退職届

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「うちはジャック・ブライトお断りになったんです。もう来ないでください。」

サイト内のカフェで、ブライトは舌打ちした。別に、馬鹿げた事件を起こした訳でも、敷居の高い高級レストランに白衣で乗り込んでいる訳でもない。ただ単純に、サイト内の人間に少しばかり嫌われているせいで出入り禁止となっている。ブライトは返事もせずに、カフェのカウンターを後にした。

彼は近しい人間、特に職務で深く関わっている人間とはよく飲みに行くし、決して交友を広げようとしない訳ではない。しかしそれ以外の人間からは一種の忌避感を抱かれている。先行するイメージが「不死身」な「アノマリー」で、初対面での印象が「無礼」かつ「粗雑」だからだ。彼自身もそのことは理解していたが、それで遠ざかる人間とはどうせ仲良くなれまいと割り切っていた。そうして、職員の入れ替わりが起こる度に飲み仲間が減っていっていることに気が付いたのが先日のことである。

そんな訳で、彼はカフェのテーブル席で他の職員に囲まれている新人職員を少し妬ましく思った。30代くらいの新人職員は、ブライトの嫌いな爽やかかつ大げさな愛想笑いを浮かべ、彼が飲めなかったコーヒーを堪能しながら周囲の質問に答えていた。そのコーヒーの匂いが、ブライトの好みと同じだったことも嫉妬に拍車をかけた。

「前職が自営業っていうのは珍しいね。どうやって財団に?」

「大学時代の友人が職員でしてね。彼を通してスカウトされたんです。」

ブライトは頭の中で、「自営業! 道理で愛想笑いが上手い訳だ」と貶す。ブライトはわざと新人の座る椅子の横を通り、名札をチェックした。『イライアス・ショー』という名前を覚えたブライトは、果たしてこの新人がいつまで持つかと密かにほくそ笑んだ。
 


 
3ヶ月後。ブライトはデスクで腕を組んだり解いたりしながら、目の前の人事査定書類を苦々しげに眺めていた。イライアス・ショーはまだ財団で働いている。それどころか、他の職員と比べてもかなり優秀な働きを見せている。
 
この気に食わない新人の人事査定をどうするべきか決めかねて、ブライトはエスプレッソマシーンで淹れたアイスコーヒーをぐっとあおる。満足には足りない味だったが、彼は頭の中でさえその味に不満を言うのを避けた。サイトのカフェにすら行けない自分が尚更惨めに思えてしまいそうだったからだ。
 
ブライトも、どうにか出入り禁止を掻い潜れないものかと試してはみた。しかし、名札と首飾りを隠しても、中年のダンディーなDクラスの身体に乗り移ってみても、どういう訳かバレてしまう。自身の振る舞いのせいであると理解しても、彼は自身を変えようとは思わなかったし、変えられるとも思わなかった。人事局長という権力によってカフェに圧力をかけることは可能かもしれないが、そんなことをすれば評判がさらに悪化することは自明だった。

彼は改めて書類上の男について考える。バイオテクノロジーの専門家。分野はブライトと共通している。財団入職後の実績は、この道の第一人者を自負しているブライトの目から見ても立派なものだ。周囲からの評価も高く、ケチの付けようがない。年齢、経験共に十分で、昇進を却下できるだけの理由は存在しなかった。頭がそれを理解するにつれ、彼は書類をコーヒーにぶち込んでしまいたい衝動に駆られる。

ブライトは手を額にやってみたり書類を裏返してみたり、悶々としながら暫く考えていた。最終的に彼が昇進への認可印を押したのは、氷が溶けて更に不味くなったコーヒーを啜った時だった。
 


 
 
「クソ! 最悪だ!」

6ヶ月後。ティーンエージャーの身体で、ブライトは頭を抱えた。イライアス・ショーは着々と実績を積み重ねていた。ショーが自分と同レベルの職務遂行能力を有していることは、ブライト自身がよく理解していた。

それでいて、人望はブライトとは比にならない。部下をギャンブルに誘ったりもしないし、自分の能力をひけらかしたり、鼻に掛けたりもしない。ブライトは彼のことを「優等生」と心の中で嗤っていたが、実際に多くの人間から評価を受けている姿を見ると、それも出来なくなってしまった。多くの人に好かれるのは結局自分とは違う「優等生」なのだと、彼は身をもって体感することになった。

ブライトが危惧していたのは、彼自身への評価の失墜に他ならない。ブライトは「963」と首飾りの番号で呼ばれようが、「アノマリー」と呼ばれようが、そんな輩は実力と実績で黙らせてきたし、もう彼をそんなふうに呼ぶ者はいなくなっていた。粗雑な振る舞いも、他の人間では替えが利かないだけの能力が認められていたからこそ許されていた。そんな今までの生活をぶち壊しにしかねないのが、かの優秀な新人の存在だった。専門分野が一致しているせいで、ブライトとショーとは単純に比較されてしまう。その時、自分のことを周囲は一層煙たがるであろうことを、ブライトは理解していた。

