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2曲目が終わった。オーディエンスはノリはじめている。
人類最高になったバンドがステージ上で叫ぶ。
「音の速度で通夜を追い越そう!」
声が震えている。怖いからじゃない。もう怖くはない。会場にいる人は、会場にいない人も、みんなひとつだ。
2万人の居る即席ドームでキャストが叫ぶ。
「そしてSCP財団、ありがとう!次の曲行くぜ、聞いてくれ!」
2022年7月7日。
この日、ウエスト・コートのサイト-27研究所に1人の新人が配属された。
「初めまして。橘 太陽と言います。専門は波動物理。好きな食べ物はお好み焼きです。皆さん、よろしくお願いします。これ、地元のやつです、是非皆さんでお召し上がりください。 」
両手の大きなプラスチック袋を差し出し自己紹介。袋には大判のお好み焼きがたくさん入っている。
「初めまして、橘くん。所長の梅田だ。歓迎は今後次第。デスクはあそこ、21番。これが君の職員証。分からないことがあればメールしてくれ。」
背を向けたまま要点を話す。上へ伸びたアホ毛をくるりと回し、梅田の顔を啄むように見る。
「君は、ピアスをするんだな。普段は構わないが、実験中は外すように。あと、」
また回った。アホ毛は彼女の動きを追うらしい。
「そのくっせぇソースを研究室に入れるな。鼻が腐る。」
サイト-27は数少ない上級研究所の1つだ。梅田を筆頭とした職員の専門は、最先端を1歩踏み出す物理学。今日、その大会議室には大阪があった。
「所長、見てくださいよ、かつぶしが踊ってます。アツアツだ。」
「黙れ。単に湯気が鰹節を動かしているだけだ。お前も科学者だろう。二度と下らない比喩表現を使うな。」
「はぁー、皆さん召し上がってますよ。」
我の強い研究者らがアフター5に集まれるワケもなく、歓迎会はその場で済ましてしまうことが通例だ。橘も飲み会に良い思い出は無いため、異論はなかった。ただ1人、足を組んだ梅田所長が何度も机に指を叩きつける。しばらくもせずに立ち上がり、所長室に歩を向けた。
「所長、歓迎会ぐらいやろうって言い出したのは所長じゃないですか。楽しみましょうよ。」
「何年前の話だ。それに私はこんな乱雑な食事会を提案した訳では無い。研究者として、学問の探求者として知識の共有をだな。」
「せっかく新人くんが気を利かせて食べ物持ってきてくれたのに。」
取り付く島もなく、コンコンと足音をたて、梅田は立ち去った。
「ごめんな、新人くん。ちょっと、いやだいぶ、無愛想でさ。研究一筋!って感じの人なんだよね。」
「ははは、大丈夫ですよ。嫌われるのには慣れてます。」
「いやまぁ嫌ってるっつーわけじゃ…まぁいいや、食べよう食べよう。これなかなか美味しいよ。」
梅田は所長室のドアを強引に閉めた。所内は効率化のため例外無く自動ドアになっているが、とにかく部下たちの無駄な歓談を締め出したかった。入室と同時にディスプレイモニターが一斉に点灯する。1台1台が高価で、それらを並列処理するコンピュータを含めた総額は高級マンションに匹敵するだろう。しかしこれは梅田に許された特権のほんの一部にすぎない。財団が天才を引き込むための費用に比べれば微々たるものだ。梅田はすぐにキーを打ち始める。先刻の無駄な会話の間にも、数件書き留めておくべき数式を思いついたのだ。ふと目を動かし、モニターのひとつに映る先週発表されたばかりの論証を確認する。資料はどれも自動的にゆっくりとスクロールされている。ブルーライトの中に、カタカタと言う音だけが響いていた。
「すみません、R91の論文なんですけど。」
「ん、どうした?」
「この実験、だいぶ規模が大きくなりますよね。音とか、煙とか。カバーストーリーの申請入れときますね?」
「あぁー、確かに、そうだな。ありがとう、助かるよ。」
橘がここに務めて2週間が経った。優秀で、周囲からの評判は良い。最も、それがここの配属条件なのだが。
穏やかな日常が流れる。世界最高位の研究室でも、書類仕事は靴底のガムのようにへばりつく。
「よし、一旦ここで休憩入れようか。午後は各班控えてる実験を進めるつもりでいてくれ。」
「はーい。」
何人かの職員は喫煙室に向かう。橘は椅子に腰かけ、鞄から取りだした装置を耳につける。いつもなら彼も葉巻を吸うが、今日はそんな気分になれなかった。
「橘、それ何?」
ある研究員が自らの耳を指さして尋ねる。
「ああ、これ、イヤホンなんですよ。骨伝導イヤホン。外の音が塞がれなくて便利ですよ。」
「へぇ、それ、もうあるんだな。ガキの頃読んでたSFで見たよ。」
「そんな高くないですよ。機動部隊の方じゃ、通信で聴覚が塞がれないのが良くて、結構使ってるらしいです。」
こうして会話している間にも橘の骨には音楽が流れている。
「ふぅん、面白いねぇ。あぁそうだ、橘は1班だよな。悪いんだけど、午後の実験臨時で…」
彼はそのことに気づいていないようだった。
喫煙室に入った橘は慣れた手つきで葉巻を取り出す。
それを見て先輩研究員がライターを差し出した。
「お前今どき葉巻って…ほれ、火。」
「あぁ、どうも。昔友人に勧められて、ハマっちゃいまして。ピアスも、ミュージックも、実はその子の影響なんですよ。」
へぇ、と興味なさげな彼の手にはマルボロが握られている。
「俺もお気に入りしか吸えないから、わかるよ。」
二人の吐く煙が部屋を満たす。
「どうだい、ここには慣れたかい。」
「えぇ、まぁ。ぼちぼちですよ。」
当たり障りのない返事。助手時代に学んだ処世術だった。
ただ、と大したことでは無いように振る舞いつつ、付け加える。
