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1997年9月13日

サイト19の何もかもが新鮮で、新しいと彼は思った。何もかも……刺激的だ!押し合いへし合いの雑踏がそこにはあった。誰もかも動きまわって、微笑んで、笑っている。だが、深刻で、険悪な面をしているものも、極めて圧倒的に神経質──今回は四人の下級エージェントである──な面をしているものも居た。

彼らは研究室コートを着けていた。そして眼鏡を掛けて、不愉快なアロハシャツを来た男を見上げた。ラメントは、ほんの少し怖じ気付きながら、連中は何でこんなに明るく笑っていやがるのだろうと思った。

「ハロー!」
男は大きな声で言う。その様子が、直ぐにラメントの大学時代の教授を思い出させた。その男は文学に恋をしていて、あらゆる行動が、文章による抑えようのない衝動に基づいていた。ラメントは、この男が彼のようだと即座に決めつけた。

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"ようこそ、サイト19へ"

「僕はジョリッチ博士だ。」その男は自己紹介した。「ようこそ、サイト19へ!君らにここの紹介をする。ここの雰囲気を掴んでもらいたい。いつものツアーガイドは、ああ、彼女の名前はアガサって言うんだが、まあ近く会うことになるだろうし、今は妊娠かなんかの対応していて居ないんだ。そうだから、代わりに僕ってことさあ!さあ、いっぱい楽しい時間を過ごせるはずだ!」

ラメントは、楽しみなんて一切ないと確信していたが、後になってみると実際に楽しかった。沢山の人物に会った。伝説的なクレフ博士にすらあった。彼はその……全く退屈そうだった。ストレルニコフ上級エージェントと、昼食を共にして話をしていたが、めちゃくちゃな話で、大抵は戒めの話だった。そして、ツアーでロンバルディに会わされることになった。しかしロンバルディにはラメントと、もう一人の新入り──ザンドルマイヤーと言う名の、背の低い男──だけが質問していて、他の連中は何も言わなかった。正直、少し……感激していた。

財団に務める限り、他のメンバー以外、本当の出来事を話せる相手は居ないのだ。だから、誰かが名声を得れば、皆してその者に学びに行く。たとえそれが不当行為でも。

ジョリッチが、ツアーグループを入り口の大きな弧を描いた白いガラスのアーチの所に連れ戻した時には、ラメントはもうクラクラで、情報の波に打ちのめされていた。彼は現場戦闘部署のリストをメモにしたものを得た。どこで紛争しているのか、徽章はどうなっているか、いろいろな機材の在庫はどうなっているかなど、メモは予定日帳まで書き付けてあった。そして、ジョリッチはクリップボードを見下ろすと、舌を鳴らしつつ、ページをめくった。

「そんじゃ、まあ。第一順位の任務について。君たちの大半は、シニアスタッフの下でこれから数ヶ月働いてもらう。一部は、あと数年そこで張り付け。シニアスタッフの考える必要不可欠なものを得るまでだねえ。」
彼は少し笑った。
「ザンドルマイヤー君……」
彼はリストを見下ろしていった。
「君は僕の所に割り当てだってよ!」
彼は少し笑った。
「じゃ……もう一度……よろしくね!」

ザンドルマイヤーは少し笑顔を見せて頷いた。
「11号研究室、でしたかね?」
彼は尋ねた。ジョリッチは、彼に研究室をかなり熱心に教えていた。

ジョリッチは、笑って頷いた。
「シモンズ君、君は……コンドラキ行きだ!楽しんでね。」
彼はその男を見ると、再び目を下ろした。シモンズは心配することはないな、とラメントは思った。シモンズは博士号を持っているし。彼だったら、少し他よりも多めに大切にされるだろう。

「ジョーンズとブラウン。君らはストレルニコフの所に向かって、そこで働いてもらおう。彼の言うことをするんだ、彼の言ったとおりにするんだ。はたして、生きて出て来れるかな?ははは。」
彼は笑って、彼らに気を楽にしてもらった。でも、そこはとてもじゃないが良い職場じゃないだろう。ラメントはサイト19のセキュリティ部隊は困難な任務だと聞いていたし、彼らの言う表現は同じことを示していた。

ジョリッチは、最後にもう一度見下ろして、僅かに眉をひそめると、ラメントの方に顔を上げた。
「君は博士号も、何も持っていないのかい?」
彼は尋ねた。

ラメントは顔を振った。
「ええ、まったくもっていません。」

ジョリッチは、また見下ろして、肩をすくめると、手を前にすると、哀れそうに微笑んで、ラメントの顔を見た。
「そういや、アイスバーグがいなくなってから彼は一人だったな。」
彼は穏やかに言った。
「それとも、何かの間違いかな。まあさ……ともかく……君はギアーズに割り当て。」

ラメントは暫く、眉が上がったままだった。これは何かの冗談なのかと怪しみ、他も同様に思っていたが、やがて疑いは驚きに変わった。
「マジなんですか?」

「厳粛にマジだ。」

ラメントは、後々部屋に戻ってから、そのコメントに感謝をするのを忘れていたことに気がついた。


1998年2月11日

彼は禿頭の男に微笑んだ。手の代わりに肘を振って。手は物でいっぱいだったのだ。それから、自分のカップをデスクの端に置いた。コーヒー ── ブラックで。

彼は慎重に、もう一人の男のための飲み物を、バランスを取りながら運び、磁器製のコースターに上にゆっくり置いた。そして彼に頷いた。
「朝ですよ、ギアーズ博士。」

「おはよう御座います。エージェント。」
彼はそっけなく応えた。

ラメントは自分のデスクに歩いて行くと、座って、カレンダーの一番上のページを剥がし、次のページを引き下ろした。彼は笑顔を見せた。
「博士、これ面白いですよ。」
彼の声には若干のユーモアがあった。
「物理学者は猛烈に恋する人になる、何故か?」

ギアーズは彼をじっと見つめた。

「何故ならば、物理学者が知ることが出来るのは、速度 ── ベロシティ ── では無く、位置 ── ポジション ── 。又は、位置では無く、速度だけだからです。」
ラメントは耳まで口を釣り上げ、ニカッと笑った。

ギアーズは頷いた。
「シュレーディンガーですか、確か。」

「ええそうです。」

「106のレポートは仕上がりましたか?」
ギアーズは尋ねた。

ラメントはため息を付いた。空振りか。
「いえ、すいません、さっぱり分かっていないんです……」
彼はそっと言うと、椅子に仰け反ってデスクの引き出しからファイルを掴んだ。

ギアーズは少し頷いた。

ラメントは封じ込め房の模式図を指し示した。
「僕は、隔室を吊るすことが実現さえすれば、腐食を相殺することが出来るかもしれない、と思っているんですが……。」
彼は、それを机の空けた所に置いて、メモを引き抜いた。
「表面の大部分からそれを遠ざけるんです。直接接触が、最も確かな大規模転移の手順であるらしいんですが、その……。」
そして、彼は話すのをやめた。

また、ギアーズは無表情で、ラメントの早口の計画案を聞いた。最初に見つけた死体の内、一人はクロムメッキバンドの腕時計を巻いていて、腕時計は無傷だった。そこで、彼らは隔室の内部をクロムメッキで埋め尽くせば、腐食は以前よりも遅くなるかも知れないと考えた。

ギアーズは彼が話し終えると頷いた。
「それで、どのように浮遊させるのですか?どのような方法で、隔室との直接接触の遮断を実現することが出来るのですか?」

ラメントは肩をすくめた。
「磁力の類い?」

ギアーズはしばらく頭を下げた。
「それでは、我々で調べてきます。」
彼は言った。
「では、その合間も、再び集中して纏めておいて下さい。君には少し難問があります。」

