守るもの

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「インシデントが発生した!カバーストーリーの配布を頼む!」

「了解、セベリティレベルと規模を教えて」

「レベル4!村落一帯がやられた。100人規模の死亡、重篤、精神汚染だ」

噴火、雪崩、テロリズム……今回の場合は有毒ガスが適当か。受信した地理データから地質的リスクを調べる。残念ながら既知のリスクはなく地盤も安定している。ここを即席の危険地帯に指定するには文字通り岩山に穴を開けるほどの根回しが必要だろう。仕方がない、有毒薬液を積載したタンクローリーの事故で — 確か前回この方法を用いたのは7年前のはずだ — シナリオを作ることにする。山間部への不法投棄を匂わせることで被害の大きさを社会的正義に置き換え、会社への粛清で民衆には溜飲を下げてもらおう。急ぎダミー会社の設置、役者用職員の確保、それと並行して記事ソース配布のルートと謝罪会見用の原稿を作らなくては。ディスプレイに表示される財団保有の企業と記者団のリストを見比べながら忙しなくキーボードを叩く。こんな陰惨な現実を一般市民に知られてはいけない。一刻も早く社会を護るヴェールを張るのが今の私の使命だ。


慌ただしさの続くオフィスで、諏住すすみはようやく大きな伸びをした。ディスプレイから目を離したのは6時間ぶりだ。フィールドエージェント達の帰投連絡はまだ受けていない。彼らは今も怪異の真っ只中にいるのだろう。顔馴染みの彼らに被害がでていないと良いが……そう心配ばかりしていると身が保たないのがこの仕事だ。気持ちを切り替えコーヒーを取りに立ち上がる。足に少しの痺れがあったが、血の巡りを感じて心地良い。ふと気になり、立ったままPCを操り前回爆発炎上させたタンクローリーの記事を探す。……9年前。

「そっか、もうそんなに経っていたか」

独りごちて再び顔を上げた目線には、過ぎし日の光景がありありと浮かんでいた。


エージェント・諏住が初めて大規模インシデントに遭遇した時、そこは既に死体の山だった。霊的実体とされるオブジェクトが突如現れ、ほんの数分散歩をしただけで一帯は地獄に変わった。周辺のエージェントが結集し事態の把握と報告を始める。雷に打たれたかのように帯電しながら爆ぜ散った死体、半身を焼かれのたうつ女、恐慌をきたしパニックに陥る群衆。駆けつけた諏住はその景色に奇妙な既視感があった。そして激しく嘔吐した。

現場にて用無しと判断された彼女は周辺封鎖の任務に割り振られたが、その後目覚ましい活躍を見せた。爆発性溶液を搭載した作業車の事故というカバーストーリーの立案と実施、そして遺族へのケア。それらを一手に引き受け、若手ながらに成功裏に収束させたのだ。

9年前のあの日から、諏住は後方支援としてエージェントを助けることが多くなった。


『佐上化学運送幹部一斉退任。不法投棄への関与は否定』『遺族補償裁判、遺族側の全面勝訴。会社資産の売却へ』

連日の報道も落ち着いてきた頃、諏住は査問会への出頭を命じられた。そりゃあそうだろう。湯水の如く財団資源をばら撒いた。そう自嘲しながらも、視線を落とすことなく襟を正し会議室のドアを開く。

「これよりインシデント████-█における財団資源の適用範囲妥当性審査を行う。まずは概要を述べたまえ、エージェント・諏住」

「インシデント████-█の事後処理のため、およそ1.3億$の財団資源を消費しました。該当地域封鎖と周辺警護に2,321万$、現地調査と後遺症調査に1,896万$、隠蔽工作の実施に323万$、遺族補償に6,879万$です。」

「エージェント・諏住に問います。我々の使命のため、この資源の消費は妥当であったと断言できますか?」

「もちろんです、管理官殿。一般市民が異常に翻弄されることなく日常を生きるために消費すべき資源であったと断言します」

「だからといって、ダミー会社から遺族に金を渡してさて解決、というのは些か思慮が浅いように思えるがね?」

「いいえ、査問長官殿。これは投資です。憎むべき相手と確かな地盤があればこそ人は戦えます。ただ生きることと自らの人生のために戦い抜くことは大きな違いがある。それは自らに意志があるかどうかです。彼らがいずれ異常と出会った時、それを異常だと言えるためには彼ら自身の正常が必要です。正常を纏う意志、それこそ我々が護るべきものではないですか?ただ社会を維持したいだけならばSCP-████でも世に放てば良い」

「最後の言葉には反抗心が伺えますが」

「謹んで取り下げさせていただきます、管理官殿」

諏住は、掘れば掘るだけ余罪が出てくる。今回は少しばかり規模が大きく、少しばかり目立つ行動をとってしまった。いつもならもっと上手く隠蔽 — いや、粉飾と言おうか — するのだが、9年前の出来事を思い出しつい熱くなってしまったようだ。それらを突かれると大層面倒臭いのだが、知ってか知らずか査問会は実に形式張ったまま進み、諏住への3ヶ月の減俸処分という形で落ち着いた。見せ締めと牽制なことはお互い承知の上、処分通知書にサインをしてその日は終わりを迎えた。


諏住には余罪の他にもいくつか秘密がある。そのひとつが記憶処理剤が効きにくい体質ということだ。元々の記憶力はあまりよくないのだが、失えない記憶と意志がある。9年前の出来事も、その時に感じた既視感も。


