ユキワリスミレ
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呑気に浮かぶ百貨店のアドバルーンにも、豪華絢爛な宝石たちにも、好物がずらりと並ぶお子様ランチが運ばれてきても。その日の私は、ちっとも心がときめきやしなかった。
「ゆきめ、父さんも悪かったと思っているよ」
「そうです、父様は何も知らなかったのですよ」
父様と母様の宥めるような声も、私の心を解きほぐすには至らない。むしろそれが、余計に私を苛立たせる。私が怒っているのは、そんなことじゃないというのに!
「すみれさんは、何も言わずに言ってしまったというの?」
「あまりに突然のことだから、見送るしか」
「私にも、何も?」
岩代の家の女中のなかで、いちばん仲良くしてくれたすみれさん。涼やかな切れ長の瞳と、薄い唇が、日本画の美人のようだったすみれさん。形のよい耳に小さな宝石が揺れているのを見つけてこっそりと話しかけたら、内緒ですよと優しく笑って、左手の義躯に握ったべっこう飴をくれたすみれさん。赤い着物に白いエプロン、おやつを食べる匙にそっくりの甘い銀色の義躯が良く似合う、大好きだった、私の家族。
なんにも言わずに、私に黙って消えてしまうなんて!
「嘘よ」
もう二度と、会えないなんて。
死んでしまったということ?どうせ会えないのならきっと同じこと、
「屋上の遊園地に行かないかい、お前は回転木馬が好きだろう」
「新しい服を買ってあげましょう、欲しがっていたではないですか」
父様と母様の言葉が耳を通り抜けていく。そんなおべっかには乗りたくないので、私はずっとつんとしていた。一〇階の自動人形売り場に行くまで、その日の私は地の底にいた。

「もう新式が出たんだねぇ」
「こちら第一八型の『浮草』と申しまして、家事にお嬢様の育児に、お二人の負担を格段に和らげてくれることでしょう」
「ですって。お前もそろそろ、女中が欲しいでしょう」何も知らない店員の言葉に、頭がかっと熱くなる。はしたないと思いながらも叫ぶ言葉が止められない。
「私の欲しかった女中はすみれさんだけ!」
この人も父様や母様と同じ。本気で怒っているというのに、みんな子供の癇癪だと思っている。たいして困っていなさそうな下がり眉毛がその証拠だ。
二人を捕まえたつまらない営業から逃げて、私は早々に見て回ることにした。
すまし顔で並ぶ自動人形たちをじろじろ不躾に見て回る。目をつぶっていると、どの人形もみんな同じ顔をしているように見える。
お前たちは何が楽しくてこんなところに並んでいるの?シャンデリヤの光を受けて陶器の肌は白くきらきら光る。やっぱり、御主人様に見つけてもらうため?心の中で問いかけても、人形たちは答えてはくれない。

並んだ自動人形のとある一体に、私の心は奪われた。

「父様、この子がいい!私、この子じゃないと嫌!」
切れ長の瞳と短い黒髪が、スラリと長い鹿のような手足が、あまりにもすみれさんにそっくりだった。
異邦人のような長い鼻梁と厚い唇だけは、似ていなかったけれど。そんなことはどうでもいいくらい、私はこの人形が欲しくなってしまった。
父様もそれに気づいたらしく、適当な自動人形を引っ張ってくる。
「こっちの奴にしないかい、ほら、ナントカという……」

「はじめまして」
たったそれっぽっち言った声も。あまりにも、似ていた。

「名前をつけてあげなさい」
菫を、と声に出しかけて言い淀む。その名前をつけたら、すみれさんは永遠に帰ってこない気がした。困ったように振り向くと、母様も私と似たような表情でこちらを眺めていた。
「母様、私はどうしてゆきめなの?」
私の髪を穏やかに撫でながら、母様は優しく語る。
「お前のゆきは、母の中では幸せと書くのです。父様は空から降る雪の字を当てたくて、大もめの末に一文字足して、平仮名でゆきめとなったのですよ」
凍りつくような霜月の病室で、雪を背に争う一組の男女。影絵のような二人はやがて、降り出した牡丹雪を見ながら笑いあう。
そんな幸せな情景が、ふと思い浮かんだ。そんな名前をつけたいと願った。
雪。牡丹、しぐれ、なだれ、違う!
植物辞典に飛びついて、ばらばらとはしたなく捲る。すみれというより彼女はもっと、清らかな白い冬の終わりの花だとずっと思っていた。思っていて、言えずじまいだった。

「起きて、お前」

「お前の名前は、今日から待雪草よ」
俯いて咲くどこかモダンな白い花。可憐な花弁にいたずらに斑点を散らした、雪を待つスノウ・ドロップ。
待雪草は顔を上げた。かしこまりました、とだけ言って、その名前を受け入れた。

それからの日々は嘘みたいに明るかった。すみれさんを失った私に、待雪草はあまりにも甘美だった。どこまでも甘いまま、甘露だと思い込んで飲み干した毒のようだった。
待雪草の球根には毒があるという。私を、殺してくれればよかったのに。