「所長と中身の無い話をしたことがありません。」
おお、と相槌をうち、灰皿を片手に呟く。
「まぁ、しょうがねぇさ。」
「別に僕だって仲良くしたいわけじゃありませんよ。」
そう、別に橘は不満に思ってはいない。
「でも、大学の研究室じゃ上との折り合いが悪くて苦労したので、それが怖くて。」
橘は言い訳をするように、嘘をついた。
「所長、入りますよ。」
ノックと同時に扉を開ける。橘の無礼に対する梅田の返事は舌打ちだった。
喫煙室での会話の後で、少し梅田と距離を詰めたいと思った橘は、数少ない機会を利用すべきだと考えた。
「はぁ…そこの緑のカゴ。あと追加でこれを18時間以内に。」
オフィスチェアを転がしながら付箋を差し出す。橘はポストイットを受け取りファイルをカゴに入れる。
視界いっぱいに広がる画面は何度見ても荘厳だ。
なるべく不自然にならないよう、所長に話しかける。
「やっぱ凄いですね、ここ。何枚ぐらいあるんですか。」
「縦8、横15。知らなかったな、お前は私と雑談をできる程優秀だったとは。」
皮肉、いや勧告を無視して橘は続ける。
「そんなに沢山のモニターで何を見てるんで…す…。」
橘は言い終えることができなかった。彼女は怯えていた。橘に恐怖していたのだ。橘は、彼女が蔑みや侮蔑、あるいは実は寂しがりで、話しかけてきたことに喜びを見出すかもしれないと思っていた。彼女は今、橘に怯えていた。
橘は逃げるようにモニターを見回した。左から数列が様々な言語のニュース番組。橘がわかる限り、どれも科学に関するもののようだ。次の数列、これが半分程を占めているが、は何某の論文だった。物理はもちろん数学や化学、哲学のものすらあるようだ。残りの数列は絵画だった。いくつかは橘も知っている。
「どうだっていいだろう、早く出ていけ。」
「え、えぇ。失礼、しました。」
少しでも距離を詰めるつもりが、できなかった。オフィスチェアに座る所長と、入口に経つ自分。
「あんなにブルーライトが多いと、目が痛くなっちゃうじゃないか。」
橘は一人、言い訳のように呟いた。
「サイト-120から79、全て連絡が取れません。」
「180から225も依然連絡なし。」
「こっちもダメだ、やはり状況は厳しいらしいな。」
烈日が正常性の範囲を書き換えた24時間後、奇跡的に研究室のメンバーは半数が生存していた。元々昼夜逆転体質のものが多かったことや、余程の理由がないと外出しない者が多かったからだ。
「こっちも…あ、みなさん、サイト-19と連絡が取れましたよ。」
「よし、3班、回線を補強しろ。5班と8班は周辺環境の調査に。研究棟からは出るなよ。あとは引き続き他と連絡を取れないか試してくれ。」
「「了解。」」
「1班は私と来い。所長室で通信する。」
今や所長室も薄暗い。非常事態である以上、使う電力は絞らなければならなかった。中央のパソコンを起動し、送付されたレポートを確認する。
「太陽オブジェクト指定…Apollyon?…収容は不可能…暴露した職員は喪失扱い…ワックス状の生物…総人口の86%が喪失…!?」
「24時間前か。アラートが出たのが17時間前。相当混乱してたらしいじゃないか。」
橘が有史以来最大のインシデントに混乱する中、梅田はあくまで最善手を考える。
「スライミー、沈んだ日が泥のように溶かす。」
「半神が地球の裏で太陽を捉えてくれればいいよなぁ。」
「おい、ふざけたことを言ってる暇はないぞ。車を出せ、直ぐに出発するぞ。」
誰かが画面に表示されたメッセージを読み上げる。
「サイト-19へ来てくれ。我々にはできるだけ多くの助けが必要なのだ、か。」
複数回の接敵を回避し、梅田達が無事にサイト-19に到着した頃には、日の出の時刻が迫っていた。
「危なかったな。リスクを避けて迂回したとはいえ、かなり時間がかかってしまった。」
「とはいえメンバー全員が無事に着けたのは奇跡ですよ。神に感謝しましょうか。」
「なぁ、私の知らない内に神の存在が論証されたのか?二度と私の前でそんな話をするなよ。」
「もうアレルギーみたいなものだな、これは。」
軽く笑いながら車を降りる梅田達に、若い男が声をかける。服装が彼が財団所属の研究員であること、そして本来の職場がここでは無いことを示す。
「梅田さん、そして研究チームの皆さん。サイト-19へようこそ。私は下級研究員のロナルドと申します。来て下さり本当にありがとうございます。ロクな歓迎ができない非礼をお許しください。」
「社交辞令はいい。送られたレポートは読んだ。サイト-19は何をしようとしているんだ。」
「そうですね、簡潔にお答えしますと、特に、何も。」
「は?」
ロナルドは淡々と、疲れきったように言葉を吐く。
「我々サイト-19のメンバー、そして集まってきた財団職員の間で遂行されているプロジェクトは現状ありません。残念ながら、あなた方はとんだ無駄足を踏むことになりました。」
「どういう…どういうことだ?管理者が送ったメッセージはなんだったんだ?何か…何か人類を救うためのプロジェクトがあるんじゃないのか?」
梅田の顔色が蒼白に染まる。研究チームのほかのメンバーも、動揺が隠せない。
「管理者は既に喪失しました。8時間前にA棟エントランスが決壊し、多量のオブジェクトが侵入。前哨基地のA棟、医療部門C棟、総務部門D棟、そして最高司令本部のE棟。全ての施設が占拠され、人員もロストしました。ここB棟は独立構造のため難を逃れましたが、役割は避難所兼資材室。残っていたのは全て下級職員や他サイト、あるいは民間の避難民です。」
「…評議会は?」
「半分は行方不明。もう半分のうち3人がイベント発生時、つまり36時間前に喪失。残りが8時間前のインシデントで喪失しました。現状連絡のつく人員の中で最も強い権限を持つのは、梅田さん。あなたです。」
