隣の柿は

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一人の男が、自らのオフィスでコーヒーを飲んでいる。デスクには便箋と薄汚れた封筒が並べられ、彼は今後の仕事内容を頭の中に羅列していた。カップを置き、便箋を眺める。そこには几帳面な文字がびっしりと並ぶ。彼はそれを手に取り、再び読み始めた。


何から書き始めればいいだろうか。今は真夜中で、家中がしんと静まり返っている。そっとカーテンを開けてみたら、黒々とした山の姿が目に飛び込んできた。父も母も、私がこんなことをしているなどと思いもせずに眠っているだろう。けれど、私はすっかり目が冴えて心がざわついている。だから、こうしてペンを握ることにした。私の手元には一冊の手帳がある。そこに綴られた内容と、両親から聞いた話を基に、これを書いてみたいと思う。

あの柿の木がいつから隣家の庭先にあるのか、正確なことは知り得ない。村の長老たちが「庄屋さん」と呼ぶ旧家にのみ文書が伝わっており、それによれば江戸時代中期には既にあの場所にあったという。あくまでも噂であるが、あり得ることだと思う。

昔、あんなものは切り倒してしまえと言った者があり、一日中斧で叩いても傷一つ付けられなかったと聞かされた。燃やそうと油が撒かれたこともあったが、火は着かなかったという話もある。実を落とすこともできなかった。今となっては、あれをどうこうしようなどと、誰も考えないだろう。

あれは人食いの柿なのだ。それは子供ですら知っている。大人から教わらなくとも、物心がつく頃にはもう理解していて、普通ではないと思いながら受け入れて成長する。もしも誰かがこれを読んだら、私たちはまともではないと感じるだろう。切り倒そうとしたり、燃やしたり実を落とそうとする方が真っ当なのかもしれない。だが、その話には続きがあるのだ。

彼等は村の外からやってきた。だから理解できなかったといわれている。そして後日、全員がその報いを受けた。全身ずたずたに切り裂かれて倒れていたり、突然体が燃え上がったりした。首から上がどうしても見つからなかった。私たちは、この話は言い伝えではなく事実だと信じている。あれは、自分に危害を加えようとする者を許さない。だから、村の者は一切の手出しをしないのだ。

剪定もしない。そのようなことは恐ろしくてできないし、そもそも、放っておいても枝が伸びすぎたりしない。葉も枯れず、一年中青々と繁って風に揺れている。虫もカラスも近寄らないので、何の手入れも必要がないのだ。

実も一年中、たわわに成っている。濃く艶やかな橙色をした皮はぴんと張り、かすり傷一つ見当たらない。いかにもずっしりと重たげで、品種は不明だが富有柿を二回りも大きくしたような姿をしている。台風が来てどれほどの暴風が吹き荒れても、決して落ちることがない。

我が家と隣家は、村外れの地区にひっそりと建っている。両親の記憶によれば、隣家に誰かが居着いたことはないという。周囲は空き家ばかりだ。おそらく、あれの近くに住むことを厭い離れていったのだろう。

確かに、私たちがあれを受け入れているのはおかしいのかもしれない。けれど、あれは、手当たり次第に人を食らうのではない。あれが食うのは、唯一の例外を除いて「食ってほしい」と願った者だけなのだ。

村の誰かが何らかの病気に罹ったり、怪我を負ったとする。そうしたら、あれに食われるのだ。真夜中のうちに木の下に行くと、あれはその者を食らい、朝までにそっくり同じ姿で吐き出す。すると、すっかり健康になっているのだ。その後は普通の人と同じように歳を取る。何かあれば病気になるし怪我もする。不死になるわけでもない。

食われるに当たっての掟もある。よほど症状が重く、もう治る見込みのない者だけと定められているのだ。軽症であっても食われるが、そんなことを認めていたらきりがない、というのが理由の一つだ。健康な者はどれだけ強く願っても食ってはもらえない。当人が望まないなら無理強いしてはいけない。子供と妊婦も食われてはならないとされていた。

