芸術の現状を知れる。背後にAWCYがいるなら尚更」
 梅田は黙し、顎に手を添えた。納得したらしい様子を前に、茅野は再度仕切り直す。
「僕も突然呼ばれた身だし、捜査の指揮は慣れてないんだ。ある程度、自由にやってくれると助かるよ。そういうの、好きでしょ?」
 見透かしたような目線。受け流して、梅田は彼女を見返した。
「好みかどうかに関係なく、ただ仕事をするだけです」
 背を向け、部屋を出る。後方から追ってくる後輩の声が投げられた。
「梅田さんも気になるタイプなんですか? 渉外のエージェントだとやっぱり引っ掛かりますよね、何でそんなことになったんだ、って話」
 拳を握って気合十分に発する姿がありありと目に浮かぶ。頻りに話を振るのは、しばらく収まらなかった。
 粟倉 花。危険な部類の職員であることを、梅田は把握している。職務への向き合い方の相反。そういった相性の問題であればどれだけ気が休まったか。張り切る彼女を置いて、屋外を目指した。


 落葉した街路樹の隙間からちらちらと白が覗く。直方体を積み上げ、それをいっぺんに捻じ曲げたような形状。ホワイトキューブと称される箱型建築物。報告書に記された美術館の名前に、茅野が含み笑いと一緒にぼやいた言葉が蘇っていた。
 三鷹現代美術館もその類型に収まっているらしい。良い悪いまでは、梅田にはやはりわからなかった。
 ハンドルを回し、駐車場に進入する。途中で制服の男に止められかけたが、偽の警察手帳を示すとすんなり通してくれた。
「そういや、まだ展示を見れてないんですよ。ついでですけど、楽しみですね」
 助手席から降りた粟倉は揚々と入口へ向かう。現場保存のため、セクターへ運ばれた金沢以外の作品は建物に飾られたままだ。黙って追いかける梅田に、漫然と鑑賞する気分は起こらない。影響を受けた人間が大勢いる。巻き込まれた他の学生が酷く不憫だ。それでも、彼女は他人事みたく笑っていた。
 職員用進入口を通る。無機質な美術館のバックヤードは、財団施設の冷淡さとさして差がないように思えた。徐々に脇を通る捜査員の数が増え、煩忙の渦へと近づいていくのを体感する。角を曲がりかけたとき、声が飛んできた。
「迷惑はかけませんので」
 小さな後ろ姿が視界に入った。その向こうで、長身の男が仏頂面で構える。梅田には、見覚えのある顔だった。
「そういう話ではなくてですね。これ以上留まられても邪魔になるだけですから」
「捜査は共同って話だったじゃないですか」
「調書の作成は我々の仕事です」
 依然としてぴっしり背を伸ばす彼へ、男は顎を摩って発する。
「一桐さん、我々も悪意があるのではありません。ただ率直に、混乱の種になりそうなものは取り除きたい。あなたも職場に素人を置きたくないのは同じでしょう?」
「それはそうですが」
「では、お引き取りください」
 一桐と呼ばれた男は未だに相手を見上げている。警察の内輪揉めではない。しばらく静観していようと梅田が立ち止まった瞬間には、粟倉が隣にはいなかった。しまった。不覚を認めるには遅く、既に粟倉は二人の間へと飛び込んでいた。
「喧嘩はよくないですよ! 愛と平和の精神でいきましょう!」
 大声に周囲の捜査員が振り返った。硬い表情に困惑を足したまま、言い争っていた双方は立ち尽くすばかりだ。少なくとも、喧嘩は収束したらしい。梅田は駆け寄ると、粟倉の両肩を掴んで強引に引き戻してから、長身の男に頭を下げた。
「申し訳ありません、久米刑事。私の連れです」
「ああ、あなたの同僚でしたか。変な縁があるようで」
 表面上は礼儀正しい姿勢を見せる久米の目尻に、皺が生じる。ぎょろりとした黒目には嫌悪が映っていて、その瞳はしでかした粟倉より梅田を注視していた。都内の事件であれば度々顔を合わせる男からは、財団の存在含め余程印象が良くないらしい。
「後ほど何件か、捜査状況を確認させていただきます。その前に、そちらは」
「こちらは文化庁文化財第三課の方です。上に言われて現場を覗きに来たそうですが」
「野次馬みたいな説明はやめてもらえませんか」
 嫌味ったらしい久米を遮り、小柄な男は睨みつけた。背丈は梅田に少し足したくらいで、声を張っても威厳がない。顔つきも若く、二十代半ばくらいだろうか。
