雨降る聖夜の追想

現在このページの批評は中断しています。

評価: 0+x
blank.png

財団に保護された子どもというのは、大抵嫌な目に遭っているもの。財団内でそういった子どもに相対する時は、皆その子の資料を閲覧して、触れない方が良い話題を調べておき、同情的に接する。

当時13歳だった「彼」には、そういった職員達の態度がどこか受け入れられなかった。理由は彼自身にも分からない。一方で、他の子ども達が職員達のそういった配慮によって安らぎを得ている事も知っていたので、文句は言わなかった。しかしそれでも、彼が周囲の子とは少し違った心境である事は職員達にも伝わってしまい、「大人が嫌いになってしまった子」という風にみなされていた。彼にとって財団保護下の生活はこれ以上なく安全で、しかし決して心が満たされる事の無い生活だった。彼が「先生」と名乗る大人たちに求めていたのは、少なくとも同情ではなかった。

12月24日の昼。普段保護施設に来ない職員達も数人やってきて、簡易なクリスマス会が行われた。共有ルームのクリスマスツリーには、名札付きの大きな靴下がたくさん吊るされていた。中には、子どもたちが欲しい物を書いたメモが入っていた。彼はそのツリーの辺りでミニゲームをして遊ぶ子ども達と職員達の輪に入る気にはなれなかった。職員は皆、やはり片手に子ども達の資料を持っていた。彼はする事もなく、隅のテーブルで紙コップのオレンジジュースをちびちびと飲みながらぼんやり過ごしていた。外では雨が降っていて、彼には逃げ場が無かった。

彼が何となくクリスマスツリーの辺りを観察していると、その中でも浮いた職員が目に留まった。20代後半くらいの、背の高い男性職員。大ざっぱに整えられた髪のせいか、剃り残した髭のせいか、子ども達には少し避けられているようだった。そして職員自身も、子供に愛想良く接する事には慣れていないようだった。

彼がその職員を遠巻きに眺めていると、その職員は何を思ったか彼の方にやってきた。彼は見ていたのがバレたと思って動揺したが、職員の意図は違ったようだった。

「そのジュース分けて貰える。」

職員の言い方が雑なのに驚いたが、彼は頷いて、ペットボトルのオレンジジュースを紙コップに注いで渡した。

「いや、有難う。」

職員は一気に半分くらい飲んでから、紙コップを置いて右手の資料をぺらぺらとめくり始めた。ああ、この大人も他と同じかと彼は密かに落胆した。しかし、職員はあるところで手を止めたかと思うと、急に資料を閉じて脇に置いてしまった。

「君、名前は。」

「それに載ってませんでしたか?」

「いや。めくるのが面倒なんでやめた。」

その職員は剃り残しの髭を左手で引っこ抜きながらそう言った。彼はなんだか悪い気がしなかった。

それから、彼と職員は色々話した。名前、食べ物の好み、漫画の好み、映画の好み。橘と名乗ったその博士は、彼が「雨に唄えば」が好きだと言うと噴き出した。

「おいおい。そんな昔の映画を見せられてるのか、君達は……。でも、確かに良い映画だ。私も、傘を差さずに踊るシーンは子どもの頃真似したよ。それならな……」

橘博士は、13歳には分かりもしない演出論を持ち出しながら、息継ぎをする間もないくらいの勢いでお勧めの映画について語った。内容自体は彼にとって難しすぎたけれども、語り方が熱心だったからついつい聞き入ってしまっていた。

「博士は何の研究をしてるんですか。映画ですか。」

「何の研究、というのは難しいな。私は民俗学やら地理学やら芸術学やら……まあ、雑多にやってるんだ。自分が楽しいと思える事を探求してる。映画のような娯楽にはその地域の歴史や情勢、文化が現れる。音楽を例に取ってみようか。アフリカにはトーキングドラムという物が……」

その話が始まってからクリスマス会が終わるまで、2人はずっと話をしていた。けれど、クリスマス会が終わって橘博士が去っても、彼は寂しいとは思わなかった。

彼はその晩から図書室やパソコン室に通い、博士の言っていた事を調べ始めた。粗方調べ終わったら、そこから枝分かれした先の知識も求め始めた。しかし彼の知的探求はまだ拙すぎ、途中でどうしても壁にぶち当たる。そんな時に、今まで感じた事の無い寂しさを感じるのだった。何も新しい情報を吸収できていない時、橘博士の背中がどんどん離れていくような気がした。「どうやって調べるのか」を説明してくれる大人は保護施設の中には1人もいなかったし、それに興味を持つ仲間もいなかった。

翌年のクリスマス会。彼は夜も眠れないほど高揚しながら12月24日を迎えた。けれども、橘博士はそこに現れなかった。橘博士のような職員も、やはり来なかった。

来年のクリスマス会にも橘博士は来なかった。その来年にも。異動か何かの理由で博士は二度とここに来ないのだろうと理解して、彼は待つ事を諦めた。

そしてそのまま彼は、博士に会わないまま財団の保護施設を出る事になった。

────────────

「君ね、そんな事できる訳ないだろう。」

財団に就職して、彼は自分の見通しが甘かった事を知った。橘博士が勤務しているサイトに配属して貰おうなどという試みは、あまりにも軽薄だった。人事部門の眼鏡をかけた男性は、面談中にも関わらず呆れたような顔をしていた。

「我々人事は、その研究室に必要な人材を送る。もしくは、研究室が送ってくれと言ってきた人材を送る。君の希望よりも、能力を優先するんだ。分かってるだろう。」

彼は結局、橘博士のいないサイトに配属された。もちろん、彼にとってそのサイトの居心地は保護施設よりは格別に良い物だった。けれど、あの日のクリスマスに体験した楽しさは戻ってこなかった。全ての時間を費やして研究助手という立場を得られるだけの知見を得て、それでも橘博士には届かなかった。暫く彼は意気消沈して、仕事以外の時間に何もできなくなってしまった。