食ってくれと願う者が木の下に立つと、実の一つが大きく膨らんで口を開け、文字通り丸飲みする。同行者がいたなら、その後は決して見てはならない。そんなことをすれば、せっかく覚悟を決めて食われたのに戻ってこられないのだ。だから、その場を離れるか背を向けなければならない。健康になって戻る瞬間に居合わせたいと、家族があれを見ていたことが何度かあったという。けれど、実はそのまま腐り落ちて、食われた者は戻らなかった。あれが枝から落ちるのはその時だけといわれていて、その後は数日のうちに新しい実が成る。

あれが食うのは一晩に一人のみ。また、一人食ったら十日は間を開けなければいけない。随分昔の話だが、食われたい者が二日続いたことがあったという。二人目はなかなか食われず、ようやく願いが叶ったのが十日後だったと聞いた。あれほどたくさんの実が成っているのに、不思議な話ではある。

どの実が食うのかは、その時になるまでわからない。何らかの順序があると考える向きもあるようだが、私はそんなことを気にしても意味がないと思っている。どれに食われようと同じことなのだから。

あれが食うのは一人につき一回限りとされている。若い頃に大病を患い、あれに食われて戻った者があった。十年以上経って、今度は山での仕事中に大怪我をして重い後遺症が残った。もう一度食われたいと願ったが、何度あそこに行っても食ってはもらえなかった。これは珍しい事例であるようだ。

あれに食われて戻った者は、体からほんのりと熟柿の匂いがするようになり、その特徴も合わせて「柿生まれ」と呼ばれる。私はそうは思わないが、決して良い渾名ではないのだろう。誰もが心の底では気味悪がっているのだ。

既に書いたように、あの家には誰も住みたがらない。人食いの柿の木が目と鼻の先にあり、それを眺めながら暮らしたり、自分が眠っている間に誰かが食われているかもしれないというのは、決して気分の良いものではないだろう。我が家は隣であり、疎かにもできないので、両親がたまに掃除をしている。けれど、二人はあれが見える部屋の雨戸を開けようとはしない。

決まりといえば、「柿生まれは結婚するべからず」という掟がある。子ができるなどもっての他だ、ということだ。婚約中の身であれば、食われると決めた時点で破談になる。どれだけ本人たちが願っても、子を作らないと誓っても許されない。身ごもってしまう可能性はつきまとうからだ。 

既に配偶者と子のある者が食われたいなら、これ以上は子を増やさない旨、誓約書を書かねばならない。特に現代ほど医学が進んでおらず、寿命も短かった時代には、村の基幹となる農業および林業の担い手を減らさないよう、食われる選択をした者がそれなりにいたという。

あれに食われる者は減る一方だと聞く。この村も過疎化からは逃れられない。今では子供も数えるほどだ。若い世代は大抵が村を出ていくが、反して外からの移住者を受け入れない。無論、あれについて知られないためだ。だから衰退する一方で、掛ける歯止めもない。いずれは打ち捨てられ、後にはあれだけが残るのだろう。そしてどうなるのか。いつか誰かに発見されることもあるかもしれない。廃村と一年中実を付ける柿の木──いかにも不可思議ではないか。

村を出る者は、あれのことは口外するなと厳命される。手帳には、あれについて話そうとしても言葉が混線したようになり、何も言えなくなると書かれていた。ともあれ、そうして外で暮らし、重い病に罹ったらごく当たり前の治療を受ける。ここに戻ってあれに縋る者など皆無に等しい。

食われて戻ったが最後、村の外で生きてはならないという掟が待っているからだ。そんなことを許して、赤ん坊が生まれたら?という訳だ。

だから、食われた者の仕事は村にしかない。農業、林業、村役場──そんなところだ。普通の者に混じって働くが、居心地は良くない。表面上は隣近所との付き合いがあり、冠婚葬祭にも呼ばれるのだから村八分ではない。それでも、忌まれていることに変わりはないが。 
  
もう随分と書いたような気がする。最初は、書き終えたら燃やしてしまおうと思っていたが、封筒に入れて心当たりの場所に隠しておくことにする。村が無人になった後で、いつか誰かが見つけて読んでくれれば、何かしら思ってもらえるかもしれない。

