【恐怖コン】若き花嫁のためのアリア

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「姉について、どうか聞かせてください」

上質な青を纏った夕空がこの応接間にラピスラズリの翳を落としている。幽かに差し込む斜陽にきらめく蓄音機は沈黙を貫いていた。来客として招かれた男は、ティーカップに揺らめくアールグレイを啜るとおもむろに唇を解く。

「私が彼女と初めて会ったのは五年前の夏です」

眠る我が子に童話を読み聞かせるように来客は切り出す。反対側のアンティーク調のソファに腰かける家主はまだ若く、しかしビスクドールのような不気味なおとなしさを湛えて話に耳を傾けていた。あなたの姉について話したいことがある、そう連絡をよこした来客を彼は快く受け入れ、こうして屋敷へと招待した。来客にとっては、実に数年ぶりの来訪である。

二人の間に立ち込めた異様な緊張感が背を灼き、話の続きを促しているようだった。来客は再び口を切る。ふわり、とつめたい風がカンツバキの苦い香りを乗せて頬をくすぐった。



ゆるやかなピアノの旋律と調和するように、ティーカップに琥珀色の液体が注がれる音が響く。空調の効いた室内はアーチの窓を隔てて明確に断絶されていた。それほどに、真夏の昼下がりとは思えないような優雅な雰囲気がここには顕在している。

視線を落とす。華やかな模様に飾られた皿にはチェリーパイが一切れ乗せられている。格子状の生地から赤い果肉が鮮やかに覗いていた。立ちこめたハーブティーの爽やかな匂いと、洋菓子特有のあたたかい匂いが混じって鼻先をくすぐり、思わず舌なめずりをする。

「あの、本当に頂いてもいいんですか?」

「気にしないで。あたしが好きでやってるだけだから」

彼女は透明なティーポットを傍に置いてそう言う。唇に塗られたリップとパフスリーブのワンピースと、アメリカンチェリーの赤色は同じようで全て違う色のように思えた。切り分けた一口を口に含むと、素朴な甘さと甘酸っぱい果実の味がじわりと広がる。

かの洋館を見つけたのは、青葉が芽吹くような爽やかな皐月の日だった。道に迷っていたところを偶然見つけたのだ。レンガ造りの西洋建築。庭園に芳しく揺れる初夏の花たち。絵画から出てきたようなそれは僕の心を奪うのには十分で、すっかり見惚れてしまっていた。

そこで、家主である彼女に声を掛けられたわけだ。ゆるやかにカーブを描くショートヘアときらめく宝石のような美しい声を持つ彼女は、弟と数人の家政婦とこの白い屋敷に暮らしている。額縁に飾られた写真でしか両親の姿は見たことがなかった。

ふと、ティーカップを傾けると水面に陽光が揺らめく。それを軽く口に含むと、カモミールのすっきりとした林檎のような風味が舌先に伝った。それに合わせて、彼女の鼻歌が柔らかな波長を伴って鼓膜を震わせてゆく。

時折、彼女は祈るように、あるいは小鳥が囀るように軽やかに異国の歌を口遊む。聞いたことのない不思議なモノフォニー。いつも同じ短い歌詞をどこか特別な旋律に乗せて彼女は歌うのだ。何の曲か尋ねたこともあったが、彼女自身も幼少期に子守唄として聴かされていたらしく結局何なのかは分からなかった。

最後の一切れを咀嚼すると、四時を指し示す時針と同じ位置にカトラリーを置いた。ご馳走様、と手を合わせる。トレイに食器の残骸を重ねながら彼女は尋ねた。

「口に合ったかしら」

「とても美味しかったです。ありがとうございます」

そう言うと彼女は得意げに微笑んだ。ふと、視界の端で何かがきらめく。思わず目をやると彼女の左手の、細い薬指に指輪が嵌っていた。中心に埋め込まれたエメラルドが慎ましく光っていた。視線に気づいたのか、彼女は言葉を紡いだ。

「あたしね、結婚するの」

え!と思わず感嘆の声を漏らす。彼女は僅かに顔を赤らめて、右手の指先で愛おしそうに銀の指輪を撫でた。恋人の話は度々聞いたことがあったが結婚に関しては初耳だ。けれども、それは自分のことのように嬉しいことに思えた。はにかんだ声で言葉を続ける。

