勿忘草は朽ちた

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 熊みたいな男だな、と私は思った。


 そもそも、今日に限って近道をしてみようと思ったのがいけなかった。
 たった数分の時間と引き換えに、私はどうやら熊に食べられて死ぬらしかった。
 美人薄命って言葉は私のためにあるのね、お父さんお母さん、先立つ不孝をお許しください。
 いや、食われて死ぬ、と言うのは正確ではない。
 目の前の髭もじゃの男は拳銃を構えているのだから、射殺される、というのが正しい。
 「えーっと、あー、動くな。大人しく……してくれ」
 だけど、その脅し文句はびっくりするほど様になっていなかった。
 銃口は震えて、こちらを狙ってはいない。
 引き金には指が添えられてすらなく、素人目に見たって正しい拳銃の構え方ではなかった。
 だったら、この熊さんは意外と人を襲わないのかもしれない。
 「ねえ、拳銃ってそんな構え方で撃てるんだっけ?」
 私がそう言うと、彼はばつが悪そうに頭を掻き、拳銃を下ろしてしまった。
 「実をいうと、こんなことはしたくない。貴方に協力してほしいんだ、多分」
 彼の言葉はたどたどしく、態度は煮え切らない。
 「はっきりしなさいよ、多分って何? もしかして私、斬新なタイプのナンパでもされてる?」
 「すまない。俺にはどうやら、記憶が無いみたいなんだ」
 なるほど、最近のナンパ師は記憶喪失を装うんだな、と私は結論を出した。
 「エピソード記憶、って言ったか? 知識じゃなくて、いわゆる想い出に相当する記憶。それが多分ほとんど欠けている」
 「ほとんど?」
 「憶えているのはたったふたつだ。俺がアレをなんとかしなけりゃ世界が滅ぶってことと、毎日目にしたスローガン。『確保、収容、保護』」


 結局私はあの男、自称『財団職員』を家に連れて帰ることにした。
 一人暮らしの家に男を入れるのは憚られたが、一応、形としては拳銃で脅されているのだからしょうがないと、自分に言い訳をする。
 家に着くなり、彼は部屋の一角に陣取って膝を抱えるように座り込んだ。
 そのスペースは彼のために用意されたみたいに収まりがよく、私は少し笑ってしまった。
 私が笑ったのを気にもせず、男は何やら作業に没頭し始めた。
 筆箱くらいの大きさの箱に、暗証番号で開ける方式のダイヤル錠が付いている。
 男はどうやら総当たりでその錠を開けるつもりらしく、ダイヤルを回しては蓋に手を掛ける動作を繰り返している。
 そのせせこましい動作には愛嬌があって、男を連れ込んだと言うよりはペットでも拾ったような気分だ。ごめんなさいお母さん、孫の顔はまだ見せられそうにありません。
 男は、あの路地裏にある異常を封じ込めなければならないと言った。
 『あの異常の本体を一言で言うならば、寄生バチだ』
 私は、男が家への道すがら語った言葉を思い出していた。
 『勿論、ただの蜂じゃない。アレに実体はなくて、アレは実空間に存在することが出来ないんだ。ヤツは"巣"と、人間の頭の中にしか存在しない』
 アレは人の想い出に寄生するんだ、と彼は言った。
 『上手く説明出来ないが、人の想い出がアイツらに汚染されると、それがヤツらの卵とか、蛹とか、餌に変わるんだ。』
 『あの路地裏の壁に、ヤツらの巣はある。触れるとヤツらの巣穴に引き込まれて、想い出を食われる。あんな汚い壁、誰も触りたがらないだろうってのは救いだが、時間の問題だ。アレは、アレを夢に見ることでも人に寄生するらしい』
 『記憶処理で想い出を全部消してしまえば、理論上は蜂の寄生を防げる。俺の頭にはクラスC記憶処理薬がブチ込まれているはずだ』
 『俺は気が付いたらあの路地裏でこの箱を握りしめて立っていた。だからこの箱の中に必ず、あの蜂どもを駆除する方法がある』


 彼はお風呂やトイレにも例の箱を持っていく。
 食事の時は片手で器用にダイヤルを回しているが、正直に言ってやめてほしい。
 流石に、眠る時は手を止めるらしい。
 彼は箱を抱えたまま壁に背中を預けて寝る。
 彼の睡眠は浅く、短かかった。
 いつも気がつくと先に起きて、ダイヤルをいじくり回していた。