「それは一体?」

「SCP-884。」


1998年4月27日

ラメントが今まで884について耳にしたことがなかったが、何故だったのか直ぐに分かった。財団が884を何とか勾留したのは、九十云年で、それ以降からしか知られていないからだった。『カオスインサージェンシー』と呼ばれるグループ ── ラメントはその名前を聞いた時、ゲラゲラと笑ったのだが ── が、884をずっと盗んでいたのだ。彼はそれのファイルを見下ろした。それのあまりの厚さに、頭を少し傾け、ため息を吐いた。

「冗談じゃないよ……。」

運がよいことに、彼が酷評を手がけないとならないのは884-4だけだった。そのSCPは、当初は男性用身だしなみセットの全てが揃っていたが、長年にわたって紛失、破壊、盗難の憂き目にあっていた。この最後に残ったものは、ただただ……無害だった。ただの鏡。以前はカミソリや、櫛、シェービングカップもあったらしい。(全部、これよりもはるかに興味深くて、はるかに危険であった。)
彼はファイルを2、3度読んで、それを脇に押しやった。彼は、それの何が特殊なのか疑問に思った。そしてより一層、ギアーズがどうして彼をこれに割り当てたのかと疑問に思った。これは至急でも、深刻な問題でもない。だが……彼は時計を見た。

もう、ほぼ午後7時00分。彼は重くため息を付いて、デスクの引き出しを引っ張って、分厚く厳重に縛られた文章をその中に入れた。伸びをしながら立ち上がって、ドアの方向に歩いて行って、静かな廊下へと出た。サイト-19のスタッフオフィスの就業時間は過ぎていたから、そこに居た人は少なかった。この数週間のうちに、彼は遅くまでいる人員の一人になっていた。

ギアーズは人を矢鱈目鱈に酷使する男ではなかった。彼は決して、能力を超えた仕事を与えたりはしない。単に……多すぎるのだ。ラメントはこれだけのことを、より優れた水準で、長年一人で何とかしていた彼に、全くもって驚いていた。ほとんど……動揺気味に。ときどき、本当にギアーズの役に立っているのか疑問に思ったが、以前グラスが彼に話すには ── 最前の定期的な義務精神診断の時に話してくれたには ── それが、普通の反応であるらしい。それから彼は安堵して、再び自信を取り戻して、コツコツとやって来た。

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"おい!ラメント!ちょい待ち!"

「おい!ラメント!」

彼は振り返ると、ザンドルマイヤーが手を降っているのを見付けた。ラメントは少し微笑んだ。
「ちょい待ち!」

二人は気心知れた仲になっていた。ジョリッチは他のエージェントの監督をしながら、大体は書面効果や軽度ミーム効果の任務をこなしていた。ザンドルマイヤーはそれと同じ現場でトレーニングを受けていた。ギアーズがラメントを数日間必要としない時期があって、彼とザンドルマイヤーは一度、小規模のプロジェクトを一体となって取り組んだことがあった。あの時は……良かった。普通な人、時には活発でさえある人と一緒に働くことが出来た。サイト19に来て以来、一番リラックスした時間を過ごせた2日間だった。

「やあ、ザンディ―。」
エージェント・ザンドルマイヤーはジョリッチにあだ名されていて、良くそのように呼ばれていた。また、ラメントはギアーズとの関係が、ザンドルマイヤーと他の博士との関係のようになればいいのにと願っていた。
「ライブラリで、ずっとなにをしていたんだ?」

ザンドルマイヤーは笑った。ライブラリ、彼のオフィスはそう称されるようになっていた。部屋の外側までありとあらゆるコピー、『吊られた王の悲劇』の写しも含んで、ごった返していたのだ。さらにいくつかのドアを潜れば、何冊もの心を"犯す"本に、読んだ者の皮膚を剥ぐような本が、いつか読まれることを待ち構えていた。

それが、不穏な美しさを醸し出していた。

「別に。こいつの封じ込め手順を策定しようとしていて……」

それが始まった。彼らの儀式だ。お互い抱えてる仕事について、詳細に語り、問題について議論を交わすのだ。ザンドルマイヤーが、鏡について触れると、彼は頭を振りながら笑った。
「誰かホントにインサージェンシーの内部に潜入して、アレが何なのか解明しないとな……。」
彼は、薄笑いを浮かべた。

ラメントは肩をすくめて、テレキル・ボックスを用意するかなどと言った。
「ああそうだな。本がお前に思念を送って、こんな廃棄物なんて爆破しろ、ぶっ壊せって命令しているんだろう?」
そうこうして、ラメントは宿舎の方に引き返していった。

彼は宿舎の中に入った。 ── ようやく生きた心地がする ── 。そしてほとんど蹴るように、フォルダをドアの下に押しやった。扉の上にメモが張り付けられていた。ラメントはそれを訝しそうに読んだ。そして胃が跳び出るような思いを感じた。それから、しばらくは、寝たくても寝られないだろうと理解した。

「クロムは効果なし。要再検討。」


1998年11月1日

エージェント・ラメントは何かのついでのように、カレンダーを剥がし、そして万聖節の日を見つめた。彼は、古くなった日を投げ捨てて、新しい日にクスクスと笑った。
「科学者はみんな、布団の中だな。」呟きだす。
「ワットは何を力でして、ジュールは何をエネルギーでして、オームは何に抵抗する。さしずめパスカルは圧力の下だな。」
彼はニヤついた。

「皆、その分野における著名な貢献者ですね。」
ギアーズはドライに言った。

ラメントは頷いた。ラメントは、クスクスとした笑い声をこのオフィスで、昨年から聞いたことがなかった。笑顔を見たことは決して無い。皆してギアーズのことをロボットかサイボーグか、はたまた人の形をしたある種のコンピューターのように言う。ラメントは、ギアーズが自分の殻をちょっと破って出てくる運命か、必要があって、出てきてからの彼を考えるのが好きだった。

だが、その厚肉シェルを打ち破るのは、到底……。

ラメントは、首を鳴らして、書類入れを覗きこんだ。とても手に負えない物は無かった。セキュリティ問題に関するいくつかのメモ。ちらっと見ても……そんな重要なことではない。彼は少しため息をして、印のある物を、書かれている指示通りに細かく刻み、それ以外をファイリングして、椅子に仰け反った。しばらく目を閉じて、彼は考えごとをした。

「エージェント?」

ラメント目を開き、デスクの向こうに居る禿頭の博士を見た。思いがけないことだった。普通は、ファイルや、アセスメントや、提案文書や模式図の作成の話であった。二人に関わる会話は、あまりなかった。
「ええ、ギアーズ博士?」
彼は尋ねた。

「君の前の割り当ては何でしたか?」

ラメントは、少し油断していた。げっ。
「知っているはずでしょう。博士は僕の人事ファイルを受け取っていますし。」

「私は受け取りました。どうか、話を続けてください。」

ラメントは少し頷いた。
「僕はサイト-29に居ました。」
「ちょうど、サン・マッテオの外です。」
「僕はその……えー……少し……変なプロジェクトに……携わっていて……。」
彼は言うのをやめて、デスクの隅の大きな分厚いファイルの方を向いた。目をそらして、頭の中で言葉をまとめていた。

「例えば?」
ギアーズが尋ねた。

「機密事項なんですよ。」
彼は、この言葉に何らかの加護があると信じて、そう言った。彼は919について話したくなかった。自分の顔が自分に対して悲鳴を上げている様子について。
「彼らについて自由に喋れないんです。」

ギアーズは僅かに頷いた。
「それからして、私とともに働くようになったということですか。」
彼はきっぱりと言った。
「それにしても、テレキル・ボックスは独創的でした。」

