或る音楽家の遺書

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 此の手紙を読んでおられる方は誰であらうと驚かれておられる事と思はれます。突然此のやうな手紙を残して私は消えてしまい、然も便箋には『遺書』とある。数多の予定や約束を反故にしてしまつた事、多くの人に大きな迷惑をかけた事、そして私の歌を楽しみにしてゐた人々には本当に申し訳なく思つてをりますが、お許しください。

 私にはもう一つ謝らなければならない事があります。此の便箋には遺書と書きましたが、私は命を断つ積りではありません。此の『遺書』と云ふ言葉は、私の音楽に対する、音楽家たる私に対する言葉です。端的に言へば、私は音楽家を引退する、ということです。

 恐らく貴方は不思議に思はれてゐるでせう。何故私が音楽を辞めなければならないのか。貴方は帝都で人気ではないか。辞めるだけであればこんな騒ぎを起こさなくてもいいではないか、と。其れも含めて以下には私が音楽家として死んで云つた経緯と理由を記します。長くなりますが、お読みに成ればきつと私の葛藤が、苦しみが、愚かさが伝はる事と思ひます。




 私が音楽を始めたのは幼少の頃でした。物心がつくかつかないかと云ふ齢、母の膝に坐つて鍵盤を叩いてゐた景色が朧げに思ひ出されます。大きくなつていくにつれ私は樣々な楽器に触れ、純粋に音を奏でる事を楽しみました。然し其れは誰に倣ふわけでも成長を求めたわけでもありません。余暇に楽しむだけでした。

 幸運なことに私は裕福な家庭で育ちましたので、尋常小学を出てから中学校、帝都大学に進むことが出來ました。其の間友人も恋人も居り、彼ら彼女らと樣々な経験を重ねましたが、私の心の中にはぬぐひ切れない思ひがありました。

 言葉に起こすのは大変難しいのですが、何か此のままで、月並みな日々を過ごして大人に成つて歯車として社会に出ていく。今思へば此れも月竝みな思考なのですが、子供だつた私には何か重大な問題に感ぜられました。またもう一つ、私にはどうも感情と云ふものが薄いやうな気がしてゐました。恋人がゐたと先程申しましたが、彼女達と恋仲に成つたのは成り行きのやうなものであり、断る理由が無いから受け入れて、別れる理由が無いから付き合つていただけでした。勉学には眞面目に取り組んでおり中々に成績も良かつたのですが、通知簿には「どうも喜怒哀楽が薄い」と云ふ風にも書かれてをりました。友人にもお前はどうも反応が悪くて面白味がないとよく云はれてゐましたから、私は大いに悩みました。また逆に良い音楽を聴いた時には涙が出る事や胸を打たれる事が人より多く、其の矛盾はより私の悩みを深くしました。

 とは云へ何分子供でありますので、何か行動を起こせるわけもありません。さうした思ひに囚われさうに成つた時私は近くにある楽器、とりわけピアノが多かつたですが、其れを心の赴くままに奏で、自動人形のお世辞めいた感想を聞いて心を落ち着けてゐました。鍵盤を叩いて、弦を弾いて、息を送つて音を奏でてゐる間は私は自由だつたやうな気がします。何にも縛られず、音に身を任せてゐたあの時が私の頂点だつたのかもしれません。




 さうした子供ぢみた悩みを抱へ乍ら進んだ帝都大学で私は運命の人に出会ひました。此処では名前を出さず彼女とだけ記したひと思ひます。彼女は非常に珍しく女性でありながら帝都大学へ進んできた才女でした。今でこそ少しづつさうした女性も増えつつありますが当時は珍しく、彼女は大学内で注目の的でした。ただ悲しい事に此の言葉に殆ど良い意味は含まれてをりません。彼女は、少し言葉が悪いですが見世物のやうな扱ひを受けてをりました。私も初めて彼女を見たのは「例の女が近くにゐるらしいから、少し見に行かないか」と云つた友人の誘ひでしたから、私もさうした行ひに石を投げる事は出來ません。