「文化財第三課、一桐 遼平です。超常文化事例への対策及び事例研究のため、捜査に携わっています」
「ならば、やはりここに来るべきではなかったですね。モノは財団に運ばれてますから、ほとんど無駄足ですよ」
「勝手に決めないでください。施設の状態からでも情報は拾えます」
「あーほら、また喧嘩してる! そんなことしてる場合じゃないでしょう?」
 粟倉の朗らかな指摘でまた場が静まったのに乗じ、梅田は問いかけた。
「久米刑事。目撃者からの聴取で事件当時について、何か分かったことは?」
「いずれ調書がそちらにも上がると思いますが、現段階で目新しい発見はありませんでしたよ」
 梅田の予想よりも素直に教授して、久米は干乾びた木の幹にも似た頬を撫でる。
「開始時刻前に不審者を見た警備員とボランティアスタッフはいない。事件直後の目撃者も同様。カメラにも不自然な点はなかった。残るは財団フロントの病院に搬送された被害者の証言ですが……期待できそうにありません」
 そちらは財団でやってください、と最後に付け足した。本当に成果が無いから、ここまで丁寧に話してくれるのだろう。
「制作者は財団に拘留済みでしたか。我々からもお話を聞ければ良かったんですが」
「ええ。こちらに任せておいてください」
 一言添え、視線を外す。露骨な悪意を黙って流すほどできた人間ではない。粟倉が飛びかかってくる気配はなかった。
「現場を確認しても?」
「荒らさなければ、ご勝手に」
 腕で方向を示す。別方向から名前を呼ばれ、久米は足早に立ち去っていく。背を見送って、梅田と粟倉も歩き出した。
「僕もご一緒します」
 梅田の横にずい、と出てきたのは一桐だった。
「まさか、今の今まで現場に入れなかったんですか?」
「そうですよ。何なんですかあの刑事、完全にうちの課を馬鹿にしてくれやがって」
 途端に一桐は語気を強める。梅田には、それも無理はないのだろう、と思えた。文化庁文化財第三課なる部署が現場に出張ってきたことは、自身も経験していない。

 白が空間を占有する。特事課の鑑識はマークを残し、撤収を済ませていた。
 金沢の作品が展示されていた部屋は展示室としては普遍的だ。広々とした内部。壁は白に統一され、床にはフローリングが敷かれている。他の学生の作品らしき絵画や立体物が並べられ、シンプルな内装に相まって個性は強められていた。
 いくつかには、ブルーシートが掛けられていた。捲れば、破損した部分が露出した。染みらしき飛沫も見られる。異臭から、被害者の吐瀉物や体液と悟る。次の部屋にも、同様の被害が散らばっていた。
 ダクトテープが雑に張られた地点、金沢の展示品が置かれていた場所はすぐに発見できた。入口から他の展示を通過し、最奥。部屋の境界で、本来なら目を引くものになっただろう。写真から想像していたものよりも幅が長大で、その差異に驚かされる。
「勿体ない。いい展示になったろうに……」
 余裕を持って設置された作品群の間を通りながら、一桐が眺めて回る。汚れの一点一点に投げる視線は、軽蔑するようだった。対照的に、子どもっぽく口を開け、粟倉は目を輝かせている。久々の芸術鑑賞は、血糊が付着していても綺麗な刺激に変換されたらしい。
 気を律するように、梅田は声を発した。
「順路を鑑みるに、展示室の奥まで入った人間がオブジェクトに曝露したと見ていいでしょう」
「隣にも跡がある辺り、即効でダウンさせる種類の特異性じゃないみたいですね。JAGPATOの資料はどんなでしたっけ」
「トリップ感覚、でしたか。搬送時の被害者の反応が薬物投与後の様子に似通っていたそうです」
「泡吹いたり戻したりした感じですかねぇ。なら、この血は?」
「被害者同士が争った跡らしいですよ。作品が壊れているのも殴り合いの結果です、たぶん」
 会話に割り込んだ一桐は、捜査員同士の話から立ち聞きした、と付け加えた。一桐の情報に、粟倉が眉をひそめる。
 頷いて、梅田は天井を仰ぐ。監視カメラを捉えた。部屋の境に位置するこの場所を、機器は静観している。そのまま動かずに展示室の入口と、見える限りの隣部屋を眺めた。展示地点から見据える入口は少し遠い。奥に構えた金沢の作品が、この部屋で一番最後に鑑賞されることは揺るがない。そして金沢の作品を過ぎると次の部屋の作品が視界に入った。動線は巧みに作られている。