絶望的な状況を語るロナルドはどこか喜ばしげですらあった。たった今、彼は自由の牢獄から出る鍵を得たのだ。
「施設内の案内はさせていただきます。ただ、その後我々がどうするか、何をするかの指揮権は梅田さん、あなたに全面的に委託されます。」
最後の挨拶をしたとき、彼は笑みが浮かびすらした。
「来て下さって、本当にありがとうございます。では梅田さん、人類をよろしくお願い致します。」
人員、兵装、資源、施設。人類が持ちうる全てはこの場にある限りだった…少なくとも、アメリカの西海岸では。
施設を見終えた梅田はB棟の最上階に司令本部を設けた。
「可能な限りのモニターを持ってきてくれ。ロナルド、そいつはもう少し奥…そう、そこでいい。」
梅田の使える端末の数は所長室にははるかに及ばない。
「研究室から物資を運ぶことも検討すべきだな。」
配線を終え、ひとつ、またひとつとブルーライトが灯り始める。
「よし、これで…これでいい。当座の仕事は終わりだ。今日はみんな疲れただろう。各自飲み込めないこともあるに違いない。部屋に戻って休め。」
全ての端末が接続されると、梅田は全研究員を部屋から追い出した。他の職員が出ていく間、橘はドアを抑えていた。そして最後、自分が出る番になって、そのままドアを閉じた。
「どうした、橘。何か話か?私も今日は疲れてるんだ。また明日にしようじゃないか。」
腑に落ちない。しばらく悩むような声をあげた後、橘は呟いた。
「なぜディスプレイを用意させたんですか?」
梅田はうんざりしたように唸る。
「おいおい、10時間かけた合衆国縦断とカーチェイスの果てで人類が"マジのガチ"で絶滅の瀬戸際にいることを教えられ、挙句の果てにタイタニック・ファウンデーションの艦長を押し付けられた私に聞くことがそれか?」
「ネットは半分死んでます。所長が前見ていたもののほとんどは映りませんよ。」
「外部端末に保存したんだよ。」
「しかしクラウドにアクセスすることはできません。論文のデータはほとんどそっちに…」
「もういい!」
橘が言い終える前に叫び、拳を机を叩きつける。
「わかった、お前がクソ偏屈の詮索好きなら私にも言うべき事がある。だがとりあえず、その手元のスイッチを左に捻って部屋を暗くしてくれ。目が痛い。」
橘は黙って壁についた複数のツマミの内1つを回し、部屋の照度を下げた。梅田の声の微かな震えが、彼に有無を言わせなかった。暗い部屋で2人の顔がブルーライトに照らされる。
梅田は何度か大きな呼吸してから話し始めた。
「いいかい、私は何もモニターで論文ばかり見ている訳では無い。コンピュータに解かせた様々な数式の途中経過に、さほど重要でなくとも時折必要になる公式に…とにかく、とにかく環境というものが大事なのはわかるだろう?私は可能な限りストレスの無い…普段と同じ環境で仕事をしたいんだよ。全く、こんなくだらないことに貴重な時間を使わせるな。状況に感謝しろ、人手が足りてれば追い出してやるところだ。さっさと部屋にもどひぇあっ!?」
橘が諦めてドアノブに手をかけた瞬間、バチンと音がして部屋の電気が全て消える。薄暗い照明も、ブルーライトも。お互いの顔がよく見えない。梅田が驚いて間抜けな声をあげたので、橘は少し嬉しくなった。橘は落ち着いて髪を耳にかける。
「あっ…あぁっ…」
梅田の狼狽した声を最後に、部屋は静寂に包まれた。
停電の理由は至極単純だった。研究チームが来るまで電気の消費量が少なかったため、送電システムを省電力モードに設定していたのだ。主要因は梅田のコンピュータだが、引き金を引いたのは部屋に戻った職員がレトルト食品を温めるために使用した電子レンジだった。
停電の瞬間に自体を把握したロナルドは地下の配電室に走る。
「あぁ、電気のことは忘れてたなぁ。」
乾いた靴音が通路に響く。
「そういえば、通信アンテナも広域モードじゃなかったりして。」
暗い地下道を、懐中電灯で照らして走る。
光も、音も、動きもなかった。情報量の少ない部屋で、お互いの息遣いすら耳をすまさなければ聞こえない程に。静寂を破ったのは梅田だった。
「はっ…はっ…はっ…」
「…所長?」
突然堰を切ったように荒々しい呼吸を繰り返す梅田に、橘は異変を感じ取る。
「あっ…はっ…はっ…ひゅっー、はっ…はっ…」
断続的なしゃっくりを繰り返すように乱れた上司に、橘は駆け寄って様子を見る。暗さで顔色は見えないが、明らかに具合が悪そうだ。
「所長、落ち着いてください。きっとただの停電ですよ。」
「かっ…わかっ…ひゅっー…」
一言を話し終える前に次の呼吸が迫ってくる。
梅田の苦しげな呼吸を背景に、橘は唐突に、そしてゆっくりと語り始めた。
「むかしむかし、ある山奥の村に、一人の男の子が産まれました。」
むかしむかし、ある山奥の村に、一人の男の子が産まれました。
男の子は、おしりの大きな痣になぞらえ、斑太郎と名付けられました。
彼の母と父はいつも仕事で忙しく、彼は5つ年上の村長の娘に育てられました。
彼がすくすくと育ち歳を重ね、7つのお参りを済ませた頃、村の若い娘がさらわれる事件が起きました。
娘たちは1人、また1人といなくなり、村の男達は大いに嘆き悲しみました。
ついに村の娘は村長の娘だけになり、彼女も今にきっと自分の番が来る、と怯えて暮らしておりました。
斑太郎は、世話になった彼女をみすみす攫われぬ訳には行かぬ、今こそ恩義を返す時、と、彼女の足に墨を塗っておきました。
夜が開けるとむべなるかな、村長の娘は影も形もありませんでした。
しかし、斑太郎は気づきました。家から山延びる真っ黒な足跡に。