 初めて彼女を見た時、彼女は大学にあるピアノを弾いてゐました。其の旋律はとても美しく、私の心に抵抗なく入つてくる純粋な音でした。ピアノを弾き乍ら搖れる黒髮と白い指、そして奏でる旋律の美しさ。私はまるで彼女が女神のやうに見えました。ふと気づくと私はピアノを弾いてゐる彼女のそばに近づいてゐました。私が近づいた事に気づいた彼女は演奏を止めました。見知らぬ男が近寄つて来たのです、当然の事でせう。其のまま押し默つてゐては本当に私は不審者に成つてしまひますので、何か声を出さねばいけないと考へ、彼女へ話しかけました。

「今弾いてゐたのはショパンですか。」

 其の言葉に彼女はこちらを向ひて、ええ、此の曲が好きなのです、とだけ答へて其の場を去つて行きました。仏頂面で愛想の欠片も感じられない声色でした。一部始終を見てゐた友人は其の後近寄つてきて、彼女の様子はどうだつたなどと聞いてきましたが、私は答へられずにただぼんやりと彼女が去つていつた先を見つめる事しか出來ませんでした。

 今まで他人に対して此のやうな感情を抱いた事はありませんでした。別れるのが惜しいと云ふやうな、後ろ髮をひかれるやうな思ひ。友人や恋人達にも抱いた事の無い其のやうな思ひを、何故今ちらと見て話しただけの女性に抱くのか分からず、私は困惑に包まれてゐました。




 其の日から私はピアノの近くで彼女を待つことを始めました。気持ち悪いと思はれるかもしれませんが其れも仕方のない事です。ただ私は彼女を篭絡しようとか考へてゐたはけではありません。彼女の奏でる旋律を聞き度いと云ふことと、もう一度会へば前に抱いた感情が何なのか分かるかもしれないと云ふ希望からでした。何日か経つた後、中々彼女が現れないので私は手慰みに自分でピアノを弾いてみました。子供の頃は何気なく叩いていただけの鍵盤も今ではすつかり道具に成つていました。私は成長するにつれて其れなりの技術を身に着け、ピアノの演奏は單なる息拔きから少しばかりの特技と云ふ風に変はっていたのです。其れでも見せびらかす相手も其の気もありませんでしたので、相変はらず私のピアノを聞く相手は両親と自動人形しか居りませんでしたが。

 そこで私は彼女が弾いてゐたのと同じ曲を弾いてみる事にしてみました。ショパンの練習曲作品10第3番ホ長調はとても悲しげな旋律を持つた曲です。外つ国でも悲しみなどと云ふ言葉が題名として用ゐられるやうなので此の感情は間違ひのないものなのでせう。

 暫く私は練習曲作品10第3番ホ長調を弾きましたが矢張り彼女の演奏には遙か及びませんでした。技術的なものもありましたが、どこか生まれ持つたものが違ふやうな感覺でした。演奏を終へた私がふと後ろを見ると、彼女が立ってゐました。

「貴方もピアノを弾かれるのですか。」

 彼女は相変はらず愛想のない声で問ひかけてきました。趣味なんだ、と答へると彼女はさうですかとだけ返してきました。そして、私も弾きたいのでどいてもらつても好いですかと言ひました。私がピアノから離れると彼女は先日と同じやうに素晴らしい旋律を奏で始めました。

 私は傍で其れを聞き、彼女は演奏を終へると去つていく。そんな日々も幾らか経つと少しづつ彼女との会話が増え始めました。其の内に私と彼女は一種の友人関係を結んでゐました。私が心から音楽が好きなことを知つて彼女は私に心を開き、私に教授を始めてくれました。彼女はピアノの演奏だけでなく自分で作詞や作曲をしてゐたので、其の方法に就いても教へてもらひました。

「自分に正直に、思つた事を言葉や音にぶつけるのです。」

 彼女はさう言つてゐました。演奏にしろ作詞にしろ作曲にしろ、彼女が一番大事にしてゐるのは自分に正直にある事だと。私も其れは尤もなことだと心に刻みました。私が作つた拙い音楽を批評する中で、彼女は何時も「貴方の作つた曲は私の事も認めてくれてゐるやうだ」と言つてゐました。私は思つた事を正直にぶつけてゐるだけでしたが、珍しく嬉しさうな彼女を見ると何やら誇らしげな気分に成りました。