既視感の源は、諏住がまだ世界の真実を知る前、10歳の少女だった頃まで遡る。その日諏住の視界は両親から流れ出る血の赤で覆われ、地平線まで続きそうな死体の列の中にいた。まだ息をしていたのはただの運でしかなかった。彼女は見てしまった。手を下すまでもなく念じるだけで人を噛みちぎる異形の存在を。この世ならざるものを。しばらく後、現場保持のため現着した財団職員により諏住を含む数少ない生き残りは保護され避難キャンプにて記憶処理を受けたが、彼女はその体質故に強烈な記憶が消えることはなかった。この世には異常なものが存在し、それが人間社会を脅かしている。その事実は天涯孤独となった少女が受け止めるにはあまりに大きすぎた。見てはいけないものがこの世にはあった。全てを奪われる。私たちはただ怯えて生きるだけ。そんなことがあっていいはずが。どうしてこんな目に。何が正しいの。世界が、現実が、常識が崩れていく。

急激に崩壊する彼女をなんとか現世に繋ぎ止めたのは、意外にも、避難キャンプに現れた”責任者の男”だった。汗を流しながらひたすら低姿勢に頭を下げ続ける冴えない男。弊社の落ち度で大規模な事故を起こしてしまい……確かそんな事を言っていたと思う。人々がその男に怒声を浴びせる中、諏住は自分の体の中で壊れた世界と現実と常識、そして鮮烈に残る異常が轟々と渦巻いていることに気がついた。

目の前のただの人間があの異形とは無関係であることは自明だ。無関係なのに何故謝る?……この人は、ここで働いている人たちは知っているんだ。あれは現実だったと。現実の中に異常があるということを。それを隠そうとしている?……いや、護ろうとしている。私たちにあるべき世界へ帰れと促してくれている。異常と正常を隔てるため……戦っている。

幼い少女の中でバラバラになったパーツは歪に絡み合い、それは闘争の火を灯すトーチになった。異常が何か、その目的が何かはわからない。だが私の正常はそれに対抗して戦う。彼女にとって、異常なものを異常だと言えることがこの不幸に打ち勝つ唯一の術だと認識したのだ。そのために私は信じよう。ここが私の地盤だ。私の信じた正しさを守ろう。

この正常が、最後の瞬間に身を挺して私を守った両親の生きた世界だから。


それから数年の月日が過ぎ血の滲むような努力を積んだ諏住は今、重いドアを開いた。財団の登用試験。ここに至るまでの道のりが彼女の背筋を伸ばさせた。

この人間は財団勤務に値するのか、右腕に付けられた精神電流反射計と無機質なドア以上に冷たい値踏みの視線を受けながらもその瞳に揺らぎはなく、滔々と自らの優秀を伝えていた。ただ一度、「いかにして職務を全うし、いかに死ぬか」という問いに対してのみ一度目を伏せて少し逡巡した後、透き通る声でこう答えた。

「本当のところは、私は自分にしかできないことしかしたくありません。ただ、自分にしかできないことは完璧にしておきたいと考えています。私にはやらなくてはならないことがあって、それは、どう思われるとか、どういう名義であるとか、そういったことにまで気を使って手に入るほど生易しいものではありません」

与えられた任務には全力を持ってあたるが、と前置きをしてから諏住は本心を吐露し始めた。仮面をかぶっていてもどうせいつかはばれる。ここで弾かれるなら、それまでだ。独白は続く。

「それは恐らく誰もが持っているものでしょう。皆と同じように、私もしなければいけないことをしようとしているだけです。そもそもそんな大層なことでもなく、ごくごく普通なことです。それに七割方の力を割いている、自分がまだ未熟なだけです」

一度溢れ出した感情は止まるところを知らない。

「私は正しくありたい。これがなければ自分が自分でなくなってしまうというような、人やもののために本当に何かできたとき、初めて私は正常の中にいると実感できるんだと思います。そのためなら死んでも構わない」

死ぬ。その言葉を自らの喉から発し、諏住はここを目指したその一歩目を思い出した。無機質な視線たちが続きを促す。

「……人は死にます。私の両親は、あの時死ぬべき人ではなかったし、ましてやあんなに酷たらしく、何の救いもなく死ぬ必要など全くなかった。あの人達が本当に好きだった。憎しみや悲しみは抑えきれないほどです。それでも、人は死ぬ。悲しいだとか残酷だとかは結果に過ぎません」

脳裏に焼き付いた光景、壊れてしまった常識、そして声にやどった湿度を振り切り、宣言する。

「ならばせめて、彼らには正常の中で死んでほしい。正常の中で生き、正常の中で死ねる世界のために私の全てを使うことを誓います」


……あの試験の時、諏住を審査していたうちの一人は現在彼女が勤務するサイトの管理官を務めており、ある年の誕生日に職員同士でささやかなパーティーを行なっている諏住のところへひょっこりと現れ、プレゼントと称して小型レコーダーを残していった。怪訝に思いながらもレコーダーを再生したところ、今よりも幾分青い声の所信表明が大音量でパーティー会場に響き渡り、しかもご丁寧に最後まで再生しないと停止できない処理がされていたせいで誕生日の主役は床を転がり続けることになった。

今そのレコーダーは私室のロッカーに3重のセキュリティを施され厳重に封印されているが、彼女が想像していたよりも広く複雑で混迷を極めている世界に対して挫けそうになる心をどこかで支えている。あの日の誓いを胸に、自らの意志の槍を掴み、諏住は今日も職務を全うせんと奮闘している。

ありがとう、あの時の名も知らぬ財団職員。あなたの嘘が私に前を向かせてくれた。そして私は今その嘘の向こう側にいます。あなたに救われた誰かが、私の救った誰かが、また次の誰かを救いますよう。あとは私をこの戦いに巻き込んだ財団にちょっとの仕返しを。いいじゃない4億$くらいね。


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  1. portal:8288587 (04 Oct 2022 16:19)
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