そんな様子だった。彼は胃に穴が開いた。ラメントは、ギアーズのバックアップのように見えた。そして、また下を向く。
「ええそうですね。申し訳ありません。でも……僕はレベル2クリアランスを超過するようなことをしたことが無いんです。」
彼は勢い込んで言った。
「そのような事をしたことはありません……」

「それでも、エージェント。」

ラメントはため息をついた。今はまるで……懲らしめられている、そんな気がした。彼にはこの無名の感覚が分からなかった。父や母を失望させた時のような。
「ええ。」

そして、ギアーズはその後数時間、何も言わなかった。そして、ラメントが昼食に行こうと立ち上がった時。
「僕は博士のために何が出来ますか?」
と彼は尋ねた。

「いえ、不要です。」

ラメントはため息を吐いて、頷いて、オフィスから出て行った。彼は理解した。いま完全に……失望させてしまった。たとえ彼がその素振りを見せなくとも。彼は、もしまた将来、別の場所に移動させられたら……歓迎されるのだろうか?……と考えた。彼は研究助手に配置されたことはない。その身分を望んだことはない。また、その立場の資格があるとは全然思っていなかった。そこでは本領を発揮する事ができない。それは最悪だ。

まもなく、彼はいつも通り、ザンドルマイヤーと出くわした。彼らは他のアシスタントと一緒に席についた。席に付いている者の中で、白いラボコートを着ていないのは、ラメントだけだった。ザンディはサウス・シャイアン・ポイント大学の学位を修めて、すぐ研究助手への昇進を受け入れた。微笑みながら。そして、彼と他の皆は、現在のプロジェクトについて隠し立てもせず話しだした。ここに座っていられるのは、ただギアーズ博士の下で働いているからだ。ここに居ることを、”許容”されているだけに過ぎないのだと、ラメントは殆ど確信していた。彼らは順番に、自分のやっていることを教え、教えられないことは省略した。そして、ラメントの番がやってきた。彼はため息をついて、頭を振った。

「僕は今検討中のプロジェクトを話すことが許されていないんだ。」
この点に限って、平たく言った。彼はフライドポテトを摘んで食べ、まるで何も感じていない風に無関心な振りをしていた。

ザンディは笑ったが、ザンディの隣の彼、シュベールという研究者は、フォークを机において、深刻そうな顔でラメントを見ていた。
「あのな、ラメント……。アンタ、あそこから移動させてもらったほうがいいよ、早めに……。」

ラメントは彼を凝視した。
「どうして?」

さらに、同席のもう一人別の男がそれに同意した。
「ああそうだ。つまりは、君はアイスバーグ2号になってしまうなんて、望んでなかろう。」
彼は深刻そうに言った。
「アレは、同じように口外禁止命令から始まっていた。」

「何?」
ラメントは尋ねた。アイスバーグ……ジョリッチがアイスバーグとか何とか言っていたっけ……。

「アイスバーグ博士……。」
シュベールの視線は、ラメントに固定されたままだった。
「ギアーズの前のアシスタントだ。彼はだいたい……おお神よ……大体十年になるのかな?少なくとも8年か。」
彼は硬く言った。
「爆発物の専門家で、ここに来た時、ギアーズにリクルートされたんだよ。いくつかのプロジェクトをこなすためだ。彼は、ギアーズのことか、何かが好きだったみたいで、ギアーズの周りに居続けていた。」

ラメントは眉を上げた。
「それで?」
ラメントは訊いた。

「彼は毎日毎日、何年も一緒に働いていたよ。」
シュベールは答える。
「数年間もだ。アンタ、あんな彼と一緒にずっと働くって、どうしてだと思う?」
シュベールはしばらくの間、黙っていた。
「今で、彼と働き出してどれほど経った?ラメント?」

「ちょうど1年ぐらい。」

「良かろう。さて、再確認。アンタは連中に、移動を望むと言いな。」

「彼らだって、何でそんなことを、って分かっているはずだ。」

「それから、彼らに、前のやつみたいに頭をふっとばされたくなんか無いって言うんだ。」


To: O5-██
1997年8月1日
彼が任務報告を怠慢していたため、私はアイスバーグ博士の宿舎を調査しました。そこで、彼が自身のデスクの上で死亡しているのを発見しました。死因は、口から後頭部に掛ける発砲であるものと考えられています。彼の書付については、SCP-███の封じ込め手順に従って、没収、封印されました。彼の死体は翌朝には火葬され、彼の身の回り品ではないものは、財団の手順に従い、再配布されました。
-ギアーズ

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2ページのファイルを。

ラメントはファイルを自分の机の後ろにおいた。アイスバーグは十年間、ギアーズと共に働き、今は……。

彼はファイルを見た。2ページのファイルを。一枚目は、彼の資格情報で、二枚目は黄色いギアーズのメモの複写であった。これか。彼が、十年もギアーズと。

ラメントは椅子に凭れ掛かり、目を閉じて、考えた。熟考した。何故、これを前に調べていなかったのだろう。彼には権限がなかったのだ。エージェント級の仕事を初めて、彼はやっと何とか権限を得た。

彼は引き出しを開けて、フォルダの中にそれを突っ込んだ。もうそれについて考えたくなかった。もう何も考えたくなかった。アイスバーグの秘密は弾丸によって葬り去られてしまったのだろうか?ラメントは浅い呼吸のまま、その日の午後に人事課から取ってきた手続き用紙をとった。

彼は移動願いに素早く記入して、それから各部課間封筒にそれを詰め込んだ。彼は、自分の既決箱に封筒を投げ入れ、自分の宿舎に歩いて帰った。その手は震えていた。


1998年11月8日

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"却下です、エージェント。"

「却下です、エージェント。」

ラメントは3人の博士からなる委員会を見上げた。つばを飲み、唇をわずかに舐めながら。
「すいません?」

「却下。」
彼女は繰り返した。ラメントはテーブルに着いている3人の博士の内、2人だけは知っていた。ソーツとヴァンだ。彼に今話しかけている女性は、職業的で、無感動だった。

「どうしてなのかお尋ねしてもいいですか?」

「いいえ。」
彼女はそっけなく言うと、ファイルを閉じ、視線を彼の顔から少し横に逸らした。彼女はしばらくの間、好きだった子犬が天国に行ってしまった息子に「いいのよ、泣かないで。」と言おうとしている母親のようだった。

公平ではなかった。彼は全て正しい手続き、窓口を通してあった。全て正しい書式、何もかも決まりきった通りにしてあった。

「それでしたら、僕は誰に尋ねれば?」

彼女は、何も喋ることなく、それからソーツが前かがみになって、話しだした。
「君、移動には君の監督の承認が必要ということは承知しているかね?」

ラメントは質問を無視した。
「僕は、研究助手の資格が無いんです……」
彼は反論をした。
「それは……」
彼は言葉を慎重に選んだ。
「……まず第一に、僕が置かれた状況が不運でして。皆さんだってご存知でしょう。僕は学位を持ってませんし。僕は身分証明証も持ってません。」

「何だね、若いの。」
ソーツがつぶやいた。
「気を利かせるつもりは無いのかね?」

ラメントの声は、怒りのあまり、遂にうわずった。そして、静穏が、無情な沈毅となった。
「一体どうして、どうして僕はまだここに?」

「この……この具体的事例において、例外が策定されました。」
女性が言う。
「あなたの証明書に関する問題は黙過、あなたの訓練も同様です。もし、博士課程を終えたいと考えるのでしたら、サウス・シャイアンが有りますし、資格がほしいのでしたら、それに適う援助を行うグループがいくつか有ります。」