「二十歳の誕生日の日に挙式するから。良かったら来てね」

「本当におめでとうございます。結婚式、絶対行きます」

ありがとう、と嬉しそうに笑う。彼女の指先が祝福のように美しくひかめいていた。



パイプオルガンの重厚な音色が丁寧に奏でられている。それに乗せて、いつくしみ深きを歌うゴスペルシンガーの歌声が教会内に響いていた。正面には煌びやかに輝くステンドグラスがずらりと並んでいる。

彼女はシルクのウェディングドレスを身に纏っていた。なめらかな生地に包まれた彼女は美しく、さながら神聖めいたもののようだ。隣に立つ端正な佇まいの花婿は、初めて見たけれどいかにも彼女とお似合いなように思えた。参列者の姿を横目に見る。彼女の両親らしい人物は見つけられない。仕事が多忙なのだろうか。

讃美歌が鳴り止み、しんとした教会に牧師による聖書朗読だけが空間に音として刻まれている。愛は決して絶えることがありません、と読まれると再び静寂が空間を包み込んだ。厳かに式は進行していく。

誓約が行われる。花婿は牧師の問いに誓いますと答えた。すると、今度は牧師は彼女の名を呼び彼女は返事をする。

「病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

「はい、誓います」

彼女のよく通った声で愛が誓われた。そうして指輪交換が行われ、心臓に最も近い二人の薬の指が交換した指輪に封じられる。僕はただ夢見心地な気分で、少し泣きそうにもなった。

花婿は彼女の顔を覆うヴェールをゆっくりと捲り上げる。華やかな化粧が施された顔には、さも幸せそうな微笑みが浮かべられている。隔てるものがなくなった彼らはゆっくりと口付けを交わした。それはさながら宗教画のようでただただ美しい光景だった。

なんとなく視線を横に向けると彼女の弟と目が合う。中学生のように見える彼の顔は明らかに青ざめていて、幽霊でも見たかのように恐怖が顔に滲んでいた。

二人が退場し挙式を終えると、僕たちはそのままチャペルの庭園に佇んでいた。空には冴え渡ったような青空が広がっている。冬の空気特有の凛とした香りが漂っていた。

スタッフがゲストに声を掛かる。どうやらブーケトスをするようだった。レースの塊のような白い花束が彼女に手渡される。普段燃えるような赤を纏う彼女は、白色に覆われると純潔という言葉がよく似合う。

この空間は幸せで満ち溢れている。花嫁である彼女と花婿の仲睦まじい姿。それをカメラに収めるカメラマン。嬉しそうな笑みをたたえながら談笑する参列者たち。無論、僕も幸せだった。

けれども、先程の弟の表情が気がかりだった。普段は溌剌とした彼があんな顔をするのは珍しい。嫌な予感が頭を過ぎる。いや、そんなはずはない。冷たい酸素を吸い込み、心に渦巻く不穏な気持ちを収める。きっとどこか体調が悪かったのだろう。それだけだ、絶対に。

僕たちは彼女の背の方向に並び、彼女はブーケを投げる姿勢になる。

「せーの」

そう合図が掛けられると、ブーケが後方に投げられる。弧を描いて宙を舞うそれは偶然にも僕の手に収まった。振り返った彼女と目が合う。すると彼女は嬉しそうに笑って。


その瞬間。

雨粒が落ちるような音がして、ウェディングドレスが赤く染まる。咄嗟に顔を見ると、口角から血が滴り落ちていた。え、と声をあげる。彼女は咳き込むと、赤黒い血を大量に吐いた。呻き声のような声にならない叫びをあげなら、シルクの生地を伝ってタイルの敷かれた地面にぼたぼたと血が滴り落ちていく。僕はただ茫然と彼女の苦しむ喘ぐ姿を、血に染まられるウェディングドレスを、ゲストの絶叫を眺めていた。

ごとり、と鈍い音がする。

何の前触れもなく、彼女の生首が地面に落ちた。椿の花が落ちるように呆気なく。続けて残された身体の方が倒れ、首の断面から血が撒き散らされた。ウェディングドレスはとっくのとうに真っ赤に染まり切っている。