斑太郎は飛び出して、山の奥へ奥へと続く足跡を追いました。
山を入って少しすると、木の上から鶯が話しかけて来ました。
「どうせもう食われちまってるよ。ほら、あの子の服だ。可愛そうに。」
鶯が嘴を開くと、村長の娘がいつも着ていた服がヒラヒラと落ちてきました。
「いんや、おらは行かねばならぬ。」
一言そう言って、斑太郎は落ちてきた服を纏い、進みました。
さらに山を進んでいくと、土の中からミミズが話しかけてきました。
「どうせもう殺されちまってるよ。ほら、あの子の帯だ。哀れな娘よ。」
ミミズがのたうつと、村長の娘がいつもつけていた帯が飛んできました。
「いんや、構わずおらは行く。」
一言そう言って、斑太郎は落ちてきた帯を巻き、進みました。
さらに山を進んでいくと、岩の上から狼が話しかけてきました。
「どうせもう殺されちまってるよ。ほら、あの子の簪だ。諦めろ。」
狼が口を開くと、村長の娘がいつもつけていた簪がコロコロと転がって来ました。
「いんや、それでもおらは行く。」
一言そう言って、斑太郎は落ちてきた簪を髪に刺し、進みました。
橘が御伽を語るうちに、梅田は過呼吸から回復していった。
床に座り込んだ梅田は橘を見上げて言う。
「で、斑太郎はどうなったんだ。」
思わず笑顔がこぼれ落ちる。目線を梅田に合わせ、話しかける。
「続きが気になりますか?」
「気になっちゃ悪いか。」
「いいえ、とんでもありません。」
橘が立ち上がり、続きを語ろうとしたと同時に部屋の明かりが蘇った。穏やかな光が視界に広がる。パソコンは人の手で起動し直さなければならないため、ブルーライトはまだ点かない。
橘は半ば諦めたように確認する。
「電気、点きましたけど。続き、聞きたいですか?」
「…いや、もういい。落ち着いたよ、助かった。でも、私の人生に嘘はいらない。足裏の墨はそう長持ちちないし、動物は喋らない。」
「ええ、仰る通りです。でも、」
橘はドアノブをひねりながら言う。
「人を救う科学と、人を救う嘘。違いがありますかね。」
自室に戻る橘は小さな勝鬨を上げた。
「アルファがD-3通路から侵入し、ゲートE-7のロックを解除。ガンマ、デルタはそこから侵入して最高司令本部から通信域を最大に設定する。ベータは露払いだ。適宜指示を出す。」
「「了解。」」
停電から一日明け、梅田は人類再興の取っ掛かりを掴み始める。先日の侵攻で施設はロックダウンシステムが起動し、電気網、通信網と共に著しく機能制限されていたのだ。
「おかしいとは思ったんですよね。いくら省電力モードでも、利用者は少ないんですから。あんなぐらいで停電するなんて、妙です。」
「ロックダウンを発動・解除できるのは最高司令本部からのみだ。ここを取り返せば希望が…他サイトの生存者と連絡が取れるかもしれない。しっかりやってくれ。」
機動隊員の生き残りも数少ない。行動は最小限で、物資の消費も抑えて。勝手知ったる財団サイト、最適路は容易に分る。
「基本的には電気銃を使え、液体窒素には限りがある。だが使うべき時には惜しむなよ。現場判断での使用を許可する。」
「「了解。」」
「急ごしらえのチームだが、なかなかいい出来じゃないか。ひょっとすると、人類最後の作戦だ。全力でやろう。」
「「了解!」」
廊下に機動隊員の靴音が響く。イヤーピースの無いイヤホンが、梅田の声と環境音を識別可能にする。
「便利だな、これ。」
「そうだな。おかげで、こうやって這いずってくるスライム共の音がよく聞こえる。」
盲目的に機動隊員たちを狙うスライムに対し、彼らは常に一手先を打てていた。作戦の安定感は、梅田の優秀なオペレーションと、隊員達が先日の侵攻を経験し、乗り越えたことに基づいていた。
最初に異変に気づいたのは機動隊員で最も若い、まだほとんど少年と言える歳のベータ部隊員だった。隣を行く先輩の隊員が、しきりに頭を振り乱している。
「あの、大丈夫ですか?」
「ん…あぁ、さっきからちょっと具合が悪くてな。すまん、気にしないでくれ。」
「一刻を争う任務ではありませんし、休憩や撤退を要請することもできますよ?」
「いや、いいんだ。少し…少し昔の嫌なことを思い出しただけさ。」
「わかりました。具合が悪ければ、直ぐに仰ってくださいね。」
1つ、また1つと行く手を阻むアメーバ状の生物の動きを止める度に、先輩の様子がおかしくなっている。他部隊が侵入するため、一帯の安全確保を任務とする彼らは、オブジェクトに接する数がとりわけて多かった。
これは良くない。とても、良くない。
永遠との追いかけっこ。すぐ後ろに迫る破滅。ゲートが重苦しい音を立てて開く。
疑念が確信に変わる頃には手遅れで、既に彼にも異変が起きていた。
「…ちゃん。お母さんの方へいらっしゃい。大丈夫、何も怖いことは無いのよ。私たちは1つ。アナタも1つ。」
目の前のオブジェクトが母親に見える。財団に入ってから数回しかあっていない母だ。オレンジ色でヌコヌコとして、個と全の判別も曖昧なのに、何故か懐かしさを感じる。望郷の情が涙と共に溢れる。
気がつけば、ベータ部隊員は全員が膝をつき、武器を床に置いて泣いていた。
「アニータ…アニータ…違う、あぁ、でも…」
「…みこころの天に成る如く、ち、ち、ち、にも…あぁ、エリ、いやこれは、でも、あぁ。天にまします…」
「…あ。」
司令室は騒然としていた。ベータを皮切りにアルファがロスト。続くガンマ、デルタも応答が不明瞭になり、撤退指示を無視して突入した。今や彼らのマイクはただ不快な水音を記録する。
「ガンマ、ガンマ!クソ、ガンマもロストした。どういうことだ、アメーバ状オブジェクトには精神を…いや、あるいはミームなのか?レポートにはなかったぞ、異常性が変わったのか。」