挫折感。悔しい。
誰がそれを?」

彼女はため息を付いて、ラメントを見た。そして、前髪を払って耳にかけた。母のような視線に戻った。
「納得しましたか?」
彼女は尋ねた。小槌を持って音のするブロックを叩いた。

「本委員会は解散。」


彼はオフィスに着いても、冷静になれなかった。最終的にオフィスの中に踏み出すのにも時間がかかった。中に入った時、怒りが再燃した。ラメントは気づけば、ずっとギアーズを、ただただ見つめていた。ようやく話しだすまでには、何とか声の角を立たせないように出来た。
「どうして?」

平静で穏やかな表情がラメントを見つめ返すと、博士は答えた。
「君のスキルは、我々のしてきた仕事に十二分に適していました、エージェント。」

そんなことじゃないんだ畜生!」
彼はそう言って、体をそむけた。ラメントはギアーズを見たくなかった。顔を見たくなかった。失望や悔恨の顔をしている、と彼は想像していた。だが、そこにそんな顔はなかった。
「私は君の意味するところを分かっています。」

ギアーズはしばらく静かだった。
「君は穴埋めでした。」
ギアーズはきっぱりと言った。
「あの後で、アイスバーグ博士の事件──」

「自殺でした。」

「──事件。私は彼がいなくなった場所を補う者を必要としていました。SCP-106の封じ込めのためです。それが主要な懸念事項でありました。おそらく、これからも続いていきます。封じ込めが君の専門です。一度、解決にこぎつけて、なお君が移動を望むのならば、私はそれを否定しません。」

ラメントはそこに座った。そしてゆっくりと、深く呼吸をした。彼には何を期待されているのか分からなかった。この状況で彼は、論理と率直以外のものに心動かされていた。

「わかった。」
ラメントは言った。胸の締め付けはまだ衰えなかった。

「ザンドルマイヤー研究助手の働きぶりは優れていますか?」
ギアーズは尋ねた。

それは……それは予想外の質問だった。
「彼は、僕の親友です。」
ラメントは認めた。嘘をつく意味は無い。

「彼とよく共に仕事をするのですか?」
ギアーズは再び尋ねた。

「はい。」
ラメントはため息を付いた。いったい話はどこに収まるんだろうか、と疑問に思った。
「博士が口外禁止命令を出す以前は、何度か彼と僕のプロジェクトについて議論していました。」

「承知しました。」
ギアーズは答えた。
「ではジョリッチ博士に通知して、彼には、次の二週間、106に関して我々を援助してもらうことになるでしょう。では、可及的速やかに彼に最新事情を、完全に通達して下さい。」

「僕は……はい、了解しました。」
ラメントはブツブツと言った。ろくに発音ができていないことに驚いた。

「君は解任されます、エージェント。休日を楽しんで。」


「僕はわからない……」
ザンドルマイヤーのオフィスで、ラメントは一杯のコーヒーをすすりながら言った。
「彼は僕を幸せにか、それとも何かにしようとしているらしいんだ……」

「俺は、彼がそういう風に気をかける人だとは思わなかったな。」
ザンディは穏やかに笑いながら答えた。

ラメントは他の男を見上げた。
「彼はそんな風じゃないねえ。」
男は答えた。
「彼は違うんだ……機械でもロボットでも……ただ彼は……」
ラメントは長い間、言葉をつまらせた。
「冷たい。」
そう締めくくった。

ザンディは肩をすくめた。
「モノは言いようだな。だが、俺は封じ込めの専門じゃないんだ、な。それに、なんで彼は俺を同じ船に乗せようとしているのかよく分からん。それとも、彼が俺が何をすることを望んでいるのかもよく分からん。」

ラメントは肩をすくめた。
「僕も知らない……」

彼は部屋のあたりを見渡した。棚は色々あれど、全て無造作に本と書類が納められていた。それに、ワット数の低い白熱灯。このオフィスは家庭的だと感じた。心地よい。生活感がある。感じは……いい。

「また、朝に会いに行くよザンディ。」
ラメントは言った。テーブルにカップを置いた。

「ああ、また会おう、ラメント。なあ!面白くなるだろうと思わないか?例えば、お前が俺らとここに数週間居るっていうのはどうだ。」

「そうだな。」
ラメントは言った。
「もちろん。」
彼は、ただただ、そうなればいいなと願った。


1998年11月26日

ラメントはガラスに眉をひそめ、敬意と畏れが交錯した奇妙な感情を抱きながら、ガラスの向こうの中に浮かんでいる箱を見つめた。それは……動揺……第一印象はそうだった。彼は、それのために日々、命を賭す兵士の一員ではなかったし、このプロジェクトを任されている主要な研究員でもなかった。彼は、これをSafeに留めおこうとしている人員の一人に過ぎなかった。現在、実験の最中で、そして失敗しつつある。

「磁気フィールド作動中、しかし依然として腐食は進行中。カビのようだな……。夜が明ける前に、辺鄙な農場を食いつくすヤツを拘束しなきゃダメかもしれないな。」
研究者は言った。スピーカーは奇妙な唸る音を立てていて、ラメントはしかめ面をしている。考慮はいらないだろう。ありがたいことに。

「ヤツの管理はどうする?」
それはザンドルマイヤーの声だった。
「この状況が収束しない間は、全く同じ安全プロトコルに従うべきだろう。」

研究者は少し肩をすくめた。
「ここ二週間ごとに、この状況によって一人か二人の人員が失われているんだ。不注意な……。」

ラメントは眉をひそめた。胃に急激に穴が開くような思いをした。たとえ、予想、予期されたものだったとしても、失敗は気分が良いものでは無い。特に仲間の死亡に対処するときは。彼は106が問題になることは知っていたが、どれほどの問題になるかは理解していなかった。

スピーカーは別の大きな、心を凍りつかせるような金切り音を上げた。痛々しいまでに大きなハウリングのような音だった。
「ひどいな。」
ラメントは耳を覆いながら、呟いた。

「けっ。連中はいつも役に立たんな。」
研究者は言い続けた。
「俺らで連中の代わりをやってみないとな、だが、何も良くならなさそ──。」

アラームが突然鳴り出した。ラメントは喜ばしいことに、ちょっと前に耳をふさいでいた。彼は振り返って、スクリーンの一つを見つめた。
「リパルサー下降中!」
彼は叫んだ。
「退避!」

だが、既に研究者がマイクに叫んでいた。ザンドルマイヤーが放送機器の警報に手を伸ばして、叩きつけ、同時に命令が下された。ちょうど。全三人の男は窓の外を観察した。巨大な腐食しかけの金属ボックスの底が、封じ込め房に落ちていき、封じ込め房が分解され開いていくのを見た。

スピーカーが再び啼き出し、しばらく大きく鳴り続けたが、やがて止んだ。そして、低い、イカレた笑い声が、ゆっくりと沈黙を満たした。

「ひ。ひ。ひ。ひ。ひい……。」


最後に、今まで故障が起きていなかった日のことを思い出してみて、ラメントは確信した、レポートは間違っていたんだと。あの後、何時間にも感じたが、そう感じるはずはない。ほんの数分だった。封じ込め装置に繋がる扉は開いているべきではなかった。ヤツをヤるための統制は、全て執れているわけではなかったんだ。
ネズミは、猫がなぜ彼らをいたぶるのか、その真の動機を知らない。

ある時は、ネコが腹が空いているからで、またある時は、単に弄びたいと思うからだ。


ラメントは咄嗟に振り返り全速力で走った。ザンドルマイヤーも足が出せる限りの速さで走った。激しく呼吸をした、痛々しいまでに激しく呼吸をした。胸は爆発寸前だった。彼はどんな逃げ場も、必死に探した。アラームが鳴り響いていた。壁に発砲している音が聞こえる。撃ち尽くすまで、全て使いきるまで。