腰が抜け、その場にへたり込む。眼球の血管が切れてしまいそうなほどに、僕はそれを目を見開いて見つめている。彼女の首から吹き出した血がシャツにべたりと付着する。これは悪夢だ。絶叫のコーラスに包まれる、彼女の屍体。地獄のような光景が目の前で繰り広げられている。それから逃げ切ったブーケだけが残酷なまでに真っ白い。

脳裏に彼女がよく口遊んでいた歌が甘く反響する。そうして、僕の意識は途切れた。



「それから、幽霊のようなものを見るようになりました」

重々しいトーンで来客は言う。あの後、彼女は倒れてそのまま目が醒めることはなかった。棺蓋が開くことは最後までなく、煤けた骨の匂いだけが来客の記憶に歪にこびりついている。花婿の彼も心を病んだのか、そのまま後を追って死んだようだった。

来客はティーカップに手をかける。注がれたアールグレイは既に冷め、クリームダウンしていた。彼は白濁した冷たい紅茶を一口含むと、語りを再開する。

「彼女、歌っているんです。首から上がない、真っ赤に染まったウェディングドレスを纏った姿で。陽が沈む間、彼女がよく口遊んだいた旋律を泣き叫ぶように歌い続けています。放課後の音楽室で、帰路にそびえる教会の敷地で、或いは窓の向こうで」

夕焼けが空を茜色に染め上げる時間、彼女は歌う。独唱。歌を紡ぐための声帯なんて既に失われているのに、耳を塞ぎたくなるような惨痛な声で、オペラのように声を反響させて歌う。それはもはや歌とは言えないような有様であった。

ふと、かのメロディが来客の脳裏に反響した。辞めろ、黙れ。そう念じるも途切れ途切れに歌詞を乗せた旋律が空耳になって鼓膜を撫でる。

「死後、彼女の部屋を一度訪れたことがあります。そこで一冊の書物に栞が挟まれているのを見つけました。外国の言葉で書かれていて、とりあえずその場で写真を撮って、帰ってからそれを訳して読みました」

家主は何も言わない。冷たい静けさに支配された空間には、言葉を紡がなければ崩れてしまいそうな儚さが存在していた。変わらず旋律が頭に響く。煩い。燈の付いていないシャンデリアは寒色に呑まれたまま沈黙する。

「奈落の歌と書かれていました。二十歳になっても覚えていると地獄に堕ちる、と。それは彼女がよく歌っていたものと同じものでした。彼女がその意味を理解していたのかは分かりません」

風が吹く。絶え間なく旋律が響いている。それは確かに来客の足を掴み屠ろうと、波長になり蠢いていた。

「私は二十歳になりました。彼女が死んだ年齢と同じです。もしも次に彼女が私の目の前に現れたら、私がその歌の歌詞を完全に思い出したら。どうすればいいのでしょうか。僕は、地獄になんて堕ちたくありません」

来客の声は震えている。ただひたすらに悍ましかった。激烈な不安が扁桃体へと伝達されていく。目の下にできた黒い隈が、彼の烈しい恐怖を物語っていた。

家主が顔を上げる。グラスアイのような照り返しのない瞳が虚ろに、でも確かに来客の瞳を見つめていた。逢魔時。窓の外から見える空が血液のように赤い。起伏のない声で、けれどもはっきりと彼は唱える。


「             
                   」

背筋を凍らす暇もなく、来客は大量の血を吐き出す。叫びを上げながら、意識のみが奈落へ落ちていく。落ちる。身体が灼ける。貪られるような痛みが刹那の内に来客を襲う。魔の時間がやってくる。久遠の苦しみが、絶え間ない詠唱が来客を待ち構えている。

首が落ち、間もなく断末魔は途切れた。




冷めたアールグレイが未だに高価な香りを漂わせている。静かな歌声が冷たい空気に融解していた。


屋敷の一室には、乾涸びた屍体。


jp tale クリーピーパスタ 恐怖コン24



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執筆者: sian628
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最終更新: 17 Aug 2024 15:02
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