 さうした師弟のやうな関係の内に彼女は身の丈をぽつぽつと話すことがありました。自分は帝都の外、所謂下層の生まれである事。片親で、街娼の母が間違ひで出来てしまつた子であるため父親は分からないと云ふこと。彼女は様々な苦しみを抱へてゐました。

 郊外に居た頃はお前は負け犬の子だと仲間外れにされ、中学校の入学試験に合格し、帝都にやつて来た後は外から來た女、街娼の娘として後ろ指を指される。

 「私は何処にも居場所が無かつたのです。」

 彼女がさう語る声は酷く冷淡で、其れが却つて彼女から大切なものが抜け落ちてゐる事を感じさせました。

 私は生まれて此の方帝都の外には出た事がありませんでしたので、彼女の話が何処か遠い国の御伽噺のやうに感ぜられました。自動人形がやるやうな家事を自分でこなし、生きていくので精一杯な場所が日本にあるとはどうも幻想のように感じられ、彼女の経歴と見た目も相まつてまるで灰被り姫の読み聞かせを聞いてゐるやうな気分にすらなりました。

 私は其れらを聞いて気にする事は無いと言つて、一つだけ気に成つた事を彼女に尋ねました。其れは何故彼女が帝都大学に来たのかと云ふことです。先駆者に成るのは立派なことですが危険もあります。実際に彼女は暗に見世物のやうな扱ひをされてゐましたし、彼女は其れが想定出来ないほど愚かな人には考へられませんでした。実際、彼女は大学まで特待生扱ひでやつて来たと言つてゐました。

 私が其れを彼女に尋ねると彼女は目を落として、何か変わるかと思つてゐたんですとだけ答へてくれました。当時の私には何の事か理解出来ませんでしたが、今考へると彼女は自分の生まれ育ち、其処から受ける扱ひを全て覆したかつたのでせう。

 然し、悲しいことに彼女の願ひは叶はなかつたのです。




 私は彼女に教えを受けてどんどんと自分の技術が伸びていくのを感じていくうちに一つの欲望が生まれました。人に自分の音楽を、技量を認められたいという欲望です。これは誰の中にもあるものでしよう。絵描きであつても物書きであつてもきつと変はりないと思います。私は特異なことにこれまで自分の娯楽の為にしか音楽をしていなかつたので、この欲望を初めて抱いたのはこの時でした。この欲望を抱いた私はこれまで以上に音楽にのめり込み、寝ても覚めても頭の中には音が鳴り響いていました。

 その内に私は居ても立つても居られなくなつて、自分で作つた曲や歌を引つ提げて街中やビヤホール、カフェーで演奏するようになつていました。さうして音に狂つていくうちに友人は減つていきました。色に狂はされたかと毒を吐く輩もをりました。さうした一面もあつたのかもしれませんが其れが一番正しい理由ではありません、私は彼女の音色に狂はされたのですから。

 最初の頃は私の作品に耳を傾ける人などいませんでした。たまに聞こえる言葉は大体罵りで、私はそれを聞くたびに怒りと悲しみに包まれ、それを次の作品への糧にしました。さうしてゐるうちに私は其れなりに人気を得るやうに成りました。其処で満足しておけばいいのですが欲望と云ふものは恐ろしく留まる事を知らないもので、私は更に上を目指しました。音楽で生計を立てるところまで行ければ私は全ての悩みから解放されるのではないか、さう考へたのです。流石に陛下直属の奏者に成るなどと大其れた事は考へませんでしたが、流行歌などであれば私でも行けるかもしれないと甘つたれた考へを持つてゐました。

 いつものやうに二人でピアノを奏でてゐるある日、私は其の旨を彼女に伝へました。すると彼女は珍しく悲しげな声で止めておいた方が良いと述べました。背中を押してもらへると都合よく思ひ込んでゐた私は梯子を外されたやうな気分に成り、其れはどうしてか、僕の技術が足りないのかと彼女に問ひました。それに彼女は一言、「音楽なんて一人で楽しむ方が好いのです。」と言いました。

 私にはどうも其れが理解出来ませんでしたが、彼女の雰囲気は其れ以上其のことに就いて深掘りする事を許さないやうでした。私はその圧に押され、其れ以上何も言へず唯々ピアノを弾くだけで返事も出来ませんでした。暫くの沈黙の後、少し重度い空気を切り裂くやうに彼女は語り始めました。