後ろで爆発がした。床が大きく揺れ、彼はまるで落ちるようだった。すぐに、ザンドルマイヤーは彼の腕を取って、ラメントを引いて、幅の狭い直線通路を突っ走った。

「ひ。ひ。ひ。ひ。ひい。」

今、至る所のスピーカーから音がなった。彼の周りに反響していた。彼の顎は震えていた。
「ジーザス・クライスト。」
ザンディは息を切らして喘ぎながら呟いた。肩越しにヤツを見たのだ。
「ファック。接近してくるぞ、ラメント。こっちに向かっている!」

彼は振り返りすらしなかった。訓練の賜物が彼を突き動かし、彼を走らせた。106に曝されて、生き残った者はいない。少なくとも、長く生き延びたものはいない。直線通路の果ては暗い戸口だった。ラメントはその中に入って、リボルバーを引き抜き、廊下へ、向かってくる’男’に二発発砲。ただ壊れた、耳障りな笑い声を発させるにすぎなかった。
「ひ。ひ。ひ。ひ。ひい。」

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ひ。。ひ。ひいい。ひひ……ひ。

「しまった。」
ラメントは囁いた。
「入って来い、ザンディ。」
彼は命令した。
「ジーザス、とっとと部屋に入って来いと言っているんだ!」

ザンドルマイヤーは、ラメントが振り向くのに続き、まず駆け込んできた。手で明かりのスイッチを必死に叩いた。叩く手の下で、冷たい金属を感じた。冷たく、丸く、湿った、金属。パイプだ。次から次にある。するとザンドルマイヤーの懐中電灯がたちまち燃え尽きた。ラメントは直ぐに、ヤツがどこにいるのか理解した。

「ああ、畜生。」

パイプ。ギアーズは、彼らにもっともらしく、将来的封じ込めの問題としてパイプの存在を注意していた。だが、彼には理解できなかった……

彼らは互いに身を寄せて慄え上がった。彼はそんなことを思いつかなかったが──全く、潔白思いもしなかったが──まるで頭足類が這い回る悪夢のようだった。
「一番広い開口端を探せ。」
ドア開閉器を叩き、ドアから退くと、金属のドアが黒く腐敗し始めた。

「行け……行け!」
彼は叫んだ。

パイプ系には大量の入口と出口があると知っていた。見出さねば。一縷の希望を見つけなければならなかった。彼らは再び走りだした。懐中電灯を痙攣のように前に突き出し、あの恐ろしいオールドマンから、震えながら飛ぶよう逃げた。

「ひい。ひ。ひ。ひ。ひい。」

彼らは何時間も喘ぎながら走った。声は常に間近に聞こえた。どんどん近くに寄ってきた。ある時点で、ラメントは袖に何かがこすったように感じた。106の可能性、アドレナリンが体を駆け巡った。常に燃え尽きそうだった。何かがする。笑い声。腐敗の匂い。暗闇の中の目。

何度も何度も。追い立てられる。追われる。

そして、彼らはようやく一つの光源を見つけた。財団の出口にいつも置かれている投光ランプだった。

彼らは、二人でその元へ走った。肺が焼けるようだった。ラメントはドアパネルに急ぎ、エマージェンシー・コードを入力した。

*拒否*

彼はそれをじっと見つめた。もう一度入力した。

*拒否*

「ひ。ひ。ひい。ひ。ひい。」

「ラメント……ラメント、なんかクソッタレな問題があるのか?!」

「開かない!」

*拒否*

「ひい。ひい。ひ。ひい。ひ。」

彼は泣き出しそうだった。彼は何度も入力し、ボタンを叩くのがより激しくなっていった。
「こんちくしょう。開け、てめえ!」

*拒否*

それを見ただけではない、感触を覚えた。緊迫感、まさしく後ろに立っていて、首に息遣いを感じる。入力の間、ナイフを突き立てられるような、銃か、爪か、何かに傷付けられるよな、殺されるような、切りつけられるような、嗤われるような感じ。

「ひい。ひ。ひ。ひい。ひ。」

彼は振り返った。見た。カビの生えた、腐った肌。窪んだ、死んだ目。黄ばんだ、ぼろぼろの歯。伸びきった、ベタついた髪が、頭から垂れ下がっていた。

それは、前に歩みだした。

*拒否*

「畜生。」

もう一度。

*拒否*

ラメントはその頭に、銃弾をぶちまけた。だが、何の効果はなかった。
「ひ。ひい。ひ。ひい。ひ。」

「ジーザス……おおジーザス、俺らは死ぬんだ……」
ザンドルマイヤーはあえいだ。

*拒否*

もうラメントに手が掛かる位置にいた。ラメントの顔には涙が伝っていた。そして、キーを打った、その時。

ドアが開いた。

彼はそれを通過して、部屋の外に出て、振り返った。
「ザンディ!」

106の手はザンドルマイヤーの首にかかっていた。ザンドルマイヤーの足はドアにかかっていた。また、ドアは締まりつつあった。ザンドルマイヤーはラメントに助けを乞うように、手をつきだした。だがラメントがそれに飛びつこうとした時、106が彼を引き離し、パイプの窪みに彼を引いていった。地獄と破滅の穴に。

ラメントは銃を上げ、ザンドルマイヤーに素早く狙いを定めた。他のエージェントが似たような状況の時に、望むこと。彼はそれをした。引き金を引いた。

撃鉄が、空のカートリッジを叩き、無様にかちりとなった。そして彼らは去っていった。ラメントは壁にふらふらとのけぞって、滑り落ちた。パイプの塊を覗き込みながら。

彼が気がついた時、106が封じ込めを破ってから7分の時が過ぎていた。


1998年11月27日

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全ては彼の空想。

ラメントは内科病棟の床に座り、壁に凭れかかった。彼は両方の腕をしばらくさすり続け、何をしているのか気が付くと、さするのをやめた。気まずい瞬間だった。あたりを見渡して、まっとうに負傷している人を見ると、ここにいる権利は全く無いなと理解した。すべての博士が走り回って、火傷や負傷や、その他の暴露による影響に対処している……

彼は身を起こし、出来る限りスムースに歩いて部屋から廊下に出て行った。彼の周りには、どんどんと担ぎ込まれる負傷者に、ベッド。そして、彼は最終的に出口にたどり着くことができた。彼は自分がどこにいるか確かではなかったが、サイト-19と同様のものを多く見た。彼は手すりを掴みながら、その中を歩き始めた。

一回、106の笑い声を聞いたと確信したことが有った。だが、音のした壁の方を見ても、何もなく、清潔で無傷であった。

ザンドルマイヤーを発見したリカバリー・グループが揃えたすべての証拠から、106は何かがあって015の中に捉えられてしまい、パイプの中で大変混乱し、大騒ぎをしていたらしい。捉えられるなんて馬鹿な。それに封じ込められたとしよう。人を腐食させるように、それも腐食させるだろう。これから、ラメントはファイルを書き上げるだろう。それをギアーズに突きつける。まず、ここから出ていかなければ。この地獄から出ていかなければ。だが、どういったわけか、あの忌々しいものを──最終的に──封じ込める方法を見つけたというのは、現在の僅かな慰めになっていた。彼は再び壁を見つめた。また、笑い声が聞こえたと思った。彼は近づき、壁に指を走らせ、また後ずさった。