「この配置なら、搬入時は最初に運び込まれたと見て間違いありませんね」
「そっか。展示だから飾らないといけないんですね。最初から特異性が働いていたわけじゃない」
「えぇ。すり替えたか、発動のトリガーがあるのか。何にせよ、搬入から時間を置いて作動したのは事実です」
「すり替えには難しい位置ですし、不審人物もいなかったんですよね。展示が始まった瞬間に異常性が発動したなら、やっぱり仕掛けがあるんじゃないでしょうか」
 金沢の頑なな否認を思い出す。
 そういえば、と粟倉は切り出した。
「この展示の設営作業をした人、私たち知りませんよね?」
「関わってるのは芸術大学の学生と教員、それと業者と美術館の学芸員ってところです」
 付近をぐるりと周回して観察に徹していた一桐がこちらを向いた。学生展示の通例だと補足し、言葉を継ぐ。
「卒業展示も学業の一環です。学生も展示場まで足を運んで、自作品の魅力を最大限引き出すまでが授業。そうでなくても、アーティストとして出せる指示は出すでしょう。教員も可能なら付き添い、アドバイスを施すもんです。業者は美術専門の運搬業があって、学芸員は要約するとここの職員ですよ」
「へぇ、詳しいんですね」
「そりゃ、専門領域ですから。当たり前です」
 粟倉の称賛に満更でもなさそうな一桐を真顔で流し、梅田は鞄から資料を取った。
「何にしても、金沢が所属する大学に向かわなくてはなりませんね。担当教員が不在でなければいいのですが」
「それなら、学生用のアトリエも覗かせてもらいましょう。そういうスペースが確保されてるって博士に聞きましたから」
 背中を押され、粟倉とともに前に一歩踏み出す。部屋を出ようとして、背後から一桐の呼ぶ声がした。
「あ、待ってください」
「付いてこなくてもいいんですよ。というか、何を当然みたいに同行しようとしてるんですか?」
「また厄介な言い合いになったら弾かれちゃいますからね。元々文化庁に事件捜査の権限はありませんし、文化庁自体バックとして弱いですし。引き続き、お願いできませんか」
 生真面目だな、と心で零した。権限とはいうが、そんなものは都合の良いように条文を捏ね繰り回しているだけに過ぎない。指示を受けて切り込んでいく梅田にも、結局は口喧嘩の延長であることを実感している。
 特事課同様、ここで彼を弾くのが正しいのだろう。しかし梅田は観念したように少し目を瞑った。
「許可は不要だと思いますよ。今回は共同調査ですし、芸大に行くのに芸術素人二人では何もできませんからね」


「文化財第三課って、普段何してるんですか?」
 大学に到着するや否や、後続車両から降りた一桐に粟倉が質問を投げかけた。問いを受け、一桐は一瞬辟易したような表情をした。
「文化庁の文化財課は、普通なら第二まで。第三が隠匿された超常機関。文化財ってのは、簡単に言うと日本が後世に継承すべき価値があるものを指します。有形の人工物だけじゃなく、祭事や動植物も含まれます。超常的でありながらも保存価値のある事象の保管と維持、それが僕ら文化財第三課の役割です」
「なるほど。仕事内容が財団とだだ被りですね」
 笑顔で言い放った粟倉に一桐が睨みを飛ばす。
 確かに、財団と重複する部分はある。しかし、その方向性はまるで違う。財団が異常の隔離収容を目指すのに対し、第三課は保護に重きを置いている。彼らにとっての異常とは腫物ではなく、カテゴリ的な付加価値だ。「継承すべき」と断言した語り口にしても、保管という責務に意識も傾いているのが汲み取れる。

 事前に大学に連絡を寄越したことで、心配の一つは除かれていた。
 研究室の扉を叩くと、老教授が出迎えてくれた。事件は大学にも酷い混乱をもたらしたようで、この老人も例外ではなかったらしい。現代美学を専門とする教員、井東 兼弘は拭えない狼狽を顔に塗りつけていた。
 警察関係者と捜査協力者だと自身を紹介すると、井東の顔色はまた青くなった。報道と世間に対して、一連はガス流出のていを取っている。金沢に関しては被害者の一人として、彼個人への怨恨が事件を招いた可能性がある、というカバーストーリーで捜査が進められている。
「ご苦労様です」
