土蜘蛛踏鞴の十二日

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日本支部発足以前の日本における財団Eクラス職員からの報告書一覧・邦訳版より抜粋

[前略]
A.D.1939.4.12.
報告者: エージェント・詩織 詠
本日、[編集済]神社境内においてGoI-████“蒐集院”構成員であるPoI-████(“木戸能彦”)を捕捉。
一般的な薬師如来の縁日とされる8日ではなく今日、12日を縁日とする神社への参拝を行なっており、蒐集院式のEVE観測器に類似した機構を所持。参拝後に観測を行いその場を離れた。参拝前に屋台の団子屋において大量の団子を購入していたため、それらを搬送する為に拠点に帰還したと推測される。
団子を購入する際、四方田財閥総帥であるPoI-████(“四方田冨夫”)との接触を確認。会話より両名が同一の組織に所属し、神学的超常技術を利用した何らかの“職務”を行っていることが示唆された。
当該不明組織の本部には現在のところ、今回捕捉した2名を含めて17名の人員が配備されていると推測される。また他に支部等の存在がある可能性も残っており、未確認のGoIの存在が危惧される。確認されたし。
[後略]








GoI-████“負号部隊”解体時に確保された『中止された計画書』ファイルより抜粋

假稱: スクナビコナ計畫、昭和十四年
要綱: 傷丹匣ニ依存セズトモ顯著ナル效能ヲ有スル汎用藥品ノ作成ヲ試ミル。

  • 鹵獲セラレタ異常性ヲ有スル藥品ノ複製
    • 無理サウネ-Ada
  • 異常ナル呪法ニヨル肉體再生
    • 邪敎ニ賴ルコトヲ禁ズ-█████大佐
    • 邪敎デ無クバ宜シカラン。藥師如來十二大願中ノ第六願・諸根具足、第七願・除病安樂ニ因ル效驗ヲ檢討セヨ-葦舟
  • 藥師如來ノ緣日ニ高マル神力ヲ計測シ人工的ニ加護ヲ得ル
    • 八日、調査スルモ利用ニ足ル神力ヲ認メズ-木戶
    • 思フニ藥師如來ノ緣日ハ十二日ナリ-四方田
    • 諸說ニ異同有リ。十二日ヲ緣日トスル社ニ心當リノ者、ツチグモ部門硏究室迄來レ-木戶








桜の花弁が舞い、利休色の羽織の裾に纏わりついた。ちぎれ雲が浮かぶ青空に、どこか影のある眼を細めて手を翳す。

大日本帝国陸軍特別医療部隊…通称“負号部隊”。その隠秘学的な分野を担当するツチグモ部門の部門長、木戸能彦は華奢な右手に箱鞄を提げて東京郊外の神社に訪れていた。
平日、人気のまばらな薬師如来の神社。郊外ということもあり、月縁日といえど彼のように特異な用がある者以外が好き好んで訪れるような場所ではない。
しかし不思議なことに、今日の境内には両手の指には収まらない数の屋台が立ち並んでいた。心なしか客引きの声もどこか切羽詰まって耳に届く。

「よおそこの兄ちゃん、買ってかないかい?うちの団子は一味違うぜ!」

ふと耳に届いた一際明るく響く声に惹かれて、白木の下駄を止めた。
快活な声の主が立つ屋台には餡団子とみたらし団子とともに、細かく刻んだ柚子の皮を砂糖で煮たものが掛けられた見慣れない団子が並んでいる。

