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木島の顔には期待と緊張が満ちていた。
エレベーターが目的地に着くまで小声で同じ文を何度も呟いている。今日が彼の勤務初日であった。
これまで厳しい訓練、恐ろしげなオリエンテーション、途方もない地獄の数々を乗り越えて木島は財団のフィールドエージェントになった。今の木島にはあの時の地獄を思い出すだけで、自分に自信が持てた。
「俺は成長した、強くなった」
最後の呟きが漏れた直後、エレベーターが目的地に着いた。まずは直属の上司に挨拶をしに行かなければならない。廊下を歩き、左側2番目のドアをノックする。
「失礼します」
部屋には5つのデスクがあり、一番奥のデスクにのみ人が座っていた。座っていた人物は立ち上がると穏やかに笑い、木島に近付いて来た。
40代後半の痩せた男で、パーマ気味の髪と黒縁の眼鏡から、木島は昨日テレビで見たお笑い芸人を想起した。
「やあ木島君、私は丹治、これからよろしくね」
笑顔と共に握手を求める姿は、木島の想像していた財団エージェントのイメージとはかなり違っていた。拍子抜けした木島は遠慮がちに手を取る。
「よろしく…お願いします」
「じゃあ木島君、ファーストタスクにかかろうか」
木島の顔に緊張が戻る。
財団のファーストタスク、何も聞かされていない。
丹治は着いてこいと笑顔でジェスチャーし、木島は後ろに着いていく。廊下を来たときと逆の手順で戻るなか、木島の頭は目まぐるしく回転し、これから起こる事を想像していた。
エレベーターが来るまでの間、木島は103個ほど財団が課してきそうなファーストタスクについての予想をまとめ、覚悟を決めて丹治に聞く。
「ファーストタスクとは何ですか?」
丹治は木島に笑顔を崩さず顔を向けると、さも当然の様に答えた。
「写真撮影だけど?」
木島の顔には失望と疲労が浮かんでいた。
目の前には涼しげにざるうどんを掻きこむ丹治がいた。
車で十数分の所に写真スタジオはあった。
木島は証明写真なら既に撮ったと丹治に言ったが、丹治は「証明写真じゃなくて記念撮影に近い」と彼をスタジオに案内した。
丹治が予約してあった為、撮影まではスムーズに進み、本来なら1、2時間で終わる筈だった。しかし、丹治は写真の出来に異様にこだわった。
「笑顔がぎこちないね」
「明るすぎて白くなってるじゃない」
「髪型が崩れてるよ、直して直して」
結果撮影は4時間かかり、そこから写真を1枚厳選するのに丹治は更に1時間悩んだ。
木島にはこの男の考えがわからなかった。
特殊な新人いびりなのだろうか、しかしわざわざ苛める為だけに経費で写真代を落とすだろうか。
遅めの昼食を、撮影スタジオのすぐ横の蕎麦屋で取りながら、木島は自身が本当にフィールドエージェントになったのだろうかと根本から疑問に思えてきた。
「きつねそば、伸びてるよ」
丹治に指摘され、ようやく木島は現実世界に戻ってきた。いつの間にか数人いた客は帰ってしまい、蕎麦屋には木島と丹治のみになっていた。木島の様子を見て、丹治は笑いながら話す。
「納得出来ないって顔してるね」
ニヤニヤと笑う丹治を見て苛立ちを感じた木島は、ぶっきらぼうに「はい」と答えた。
丹治は急に真顔になり、しかし声は変わらず優しい調子で木島に語りかけた。
「あれは遺影用の写真だ」
"遺影" 今までの人生で自らのそれについて考えた事のなかった木島は、殴られた様な気分になった。
丹治は少し笑顔を戻し、木島に語りかける。
「フィールドエージェントは一番危険な役職だ、Dクラスは除いてだけど。死亡率は非常に高い」
「私達は誰よりもSCiP…異常存在に早く対処する。機動部隊程の装備も、博士程の情報も持たずにね」
木島は覚悟していた筈だった。だが改めて断言されると、自分達の脆さに気付く。
強さだけでどうにかなる世界ではない。
「言わば初見殺しの"初見役"が私達だ。一歩間違えば、自らが、世界が危ない。無論、五体満足で死体になれる保証もない。そもそも死んだかどうかもわからない事がざらにある」
「私達の棺に灰は残らない、後に残るのは空になったデスクだけだ」
木島は始めに訪れた部屋を思い出す。
デスクは4つ空だった、そして木島はそこに配属された。大規模な人員の"欠け"があった事が推測出来た。
「葬式だってやってられないさ、財団は忙しいからね。報告書に一文と、死亡者リストに名が載るだけ、そのエージェントの生きた証はそれだけしか残らない」
「あんまりに寂しすぎるだろ?初日で死んだヤツだっていたのに。才能と実力が認められた存在なのに、たった一文しか残らないなんて」
丹治は笑顔を崩さなかった、だがその目には潤みが生じていた。
「だから申請したんだ。1年に1回、財団に勤める者に写真を取る機会と予算を出してくれないかって。考慮するとは言ってたけど、正直申請が通るとは思わない」
「それこそ職員の死後の写真は証明写真で十分だからね、無駄な予算は出さないと思う。……ああ、今回は俺のワガママみたいな物だから、木島君はお金の心配はしなくて良いよ」
丹治は笑うと、うどんを食べる動作に戻った。木島にはそれが、丹治が本心をこれ以上悟られないよう顔を伏せた様に見えた。
「お茶をおつぎします」
いつの間にか近くに女の店員がいた。
しまった、今のを聞かれたら…と木島はひきつったが女は世間話でもするように丹治に話しかけた。
「エージェント丹治、"我々は冷酷である"事を忘れずに。新人への脅しは結構ですが、感傷は程々にして下さいね」
女は茶を注ぎ、丹治に笑いかけた。
丹治は顔を上げなかった。
伸びきったきつねそばを食べ終え、2人は蕎麦屋を後にした。
蕎麦屋から少し離れた駐車場に戻る道中、丹治は「あ、忘れてた」と言うと木島に向き直った。防犯カメラが無いかを素早く確認した後、しかつめらしい顔を作り手を差し出した。
「SCP財団にようこそ、エージェント木島」
木島は差し出された手をしっかりと握り返した。
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- portal:7909531 (02 Mar 2022 12:54)




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