 白に染まった髪を掻き、井東は室内へ招こうとした。胸の前に開いた手を掲げ、梅田はそれを制止させた。
「事故についての話は後で。まずは彼の使用していたアトリエを見せてもらえませんか。いくつか聞きたい用件はありますが、それも話しながら」

 大学内の通路は、やたらと吹き抜けを通った気がした。壁で仕切らず、連続して並べたガラスや意匠の凝られた梁が建物を支えていた。
 外面一面に窓が張られた、開放性重視の階段に差し掛かった辺りで、梅田は尋ねる。今回の卒展開催までの流れと、搬入作業について。井東は梅田をちらりと見て、声を震わせた。
「卒業制作は通年の講座です。制作開始の時期はまちまちですが、この大学内の展示までには皆、完成させていました」
「一度、大学でも展示が行われていたんですか」
「今回の共同卒展ってのは、プラスアルファのイベントですからね。それぞれの大学での展示の後、複数の卒業展示を集めるのが首都芸大展の主旨ですから。この大学の卒展は一月末に開かれてましたか」
 口を挟んだ一桐に首を縦に振って、井東が話を再開させる。
「そのときは無事に成功したんです。それで、流れを継いで首都芸大展に移りました。他大学の生徒も混ざりますが、生徒同士が手を取り合って進めていましたよ。監督役として教員も参加していましたがね。私もその一人でした」
 目的階に辿り着き、しばらく歩く。先ほどから一転、周辺はコンクリートの壁に囲まれ、閉鎖的になりつつあった。光が進入しづらい暗い廊下で、井東は足を止めた。
「何か、手掛かりがあればよろしいのですが」
 引き戸が引かれると、化学性の薄い臭いが鼻を掠めた。電灯が点き、雑多に置かれた画材道具や生徒の私物が明るみに出る。アトリエは複数の生徒で一部屋を共有するそうで、境界線がガムテープで決められていた。アトリエの中に入って臭気はさらに絡まり合う。何度も振るわれたであろう塗料が、今も存在を主張している。
 部屋の隅に金沢の作業場はあった。窓の傍で、壁と床を新聞紙が埋め尽くす。本が積まれた金属製デスクは壁と接するよう取り付けられ、足元をインク缶とスプレーが囲む。空いた缶には筆具が乱雑に突っ込まれていた。
 手袋を付けた粟倉が本を引っ張った。幾何学デザインの目立つ表紙が光に晒される。山積した他の書籍や冊子もストリートの潮流やポップアートを扱っていた。
「制作用の資料でしょうか。特別変わったものはありませんね」
 元あった位置に戻そうとして、粟倉の手が空中で固まった。本の上にあった厚紙を掲げて、梅田の方へ転換する。厚紙は全面が黒に覆われ、内側がアルファベット型に切り抜かれていた。
「ステンシルですか」
 ぼそりと、一桐が声を漏らした。
「スプレーで特定の形を塗るための型です。塗りたい箇所以外を塞いで、それを当ててスプレーを吹きかければはみ出しも汚れもなく塗装できる。金沢はグラフィティを描いてますから、使ってるとは思いましたけど」
「じゃあ、このステンシルもオリジナルなんでしょうか?」
「普通はそうでしょう。凝ったグラフィティのデザインを創作したいなら、ステンシルを作らないと。ステンシル自体に特殊な材料は不要ですし」
 井東から距離を取るように寄り、彼は囁く。
「ま、異常があったのはステッカーの方ですけど」
 捜索を再開し、梅田は引き出しに手を掛けた。真っ先に目についたファイルを取り、計測器をかざす。安全を示す反応が返ってきてようやく、ファイルを開いた。カードホルダーのようなページ。袋が並ぶその中に、ステッカーは仕舞われていた。
「非異常性物品ですね。試作品なんですかね?」
「作品に使われていない種類もある辺り、おそらくそうでしょう」
 ぱらぱら捲り、紙上に指を滑らせる。何気ない行為のうち、袋の一つに膨らみを感じた。ステッカーを抜き取ると、裏面が剥がされているのが分かった。裏には小さく折り畳まれた紙が、シールの糊により固定されている。
 慎重に剥がす。住所と日時だけが簡潔に記され、紙の右下には意味深長そうな記号が施されている。
超常サロンの案内状だと気付くのに数秒を要した。以前読み込んだ資料にあった、芸術系超常団体の表徴と一致している。黙ってメモを手の内に丸め込み、ステッカーのみを元あった位置に差し戻した。誰も察知はしていない。
