少年は夜に飛ぶ

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2023/3/30 「少年は夜に飛ぶ」として投稿致しました。

点滅する街灯を目印にして、午後十時の住宅街に一柱の神がひっそりと降り立った。より正確に言うと、くたびれた顔の人間たちに混じって駅からの徒歩五分を悠々と歩いてきた。
今にも消えてしまいそうな白い光が照らす交差点を見つめて、
「別の私は面白いところを選んだな、ヘカテーを思い出す」
と面白そうに辺りを見回す姿は、彫りの深い異人にしか見えない。スーツを着たこの男性がギリシア神話の神そのものであると言っても、一体何人に信じて貰えるかどうか怪しいところだった。
神の名はヘルメス。ギリシア神話の神々の使者、旅人と商人の守護神。そして今はとある企業の社長を務める多彩で多忙な神格である。
商談が無事に終わったことを記念する飲みのついでに副社長たるエジプト神話の月と書物と叡智の神を待たせて降り立ったのは、何の変哲もない、平穏な日本の街並みの一角だった。
神がここに来たのは暇潰しで、ほんの気まぐれで、そして賭けでもあった。ここは別のヘルメスがとある飲料によって星間飛行を販売する、日本国内に五箇所ある売り場の一つでもある。別の自分に会えるのならば大当たり、そうでなくとも商売のヒントか、或いは酒の席での笑い話を持ってきてくれる誰かが来れば万々歳だ。ヘルメスは賭博の神でもあるし、本人も賭けは嫌いではない。
誰も来なければ、別の自分の流儀に則り三十分後には退散して副社長であるトートとしれっと落ち合うつもりだった。多才なヘルメスは弁舌の神でもある。知恵の神たるトートとの知恵比べには負けるだろうが、これまでの経験から深くは追求されないことを知っている。あるいは、何を言っても無駄だと諦められているのかもしれないが。
夜道を照らす機能を半ば失いつつある街灯が、何かの訪れを予感してジジ、と音を立てた。それとほとんど同時に、駅の踏切が少し遠くで鳴り始める。
晴れた夜であるのに、空に月は出ていない。忠実な右腕たるトートの守護は、この街にも届いているのだろうか。
踏切が降りる音。乗ってきたのと同じような電車が、ここからでも聞こえるような轟音を立てて通過していく。
疲れ果てた人と、あるいはそうでないものの詰まった満員電車が夜を横切る。あの中にこれからの顧客は何人いるだろうかとヘルメスは一瞬考えを飛ばして、
「あの」
そして躊躇いがちな声に、勿体つけて振り向いた。学ランを着た一人の少年が、いつの間にかそこに立っていた。
「僕というものがありながら迷子とは。仕方ない、月の出ない夜だからな」
「……やっぱり違うのかな、いやでも、やっぱこの人なのかな……」
少年は神を不安げに伺いつつ、もう片方の手でスマートフォンを起動する。言葉を聞き流されたヘルメスは軽く口を尖らせながらも、しかし冷静に目の前の人間を観察していた。
たまたま異国の神と相まみえた、どこにでもいるような普通の人間。僅かな不信感はこちらに漂ってきているものの、敵対企業のスパイのような害意は感じられなかった。
「特徴は合ってるけど……違ったら俺、ただのヤバイ奴じゃん」
そんな言葉を口の中でもごもごと噛みながら、少年は向き直る。踏切が上がる音が、この場から一瞬遠のいた。
「人間を飛行機にしてくれるっていうのは、貴方ですか」
少年は小さく息を吸って、そして神にそう言い放った。先程とは違う、決意の籠った声だった。
さて。真剣な様子の人間を見て、ヘルメスは考える。それは別の私の領分だと言うことはしたくない。夜はヘルメスの手に商売のヒントでも笑い話でもなく、いたいけな願いを運んできた。
幸い持ち合わせた権能と伝承の中に、一つだけこの願いを叶える方法がある。ヘルメスが司るものは、一説には創意工夫であるともされるのだから。