空想。全ては彼の空想。


1998年11月29日

「『弄ぶ』なんて、どういう意味ですか?」

ギアーズの無感情な顔は、哀れみも同情も表していなかった。
「それは、私達を弄んでいたのです、エージェント。ネコとネズミですよ。」

ラメントは生つばを飲んだ。
「では……015は……?」

「監督は015を用いるようなプログラムが長期間存在することを許すなど、決してしないでしょう、エージェント・ラメント、たとえ、それが効果があるとしてもです。」
ギアーズはきっぱりと言い続けた。
「現状のように、次段階の封じ込めに取り掛かっていた者たちが、106に攻撃され、かつ利用され──」

「利用された?」
ラメントは笑った。その時で出来る限りに笑った。彼はヒステリー寸前だった。昨晩の声だ。廊下を歩み寄ってくる嘲り笑い……奴の声?彼はまた『弄び』に来たのか?『利用』しに来た。飲み尽くしに来た。貪り尽くしに来た。

間違いない、弄びに来た。

ギアーズは、彼の動揺が完全に止むまで待った。
「次段階、または君の計画した封じ込め計画に取り掛かっていた者たちが、106に攻撃され、かつ利用されました。三人は現場で死亡しました。更に四人が一次攻撃の翌週までに死亡しました。更に十二 ──」

「やめてください。」
ラメントは目をしっかり閉じながら言った。彼は机に突っ伏すと、机をきつく握りしめ、離そうとしなかった。

ギアーズがラメントの肩に手をおいた時、ラメントは崩壊寸前だった。
「グラス博士から聞きました。君は四半期精神診断を受けていないそうですね。」

ラメントは顔を上げた。ギアーズの言うことは正しかった。彼は精神診断をまだ受けていなかった。診断は第27週の午後の予定だったが、その日は他のことに心を取られるばかりだった。これが財団的同情、とでも言うのだろうか?

「いいえ、受けておりません。」
彼は答えた。

「私は今朝に、君のことを予約してきました。」
ギアーズは無感情に言った。

ラメントはデスクに指を一瞬叩いた。必ずしも、行きたいと思わなかったが、この朝、ギアーズから逃れるための方法が思い浮かばなかった。そして、今、ギアーズから逃れることは、まさしく彼が必要としていることだった。


「自然な衝動ですね。」
グラスは言った。
「誰だって怖気付く時があります。この場は財団が恐怖におののく人を対処するための場なんです。」

「そんなことじゃない。」
ラメントは、博士から目を背けながら言った。彼は今まで何度もグラスと会っていた。四半期精神診断や任意面会で。

「ラメント、君は……これを無視する……なんて単純にしちゃだめだ。」
グラスは言い続けた。
「この一連の政策や慣行はね、私達二人よりもずっと経験を積んできた人々によって、改善されてきたんです。ただ、君は……忘れる必要がある時もある。」

「僕は忘れたくない。」
この博士は、同じような反応を今までどれほど見てきたのだろうか?

「なぜ、君は友人がその……超自然的なもの?……に貪り食われたことを忘れたくないんだい?」
グラスは尋ねた。
「君は、彼を取り出した時、彼を見ましたね。彼がその後、数時間は生きていたことを知っていますね、ラメント?なぜ、君はそんな彼を覚えていたいのでしょうか?」

「だって、彼は僕の友達だった。」
今まで何人、グラスにこう言わされたのだろうか?自分もか?

「君は彼を忘れる必要はないです。が、沢山の人が、最後の最後で『移動』させられたんですよ、ラメント。クラス-Bを受けにね。二週間分を忘れるため。あまりにも長くしがみつくなら、それを何とかすることができないなら、君は彼のことを完全に追い出してしまうことが必要になるでしょう。」

日々?ラメントは眉をひそめた。彼はしばらく、以前に心を寄せようとした。何かを思い出そうとした……向こう見ずにも、灰色の記憶へと。
「博士……お尋ねしてもいいですか?あの錠剤についてですが?」

グラスは頷いた。
「もちろんですよ。」

「私が、入団した時に飲んだのはどれです?」
彼は尋ねた。
「私の家族を消したのは。」

グラスの手は、肘掛けの上で強張ったが、やがて穏やかになった。ラメントは、自分の声が穏やかになったのに気がついて、自分を褒めた。グラスはそれを知らなかった、それとも忘れていた。

「君は徴集されたのかい?」
グラスは尋ねた。

彼は知らない?

「ええ。」
ラメントは言った。

瞬間。
「それはおそらく、クラス-Aでしょうね。」
グラスは言った。

「それを治療するためのものはありますかねえ?」
ラメントは尋ねた。彼は声を座談風にしておきたがったが、それには希望があった。思い出せない両親への希望、これまで居たとは思わなかった一ダースの友人、または同僚への希望が。

「時に、」
グラスは言った。
「時々、それは効果がありません。君の脳がそれを受け入れるのを拒むのですよ。まあ、それはレアケースですがね。」

それで……その。ストレスと、ほんの僅かな嫌味が、その時のラメントの声にあった。
「以降の記憶は無くなったりしませんか?」

「なくなります。」

ラメントは肘掛けに指をトントンと鳴らしていた。
「じゃあ、僕は飲みません。」

「それが君の選択だね、エージェント。だが、考えなおしてみて欲しいんだ。」

「薬を尻にぶっ挿しますよ。」
ラメントは言った。
「ではまた三ヶ月後、博士。」


1998年12月22日

ラメントは椅子に凭れかかり、コーヒーをすすって、サンドイッチに手を伸ばして、噛み付いた。昼食は個人事となった。特に、他のみんなは錠剤を飲む方を選んだと知ってからは。彼はザンドルマイヤーの死体の写真 ── 変わり果てた死体は、かつての男の面影を残していない ── を106のファイルにはさみ、デスクの隅に重い文書を置いた。

しばらく884に注意を向けて、それをもう一度チラリと見てため息を付いた。ザンディが言っていたことを思い出していた。「誰かホントにインサージェンシーの内部に潜入して……。」ホントに何でしやがらないんだ?する価値はあるはずだった。

彼はため息を付いて、電話のほうに手を伸ばして、ナンバーを回すと、鼻梁をこすった。

「もしもし。エージェント・ストレルニコフ?」
彼は尋ねた。
「僕のことを覚えて下さっているか、確かではありませんけど。ラメントです。最初の日に出会いました。」
少しの休止。
「おお、ギアーズの子分。俺は可能性のある任務のため誰か探していた。これは秘匿だ。」
電話の相手は悩ましいロシア人。
「ええ、ええ。ところであなたは、向こうで僕が知っているただ一人の人です。ですから、あなたなら、誰か面倒を引き受けていくれる人を知っていると考えまして……。」


2007年8月10日:

ファイルを閉じると、ラメントの唇が這い上がるように釣り上がった。椅子に凭れかかり、一人静かに笑った。結局、笑うものは他に居なかった。彼はギアーズを見た。誰か他人になんで嬉しそうにしているのか訪ねてもらいたかったのだ。待って、期待して、待って、期待して、前のめって、博士をじいっと見つめた。博士が頭を上げて、彼を見るまで。

「はい、エージェント?」

「884……解決です。」

彼は手を頭の後ろに組んで、再びのけぞった。

「おめでとう。」
ギアーズは言った。

「ありがとう。」
ラメントは答えた。

称賛も、何の賞もなかった。財団において賞状と感じるものは、自分で仕上げたものだった。仕事をする、良くすることは、2つに1つのことを意味する。生き延びた、または誰かが生き延びた。それで十分だ。

成し遂げられねばならない。

「サンドイッチの半分はどうです、博士?」
ラメントは尋ねた。

「結構です、エージェント。」

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ランチは?