 ファイルを閉じ、小声で発見を粟倉に伝える。彼女は目を丸くしたがそれだけに収め、平静を保った。
 その後は目立った証拠もなく、切り上げようとしたときだった。廊下で足音が響き、突如途切れる。荒れた息遣いを挟み、扉が開く。
 若い女性だった。冬場らしい厚いコートの下に、垢抜けた服を着こなしている。
 井東に確認を取る際の慌ただしい所作は、焦燥が体の芯から溢れ出ているようだった。
「私が呼びました。いや正確には、事情を話したら彼女の方から来たいと言い出しまして」
「初めまして。四回生の大塚 麻耶です。あの、浩也は――」
「落ち着いてください。今回の展示との関わりは?」
「スタッフをしています。今日も会場に立ち会っていたんですけど、警察の方には帰していただきました」
「では、金沢さんとの関係性は?」
 一拍の間を要した。目を泳がせてから、大塚は口を開く。
「恋人です」
「まぁ! それで駆けつけてくださったんですか?」
 跳ねたように単語へびくっと応じて、粟倉が口許を覆う。心を躍らせているのは明白だった。貫くほどに熱い視線を送り、当の大塚は困惑に拍車を掛けられていた。彼氏の危機に駆けつけた彼女という状況のドラマ性に浸っているのだろう。その彼氏が事の発端かもしれないのが真相だが。
 横を向くと、一桐が呆れを表出させていた。
「あの人、いつもこうなんですか?」
「私は知りません。さ、抑えて」
 ぐんっと粟倉の肩を揺らしてから、梅田は大塚と井東に呼び掛ける。
「これで一旦切り上げます。大塚さんもいらっしゃいましたし、研究室の方でお話を伺いたいと思いますが、よろしいですか?」
 両者が頷き、井東が先導する形で部屋を出た。
「結局、ここも手掛かりなかったですねぇ」
 一桐は声を伸ばし、ゆっくりと歩く。
「見つからなかったことがわかりました。それで折り合いをつけるしかありません」
「そこらへんは発掘とか訪問調査と変わんないんですね」
 あ、と彼は声を零す。懐からケースを掴み、名刺を突き出した。
「これ、渡し忘れてました。変な間ですけど、お願いします。この聴取が終わった後で何かあったら連絡ください」
 受け取り、梅田も自分の物を手渡した。粟倉とも交換を済ませ、井東を追いかける。
 彼はそのままの意味で財団を頼りにしている。まだ超常機関に勤めて日が浅いのか、そもそも第三課が界隈の風潮を把握していないのか。
 JAGPATOという枠組みに財団が属していることは、梅田も常識として知っている。しかし、行われているのは騙し合いだ。目先での発見も、共有は漏らさず保留しておくのが不文律。
 搬出入のために高く設けられたアトリエの扉を見上げる。一桐の背は、やはりちっぽけだったと思い返した。


 大学前で一桐と別れ、セクターに戻る頃には日が暮れていた。
 自前の手帳を押し開きながら、梅田はペンの頭を揺らす。通路から膨らむように設えられた半円柱の簡易休憩所。カフェテリアとは言い難いそこに差し掛かると、椅子に腰掛けた甘梨がマグカップ片手に寛ぐのが見えた。
「芸大まで出向いたんだってな、ご苦労さん。収穫は?」
「搬入時の状況と金沢の交友関係。加え、超常芸術関与の可能性を強める証拠品を入手しました」
 井東、大塚からの聴取は予想以上に時間が掛かった。特に大塚は、金沢のプライベートを網羅しているかのように事細かに話してくれた。二回生からの付き合いらしく、その場では被害者として扱われていた彼を終始気に掛けていた。追加調査をするのであれば、新たに知り得た関係者とデータベースの要注意人物に接点がないか突き詰めることになるだろう。
 人並みに、面倒だと思う。声色に出さないのが、梅田にとって癖になっていた。
「やっぱ淡々としてんだなぁ。それはそれでやってくの、難しくないのか?」
 リラックスしているのか、甘梨の態度はよりフランクになっている。柔軟ついでに、腕を梅田へ伸ばした。指先で一枚の紙を摘まんでいる。
 梅田がそれを取り、数刻の沈黙。返答を期待していたらしい甘梨は椅子ごと向いた。
「オブジェクトの検査結果だ。ステッカー素材に異常はない。問題は表面だ」