 母親は元々帝都の人間で、音楽を生業にしようとして失敗した事。今彼女がピアノを弾けるのは母親が教へてくれたからで、よくショパンの練習曲を弾くのも母の影響だと云ふこと。

 「私が物心ついた時から家にはピアノがありました。恐らく、帝都のゴミが流れついたのを拾つたりなんなりしたのでせう。鍵盤はボロボロで音色も汚く、そもそも出ない音もありました。其れでも私にはとても尊い時間でした。」

 そして、彼女は一息置いて言ひました。

 「私は母から音楽の楽しさと厳しさを常々教へられてきました。音楽に貴賤はありません。誰でも楽しめる素晴らしいものです。帝都に居ようと、郊外に居ようと其れは変はりありません。」

 さうだね、と返した私をぢつと見て、彼女は続けました。

 「ただ、音楽も芸術の一種なのです。余暇で楽しむ事と、道を究める事は全く異なります。自分との戦ひで、他人との戦ひで、出口の無い問答です。貴方は本当に音楽と向き合へるのですか?」

 私は少し逡巡しましたが、其のつもりだと答へました。彼女はまた悲しげな声で、さうですか、とだけ答へました。

 今の惨状を見れば彼女の言がどれほど正しいかお判りでせう。私は見事に戦ひに負けたのですから。




 その後、大学を卒業した私は職に就くことなく、曲を作つてはレコード会社に持ち込んで追ひ返されてを繰り返してゐました。勿論そんな放蕩息子に家の援助が来るわけもありませんので、日頃はカフェーやビヤホール、オペラ館、帝国館などの活動写真館で演奏したり、一寸した曲作りなどで日銭を得て暮らしてゐました。

 そんな日々の唯一の楽しみは彼女と会つて会話をする事でした。彼女は世に出て職に就いてをりましたが一所に留まる事が出来ない様子で、樣々な職種を転々としてをりました。会ふと云つてもデェトのやうなものではなく、私の演奏終はりに他愛もない話をして、その後彼女のピアノを聞かせてもらふと云つた大学時代と変はりの無いものでした。月日が経つても彼女の奏でる旋律は変はらず美しく、特に悲しげな曲は自然と涙が溢れさうに成るほど、より良いものに成つたように感ぜられました。

 唯一変はつた点と言へば、私が彼女に感想を求めなくなつたと云ふ所でした。生業として音楽を始めた後私は彼女にさう言つた話を振るのが怖くなつてゐました。何故か私は彼女に私の音楽を否定された時、音楽が続けられなくなつてしまふ気がしてゐたからです。私と彼女は音楽で繋がつて音楽から目を逸らす異様な関係を続けてゐました。そんな歪んだ日々を過ごしてゆく間に私の音楽は俄に評価され始めました。元々自尊感情の為に一つ身を音楽に堕とした哀れな男です、自分の作品が世に認められゆくのは気分が良くて仕方ありませんでした。漸く私に気づいたか、そんな不遜な思ひまで抱いてゐました。山月記で李徴は自尊心故に虎に成りました。私は虎にすらなれず、哀れで矮小な人間のままでした。

 幸運なことに、其れからはとんとん拍子で出世していきました。一度切つ掛けがあると流行と云ふものは広がつていくものです。帝都新聞に取り上げられて、演奏に多くの人が詰めかけて来るやうに成つて、門前払ひの連続だつたレコード会社が頭を下げ乍らやつてきて……気づくと私は神輿の上に居ました。曲を出すたび売れていき、演奏会には大勢がやつてくる。絶え間なく日々の予定は埋められていき中々彼女と会ふことも出来なくなつてゆきました。忙しさに殺されるやうな日々。求められるものを返すだけの日々。一通の手紙が屆きました。其れは彼女からの手紙でした。




 手紙の詳しい内容に就いては大変にプライベェトなことでありますので、此処に書かずに私の胸の中に祕めておきます。ただ、其の手紙には彼女が私を祝ふ言葉と彼女からの別れの挨拶が書かれてゐました。