「橘、電気ショックを遠隔で起動できたりしないのか?」
「既に数回試しました!しかし、効果は見られず、これ以上は生命を脅かします。」
「少なくとも、我々に見えているそのままの状況では無いらしいな。」
モニターには無秩序が映る。隣で泣きわめく隊員、砂嵐、起動したまま放置される電気銃。廊下の隅で固まるアメーバがコスモスに見える。
「隊長…聞こえますか。」
特に映像が乱れていたカメラの持ち主から通信が入る。
「こちら本部。報告しろ、何名が喪失した。お前は無事なのか?」
「無事?えぇ、無事ですとも。違う、無事じゃない、危険だ。ううん、これは、ここは安全だよ。うるさい。私が決める。君は誰?」
思考分裂的なまとまりの無さ。彼は機動隊員の中でも最も経験と財団への忠誠に厚い人物であった。
「今、私は、私って誰?あなた?そう、あなたは、おれは、きみは、にゃあにゃあ。ここにいる。そこにいる。あれにいる。司令本部にいる。」
「お前は司令本部にいるのか?」
「あたくしは司令本部にもいます。ぼくはエントランスにもいる。あたしはB棟にもいる。わたしはデリーにもいる。」
抑揚のない声でただひたすら舌を回す。抑揚のある声で黙りこくる。
「司令本部にいるんだな?よし、お前の任務はもう少しだ。ロックダウンシステムを解除しろ。レバーをひとつ、倒すだけだ。それだけ。すぐに救援を向かわせる。もう少しの辛抱だ。」
梅田が救援を示唆した途端、彼の様子は急変する。髪を掻き乱し、叫ぶ。ほとんど絶叫に近い。
「ききききゅうううえんんんんんん?救援って、ぼくを、助けに来るというのかぁぁぁあい?」
「そうだ、だから早くレバーを…」
笑い声が響く。カメラが大きくゆれ、彼を映した位置で止まる。投げ捨てられ、床に落ちたらしい。
彼は泣いていた。彼は涙を流していた。彼は笑っていた。彼の口は歯を出して引いていた。彼は恐怖していた。瞳孔が見開いていた。彼は安堵していた。オレンジ色のオブジェクトにゆったりと沈みこんでいた。途端に彼の語りは流暢になる。
「ダメだ、ぼくを助けに来るな。ぼくをもう暗闇へ連れ戻すな。黎明を捨てたきみを捨てる。変わることは気持ちいい。」
ガシャリと音がして、途端に館内の照明がいっせいに明るさを増す。ロックダウンシステムは解除された。
「よくやった。君も、ほかの隊員も。直ぐに全員回収するさ。落ち着いて待っていてくれ。」
「いい「いいぇ「助け「きゅ「いらない「いらない」いらない」いらない」救援」いらない」助けないで」
「暖かい。」
彼の口から彼らが答える。機動隊員の全員が救援を拒否している。ただ一人カメラに移る彼は、腰より先が判別できなくなっていた。
「…機動隊員は全員喪失扱いとする。」
梅田の冷酷な声が響く。異論をあげるものはいなかった。部屋の誰もが、最期の暖かな光を見出した。梅田の一言が、冷たくて冷酷な闇を思い出させた。彼らは既にこちら側に居ない。我々は、まだこちら側に立たなければいけないのか?その問いに梅田がYESを定義した。
「作戦終了。各自改めて施設を確認してくれ。1班はまた私と通信に行く。各地の…サイトに繋げ。」
サイト4。サイト15。サイト39。サイト47。サイト…
梅田が知る数百を超える財団サイトの内、生存者が確認できたのは10にも満たなかった。生存者に騎手足り得る者がいないことを知り、心が折れかける。
「良くて半壊、下手すれば生存者1名か。当然だが、致命的なオブジェクトに追われる者もいる。」
戸の向こう側を鬼に叩かれる者。換気扇からアメーバに侵されつつある者。光への誘惑に耐えようとする者。
「死んだ者は啓蒙を受け損ねるのでしょうか。」
誰かの発した問いは、確認でしか無かった。
「我々もだがな。選べなかった分、哀れではあるが。いや、選んでいる我々の方が嘲笑に値するのかもしれん。」
「我々。」
別の誰かが吐き捨てるように呟く。
「揺らぐか?当然だ、私も迷う。意地でしかないよ。」
「正常性バイアスでは無く?」
「そうかもしれない。だがこれは疑う余地なく人にとって最も難しい定義だろう。あぁ、職務に忠実たる術を知りたい。」
上官の揺らぎに部下達は苛立ちを隠せない。もっとも、彼らも責任の所在がどこに無いかはわかっている。黙るしか無かった。
探索と通信から半日が経った。太陽が粘土をこねながら西へ沈む。
梅田は臨時所長室で他のサイト管理者と今後の方針について話し合っていた。
「そうか、そちらももって数週間か。」
「ええ、電気以外のライフラインが絶望的です。」
「どこも似たようなものだな。」
「食料庫に続く道を確保しようと試みましたが、悪戯に人員を喪失して終わりました。」
「では、あれを聞いたのか。」
梅田の記憶にも新しいアメーバに侵された隊員の語りについて尋ねる。
「はい。私たちは、このサイトの人間はほとんど全員が聞きました。」
「なるほど。」
脳裏に蘇る苦くてつらい記憶。
(…僕をもう暗闇へ連れ戻すな…)
思い出すだけで震えそうになる。彼らの声ではなく、定義した自分に。己と戦う梅田に画面越しの彼女が遠慮がちに声をかける。
「…あの。」
かろうじて我を取り戻す。
「あぁ、聞こえているよ。」
「私は、私たちは、もうあなたの決定に従いますよ。」
何よりも冷酷な、いや、もはや残酷な諦めの一言が発される。しかし梅田はここで折れ無いことを辞められる人間ではなかった。部屋で起動するパソコンは3台。
「あぁ、ありがとう。土壇場で指揮系統が乱れるのは避けたいからな。」
適当な応えを返す余力はなかった。
恐らくそれを彼女もわかっていたから、会話したことにしておいたのだろう。彼女を筆頭に、皆社交辞令的な挨拶をして会議を抜けた。梅田が通信終了のボタンを押すことなく、会談は終了した。