ある雨の日、彼が自室に帰り、寝ようとしてベッドに向かうと、部屋の床が雨に濡れていた。ベランダの窓をうっかり閉め忘れていたのだった。彼は急いで窓を閉め、濡れてしまった部分を拭き始める。床も、机も、椅子も、戸棚も。その戸棚は木製で、水滴が通るような隙間が開いてしまっていた。扉を開けると、中に入れていた品々がやはり濡れている。彼はその一つ一つを手に取って、大急ぎで水滴を拭き取り始めた。

買いすぎて本棚に入りきらなかった本、保護施設の友人から入職祝いで貰った懐中時計に、最近はもう見なくなってしまっていた映画のDVDケース。彼は水滴を拭き取るうちに、どうしてこんな品々を戸棚に放置してしまっていたのだろうかと思った。DVDケースのパッケージに印刷された題名を見た時、彼は咄嗟に玄関を振り向いてしまった。

玄関には、表が水滴まみれの傘が開いて乾かされていた。

彼はようやく、自分が何者になるのかを決めた。

────────────

「クリスマス会なんて懐かしい話だな。もう6年も経つのか。」

12月24日、研究室のクリスマス会の帰り道。僕は博士と一緒に、イルミネーションが彩る駅前の道を歩いていた。こんな日の夜なのに周囲に人が少ないのは、少し前から小雨が降っているから。

「しかし偶然というのはある物なんだな。今の研究にちょうど必要な知識と経験がある人間が君だったんだ。君の名前を見て選んだ訳じゃない。いや、正直に言うと、私は君の名前を忘れてたよ。」

「多分そうだろうなあと思ってましたよ。」

偶然、という事にしておこうと思った。客観的に見れば、研究対象を推察して、その研究に必要な人材になろうとするなんて事は気持ちが悪いだろう。まあ、博士なら同じ事をするかもしれないけれど。

それにしても、あんな昔の初対面の話を自分から持ち出すなんて、僕もクリスマスで舞い上がっているのかもしれない。小雨が降ってきても、手に持った傘を差そうとは思わなかった。酔っ払いの博士も、傘は手に持ったまま開かなかった。どうせ博士は酔っていて忘れるだろうから、ずっと気になっていた事を聞く事にした。

「そういえば、あの時読んでました?僕の靴下の中のメモ。」

博士は、すぐに首を振る。

「いいや。覚えてないが多分読んでないと思う。何て書いてたんだ?」

それならそれで良かった。当時の事をあんまり鮮明に覚えられていると、僕も恥ずかしい。

「僕も忘れちゃったんですよ。あの頃は捻くれてたから、どうせくだらない物を書いたと思いますけれど。」

「だろうな……。今欲しいのは何だ。お前より手取りが3倍もある俺様がクリスマスプレゼントを買ってやろう。」

「嬉しいですけれど、さすがに酔いすぎです。傘、差したらどうですか? もういい年なんですから。風邪ひきますよ。」

「いいんだよ。俺も雨に唄いたくなった。」

僕があの頃欲していた「先生」は、この後結局何も買う事なく居酒屋をハシゴして、僕はお酒も飲めないのに深夜まで話に付き合わされた。オレンジジュースをぐびぐびと飲みながらする博士との話は、やはり何よりも楽しかった。

今年のクリスマスも良い日だったと、僕は思った。

付与予定タグ: jp, tale


ページコンソール

批評ステータス

カテゴリ

SCP-JP

本投稿の際にscpタグを付与するJPでのオリジナル作品の下書きが該当します。

GoIF-JP

本投稿の際にgoi-formatタグを付与するJPでのオリジナル作品の下書きが該当します。

Tale-JP

本投稿の際にtaleタグを付与するJPでのオリジナル作品の下書きが該当します。

翻訳

翻訳作品の下書きが該当します。

その他

他のカテゴリタグのいずれにも当て嵌まらない下書きが該当します。

コンテンツマーカー

ジョーク

本投稿の際にジョークタグを付与する下書きが該当します。

アダルト

本投稿の際にアダルトタグを付与する下書きが該当します。

既存記事改稿

本投稿済みの下書きが該当します。

イベント

イベント参加予定の下書きが該当します。

フィーチャー

短編

構文を除き数千字以下の短編・掌編の下書きが該当します。

中編

短編にも長編にも満たない中編の下書きが該当します。

長編

構文を除き数万字以上の長編の下書きが該当します。

事前知識不要

特定の事前知識を求めない下書きが該当します。

フォーマットスクリュー

SCPやGoIFなどのフォーマットが一定の記事種でフォーマットを崩している下書きが該当します。


シリーズ-JP所属

JPのカノンや連作に所属しているか、JPの特定記事の続編の下書きが該当します。

シリーズ-Other所属

JPではないカノンや連作に所属しているか、JPではない特定記事の続編の下書きが該当します。

世界観用語-JP登場

JPのGoIやLoIなどの世界観用語が登場する下書きが該当します。

世界観用語-Other登場

JPではないGoIやLoIなどの世界観用語が登場する下書きが該当します。

ジャンル

アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史

任意

任意A任意B任意C

ERROR

The Syutaro's portal does not exist.


エラー: Syutaroのportalページが存在しません。利用ガイドを参照し、portalページを作成してください。


利用ガイド

  1. portal:8284553 (02 Oct 2022 10:15)
特に明記しない限り、このページのコンテンツは次のライセンスの下にあります: Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 License