「掃き溜めの様な故郷を出て帝都にやつて来た時私は幻想を抱いてゐました。帝都の人は私を虐げたりしない、屹度何処かに居場所を作つてくれると。結局私はどれだけ忌み嫌はうと郊外の人間でした。帝都の光に憧れても、其の光は私のやうな日陰者には眩しすぎました。大学に行けばと逃げ道を作つても同じでした。貴方の音楽には出会へましたが、其の救いも永遠ではありません。事実、随分と変はられましたね。

 大正といふ時代はどうも私を受け入れる気が無ゐやうです。大正帝の夢の中に私は、郊外の人間は無用であるやうなので、私は何処か遠くへ行きたひと思ひます。」

 彼女の文字はとても奇麗に整つてゐましたが、文面からは悲しみと諦めが犇々と伝はつてきました。死を覚悟した人間の如き強さと悲しさを其処から感じてしまつた私は焦りました。直ぐにも彼女の元に駆けつけて言葉を交したいのは山々でしたが予定は其れを許して呉れるわけもなく、取り敢へずに返答を書き、急いで其れを郵便に出すことしか出来ません。祝ひに対してそして私を導いて呉れた事への感謝と此れからの私の予定、そしてまた時間を作るので会って話したひと云ふ旨の内容を書いた手紙は、「宛所に尋ねあたりません」の判子を押されて手元に帰つて来ました。




 もう一つ手紙が私の心を揺さぶつたのは、私の音楽に対する言葉でした。彼女はただ一言、「随分と変はりましたね。」とだけ記してありました。皆様には想像も出来ない事とは思はれますが、其の一言は私が気づかない振りをして目を逸らしてきた事をまじまじと突きつけて、私の心を傷だらけにしました。
最初は音を奏でる事そのものを楽しんでゐました。其処から音楽の楽しさを彼女に教へてもらひました。私は彼女に認めてもらひたくて必死に努力を続けました。彼女の為に言葉を紡いで、音を組み立てて、曲を作りました。そのうち、私の音楽は彼女の模倣になりました。




 私にとつて音楽とは彼女でした。私の音楽は彼女のためだけのもので、だからこそ其れを否定されると悲しくて、悔しくて、苛々して仕方なかつたのです。




 いつだつたでせうか。私の曲が評判を目的にし始めたのは。世間に認められる事だけを目的にしたのは。自分の人生の欠片もない、彼女の欠片もない音楽を作り始めたのは。貧乏に耐へかねて涙を流したあの時でせうか。其れとも、幸せさうに大通りを行く人達に嫉妬と怒りを覚え始めた時でせうか。巷で流れる流行のラヴソングを耳にして鉛筆を割つた時でせうか。何れにせよ、私の心が、音楽家としての誇りが自尊心に負けた時だつたのでせう。




 此れは私の傲慢かもしれませんが、私が彼女を摸倣して作つた作品は屹度彼女の拠り所に成つてゐたのだと思ひます。何処にも居場所を見つけられない彼女が私と長く友人関係を持つて呉れたのも、私の音楽を肯定してくれてゐるやうだと言つたのも、私の音楽が変はつてから彼女が居なくなつたのも、さう考へれば辻褄が合ひます。私は身勝手に一人の女性を救つて、地獄に落としました。彼女はカンダタのやうな大罪人ではなく、ただ生まれた場所が悪かつただけだと云ふのに。




 初めはただ楽しくて、彼女に喜んでもらひたかつただけだつたのに何時しか私は歪んでしまひました。彼女のやうに指先に神様を宿して、震へるほどに美しい旋律を奏でたかつた私は、自分の自尊心を滿たすためだけに一人の女性を喰らった怪物に成り果ててゐました。

 皮肉なことですが大衆からの人気はさうして得られました。自分のやりたい事を忘却して、他人の思考だけを書き続ければ良いのです。然し乍ら其れは音楽家ではありません。なんら自動人形と変はりありません。今の私は、飼主の言葉に従い続ける犬と同じなのです。




 言葉を並べ、音を作り出すことが作業に成りました。楽しかつた音を奏でる時間が苦痛に成つてゐました。何よりも自分で納得のいかなかつた曲が、適当に並べた歌詞が評価される事が私の全てを否定しました。