食われて元気になりたいと願っても、家族が嫌がることもある。なにしろ、戻った者には食われる以前の記憶がないのだ。自分の名前と、あれに食われて戻ったことだけは知っている。だが、他には何一つとして覚えていないのだ。親きょうだいの顔もわからない。幼い頃の思い出も消えている。私はあなたの友達だったと言われれば、信じるより他にない。愛して一緒になった筈の伴侶は他人に見える。かけがえのない我が子が遠い存在になってしまう。これが、食われるのは重篤な症状の者に限るというもう一つの理由だ。

のみならず、村の皆から良く思われないのだから、家族に反対されて説得できず、食われる前に亡くなった者もあっただろう。柿生まれを出すのは不名誉なことと考える家もある。それでもなお、村ではあれを最後の手段としているのだ。いざ自分が不治の病に罹ったら、なりふり構わず食われた者もいたと聞く。その場合にしても、戻った後の扱いは察しがつくだろう。

それでも構わないと心から強く願った者だけが、あれの所へ行くのだ。生半可な覚悟では柿生まれになれない。家族との関係さえ壊れるかもしれず、全てを忘れ、忌まれて結婚できず、村から出られないのだ。それらを承知の上で食われれば、健康を取り戻し生き長らえることができる。無論、そうなってまで生きていたくないと思う者も多かっただろうし、村の外ではそれが普通なのかもしれない。

少し手が痛くなってきた。だが、まだ書いておきたいことがある。柿生まれの子供についてだ。

もう長い間、柿生まれの女が身ごもったという話はない。昔はそうではなかった。だが、赤ん坊は成長できなかったとだけ書いておく。「唯一の例外」だからだ。そうして、結婚するべからずとの掟が作られたと母は言う。赤ん坊は何かしら「良くないもの」であったらしいが、それでも皆にとって寝覚めの悪い選択だったからに違いない、と。

私は自らのことを思っている。顔の前でそっと手を振ると、とろけたような匂いが漂う。腹部を撫でれば膨らみが伝わり、喜びと緊張が駆け巡る。

両親によれば、私は二人の説得を頑として聞き入れなかったらしい。町で治療を受けるように懇願されたという。尤もな話だ。けれど、私はその道を選ばなかった。どうしてもそんなことはできなかったのだと、今ではよくわかる。諦めるつもりはなかったから、私は村に戻ってきたのだ。

こんな選択をした女はおそらく私が初めてだろう。村の外で妊娠し、腹の子の父親を亡くして村に戻った。それだけでも十分過ぎるほど耳目を集めるというのに、掟を破って腹の子共々あれに食われたのだから。

今はまだ、私が何をしたのか村に知られていない。我が家があれの隣であるおかげだ。だが、時間の問題だろう。再び腹部に触れると、小さな命が私を励ましてくれる。あれは、私だけでなくこの子の健康も返してくれたと信じている。

もう書き漏らしはないだろうか。さっき、外に出てあれを眺めてきた。繁った葉が風に揺れて、かすかな音を立てていた。どっしりと太い幹に触れると、意外なことにひんやりとしていた。月のない闇に、隙間なく実るあれが浮かび上がる。まるでこちらを眺めているような感覚になり、柿生まれになるのもそう悪くないのではと思った。これから私がすることも知っているように感じられてならなかった。

そういえば、早口言葉をもじって「隣の柿はよく客食う柿だ」と言う子供がいたらしい。正確な表現ではないが、言い得て妙な気もする。

今後について、両親と話し合いを重ねた。明日の夜、私はここを出て、この子の父親と過ごしたという町に帰る。私が柿生まれになったと知れ渡る前に。

手帳をめくると、文字がびっしりと並んでいる。町を出る直前に、私が私に宛てて書いたものだ。たくさんの思い出、両親のこと。町での暮らしと仕事。そしてあれのこと。愛した人のこと。妊娠と病気。それらが事細かに綴られている。私が愛した人は天涯孤独で、この妊娠を飛び上がらんばかりに喜んでくれたという。

最後のページには写真が二枚。一枚目には両親が、二枚目には満面の笑みを浮かべた彼が写っている。これがあれば怖くないと思った。

この先どうなるのかわからない。結局、ここへ戻る羽目になる可能性もある。それでも、やってみるつもりだ。そうしていつかまた、私のささやかな物語の続きを書けたらと願っている──伝え聞いた物語ではなく、自分の記憶に刻まれた物語を。

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