滑稽噺:代脈

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最近は入ってくる弟弟子の傾向がどんどん変わってましてね、大学の落語研究会からこの世界に憧れて、就職する代わりに入門してくるっちゅう、大卒の人が多くなりました。将来有望だったはずの若者がこんな業界に吸い込まれている訳です。そういう弟子を何人もとってるもんですから、そろそろうちの師匠は日本国に対する罪か何かでしょっぴかれるんじゃねえかなんて思うんですがね。まだ繰り上がりのチャンスは回ってきてません。

見ての通り私は上背が無いもんですんで、兄弟子としての威厳は欠けてるかもわかりません。背丈が足りないと一番困るのは子どもの時分ですね。子どものけんかっちゅうのは醜いもので、攻撃方法がぶつ、ひっつかむ、体重をかけるという何でもありの総合格闘技なもんですから、背丈と体重が大事になってきます。まあ、総合格闘技にはひっかきとかつねりが無いそうですから、もしかすると子どものけんかの方が上かも分かりません。

子どもっちゅうのはけんかをしてもすぐに忘れる物で、一遍怒って口をきかんと決めても一晩寝たら忘れるくらいです。うちの師匠は口をきこうと思って弟子を部屋に呼んで、言おうとしてた内容を忘れたって言うて部屋から追い出してしまうんです。やはりまあ、あの人よりは子どもの記憶力の方が上なんでしょうね。

全体的に大卒の人が増えてるそうで、色々な職業で大卒である事が大事になっているそうですね。同じ仕事をしてるのに大卒と高卒でお給料が変わってしまうとか。私も今から放送大学に入って卒業するからギャラを増やしてもらえやしませんかと事務所の方に相談したんですが、どうやら駄目らしいです。私の頭じゃ放送大学は厳しいそうで。

世の中には、勉強をしないと絶対になれない職業がありますね、お医者さんなんてのはその典型。医学部で何年も勉強して、国家試験を受けてやっとなれる大変な職業です。ところが昔はそうではなくて、我々同様弟子入りをして修行をして、それで師匠に認められたらお医者さんだったんです。資格はありませんから、名乗ってしまえば患者さんには藪医者との見分けがつきません。当然、藪医者も横行しまして、よく分からないのに診察のような事をして、よく分からないままよく分からない薬を出すのが藪医者の仕事でした。

「先生、わし昨日から熱があるみたいで、喉が痛いんです。」

「それは……正常じゃあないねえ。薬を出しますよ、薬を……何味の薬が宜しい?」

「薬に味の違いがあるんですか。ならまあ、甘い薬を頂きたいもんですけども。それで、薬はいつ飲むんです。食前ですか、食後ですか。」

「いつ? くだらない事を聞かんでも宜しい。んな事に拘らずにいつ飲んだっていいんだ。」

「はあ、気楽でいいですね。それで、病名は何でっしゃろな。」

「病名? くだらない事を聞かんでも宜しい。この薬を飲めばもう大丈夫やさかいに。」

「そうですか、ありがとうございました。」

「……まったく、どうしてうちには病名の分からない奴ばかり来るんだろうなあ。仕事が増えてしょうがねえ。」

なんてえ適当な事を言う藪医者もおります。
 
まあ、しっかりとした先生もおりまして、そういうお医者さんの所には弟子がつきます。あるお屋敷で先生が弟子の銀杏さんを手え叩きながら呼び出します。
 
──────
 
「銀杏。これ、銀杏。おい、銀杏!」

「ふああ、へい、いかがされました。」

「ふああやあらへん。三回呼ぶまで出てこないとは、さてはお前寝ておったな。」

「いえいえ、二回目までは無視してたんで。」

「おいおい。そろそろお前にも経験を積ませたらなあかんからな、今日はわしの代わりに診察に、「代脈」に遣わそうと思てるんや。」

「へえ、ついにですか。どこの患者にやってくれるんですか。」

「四丁目の小島屋さんのお嬢さんとこだ。別に大きな病気ではないんだけれどもな、大事な一人娘だってんで、一週間に一遍診察を頼まれてる。」

「へえ、あの美人で有名な! 分かりました! じゃあ急いで走って参ります!」

「おいおいおい。医者が急いで走ってきちゃあ向こうが怖がるだろう。駕籠かき二人に話は通してあるから、お前は駕籠に乗ってお屋敷に行きなさい。」

「駕籠に乗って行くんですね! じゃあ行って参ります!」

「まあ待て。伊勢屋さんは大きなお家だからな、作法をしくじっては、「あの先生は信用できない」ってんでもう呼ばれなくなってしまう。伊勢屋さんに着いたらまず番頭さんに挨拶をしなくちゃあいけない。これはまあ、籠かきの喜六か太吉がやってくれる。お前は「医者です」っちゅう顔をして、「若先生座敷にどうぞ」と言われたら一礼をして座敷に通して貰いなさい。」