 1週間もすると彼は作業に慣れたようで、ダイヤルを回しながらぽつぽつと彼の言う『財団』とやらのことを話してくれた。
 曰く、瞬きを盗んで首を圧し折る彫像、冗談が嫌いなトマト、不死身の爬虫類。
 彼はそんなものを蒐める組織の事務員だったと、自分のことを推測している。
 彼の話は、荒唐無稽というのも馬鹿らしいほど、現実味のない話だった。
 どう聞いたって、気が触れた男の戯言か、ネットに転がっている都市伝説にしか聞こえない。
 でも少しだけ、引っかかることがある。
 例えば彼は、小煩い眼鏡をひとつ移動させるのに必要な数十枚の書類の項目を諳んじてみせた。
 妙にリアリティーのあるそれは本当に、彼が独りで考え出せるようなものだろうか?


 「ねえそれ、全部試しても開かなかったらどうするつもり?」
 うんざりするほど青く晴れた空を見ながら、私は意地悪な質問を投げかけてみた。
 「開かないかもしれない。でもそれは問題じゃないんだ。俺には番号を全部試すことしか思いつかなかった。だったら、それで問題ないようにしてある。そうしてるはずなんだ」


 あまりにも見苦しくなってきたので、私は彼の髭を剃ってやることにした。
 「髭を剃るわ」という私の宣言に、彼は抵抗しなかった。
 全部の髭を剃り終えると、なかなかどうして悪くない顔になった。
 私が彼の頬に触れると、彼は顔を顰めた。
 「やめてくれ。……恥ずかしいから」
 少し腹が立ったので、私は彼の頬をぺちりと叩いた。


 その日から、私は彼を私の布団で寝かせることにした。
 彼は嫌がったが、無理矢理布団に引きずり込んで寝かしつけた。
 何故そうしようとしたのかは分からない。
 でも、たとえそれが馬鹿でも狂人でも、ここまで何かに一生懸命になれる人を私は嫌うことが出来ないのかもしれない。


 「開いた」
 彼の簡潔な報告を聞いて、私は冷やし中華の皿を取り落とした。
 それが、私の人生で割った1枚目の皿だったと思う。
 「それで? どんなおもしろグッズが入っていたの? これだけ待たせたイタズラだもの、中身にはセンスが要るわよ?」
 私の声は震えていたけれど、彼は気付いていないようだった。
 「クラスZZX記憶処理薬だとよ。俺の知識にはないやつだ。バカみたいな名前だよな、コレ。俺は今からコイツを頭にブチ込もうと思う」
 彼が手にしていたのは、シリンジが黒と黄色に塗り分けられた小さな注射器だった。少しでも正常な感性を持っているならば、こんなものの中身を自分の血管に入れたいと思うはずがない。
 「まさかそれが、健康に良いビタミン剤だなんて思っていないわよね?」
 「思ってない。コレを打ったあと、まともに言葉を話せたら奇跡だろうな」
 「あは、ねえ、貴方の元同僚はよほど貴方の頭を可哀想なことにしたかったみたいね。転職をお勧めするわ。ここ1ヶ月ずっとダイヤルを回してましたって言って採用される職場があるのかは知らないけど」
 「クラスCじゃあ足りなかったんだ、きっと。クラスCの一時しのぎで俺を遠ざけて、外部に協力者を見つけて、ZZXクラスを打って、協力者に最低限の指示を貰ってあのクソみたいな場所へ戻る。この手順だ。ダイヤル錠は、協力者と関係を築くための時間稼ぎだ。早すぎても、遅すぎてもいけなかった」
 「なんで? なんで貴方がそんなことをしなくちゃいけないの? 財団の職員は皆、超が付くほど優秀なんじゃなかったの?」
 「ああ、皆俺なんかより優秀で、とても、とても強い責任感を持った人たちだと知っている」
 「だったら、いいじゃない。逃げましょうよ。ブラジルでもどこへでも行くわ。それで、財団の人がなんとかしてくれるのを待てばいい」
 「それで大丈夫かもしれないし、それじゃダメかもしれない。だったら、俺がやるしかない」
 彼はまっすぐに私を見て言った。思えば、この男は出会ってから初めて私と目を合わせたんじゃないだろうか。
 「だって、貴方は何も憶えていないじゃない。貴方が頑張る必要がどこにあるの?」
 「消えやしないんだ」
 「嘘よ。消えちゃったんでしょう? 貴方の想い出は、何もかも」
 「俺は最初、あの路地裏に立っていた。俺は自分の状態とか、身体をまず調べたよ。そうしたらさ、指が濡れていたんだ」
 「……それが、どうしたっていうの?」
 「ああ、舐めてみたよ」
 「…………変態?」
 「いいから聞けよ。しょっぱかった。涙の味がしたんだ」
 「俺がなんで泣いていたのかは憶えていなかった。でも涙は目頭じゃなくて、拭った手にあったんだよ」
 「涙を溜めてただ立ち尽くしていたんだったら、多分俺は逃げてよかった。でも、俺は涙を拭ったんだ」
 「消えはしないんだよ、ふざけた薬で想い出をきれいに消してしまっても。人の想いは、消せやしないんだ」
 私は彼が注射器を首にあてがうのを、止めることが出来なかった。
 「多分もう時間がないんだ、すまない。どうか俺をよろしく頼む」


