Walking the Thin Ice
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いつか自分は、ひどく惨たらしく死ぬだろう。アルト・クレフはそんな確信を抱えて生きていた。

夜の気配がどうしようもなく深い日だった。

確かにそこにある筈の思考がなかなか形を成してくれずに、ただ手のひらからこぼれ落ちていくばかりだ。

クレフ博士が記憶を振り返りながら遺書を書いて、それを燃やして、娘への手紙を書いてから眠る話。

安物の指輪を小指に嵌める習慣がついたのは、1995年の春のことだったか。

書類の上ではSCP-4231-Bとしても知られる男は、アリゾナ州タクソン空港を離陸して数時間経った飛行機の機内で5年前までの生活を思い起こしていた。機体はひどく揺れていて、そのせいで彼は眠れそうにない。ガタンと衝撃が来るたびにそれまでの思考がバラバラになりそうになる。乱気流のせいだ。

思い返すのは彼女のマニキュアされた爪の感触、自分はまるで茹でたカエルか轢かれる直前の鹿のようで、恐怖に包まれて硬直していた瞬間。いつだって過去を切り離せずにいる。さっきまでいたクソ空港のテレビでは「ロー・アンド・オーダー」が流れていて、それでようやく、自分はようやく、殺してしまった彼女との関係にひとつ落とし所が見つけられた気がして。もしかするとあれは虐待で、あるいはレイプかも知れなくて、それでもすべてに理由があったのならば。あの痛みに、意味があったら。

考えるだけでも痛みは走る。しかし、Bには考えることしかできなかった。

自分と彼女は幼馴染で、親友で、彼女に言わせてみれば恋人で。生きていく上で他人と持つだろう関わりのほとんどすべてを彼女にあげてしまったようなもので。結ばなかった関係といえば、それこそ結婚くらいだ。指輪を交換して誓いを立てること。それは、それだけはいけなかった。なぜなら彼女はもう壊れていて、直すことすらできないほどだったからで、それを終わらせたのは自分、未来を断ち切ったのも自分。選択の権利はなかった。そうするしかなかった。あれが最善で、あれ以外を選ぶ道はなかった。すべてもう終わった話だ。だから、もうこんな仕事はしたくない。遠くへ行きたい。しかし、もう十分遠くにいるのにこれ以上どうしようというのか。

考えを巡らせては思考の海に精神を沈ませようとしていた辺りで、浮遊感。続いてやってくる衝撃。着陸だ。

手続きを済ませて、空港から出る。冷たくて乾いた空気、ここはシベリア、北のくに。約束の時間にはまだ余裕があった。

辺りをふらふらと見て回ったBはやがて、猥雑な雰囲気を漂わせるマーケットに脚を踏み入れた。聞きなれない言葉の飛び交う、ごちゃごちゃとした店の集合だった。観光客を狙ってか随分と価格設定の高い露店ばかりが立ち並び、魚やらよくわからない食べ物やら謎の置物やらが所狭しと並ぶ。

そんな空間でふと、安物の指輪が目に留まった。ぼったくり紛いの商品の中、銀貨1枚ぶんで売り叩かれていたそれらが妙に心に引っかかったので、話し慣れぬ言語で拙く尋ね、ひとつ手に入れることにした。

市場を歩いて後にする。人気のない道、先ほどの熱気が嘘のように息がしやすい。小銭で買った指輪を手の上で転がしてみる。置いてあったときの印象よりも小さく、小指に入れるのが限界だった。

なんだか可笑しい気分だ。

右手を空にかざしては透かしてみる。生命が血管を流れている色。爪は自然な色合いで、真紅や緑の妙なコーティングは施されていない。小指には安っぽい銀色の輪っかが嵌まっている。それだけだ。

彼女はきっと、自分の恋人がアクセサリーを着けることを好ましく思わなかっただろう。利き手に余計な装飾をするなんて、エージェントにとっては不便な行為以外の何でもなかった。

けれど、いまは違う。いまは自由だ。選択肢が自分の前に開けている。

どこか歌うような気楽さを持って、アルト・クレフは目的のサイト──たしか19とかいう番号だったか──に向かって歩き出した。

たぶん、これだから自分は駄目なのだ。こんな懐古的な気分の深夜に遺書を書いてみてはそれを燃やしてしまって、思いっきりの自己嫌悪の渦に溺れてみて、その後にようやくの誕生日を思い出すような、ひどい父親だから。──或いは。もしきちんと人を愛せたのなら、もし嘘を吐かずにいられたのなら。もしこんな風ではなかったのなら、今頃はこんなシベリアの夜を一人で明かしてはおらず、ノースアクセスの花屋に3人で暮らしているかもしれなかった。

「エゴイスト。」暗闇から、ずっと昔に聴き慣れた女の声がする。聞かなかったふりをして、ただペンを動かした。

今もおまえを見護っているよ、愛しい子。いつの日でも

書いてみて、線を引っ張っては消して、それからまた紙を破り捨てる。また、嘘をついている。

だから、自分は駄目なのだ。

こんな夜は、能力のロックが緩くなる。幼い頃、ラジオのチャンネルを考えるままに変えられたように。書き損じに火がついて、静かに燃える。

想像で世界を変えて

お願い、一つでいいから

──『テレパス』/ヨルシカ


tale jp クレフ博士



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執筆者: SCPopepape
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最終更新: 15 May 2023 10:19
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