ラメントは頷いて、プラスチックに包まれたすっからかんに乾いたローストビーフを、茶色のバッグから取り出して、デスクに置いた。
「では、許してくださるなら、私はこれをアトリウムに持って行って食べることにします。大体、ソフィーと昼食休憩する時間ですし……」

ギアーズは頷いた。
「ライト博士に私がSCP-371のレポートを必要していると伝えてください。彼女が終わっていたらです。」

「そうしましょう、博士。」

ラメントは立って、ドアの方に歩いて行く時に、ギアーズが話した。
「そして、エージェント?」

「ええ、博士?」

ギアーズは彼をしばらくじっと見つめていた。落ち着いていたのがぎこちなくになりつつあった。ラメントは咳をしなければならないと気がついた。応答を繰り返した。
「ええ、博士?」

「良い仕事でした。」

ぎこちなさが明白になった。

「ありがとうございます。」

ギアーズは一度頷いた。ラメントは ── 彼は言葉にできなかったんだろうと考えながら ── オフィスを出た。アトリウムに付いた時、ライトの頬をキスで奪い、お決まりのパンチ・インを受けると、冴えないサンドイッチを共有した。

全般的にみて、良い日だと彼は考えた。


2004年7月5日

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"バタフライ!"

不自然な喧騒が一組のペアを囲んでいた。人々が叫び、騒ぎたてている。サイト-19の毎年の写真を取るためのチャンスは15分しか無かった。グラス博士は、皆からどこに立てばいいんだ、とか何だかんだ言われるのに苦労していた。

「皆さん来て!さあ!全員どこに入ればいいかで悩んで、時間がかかるなんてことしないで。」

ラメントは自分が微笑んでいるのに気がついた。友人に手を振りつつ、部屋の左を目指して、人波を漕ぎ分けギアーズの肩の後ろに立った。

彼はあたりを見渡して、アガサを見つけた。アガサは彼に意味ありげな視線を送っていた。ラメントは彼女を見つめ返し、頭を傾け、肩をすくめ、ある種の視線──『一体全体、何をしてホシイんだい』──を投げかけた。そして、また彼女はラメントに視線を送った。彼はため息を付いて、ギアーズの肩を叩いた。

「すいません、よろしいですか?」

「ええ、エージェント」
ギアーズは振り向くこと無く応えた。

「どうか微笑んで下さい。」

「それが、どういう目的に適うのでしょうか、エージェント?」

彼は息を吸った。

「笑顔は、他の人に安らぎを与えるんですよ、博士。全サイトに於ける社会的作用によれば、博士の微笑みは皆に、より効果的で正常な職場構築の造成を援助し、博士自身が重要と仰る、不自然な世界に対する報告にも効くと僕は思っています。」

明らかに用意されていたものだ。リハーサルもされている。検証も行われていた。

ギアーズは振り返って彼を見た。ちょっとして、ギアーズの口の端が傾いたと思うと、死体のような感じに口を開けた。ギアーズの眼には影響は現れていない。

「これが効果的でしょうか?」

ラメントは今、自分がニヤついていることに気がついた。えらくニヤついていた。

「ええ、そうです。」

「皆さん!」
グラスが叫ぶ。
「いっせいのーで……バタフライ!」

「バタフリイィィぃぃぃぃいい。」
皆の合唱。


2005年7月7日

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"……クシクラゲが好きなんだって?"

「ねえってば!」

ラメントはデスクから飛び上がって、女性の方を向いて見上げた。長い、ゆるくカールした、ブラウンの髪。常に浮かべている、薄笑い。陽気な眼。

「どうしたんだい、ソフィア。」
彼は立ち上がって、笑顔を見せた。彼の顔が、不意に顔がにやけた。彼女の回りにいると、いつもそうらしい。
「やあ、聞いて、ちょっと用意してきたものが……」

「おおっ……?贈り物?初デートなの?」

「ただのランチだって!」
彼は弁解する。それはデートだった。

「そんな、気を遣わないで。全然、貴方らしくないわ。」
でも薄笑いを浮かべていた。ああ、彼はその薄笑いが好きだった。

「でもさ、私はご飯代を払うことが出来ないし、私達が基地に来てから、その……。」
彼は細い、透明なガラスの小瓶を取り出して、彼女に慎重にそれを渡した。

「誰かが僕に言ってたんだけど……クシクラゲが好きなんだって?」

彼女はそれを見下ろして、また彼を見上げた。彼女の顔は衝撃と喜びが混ざった顔をしていた。

「最高。デートね。今まで一番の。」

へへ。デートだった。


2007年8月16日

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"アンタの良心が望まない出来事もある。"

エージェント・ラメントはサイト19の混乱の中に立っていた。窓から目を背け、景色を見た。彼の心の一部は、ここで実際に何が起こったのか印象に残そうと努力していた。本当は皆生きていた。起きてしまったのだ。彼の胃は不愉快によじられ、難しい結び目をなした。彼は本当に、プライバシーを望んだ。だが、彼は一人ではなかった。

二人の背の低い男の職員が、混乱の向こうで話しているのが聞こえた。彼らの声は届いていたが、ラメントは全く注意を払ってなかった。

「あいつら、なんか具合悪いんけ?何や奴ぁモントーカーズ?」

「いンや。」
最初の男が言った。
「彼はギアーズと働いている。」

他の男が静かに笑った。
「そ?ギアーズたあ、えー、良えやつだ、。」

「どのみち、アイツらに劣らず良え奴ゃ。」

「あー、畜生、だからどないや。俺ぁ、あいつにどないしたねやって訊きに……」

ラメントの大体、後ろのほうで僅かな揉み合いの音が聞こえた。そして、彼は部屋の後ろの方に注意をやった。ラメントは、鏡に写った彼らを見た。背が高いほうが、もう一人の腕をしっかり握りしめていた。

「行くな。」
前者が素早く言うと、声が低くなった。
「レッスンナンバーワン。こいつらン周りで働くっちゅうことについて。アンタの良心が望まない出来事もある。」


2007年8月18日

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ハッピーバースディトゥーユー

ラメントは少しクロムフレームに指を滑らせた。出費は高額だったが、ジョーク──こんなことで彼は笑わない──にしては価値があった。最後に勝利の喝采をあげるための、最初の失敗にすぎない。彼は唇を釣り上げて、写真を見下ろした。笑みは殆ど異常で、やがて噴き出した。

ラメントは「彼はどんな顔をするのかな……」とか、そんなことを考えたかったが、どうせいつもと同じ顔なんだろうと理解していた。無表情で、抜け目の無い顔。

彼は包装紙を引き抜いて、ゆっくりと写真を包みだした。半分の笑みを浮かべ、ハッピーバースディを口ずさみながら。


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ハッピーバースディ……トゥーユー。

2007年8月18日

「すいません……本当……本当に……」
ラメントは言いながら、声がうわずらないように、つばを飲み込んだ。
「あなたは……あなたは、僕の父さんのようで……あなたが理解していないとしても僕は……ただ、僕は……これ以上は何もできない、でも……僕は現場任務に移動を頼んで。サイト14へ。」

ギアーズは彼を見ていた。空白の顔、無感情に。

「僕は……とにかく……」
ラメントは、小さな、四角く包装してある箱を、目の前の禿かかった男に押し付けた。
「ハッピー・バースデイ。」


2009年2月19日

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思い出したくないと願っていたが

「ひ。ひ。ひ。ひ。ひい。」

ラメントは冷や汗をかいて、ベッドから見起こした。笑い声がまだ彼の耳に反響していた。彼はしばらく目をしっかり閉じて、音を頭の中から掻き出そうとした。そして、弾みをつけて脚を横にやり、シャワーの方に歩いて行った。