「…マーマレード、ですか。」

屋台の表に墨くろぐろと記された品書きを眺めながら近づけば、店主は朗らかに笑って応じた。

「柚子の砂糖煮、って書いといた方が良いとも聞いたが、まあこのご時世だ。俺らの商売もそろそろ畳まないといけねえし、一寸位は見逃して貰おうじゃないか。」

壮年の店主は大笑し、焼き上がった団子を台に立てる。

その笑顔にそぐわぬ、商売を畳むという鬱々とした言葉に眉をひそめ、木戸は最近の時事を思い返した。


薬師の縁日は八日と十二日とされており、この社はようやく探し出した十二日を縁日としている神社である。

桜の花は四月の半ばにして満開の様相を呈し、麗らかな春の陽気とは裏腹にすれ違う者は皆どこか物足りない顔をしていた。

昭和十四年四月十二日、水曜日。立ち並ぶ屋台をよく見ると、どの店も米や米粉を使った食物を扱っているらしい。

…察しがついた。

「ああ…そういえば、米の規制は今日からですか。」

「そういうこった。あれで米の粉が入らなくなっちまってな、今日まで頑張ってた同朋どもも総崩れだ。早いとこ在庫を捌かないと拙いってんでね、報せが出てこのかた皆が総出でありとあらゆる縁日に屋台を出してるって訳さ。」

「成る程…」

得心して頷きながら、波打つ黒髪をかき上げ団子を眺める。
白い団子には僅かにキツネ色の焼き目が付き、目にも美しい。小豆の甘い匂いと醤油の香ばしさ、柚子の爽やかな香りが混ざって鼻腔をくすぐった。
幼い日に仰ぎ見たそれより割高な数字が刻まれた値札を睨んで、鈍く輝く硬貨を弄ぶ。職務のさなかとはいえ、団子の一本程度であれば買い食いなどしても大丈夫だろうか。

せがむことさえ諦めていた、幼い自分を思い返す。あの日も今日のように屋台が並んでいて、しかし自分には今のような経済力も権力もありはしなかった。
ずっと昔大人に買い与えられた、たった一本の団子の味は思い出せない。けれど、甘く柔らかなその暖かい菓子が心の底から嬉しかったこと…それだけは、不思議とおぼろげに覚えていた。

「…やはり柚子か…いや、しかしこのところ食べていないみたらしも…」

あの日と同じように、一本だけを買うことに決めた木戸の穏やかな視線が、甘い糖液をまとい買って買ってと騒ぎたてる団子の列をなぞる。

「ははは、好きなだけ悩んでくれよ!店の前で悩む客も見納めかもしれないんだ、眺めるってのも悪かないだろう。」

悲観的な言葉を快活に放つ店主の態度は不思議に心地よく、木戸も顔をほころばせて笑みを浮かべた。





木戸が屋台の前で悩み始めてから、早くも数分が過ぎ去った。売り文句が尽きた店主は、椅子に腰掛けて声をかける。

「そう言えば、兄ちゃんは何だってこんな所に来てるんだい?今日が縁日だからって、さっきから閑古鳥の鳴いてるこんなとこに真っ昼間から来てるなんて、そんじょそこらの御仁とは思えんが。」

先程焼き上がった団子は余熱で温かさを保っていたが、次の列の団子が焼き上がろうとしている。店主は苦い顔で二列目を台に立てると、練炭に蓋をして火を消した。

「こちらの社は十二日が縁日と耳にしましたので、物珍しくてお参りに。」

「へえ、そうかい。わざわざこんな辺鄙なお薬師様に。」

興味深げに目を丸くして、店主は身を乗り出す。

「こんな時間に来るんだし、お役所勤めじゃ無さそうだ。兄ちゃんは薬屋さんか、お医者さんあたりか?」

「まあ…そのようなものです。」

的外れだが、嘘はついていない。軍で呪術的医術を担当する秘密部隊の幹部をしているなどとは言えず、眉尻を下げてはぐらかす。

「お医者さんねぇ、そいつぁ良い課業だ。うちも倅に屋台の団子屋なんて儲からないからって出ていかれちまってなぁ、まあ今本当に団子じゃ食えなくなってる訳だがね。倅は医者になりたがって居たんだが、なにぶんうちの稼ぎじゃねぇ。」