願いは祈りに似て、祈りはやがて信仰になる。この場で人の願いを断ることは、ヘルメスは絶対にしたくなかった。
時間にして十数秒ほどの沈黙から帰還したヘルメスに、何を勘違いしたのか少年は俯いている。どうやら暗に断られたとでも思ったのか、
「……受験勉強が上手くいかなくて」
ぽつりぽつりとこぼす本音が、消えては光る街灯の光に透けた。
「パイロットになりたいのに、このままだとなれないかもしれない。頑張ってるのに、頑張りたいのに、もう頑張れなくなってきて」
大人から見れば些細なことでも、神から見れば、大小なく祈りであり願いだった。だから、
「あいにく今日は在庫切れでね、君を飛行機にすることは出来ないんだ。すまない、君にタラリアを履かせられれば良かったものを」
顧客にまずは真実と謝罪を。飛行機になりたければ別の自分に頼んでほしい、とまではさすがに言えなかったが。
「……そう、ですか」
目に見えて肩を落とす少年に、ヘルメスは軽やかなウィンクを一つ。
「ただ、君は運がいい!幸いここに、夜空へのチケットはあるのだから」
そうしてどこからともなく取り出したのは、赤い航空用ヘルメットだった。耳の上に白い翼の描かれたそれを、ヘルメスはペタソスと呼んでいる。
翼ある帽子。使い手の趣味で多分に現代ナイズされたヘルメットは、真の名をヘルメスの羽兜と言う。
「普段は帽子なんだが……折角だし、雰囲気だけでも味わってくれ。飛行機にはなれないが、夜空を飛ぶことはできるから」
少年はヘルメットを見て、一度躊躇って、それから真っ直ぐに学生服の手を伸ばした。はい、と頷く音が確かな重みを持って夜と神様の胸に届いた。
神妙な面持ちで、少年は少し大きなヘルメットを被る。きちんと装着されたのを確認して、ヘルメスは伝令の杖の代わりに夜空を指さした。
「さぁ、空気に身を任せろ。一夜限りのフライトといこうじゃないか!」
ヘルメスの声に合わせて、少年の体が浮き上がった。数センチ程度の低空飛行から始まり、徐々にスピードと高度が上がる。赤い流れ星のように、夜空に向かって飛んでゆく。
飛行機には出来なかったけれど、星はさぞ綺麗に見えるだろう。少年の軽やかな感嘆が、くるくると舞い飛ぶことへの喜びが夜空に降り注ぐのを、ヘルメスは確かに聞いたのだから。
軽やかなメロディが流れて、ヘルメスはおや、と携帯を手にする。画面に浮かび上がったエジプトの文字に肩を竦めて、夜を旅する少年を見守りながら電話を受けた。
「また何やらトラブルがあったようですね。ご自身と会いに行かれるとは思いませんでしたが」
「自分の顧客と、だけどね」
「色々と言いたいことはありますが……つつがなく終了したようで何よりです」
「当然さ。訪れてくださったお客様を、何も持たせず帰す訳にいかないだろう?」
「……別のヘルメス神はインターネット上で『薬物の売人』として周知されていました。それを信仰と仮定して、半ば無理やり羽兜と接続したと……」
電話口から溜息が聞こえる。きっと電話の相手は嘴を抑えているのだろうと考えて、ヘルメスはおかしくなってしまう。上がる口角を気取られぬように、
「こんな芸当が成立するのは一夜限りでしょうね」
という知恵の神の小言を聞き流した。
「一夜限りでも、夢を見られたのならいいじゃないか」
夜を見守るエジプトの神に、多彩なギリシアの神はそう返す。ヘルメスが司るものは旅、創意工夫、賭博に音楽。
「別の私が売っていたのは、きっとそういうものだろう?」
そして一説には眠りと、夢の神であるとも。副社長はアフリカクロトキの嘴から溜息をひとつ吐いて、けれどそれ以上何も言わなかった。

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