 一瞬、意識が飛んでいた。
 彼は私に馬乗りになって、拳銃を私の胸に突きつけている。
 がたがたと震える指は、いつ引き金を引いてもおかしくない。
 熊でも殺せそうな形相をして、彼は私に怯えている。
 可哀想に、彼は今、目に映るすべてが怖いのだろう。
 彼の目には、大粒の涙が浮かんでいた。
 私は彼の頬にそっと手を触れる。
 生えかけの髭の感触を確かめるように、ゆっくりと頬を撫でる。
 そして私は、彼の両目から溢れる涙を拭ってあげた。
 はっとして、彼は絞り出すように声を綴る。それは、まるで産まれて初めて出すように拙い声だった。
 「おれ、は、なにを、すれば、いい……? おしえ、て、くれ」


 あれからしばらくして、私の所に財団のエージェントを名乗る人物がやってきて話を聞かせて欲しいと言われた。
 特に断る理由もなかったので、私は財団の施設で彼らのインタビューを受けている。
 「以上でインタビューを終了します。ご協力、ありがとうございました」
 白衣を着た研究者風の男がそう言って、レコーダーのスイッチを切った。
 「お疲れでしょうが、すみません、もう少しだけ……」
 白衣の男が指示をすると、1本の注射器が運ばれてくる。
 私は、それがどんな薬なのかを知っていた。
 「あら、それは何クラスのブツ? メン・イン・ブラックの光る筒みたいなのは無いの?」
 彼は少し驚いて、それから、気まずそうに目を伏せた。
 「……申し訳、ありません。これはクラスBです。貴方はこの世界のことを知りすぎてしまった」
 彼は机に手をついて頭を下げた。
 「細かい調整は出来ません。貴方はここ1ヶ月と少しの記憶をすべて失うことになります。本当に、申し訳ありません……」
 それはこの人のせいではないだろうに。あの人の同僚は本当に責任感が強く、そして優しい人たちらしかった。
 「ですが、どうか抵抗はなさらないでください。警備員が部屋の外に控えています。手荒なことはさせたくありません」
 「ええ、か弱い私じゃどうにもならないもの」
 「ご協力、感謝します」
 彼は記憶処理薬を手に取り、そして、少しためらってこう言った。
 「たとえ消えてしまうとしても、最後に何か、聞きたいことはおありですか?」
 あの人の消息は気にならない。彼が消えた路地は、ひどく暗かったのだから。
 何か聞くとしたら、これだ。
 「ひとつだけ。彼は、想いを果たせましたか?」


 「では繰り返しになりますが、聞いてください。これは最終面接とは言っていますが、貴方の内定が覆ることはまずありません。また、貴方のここでの返答の内容によって、貴方が不利益を被ることは一切ありません。我々はただ知りたいのです。貴方は過去に異常存在による事件に巻き込まれ、その際にクラスB記憶処理を受けたことがありますね?」
 「はい。」
 「では貴方は何故、今ここにいて財団の最終面接を受けているのでしょう? 記憶処理薬は貴方に正しく作用しなかったのでしょうか?」
 「いいえ、記憶処理薬に不備はなかったと思います」
 「それならば、貴方はどのようにしてヴェールの裏に隠れた世界を探り出し、財団に雇われることが出来たのでしょうか?」
 私は自分でも、その答えを知らなかった。けれど、私はそれを言葉にすることが出来た。
 「消えはしないんです」
 「え?」
 「たとえ想い出が消えても、人の想いは消せやしないんです」


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