遠い目で語る店主。その口許が自嘲の笑みを浮かべ、空元気の透けた声音で軽く謝る。

「いや、愚痴を聴かせちまってすまんね兄ちゃん。」

「いえ…」

返事に窮して縮こまる肩を叩き、店主は細い指先に柚子のマーマレードの掛かった団子を握らせる。

「…あの」

「良いってことよ、どうせ売れなきゃ捨てる団子だ。食ってみて、美味かったらもう一本買ってくれりゃ良いんだよ。」

商魂逞しく言う店主に今度は木戸が苦笑を浮かべ、ほのかに柚子の香りが漂う団子を口に運んだ。

柔らかい歯触りと小気味いい弾力、甘すぎず淡白すぎない団子が甘く爽やかな柚子の皮と砂糖の強い味わいを中和する。

「…これは…」

落ち着いた表情を崩さず、しかし嬉しそうに団子を頬張る木戸。その指先が頬を軽く押さえるのを見て、店主も満足そうに頷く。

「やっぱり美味そうに食ってくれる人が一番だねえ。」

和やかな空気が流れる屋台を、紺鼠色の着流しが腰を屈めて覗き込んだ。

「これはなかなかに旨そうだな。木戸君、その団子はどうだね?」

「…四方田君!?」

木戸は団子を嚥下し、目を瞬く。目の前では、身の丈六尺に及ぶ見知った顔の大男…“負号部隊”が一角、タタラ部隊を率いる四方田財閥の御曹司、四方田冨夫が興味深げに団子と彼を見下ろしていた。




「…ど、どうしてここに?」

「ここのお薬師様の参拝には少し特殊な手順が要ると説明するのを忘れていた。君に知らせねばと思ったが、手の空いたものがいなくてな。」

「ああ、成る程…」

木戸は納得し、団子の一つを串からかじり取る。ひとつだけ残った団子を一瞥し、四方田の切れ長の眼が細められた。

「柚子皮の砂糖煮が掛かった団子か、初めて見るな。」

「珍しい味わいで実に美味だった。折角の機会だ、食べておくべきだと思うよ。」

串をくず入れに放り込んで笑みを浮かべながら同僚に向き直れば、利休鼠の羽織が翻る。

「なるほど。木戸君は柚子の団子を買ったのか?」

団子を眺めながら問いかける四方田に、笑みを苦笑に変えながら木戸は答えた。

「いや。実は試食なんだ、店主殿のご厚意でね。しかしとても美味しいもので、これから餡団子を買うべきか、みたらし団子を買うべきか決めかねているところだ。」

先に固めた一本だけにするという考えは既に前提を覆された。店主の手腕か幸運か、屋台は一本の団子で二人目の客を釣り上げた事になる。

「なるほど…」

大きな掌が懐から財布を取り出し、切れ長の瞳が団子の値札を一瞥する。
一人合点するように頷くと、四方田は財布から数枚の硬貨を取り出し、受け皿に軽く放り込んだ。


「店主、彼に餡団子とみたらし団子を一本ずつ。私は三種類とも貰おうか」


「……!?」

「おおっ!兄ちゃん太っ腹だねえ!」

「よっ、四方田君!奢って貰うわけには…」

目を白黒させて振り返り、慌てて財布を取り出そうとする木戸を片手で制して両手に串を握らせる。
慣れた手つきに、木戸は子供のように串を握ったまま顔を顰めた。

「…四方田君、きみ断ろうとする相手に菓子を買い与えるの慣れてるだろう。」

「まあ、ある程度歳を食った子供というのは意地を張って強がる傾向があるからな。」

「子供扱いかい?」

香ばしい団子の匂いが鼻腔をくすぐる。一尺上から見下ろした視線に噛み付く同僚の、平生より一段高くなった声に四方田は微笑を浮かべた。

「職務の最中に団子屋の前で立ちすくんで迷うのが大人か?」

「なら職務についているはずの時間にこんなところで屋台を物色している君は一体何だというのかな。」

軽口を叩き合いながら、二人は団子を頬張る。穏やかな春の昼下がり、陽光を受けた白い団子と赤みが強い粒餡が甘い対比を成して、小豆の香りと上品な甘みが柔らかな団子に乗って口の中に広がった。