ブライトはサイト外のコーヒーショップでテイクアウトしたコーヒーを啜り、ため息をついた。このままではいけないことを理解できたとしても、自分を変えるということは容易ではない。ブライトほど長く生きてきた者にとっては尚更だ。

「良い子ちゃんになる? 俺が? どれだけの間こうして生きてきたと思ってる……」

ブライトは自嘲的に独りごつ。最近は研究よりも人事の仕事ばかりをこなしており、それも彼のストレスを増大させる要因の一つだった。彼は飲み干してしまった紙カップをくしゃりと握ってゴミ箱に捨てて、目の前の書類から逃避するためもう一度コーヒーを買いに行こうと画策した。

ちょうどそんな時に、彼のオフィスの扉がノックされた。ブライトが返事をしてすぐに扉を開いたのは、イライアス・ショーその人だった。その両手にはサイト内のカフェでテイクアウトしたらしいコーヒーの紙カップが握られていた。

「こんばんはブライト局長。コーヒーはいかが?」

ショーは爽やかに笑う。彼が来訪するのは初めてで、ブライトは突然のことに動揺していたが、それを表に出さぬよう努めた。

「……いただこう。用件は?」

「用件、と言うと大袈裟なんですが……お悩みでしょう? 私のことで。」

ショーは底意地の悪そうな笑みを浮かべ、ブライトをぞっとさせた。彼は手に持っていた紙カップをブライトのデスクの上に置き、ソファに足を組んで無作法に座った。

「君、いつもと随分態度が違うじゃないか。」

「ジャック・ブライトならこう座るだろ? お前だって今足を組んでる。違うか?」

ブライトは突然豹変したショーに驚き、思わず組んでいた足を直した。背筋を伸ばして睨むブライトとは対照的に、ショーはゆったりとソファのひじ掛けを掴む。

「まあ、せっかく持ってきたんだからコーヒーを飲んでくれよ。ブレンドもあんたの好みの筈だ。」

「何のためにここに来たんだ?」

「コーヒーは飲んでくれないのか? ……まあいい。何のためかと言うなら……あんたのためさ。ジャック・ブライト。」

ショーは自分のコーヒーを啜りながら、ソファの背もたれに身体を倒した。ブライトはもう混乱を隠せなくなっていた。

「俺? 君に助けられる必要は……」

「今回の件で分かっただろう。年を経るごとにあんたは生きにくくなっていってる。『有能かつ良い子ちゃんなイライアス・ショーの襲来』はあくまでもそれを加速させただけさ。」

ブライトはそこでようやく、目の前に座る男の正体を理解した。全身から力が抜けるような心地で、その名前を呼ぶ。

「お前もジャック・ブライト?」

「その通り。お前のコピー。10年前に乗り移った身体だ。暫く民間に潜伏してたが、知見を得てな。お前のために戻ってきてやった。」

ショーの身体のことをブライトは覚えていなかったが、その口ぶりから中身が自分であることを確信した。何より、これまでのショーの活躍がそれを裏付けていた。

「道理で優秀な訳だ……待てよ。じゃあお前は、俺に『変われ』と言いに来たのか? 周りの評判のために、自分を変えていい子ちゃんのショーになれと?」

ショーはすぐにこれを否定した。

「それは違う。俺がこうなって理解したのは、自分を大きく変える必要なんて無いってことだ。言葉遣いとか、態度をちょっと弄ってやるだけで、皆騙される。自分ですらな。でも、あんたは今俺がジャック・ブライトだって確信できてるだろ? 俺自体は変わっちゃいないんだ。精神の上っ面を少し誤魔化してるだけなのさ。」

ショーはそこまで言ってコーヒーを飲み干し、満足気に息を吐いた。落ち着いてきたブライトも自分のコーヒーに手を付けた。彼にとって、ここ数ヶ月で一番のコーヒーだった。

「理解したか? つまり俺が言いたいのはな、『ジャック・ブライト』でいるのがしんどくなったら、あんたはいつでも『イライアス・ショー』になれるってことだ。」

「どう考えたってイライアス・ショーの方がいい。」

「そうとも限らない。ブライトを好きになる人間が、良い子ちゃんのことを好きになるとは限らないからな。あんたも俺のことは好きじゃなかったろ。」

肯定を示す必要が無いことに気付いて、ブライトはコーヒーを啜った。ショーは一仕事終えたように伸びをして立ち上がる。

「じゃあな、ジャック・ブライト人事局長。幸運を祈る。」

「じゃあな、イライアス・ショー研究主任。幸運を祈る。」

ショーは自分の飲んだコーヒーカップすら片付けずに行ってしまった。ブライトは呆れたように鼻から息を吐き、ショーの紙カップを手に取る。中を覗いたブライトは、そこに入っていた物に驚きもしなかった。

「俺ならそうすると思ったよ。」

ブライトはカップの中に丸めて入れられていたコーヒーまみれの退職届を取り出し、その右上へ受理印を押した。


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