しばらくもしない内に橘が入ってきて、床に座る。
「どうでしたか、所長。手がかりは見つかりましたか。」
意味を捉えかね、数刻空く。だそれもすぐ納得に変わった。
「あ…あぁ、手がかりか。言い得て妙だな。そうだな、残念ながらたくさん見つかったよ。」
梅田は立ち上がり、寝室に戻ろうとパソコンの電源を落とす。
「あまりにも物事が一度に起きすぎた。私たちには…休憩が必要だ。」
「所長、この間の昔話の続き、聞きたくありませんか。」
少し怪訝そうな顔を作る。思い出したフリをする。
「あぁ?…あ、あぁ、あれか。あれは、まぁ、もういいよ。別に…」
首を左右に振って否定の意思を固めようとする。しかし梅田の虚勢は、この状況下では長くはもたない。すぐに机に腰を下ろした。
「…まぁ、どうせ最後だし、いいか。うん、話してくれよ。」
イヤリングを軽く撫で、橘はつらつらと語り始める。
[[tab 決着]]
斑太郎が追う足跡は山奥の小屋に続いていました。
小屋には村の女たちが裸に剥かれ、押し込められていました。
1番前には村長の娘がおり、彼女は言いました。
「私たちを攫ったのは恐ろしく大きい青目の男だ。アレは今山に熊を捕りにいっている。お前は早くお逃げなさい。」
斑太郎は一計を案じました。小屋で見つけた鉈を村長の娘の服で包み、山の中をうろついていました。
するとそこに、背丈が斑太郎の倍はあろうかという大男が現れました。
男は毛皮の服を着て、白い髪をしていました。そして、村長の娘の言う通り、濁りのある青い目をしていました。
男は何か言ったかと思うと、斑太郎を肩に担ぎました。斑太郎は鉈を取りだし、男の首をかき切りました。女たちは無事に村に帰り、斑太郎は村長の娘と結婚し、八人の子供と末永く幸せに暮らしましたとさ。
「めでたしめでたし。まぁざっと、こんな話です。」
橘の語る物語を、梅田はにこやかに聞いていた。
「よくある昔話だな。終わり方があっさりとしていて、嫌いじゃない。」
ところで、と前置いて橘は続ける。
「この話に出てくる大男には素性があるのですが、所長は誰だと思います。」
突然の問いに取り乱すことも無く、ニヤリと笑って返す。
「君の出身は大阪のはずだよな。」
「さすがですね。これは秋田の祖母から聞いた話です。」
橘は大袈裟に手を挙げ、降参を示した。
「昔の秋田の山には、北から流れてきたロシア人が住んでいたらしい。時に村の民を攫うこともあったそうじゃないか。今の話はそれによくある英雄譚を混ぜたものだろう。君の祖母の創作かもしれないな。」
「僕もそう思います。」
最後まで点いていたモニターの電源を落とし、橘は言う。
「鬼も神秘も、一皮むけばただの人。白人すら見た事ない田舎者にとって、恰幅の良く青眼のロシア人は鬼に見えたでしょう。ちょうど我々が柔らかで意識を共有する生命を変異体扱いするように。」
梅田の顔色が変わる。橘は机の引き出しに背中を預けた。
「僕の親友の話をしましょう。彼はアメリカ人で、僕に色々教えてくれました。タバコも、ファッションも、ミュージックも。」
片手で葉巻を箱から取りだし、しまう。彼から教わったもう一つを飲み込みながら。
「彼に会うまで僕は空っぽでした。絵の無い額。本の無い書架。彼が僕にできないことを教えてくれました。人生を楽しむことを教えてくれました。」
梅田は無言のままだ。何も言い返す勇気が無い。
「でも彼は、実際のところ空っぽでした。彼はタバコについて世界中の銘柄を挙げられたし、それぞれに使用される葉っぱの産地まで答えられたでしょう。でも彼は夜景を見ながら葉巻を吸って、雲と履いた煙が溶けるようになる瞬間を知らなかった。彼はビートルズからアーロン・スミスまで全てのレコードについて語れたかもしれない。でも彼は収容人数が万を軽く超すホールで、全員が同じ気持ちで手を前に出していて、自分もその中の一人になっている時の高揚を知らなかった。知らないまま溶けたのでしょう。」
けれど。
机に座る橘。椅子に座る梅田。2人は互いの表情を見ようとしなかった。
「でもあなたは違う。あなたは知っている。ルーブルに…ルーブルに行ったことがあるのでしょう?恐らく数日、もしかしたら1週間は滞在したのでしょう。多忙なあなたは貴重な時間の、休暇の使い方を知っていた。あなたはルネサンスの名画と超最先端物理学の結び付け方を知っていた。なのにあなたはどうしてそんなにも詰まっているのですか?綿でぎゅうぎゅう詰めのぬいぐるみの様だ。私ならとうに鉛を飲んでいる。今回だってそうだ。あなたはなぜ財団の理念にも、人類の幸福にも反する定義づけをしたんです。」
風が窓を揺らす。モニターの画面に梅田の顔が映る。
「私が、詰まっている?」
「そうですね、もう紛うことなき詰みです。」
明後日の方向にホームラン。遠くで何かが崩れる音がした。
「だが私は…私は結果を出さなければ、努力しなければ。」
絞り出すように答える。蛍光灯では彼女の心の闇を隠しきれない。
「結果を出さなければどうなります?」
「結果を出さなきゃ誰にも認めて貰えない。誰も私を見てくれない。みんな。みんな私から離れていってしまう。孤独になってしまう。」
「だから努力して、結果を出せる定義をしたんですか?」
「だって、私は頑張らなきゃ。私は頑張って、頑張ったから母様も父様も私を愛してくれて、私が論文を発表したから友人は話しかけてくれて、私が結果を出したから研究室のみんながいてくれる。努力すればみんな傍にいてくれる!」
叫んだ思いは裏返っていた。橘はその続きをわかっていた。だから梅田は神を認めない。だから梅田は光を認めない。サイト-27研究所長梅田言哭とは、そうやって生きてきた人間なのだ。