 屹度お読みに成つてをられる方は考へすぎだと思はれるでせう。或いは、お前は何処まで女に狂つてゐるのだと考へるのかもしれません。

 けれども私には重大な問題なのです。嘗て信念だつたものは今では塵のやうな思ひに成つてしまひました。此れが色恋の問題であればどれほどましであつたでせう。此れは芸術家が抱へる大きな問題なのです。お前如きが何をと思はれるかもしれませんが、屹度さうなのです。

 自分の作品が否定されて悔しくない芸術家などいません。自分の信念を曲げる事を心から肯定出来る芸術家などいません。画家も作家も音楽家も皆信念を貫いて作品を作り、何時か其れが日の目を浴びる事を待つてゐます。多少世間に迎合する事はあれど、全てを捨ててはゐません。名声の為に全てを捨てた私とは違ひ、彼らは気高い闘争を続けてゐるのです。




 私は芸術家として、音楽家として自尊心という毒に冒されて死んだのです。




 音楽を心から愛した人間として、私が最後に出来る事は贖罪です。そのために一切を捨てて私は彼女を探しに行きたいと思ひます。どこにゐるのか生きてゐるのか死んでゐるのかも分かりません。探偵に彼女の捜索を依頼しましたが、元より人附き合ひは私としかないやうな状態だつたので芳しい結果は得られませんでした。彼女は常々自分を知らない所へ、生まれや育ちや性別で差別されない所に行きたいと言つてゐましたから、外つ国、或いはエルマ教のパライソ渡りとやらを行つたのかもしれません。彼女は自分も見世物のやうに扱はれてゐるんだから彼らと変はらない、彼らの力を借りれば何処か遠くに行けるでせうかと日頃からエルマの教徒に好意的でしたから。




 どれだけ難しいかは分かっていても、私は彼女の美しい旋律をもう一度聞きたいのです。あの恐ろしいほどに悲し気な練習曲作品をもう一度。屹度何処かで彼女のピアノをもう一度聞いて語り合つて、私の傲慢を謝罪して、身近に彼女がゐる生活を取り戻せたら。其の時私に本来の音楽が戻つてくるやうな、そんな気がします。それが音楽に対する、彼女に対する私なりの償ひです。




 彼女が何処に居ようが私は必ず見つけます。彼女が外つ国に居ると云ふのなら泳いででも向かひませう。黄金郷に渡つたと云ふならば私も渡ります。身体が引き裂けて魂だけに成つても彼女を見つけようと藻掻きませう。




 此れは愛なのでせうか。消えたいと願つた彼女の後を追ふのは優しさに成るでせうか。私は赦されるのでせうか。屹度正しい答へなど無いでせう。なら、私は私の考へる愛を、優しさを、救ひを求めます。大正帝の夢に彼女は居なくとも、私の夢に彼女は居なければならないのです。




 最後に成りましたが、こんな私を支へてくれた皆樣には感謝が尽きません。恩を仇で返すことに成りました事には謝罪の言葉もありません。

 此処からは私の我儘に成りますが、私が残した財産は全て恵まれない人々の為に使つて貰へれば幸ひです。楽曲の権利は全て会社にありますから、ご自由にお使ひください。ただ、私を支持してくださる皆様が悲しまないやうにしていただければと思ひます。此れまで散々に、まるで私の曲を好むものは馬鹿だと云ふ風に書いてしまひましたが其のやうな思ひは毛頭ありません。作者の好悪と受取り手の好悪は関係の無いものです。幾ら出来の悪い子であつても作品は子供のやうなものです。子供を好いてくれる人を悪く言へる筈がありません。













 音楽を辞めたと言ひ乍ら、次の文章を考へてゐる間私の左手は机を叩いてゐます。あれほど嫌に成つた筈のピアノを叩くやうに机を弾く癖は、今も治りません。何処までも愚かな私は、自分のせゐで手放した音楽を未だに諦められないやうです。




 此れ以上長々と書くと私の気が変はつてしまふやもしれませんので、此のあたりで筆を置きます。
 皆様、此れほどに愚かな男を支へてくださつて本当にありがたうございました。お元気で。




一介の音楽家だつた者より 百万の感謝を込めて

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