「……ああ、確かに美味しいとも。礼を言うよ、これはとても美味だし美味しい団子に罪はないさ。けど、けどね四方田君。こういった場で売られている甘味とはね、沢山並ぶ中から一つを選び取って味わうというのが醍醐味というものなんだよ?だからこの場では…」

「これは確かに美味だな。店主、包むことはできるか?」

「せめて話は聞いておくれよ。」

目の前で自分の言葉を一顧だにしないで流す同僚を呆れたように見上げ、木戸は肩をすくめる。真面目な顔で問う四方田に不敵な笑みを返し、店主は紙箱を取り出した。

「おうとも。幾つ包もうか?」




十数分後、やっと一通り団子を詰め終えた頃には二人が握っていた五本の団子もすっかり腹の中に収まり、串を捨てた彼らは代わりに山と積み上がった紙箱を抱えていた。

「随分買ったねえ。こっちにしてみればありがたい限りだが、兄ちゃん財布は大丈夫かい?」

焼き上がっていた分では足りず、急ぎ火を入れて大量の団子を焼き上げた店主は流石に疲れを覗かせている。

「結局本部に詰める者達の数だけ三本ずつ買うとは…四方田君、きみは財布の紐をもう少しきつくした方がいいよ。」

在庫をあらかた捌けた安堵をありありと浮かべる店主を一瞥して眉尻を下げ、木戸は思いのほかずっしりとした箱を持ち上げた。

「まあ…今回は店主氏の助けにもなるし、致し方ないとは思うけれど。」

「そうか?助けといっても、ほんの██円だろう?」

「あー…そうかそうか、そうだったね。全く、君は一体どんな環境で育ってきたんだ。」

さらりと述べられる、埋められない感覚の違いにため息をつく。仕立の良い紺鼠色の着流しは大柄な四方田の身丈に合って大島紬の裾を足元まで伸ばし、利休鼠の木綿で縫われた羽織を見下ろしていた。

「僕らからすれば団子というのは、縁日なんかの特別な日に一本だけ手に取るようなお菓子だというのに…」

「団子がいくらでも食べられるのは富豪さんか団子屋だけだからなあ。」

木戸がどこへともなく呟いた文句に、上機嫌な声が快活に応じた。
大笑する店主に、肩をすくめて答える。

「富豪だからと言って屋台で団子を両手に余る程買って帰るなんて奴は相当な変わり者でしょう。」

「そりゃあ、違いないな!」

顔を見合わせ笑い合って、木戸は軽く会釈した。

「それでは。」

愉快そうに手を振る店主。不思議そうに首を傾げる長身を置き去りに、白木の下駄が踵を返す。

「四方田君、早く着いてきたまえよ。それと、僕は鞄を持っているから箱はもう少しきみが持つべきだと思うのだが、どう思うかね?」

「おっと、それは申し訳ないことをした。」

ひょいと団子を三箱ほど手に取り、長い足は瞬く間に木戸を追い越してゆく。

箱鞄を揺らして肩をすくめると、木戸は店主に軽く会釈して本堂に向かい立ち去っていった。




桜吹雪の中、二つの背中が遠ざかるのを鋭い瞳が追う。藍色のランニングに羽織った生成色の上っ張りが、ぬるい風に吹かれて揺れる。


土鈴の柔らかな音が鳴り響き、参拝を終えた二人が箱鞄を開けた。計測を終えて大きなため息をつく華奢な背を大きな手が励ますように叩き、二つの人影は歩き去る。

その様子を静かにその目に焼き付けて、店主は店仕舞いを始めた。




詩織粉物プラザShiori Conamono Plazaと記された赤い天幕の団子屋を、彼らがその日以来見ることはなかった。

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  1. portal:8376420 (18 Jan 2023 08:54)
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