 すべての回収物にまるで判を押したように、同一の刻印が確認されたという。刻印は透明で、超常機器でやっと確認できる代物だった。
「それも新種じゃない。茅野が言うに、過去に確認されている技法だ。AWCY関係の」
 記述は、財団がかつて確保した超常芸術技法書の一冊にあった。視覚表現として、作品のメッセージを強化する手法として。書物から抜粋した文章では、まるで色彩論のように精神汚染が語られている。その執筆者は、見紛うことなくAWCYに参入していた芸術家だった。光を複雑に屈折させる特殊顔料と無意識下に作用する紋様の効果で、人間の心理状態を弄ることに成功していた。
 しかし。あくまでそれは視覚異常の原因の話。時間差に関しては未解明のままだ。
 事件発生後、金沢は自宅で確保された。別班から回ってきた情報によれば、自宅に異常物品は一つもなかったそうだ。
「金沢って奴、一人でやったって言い張ってんだろ? 本当なら、大した奴だよ」
 甘梨はカップを傾け、水を啜った。上から覗き込めたサングラスの内側で、彼の目は半分も開いていない。疲労が蓄積しているのか、ここまでの発話からも覇気は失われている。
 そうそう、と甘梨は余所を向いて喋った。
「オブジェクトと金沢のサイト輸送、明日の13時に決まったんだと」
「随分と急ですね」
「セクターの研究を纏めて報告したら、こっちで掘り下げられる仕事はもうないと返事が来てな。後はほら、いつもの合理主義。進行形で準備が進んでる」
 大したもんだ、と最後にぼやく。この件に自分はもう関係ない、とでも言いたげだ。
 発見された超常サロンの案内状とAWCY由来の技術。その上、金沢は現段階ではAWCYであることしか明かしていない。外回りを終えた今でも、何一つ吐いていないときた。セクター内に特殊な尋問装置はなく、強引な手を使うならサイトに場を移さなくてはならない。
 揃っている証拠を見ても、とっくに次の段階に進むべきだと分かる。だが、腑に落ちない。決定打に欠けるからだろうか。胸を鉄芯が貫いて抜けないような、釈然としない感覚が残っていた。

「二人仲良く揃ってサボりか?」
 金属が硬質な床を叩く音が連続する。音に釣られて顔を動かした甘梨が、げっと毒を飲んだような声を出した。
 高慢、辛辣、軽薄、傍若無人。風の噂で、酷評を聞くことがあった。過剰だと思いながらも、梅田は少なからずその奇人に興味を持っていた。何故に、それほどまでに己を信頼しているのか。
 捜査開始当初、屋敷はセクターに表れなかった。今日、偏屈を体現したその男と、梅田は初めて対面した。カツンカツンと鳴る右脚の義足が、平凡な人間ではないと伝えていた。
「屋敷……ちゃんとした休憩だ。時間が来たら戻る」
「休憩に見合った働きをしたつもりか、と俺は聞いたんだがな」
「自分はどうなんだよ」
「当たり前だろう。捜査会議の出席、カバーストーリー考案、初期収容手順の指揮……匹敵するほどの役回りを何かこなしたのか、お前は」
 けたけたと嘲りを含めた笑みを浮かべ、屋敷は甘梨の対面に座る。反論する気力すら消え失せたのか、甘梨はそっぽを向いてカップに顔を沈めた。
 屋敷の標的は、観察に没入していた梅田に変わった。
「何を突っ立ってんだ? そいつは休憩中でも、お前は仕事中だろうが」
「そうですね。職務に戻りますので、これで」
 内心ではっと気づかされながらも、つんと突き返し、梅田は立ち去ろうとした。
 カン、と床で音が起こる。屋敷は立ち塞がり、梅田の手に握ぎられていた資料と手帳を奪い取った。一瞬、身が強張った。真正面で、屋敷は情報の集合体を宙へ放り投げた。
「捨てちまえ、こんなもん」
 頭に血が上りそうになって、歯を食いしばる。攻撃的な目。その瞳を覗き込む。満たされた侮蔑の感情に、絶対的自信に裏打ちされたような伝達の意思が紛れ込んでいた。
 屋敷は口の端を吊り上げた。
「お前、このヤマにAWCYが関わってると本気で思ってんのか?」
「状況証拠からしてしっかり関わってんだろ。金沢もそれだけは認めてる。何か根拠でもあるのかよ」
 甘梨には顔も向けようとしなかった。
「AWCYは、あんなダセェ落書き野郎を仲間にしねぇよ」


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