「その若先生っちゅうのは?」

「若先生。二人医者がおるから、大先生と若先生と分ける。わたし大先生、あなた若先生。」

「わたし若先生! 嬉しいですねえ。そんな事言われたらわし泣いてしまうかも分からへん。」

「そんな所で泣くんじゃないよ。今のうちに泣いておいた方がええかも知らんな。座布団に座らせて頂いたらお茶とお茶菓子が出る。まあこの時期なら羊羹が出るな。」

「お茶と羊羹! 結構な事でございますね、じゃあすぐにお口の中へ。」

「おいおいおい。そんなにがっついてはいけない。まずはお茶を頂いて、そのお茶を褒める。そしてその後、羊羹にすぐに手を出してはいけない。」

「手を出してはいけない。口だけ出してかぶりつくんですか。」

「食べたらあかんっちゅう事や。すぐに食べると、「この先生は余裕の無い人だ」と思われてしまう。だからすぐには食べずに、向こうから「若先生、羊羹をどうぞ」と言われてから九切れのうち一切れだけ食べなさい。」

「一切れだけ! そ、それ、それじゃあ、残りの、残りの八切れは、残りの八切れはどこへ。」

「羊羹でそんなに動揺してどうする。「この八切れは駕籠かき二人へのお土産とさせていただきたい」と言えば、家の方が包んでくれる。」

「駕籠かきへのお土産! あの二人に! 嫌です!」

「嫌っちゅう奴があるか。まあそんなら、家の方にはそう言っておいて、帰ってから自分で食べればよい。」

「へえ、じゃあそう言って羊羹包んでもらって帰ればいいっちゅう事ですね。」

「診察をせずに帰ってどうする。その後はお嬢さんの寝室に通して貰って、軽い挨拶をしてからまず脈を取る。脈が取れたら……」

「へえ、脈が取れない事があるんですか。」

「脈が取れなかったら死んでるちゅう事になるがな。脈を取るのもまあ、安心させるための儀礼みたいなもんと思いなさい。脈が取れたら触診に入ってお腹の辺りの具合を調べる。それで異常が無ければ、「異常はありませんからご安心ください」と言うて帰りなさい。」

「へえ、簡単なもんなんですね。」

「まあ、大きな病気ではないからな。ご本人やご家族に安心してもらうための診察なんだ。ただしな、お嬢さんのお腹の右の辺りにしこりがある。これはあまり押してはいけない。」

「へえ、どうしてです。」

「いや、私も一遍診察の時に強く押しすぎてしまって、その……おならが出た。」

「おなら! へえ、あんな美人でもおならをするもんなんですねえ。押してみよ!」

「これ。おならの音を聞かれたと思たらお嬢さん恥ずかしがって、「あの先生はもう勘弁していただきたい」と医者を変えられてしまうやろ。」

「そうは言いますけどもね、じゃあ先生はどうしたんです。」

「私はな、その後「異常はありませんからご安心ください」とお嬢さんにだけ言うて、暫く床の間の掛け軸を見ていた。お嬢さんの顔は真っ赤だったな。そうしているとふすまの向こうから家の方が「先生、お手を洗いますか」と訊いてくる。少しの間聞こえていないふりをしてから、三回くらい訊かれたところでやっと「何でございましょう。私もこの頃年の加減で耳が聞こえなくなっておりまして、御用の際は大きな声でお呼びいただきたい!」と言ったらお嬢さんは安心された。」

「なるほど、耄碌もうろくしてるからおならの事は忘れるやろと思われたんですね。」

「分からん奴やなお前は。耳が遠くなっているから、おならの音も聞こえていないだろうと思われたんや。まあどうせお前にはそういうとんちが回らへんから、お嬢さんのお腹の右の辺りのしこりを強く押してはいけない。分かったな。」

「へえ、分かりました。」

ってえと銀杏は先生の着物を着せられて、「似合うてる似合うてる」なんておだてられながら籠に乗り込んで大はしゃぎです。籠かきの喜六さんと太吉さんは銀杏には聞こえない声で話し合います。