「わかってるんでしょう、もう努力する意味もないってこと。」
「じゃあ私は何をすればいい!私は何をすれば…」
「所長。」
力強く遮った。声も、体も。背中に手を回す。
「所長が何をしなくても、僕はずっと隣にいますよ。」
研究室にすすり泣く声が響いた。
日が天球の裏に回った頃、2人はベランダで夜景を見ていた。
廃墟と化した街に、ところどころブヨブヨとしたアメーバまとわりついている。脱走オブジェクトが、時折立てる破壊音で存在を主張する。
「タバコ、吸ってもいいぞ。」
「言哭さんの横では吸いませんよ。」
「私も吸ってみたいんだ。頼むよ。」
仕方なしにテーブルの葉巻箱を手に取り、1本差し出す。
「美味いもんじゃないですよ。」
「いいから。火、つけてくれよ。夜風が素肌に冷えるんだ。」
カチン、とジッポの音が鳴る。梅田は煙を吸い込んで、むせる。
「カハッ。これはキツイな。」
「だから言ったのに。」
「でも、好きだよ。橘の香りがする。」
橘は俯くことしか出来なかった。照れ隠しに、足の指を絡ませた。
「ん、くすぐったいぞ。」
「こっちのがくすぐったいですよ、もう。」
2人で同時に煙をはき出した煙が、螺旋のように交差して登っていく。
「もう、青い空とか、見れないのかな。」
梅田の呟きが届く雲は無かった。
だから、街明かりもライトも無しに、お互いの顔が良く見えた。
日が明ける。皆が夕食を食べに食堂に集まってくる。欠伸をする者や伸びをする者、寝ぼけて水をこぼしかける者などいる中で、橘は壇上に登る。マイクをつけたことに気づいた職員が彼に目線をやるが、すぐに何事も無かったかのように食事を始める。
「あー、あー、テステス。おはようございます、皆さん。ところで、ライブとか、やりません?」
突拍子も無い提案以上に、職員達は壇の横で佇む梅田に驚いた。数日でまるで正反対の方角を向いている。しかし受け入れる障害もなく、すぐに目線で続きを促す。
「ご存知の通り、我々は既に詰んでいます。資源不足が特に深刻で、救援の見込みはありません。恐らく来月の頭には選別か争いが起きているでしょう。他のサイトはもっと早いかもしれない。そうなる前に意地を捨てて、最期にライブでもやりたいな、と思ったんですよ。」
梅田はただ手を組んで頷く。職員達は、魅力的な提案に内心喜んでいた。未だに闇に留まっているのは財団の紋章を背負っているから、そして、その財団のトップが強引にでも光と闇に境界線を引いているからだ。観測者はいずれ居なくなる。
「設備も、機材も、完璧には程遠いです。でも、できる限り再現してみたいと思うんです。」
歯車が、回り始めた。
「皆さん、最期に手を貸してください。」
橘の提案から3日経ち、太陽は滑らかな雫を落とす。準備は極めて順調だった。職員達は協力して自分達の葬式を準備する。
連絡の着く全てのサイトで同時に行う。民間、職員の区別無く、演奏に秀でたもので即興のバンドを組み、練習に取り掛かっている。
どこかのサイトで何かを取り仕切る2人の職員が、こんな会話をしている。
「スタッフは?」
「音響と証明はAIの自動制御が容易です。収容システムを横流ししました。ライザーにはモーターと電子制御装置を取り付け、試運転中。搬入だけ少し人手が要りますが、確保済みです。」
はは、と笑って言う。
「搬出はいらねぇもんな。」
相手は黙って頷くことしかできなかった。
その日、避難してきた民間人は、退屈に変化した日常に刺激がもたらされることを知った。少しストレスが解消できると喜んだり、不謹慎だと怒ったり。反応は様々だったが、真の意図に気づくものは少数だった。その聡い少数も、余命が伸びることはないと悟り、あえて騒ぎ立てることはしなかった。ただ一つ、誰もが共通して思い、さして考えもしなかった問がある。
「SCP財団って、何?」
こうして2人、ベランダで煙草を吸うのは何度目だろうか。
「余命一日、か。」
「死ぬのとは少し、違うみたいですけどね。」
灰を落としながら呟く。
ライブの複数箇所同時進行や電子制御に、高度な演算機が必要となったため、梅田と橘の2人はサイト-27に戻ってきていた。
確認の意を込めて橘は質問する。
「あの世って、あるんですかね。天国とか、極楽とか。」
「あるさ、きっと。」
もう驚かなかった。橘は自分が何をしたのか把握している。
「明日なんですけど。」
愛よりも責任感から、橘は一つの提案をした。
「うん。」
「僕と、キスしながら溶けません?」
「うん。」
「窓のスイッチを押しながら、キスするんです。」
「うん。」
「額を合わせて、見つめあってですね。」
橘の言葉に力が入る。夢想家が妄想を押し付けるように嘘くさく話す。
「うん。」
梅田はそれをただ肯定する。
「…そしたら、先輩と僕は、多分1番に一つになれると思うんですよ。」
運命よりも確実に来る明日を、あくまで嘘くさく話す。
「…うん。」
梅田だけがそれを肯定した。
「それは、良いな。」
返事を聞いて、橘は後悔した。取り返しのつかないことをした、と。
酷く辛そうな顔をする橘を、梅田は窘める。
「自惚れるなよ、橘。」
「え?」
「お前はそんな立場じゃないよ。お前ができる仕事は、私を満たし続けることだけだ。」
橘はヒヤリとした。そして、それは直ぐに安心へと変わった。
(そうか、もう、負けてもいいんだ。強くなくて、いいんだ。)
「そうですよね。はは、そうですよ、そうなんですよね。あはは。」
あぁ、まるで痴人のようだ。それでも、橘の心は酷く澄み切っていた。
人工の光線が愛を濡らす
スポットライトが演者を照らす
心臓の鼓動が8ビートに犯される
ホールの振動が肺胞を弾き飛ばす!