待雪草と出会って半年がすぎた冬の日、岩代家にはひとり来客があった。震えながら暖炉にあたっていた私は、出迎えた母様の怯えるような声を聞いた。
「あの子が出てくる前に、お願いですからお帰り下さいまし」
いつも凛々しい母様が、幽霊を見たように怯えている。こわごわと覗いた階段の下、
「ゆきめ様は、お元気ですか」
私は、見間違えはしなかった。
緑の黒髪、切れ長の瞳、薄い唇と紺の外套。夢かと、思った。
「すみれさん!」
足をもつれさせながら、階段を駆け下りる。雪が吹き込む玄関で待つすみれさんに駆け寄ろうとしたその時、
「お嬢様」
球根の毒が回り出す。
待雪草が、瓜二つの顔の客人を出迎えた。
冷たい表情のままの待雪草と、それを見て何かを悟ったような表情になるすみれさん。沈黙が支配するのに耐え兼ねて、私は言い訳じみた言葉を紡ぐ。
「だ、だってしょうがなかったんですもの。すみれさんは、もういないと思っていて、だから、」
死んでしまったと思っていた。
よくよく思い返すと、お父様は、一言も死んだなんて言っていなかったのに。死んでしまっていたとしても、

「私からお話いたします。」
「紅茶を!」
ほとんど、悲鳴のような声が喉から出た。目の前の人はもう、岩代の女中でないというのに。
「その自動人形に、お申し付けください」
紅茶を淹れてと待雪草に命じる、私の声は震えていた。それを聞いたつみれさんは、長い睫毛をゆっくりと伏せた。
「……私は、お嬢様がきっと想像もつかないほど貧しい家で育ちました。子につみれという名をつけるほど、食べ物に飢えていた家でした。兄弟の名は弾五です。だんご。笑ってしまうでしょう?」
そこまで言って、つみれさんは軽薄に笑った。
「お嬢様が気軽に食む数々が、私には贅沢品の限りでした。」
つみれさんが貧しい家の出だからなんだと言うのか。そんなことを気にするほど、私は酷薄に見えたのだろうか。
「骨身に染み付いた消えないごみための匂いを、路地裏の匂いを、趣味の悪い香水と聞きかじった教養で消したつもりで、私はこの家に入り込みました。幸いご主人と奥さまは、とてもよくして下さいました。何も知らないかわいいお嬢様も、実の妹や弟なんかよりずっと、本当に愛しく思えました。」
瞳を優しい色が包む。私の知っている、つみれさんの色。いつ話しかけてもその色で答えてくれた、陽だまりのような私の居場所。
「それなのに…どこから、漏れたのか。ドブネズミのような嗅覚で親が。私が、この家で働いていることを嗅ぎつけました。」
家族のことを話すつみれさんの表情は暗かった。私の知らない世界だった。家族について思いをめぐらす時、吐き捨てるような顔をする人を初めて見た。
私の知らないつみれさんが、そこにいた。
「親の……あれの取った行動は一つでした。いつもと変わらないやり口で。ここでは言えないようなやり方でいつものように金をせびって。私は、それにいつものように負けました。」

「義躯を買ったのと同じ闇医者のところで、私は顔を別人に変えます。築木すみれという名の女は、明朝この世からいなくなります。」

「なにもあなたが顔を変えなくたって!変えなくたって……」

「ありがとうございます、ゆきめ様。……私と同じ顔の自動人形は、既にこの世に五百体います。自動人形と同じ顔の女が、我が物顔で道を歩いていては困る人がいるのです。」
「五百体ぽっち、買い占めてしまえばいいじゃない!ねぇ父様、母様!」
父様も、母様も何も言ってくれなかった。いつもならどんな我儘も聞いてくださるお二人が、

「本当に、ありがとう。岩代の家の人々は、真に私の家族でした。お嬢様、どうか、大切にしてください。もう一人の私はとっても高いんですよ?」
嗚呼。
最後の最後に悪戯っ子みたいに薄く笑うから、声を出すことが出来なくなった。私の大好きだった笑み。内緒ですよと手渡されたべっこう飴の味が、今更どうしてか思い出せない。
「雪割草。無垢なままのもう一人の私、お嬢様に望まれたもう一人の私。岩代の家の方々を、お嬢様を、私の分まで大切にしなさい。」
泣き崩れた私の頭上に響く、かしこまりました、と無機質な声。あたたかな手で優しく撫でて、つめたい片手の義躯で背中を軽く叩いて、足音が遠ざかっていく。
行かないで、つみれさん。大好きな、永遠に私の家族。さよならなんて言わないから、戻ってきて、戻ってきて。
「お嬢様。」
駆け出そうとした私の足は絨毯の上でしかしもつれて、血の通わない両手に、抱き起こされる。
「……命令を受領しました。あなたのことを、大切に。」
嗚呼、待雪草。
雪に埋もれた菫の花を割って咲く、無垢で愚かなスノウ・ドロップ。
私の涙を吸ってこぼれる雪のしずくが腕の中で見えた気がして、私は気狂いのように、ややこのようにずっとずっと泣きわめき続けていた。

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