「見たか太吉。先生の着物がぶかぶかやであれ。あんなもんを若先生と呼ばなあかんのか。」

「せやなあ。あんなもん「若先生」やのうて「馬鹿先生」て呼ばれるくらいのもんやで。」

二人は仕方なく駕籠を持ち上げまして、小島屋の屋敷に向こて駕籠を運びます。それでも中の銀杏には不満がありました。

「なあ喜六、喜六、いつも先生を運ぶ時には「へい!」「おう!」「へい!」「おう!」って叫んどるがな、今日はどうして叫ばんの。」

「あれはな、大きな声を出して、「お医者様が乗ってます。早く着かなければいけませんから、申し訳ないけど道を空けてください」と周りに伝えとるんや。お前が早く着いたかて向こうが迷惑するだけやで。」

「ならええよ。自分で叫ぶから……へい!おう!へい!……おう!へいへいおう!おうへい!」

「調子が狂うからやめろ! 足がもつれてくるがなヘタクソ。」

「ハクション! なあ、埃が舞ってるよ。わしは埃とか花粉とか獣の毛とか、そういうのがあるとくしゃみが出てくるんだよ。」

「そりゃ、横に垂れてるござを開けてきょろきょろしとるからや。閉じて中で大人しくしてろ!」

「皆さあん! 私、若先生です!」

「叫ぶな鬱陶しい!」

そんな事を言うてますと駕籠が小島屋のお屋敷に着きまして、喜六さんが番頭さんに挨拶を済ませて、銀杏は「若先生どうぞ」と言われて座敷の座布団に落ち着きます。

「そうや、この後お茶と羊羹が出るがな」なんて思いながら銀杏が待っていますと、家の方がお盆を持ってきます。

「粗茶ですがどうぞ。」

「ああ、粗茶は大好きです。頂きます……」

ズズズと飲んで、

「いやあ、やっぱり粗茶はいいですね。この粗茶は本当に美味しい。日本一の粗茶ですな!」

「左様でございますか。羊羹はいかがで。」

「いえ、まだ食べられません!「若先生、羊羹をどうぞ」と言って頂けない限り、私は食べられません!」

「はあ。若先生、羊羹をどうぞ」

「いただきます!」

裏では皆「とんでもない先生が来てしもた」と思てるんですが、銀杏にはそれが分かりません。銀杏、羊羹を一切れ食べて八切れ土産にせいと言われてるのに、何も考えずに食べてしまって、殆ど食べてしまってからようやく思い出します。

「この一切れは駕籠かき二人へのお土産とさせていただきたい!」

「お二人ですので一切れをさらに二切れに分けましょうか。」

銀杏、それでもまだしくじったと思ってないから凄い男です。お嬢さんの寝室に通されまして、

「こんにちは。本日は大先生が急患の対応をしているので、若先生が代脈に参りました!」

玄関先で喜六さんが言ったのを半端に真似したもんですからかなりおかしな事になってしまいました。銀杏はまずお嬢さんの脈を取りまして、

「安心してください、脈はあります! 生きてます!」

なんて阿呆な事を申します。それから触診に移りまして、お嬢さんのお腹の右の辺りにしこりを見つけました。さすがの銀杏でも、これを押したらあかんっちゅう事は覚えてましたので軽く触る程度にしました。ところが、お腹の左の辺りにもしこりができているのを見つけたんですね。銀杏、これは押したらなあかんのやなと思てぐっと押しますと、お嬢さんの身体が一気に毛深くなってきて、お嬢さんの顔からは狐のようなひげが生えてきます。

銀杏、驚いて「化け狐じゃねえか!」って叫びそうになったんですが落ち着いて、化け狐の同じ辺りのしこりをもう一度押してやりますと、化け狐が膨らんでまたお嬢さんの形に戻りました。お嬢さん、びっくりした顔で銀杏の方を見ています。銀杏、先生の言葉を思い出しまして慌てて、

「大変申し訳ありませんが、私もこの頃年の加減で目が見えなくなっておりまして、御用の際は大きな声でお呼びいただきたい!」

と訳の分からない事をふすまの向こうに向かって口走ります。

「はあ、大先生は耳が聞こえなくなってきたと仰ってましたが、若先生はまだお若いのに目がお見えになりませんか。お医者様は大変でございますねえ。触診が終わったら手をお洗いになりますか。」

「ああちょうど良かった! 獣の毛があるとくしゃみが出てしまうもんで!」
 
『代脈』
演者:海柳亭朱炉
2022年8月2日 大須演芸場にて

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