画面越しに見えるオーディエンスのバイブスは最高潮だ。
スピーカーのツマミをめいいっぱい捻る。耳は痛いが心が気持ちいい。
「見てくださいよ。言哭さんの髪、空気の振動で私たちの髪も少し揺れます。」
そういう橘のイヤリングも揺れている。
「本当だ。なんだかアホ毛も踊ってるみたいだな。」
「みんな楽しんでるんですよ。」
中央モニターを中心として数台のモニターにサイト-19の様子が映し出されている。その程度に差はあれど、誰も彼もが楽しんでいる。喜んでいる。
「なるほど、5000人か。圧巻だな。」
「違いますよ、先輩。」
そう言って橘はエンターキーを押す。
モニターが一斉に点灯し、世界中の"向こう側"が映し出される。
「50万人です。」
それを見て梅田はニィと笑う
「はは、50万な。確かにこれは。」
ブルーライトが目に染みる。
「世界ぐらい、救える気がしてくるな。」
それを聞いて橘は悲しげに笑う。
「先輩、最後に。」
「そういえば、もう周りに人はいないぞ?」
「…言哭さん、お願いします。」
梅田は頷き、無言で額を合わせた。
「向こうがあるなら、また会おうじゃないか。」
「あは。楽しみです。」
天井が左右に開き、優しい陽光が差し込む。
トプン、と音がした。
[ご拝読頂きありがとうございます。以下に著者の気になる点・アドバイス等いただきたい点をまとめましたので、批評の際には参考にしていただけると幸いです。
以下、読んでいた方への質問です。
・ロックの提言に関して、致命的な解釈の誤りはありますでしょうか?執筆にあたり再三注意深く読みましたが、理解したと言うにはには程遠い状態です。独自解釈が過ぎる場合はご指摘ください。
・物語を通して橘と梅田の性別を明らかにしないよう努力しましたが、その試みは成功していますでしょうか?また、これにより物語に悪い影響は生じていますでしょうか?2人の性別は隠した方が面白いかな、と思いましたが、随所で読みずらい部分も生じています。不利益が大きければ性別を設定致します。
・橘が大阪出身である描写は削除すべきでしょうか?私も明確な必要性を感じられていませんので、邪魔だと感じられる方が多ければ削除致します。
・梅田は十分に優秀に見えますでしょうか?この物語は梅田が天才でなければ成り立たないので、場合によっては書き足す必要があると考えています。
・イヤホンの描写は邪魔でしょうか?物語の中でも少し浮いているように思います。無くてはならない程のものでは無いので、削除を検討しています。
・昔話のくだりは邪魔でしょうか?二人の仲を狭めるために昔話を用いましたが、物語全体の雰囲気に合っているように思いません。何か別の手段を検討するかもしれません。
裏設定と執筆の意図
物語はライブのシーンから始まります。一般人もいるであろうライブの場でSCP財団の名を出し、読者に違和感を与えます(個人的にはギョッとして欲しいです)。
本編最初のシーンは橘の入所です。梅田は橘に対し冷たく接しますが、これは特別なことではなく、愛想を振りまく脳の無い梅田にとっての平均的な反応です。梅田は人一倍他者に愛されたい、という欲求が強いですが、「人は彼にとって利益のある人間を愛する」という功利主義的な価値観を持っているため、努力して結果を出そうとします。反面、優しくするとか、良く思われようとするといったことはその人に利益をもたらさないと思っています。とにかく人に愛されたいので、人に愛されるための行動(=利益を生み出す努力)以外のことを無駄と捉え、極端に嫌います。梅田にとって最も他者に利益を与えられるものは科学でああるため、非科学を嫌います。サイコパスではありません。むしろ感情を察する感性は豊かです。私の中では梅田は裕福で、親に愛されて育った女性です。
橘は端的に言うとクズです。このtaleは橘が梅田をおとすゲームを楽しむ過程を描いたものでもあります。元々天才で、割となんでもソツなくこなせた人間です。天才ゆえの虚しさに悩んでいたところを悪友に救われ、人生を楽しむことを知ります。彼にとって初対面の人物に強く拒絶され、その後しばらくも中を深められなかったのは初めての経験です。プライドを刺激された彼は何としても梅田をものにしたいと考えます。結果として二人は梅田のステージではなく橘のステージで戦い、梅田は敗北します。しかし最終的には、橘の方が負けます。自らのステージで戦ったにも関わらず負けた橘に、もう後はありません。私の中では橘も梅田ほどではありませんが、そこそこ裕福です。親のどちらかがだらしない人間でしょう。多分男性です。
人類が新たな存在へと生まれ変わりつつある中で、財団としての責務を果たそうとする梅田と、ただ梅田との刹那的な幸せを求める橘の対比などうまくかけていればなあと思います。Apollyonという確定した終末を、残された人類がどのように受け入れるか、あるいは受け入れまいとするのかを描きたかったものになります。
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アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:7954672 (05 Apr 2022 23:28)
ラストシーンは綺麗ですが全体的にやりたいことが散らかっており、話がどこに進むのかよく分からない箇所が多かったです。ロックの提言の概要は把握していますが、背景で起こっている事件が具体的にどういったものか説明されないままシーンの挿入を行っているため、流れを整理しづらかったです。
このTaleでは梅田と橘の関係性について書いていますが、その変化を自然に描くのに寄与しないシーンは極力削るべきだと思います。戦闘シーンや昔話などは関係性の変化にはそれほど繋がっていないので省いた方がいいでしょう。また、ロックの提言の事象が発生するまでが遅いのが気になります。それまではキャラクターの掛け合いが続き話が展開しておらず、冒頭のフックの効果も弱まっているように感じました。キャラクターについては事件での立ち回りで見せるということを意識してほしいです。
モチーフを前提として表現を工夫してほしく思います。このTaleではロックの提言から「太陽」、反骨とラストシーンの「音楽」を残すと面白くなると思います。それ以外は削り、この二つのモチーフで二人のキャラクターの変化を書くことに集中してほしいです。中盤のイヤホンのシーンはいいなと思いましたし、終末の中でロックンロールを奏でながら散っていく場面の演出は良かったです。
このほか、現状では地の文が少なく台詞で説明を補っているのが気になりました。情景や心情などをシーンごとにしっかり掘り下げていくと見応えのあるシーンになるので頑張ってほしいです。加え、Taleのテンションに合わないのでタイトルは変えた方がいいように思いました。
読んでいただきありがとうございます。
まず、昔話に関してですが、おっしゃる通り全体の調和を乱しますので、省く方向で改稿致します。二人の仲を深めるために、二人きりで一定の時間を過ごさせる、という方針をとり、手段として(間を持たせるために)昔話を用いたにすぎませんので、なにかよりよい方法を考えたいと思います。
次に戦闘シーンに関してですが、確かに情報量の割に二人の関係性に与える変化が少ないので読者の混乱の要因となるかもしれません。と梅田が絶望するに足るオブジェクトの脅威性を描写するよりよい方法を考案致します。
全体的な流れの整理や、とっちらかっている感の解消に向けて改稿を進めます。また、読みづらかった部分や、良かった部分などもご指摘頂き、大変励みになりました。ご批評ありがとうございました。
拝読しました。
正直途中から何をしたいのかわからなくなってちょっと読み飛ばしてしまう所がありました。と言っても冒頭は面白かったです。改稿頑張って下さい。
読んでいただきありがとうございます。
頂いた感想を励みに、邁進致します。
こんにちは、下書き批評エキスパートです。
異議1がある場合は、このコメントに返信するか、SCP-JPイベント委員会(コンテストハブに記載)までご連絡ください。
スポイラーに該当するものを復元しましたので、改めてエントリーを宣言致します。