彼はシャワー室に歩み入ると、冷水を背に流し、徐々に温もっていくことを感じた。反響している悪夢が、温まるに伴って、徐々に収まり……

彼は眼を開いて壁を睨んだ。しばらく。シャワー室の陶器の壁が動いていると確信した。壁に手形が現れた。それも子供の物ような、まるで毛布で遊んでいるかのような。あざ笑うかのような手々は、彼の喉まで伸び、彼の命を絞る。だが彼は死なないだろう。いや。彼は、その手々の持ち主が彼を弄ぶ限りは生きている。弄ぶ、笑った。
「ひ。ひ。ひ。ひ。ひい。」

シンクにおいてある携行武器に手を伸ばすことを少し考えると、その効果は弱まった。しばらく、彼は武器に手を伸ばすことを考えた。もう一つの目的のために。そして、気づけば、彼は浴槽の壁の下に沈没した。ラメントは水面の下に座った。長い時間、冷たくなるまで。彼は弱々しく、排水管をじっと見つめた。

思い出したくないと願っていたが、喜ばしくも思い出してしまった。


2011年9月19日

ラメントの腕を伝い、血が落ちていく。有り難いことに彼自身のではなかったが、その女性の意識を再び起こそうとして、揺さぶる毎に、血が落ちていく。見込みはない、と彼は察した。瞳孔及び、意識レベルから判断してみても……重篤なショック症状だ。だが不運にも、彼には彼女を運び出す時間がなかった。ため息を付いて、再び立ち上がると、彼女をその場に置き去りに、重い金属扉を開けた。彼は外を見つめた。壁が変形するに伴い、軋み、唸る音を聞いた。ボルトが剪断され宙を切る音が聞こえ、彼は竦んだ。

惨憺な思いでホールをゆっくりと下り、現在、脇に下げた拳銃をかばいながら、時折肩を抑えている。彼は僅かに顔を歪め、予備の武器さえあれば──いや、もっと銃弾を持ってくれば──と呪った。しかし、この使い古した拳銃の信頼性に敵うもの、この水準で快適な持ちごたえの銃は他には無い。ドードリッジは、そのために彼を怒鳴りつけたが、快適さとその武器を用いる能力が、単純な殺傷力よりも増して重要な時があると、彼は信じていた。まさに、その金切り音を聞く時まで。また、その音に伴い、長い、キチン質の外肢が彼よりも先にホールの中に這入った。死体の影を吊るし、八本の肢で、平らな金属壁を這っている。

彼がそれが何であるか理解するのに1秒かかった。さらに2秒、状況判断を完了するのにかかり、自分の左にある部屋以外に選択肢は無いと判断した。ドアの鍵が閉まっているとわかると、一歩引き下がり、ドアを蹴りあげ、中に入った。

非常灯が、紅く煌めいていることだけが、彼の視界の全てだった。それでも、机をドアに立てかけた。彼はドアを何者かが引っかく音を聞いた。一瞬をおいて、彼は机の上のファイリング・キャビネットを押しのけた。アドレナリンが彼を突き動かし、キャビネットを逆さまにした。それから、ドアから遠い側の壁に凭れ掛かり、深く呼吸をすると、携帯武器を確認した。そして待つ。

待って、待って、待つ。

掻く音が収まり、彼は息を吐き出した。壁に凭れ掛かりながら、滑り落ちてから、部屋を見渡した。そして、少しして、彼は今どこにいるのか理解した。おそらくその男 ── 再割当てに続く昇進で、2006年にサイト19から離れさせられていた ──と働いていたのはだいぶ前になるが、彼はその携帯品を覚えていた。質実剛健な身嗜みが最初にそのことを暗示したが、写真が三つ逆向きに床に転がっていた。だが、その写真こそ、彼が必要としていた決定打となった。彼は受動的な禿頭の男性を見下ろして、彼が隠れた場所が残念だったと思った。

ギアーズ。


2011年9月21日

ラメントは、ドアが動く音にハッとして目を覚ました。彼は考えた。また夢か。だが、良くないことに、それは現実であった。彼はドアに向けて銃を構えた。使いきった弾倉を脇に見た。そして、正確に備えて来たのは、幾つなのか把握したらしい。彼自身のため、または彼の友のために備えてきた弾倉を。そして、無光沢な黒いユニフォームを身につけたサイトセキュリティ部隊員の一人を見て、彼はにわかに落ち着いた。

「他に誰かいるか?」

ラメントは決定について議論した。可能性のことを考えると、部屋を安全にするには放火するべきだと結論づけられた。940のアウトブレイクへの回答として、最もふさわしいのは火だった。サイト-37は完全に犠牲となって作りなおされていた。だが19の基盤なら、部屋ごとの清掃が必要になるわけだ。

「よう!」
彼は呼んだ。

そして10分後、彼は冴えていて、武装も整えて、2日ぶりの飯を食べた。彼はその棟から何事も無くエスコートされ、診療所で座らせられた。本当の怪我人が治療されている間、彼は壁に凭れていた。彼は再び立ち上がりたい、立ち去りたいと考えた。だが彼はしなかった。彼は壁に凭れながら丸くなり、目を閉じて、眠った。


ラメントは肩を激しく方を揺さぶられ、目を覚ました。彼は直ぐに腰に手を伸ばし、銃をとって、直ぐに殺してやろうと考えた。だが、見上げた先は見覚えのある顔だった。彼は息をゆっくりと吐き、壁に凭れてズルズルと落ちていった。
「くそ、ドードリッジ。」

「起きろよ。デブリーフィングの予定だ。」

「くそくらえ。」
ラメントは体をゆっくりと起こし、壁に凭れた。
「だから僕は現場が嫌いだ……」
彼は不満を言いながら、腕をさすり、ドードリッジの方に頷いた。ドードリッジはラメントの後について、混乱に続く廊下を進む用意ができていた。コーヒーと、もう一度食事をするために。二人は急いで食べ、かろうじて喋った。

「君はまだ、アードリックのとこの23歳の娘と話しているのか?」
ラメントは尋ねた。

「おう。」
ドードリッジはきっぱりと言った。

ラメントはサンドイッチを掴んだ。
「彼女、ホットかい?」

「ああ、彼女はホットだ。」

「君は、しばらくセキュリティへの移動に戻してもらおうと考えているんだよな?」

ドードリッジは肩をすくめた。ラメントは頷いた。そして静かな食事に戻った。

デブリーフィングには40分ぐらいかかった。それは、お決まりの議論だった。いつ、お二人は警報を出しましたか?サイトに到着するのにどれくらいかかりましたか?なぜ二人は分断したのですか?サイトの核装置に達することが出来ましたか、エージェント?682の棟の再封じ込めをすることが出来ましたか、エージェント?あなたは、エージェント?しましたか、エージェント?何故しようとしないのですか、エージェント?エージェント?エージェント?エージェント?ぶらぶらぶら。

ミーティングの終わりまで、委員会にジョリッチが参加していることに、ラメントは気が付かなかった。ラメントは彼に手を降った。ジョリッチはしばらくアイコンタクトをすると、目をそらして、去っていった。それがザンディをまた思い出させた。一緒に座っている時、笑っている時、お互いのアイデアを膨らませている時を思い出させた。また、106の顔も思い出させた。友達を黒いパイプに引きずって行く時の顔を。また、いつも銃弾をどうやって数えているのかも思い出した。

ドードリッジが沈黙を破った。
「ビールやりに行こうぜ、ラメント?」

「いや、いらない。僕はいいよ。」

「好きにしろ。俺はこのクソを仕上げに行く。」
ドードリッジは言った。

ラメントは笑った。
「アリスにあったら、彼女によろしく言っといてくれ。」

「ああ、そうだな、クソッタレ。」

ラメントが薄笑いを浮かべると、ドードリッジは中指をたてて、去っていった。彼は廊下にしばらく立っていた。ソフィーは、またここに配置されるのだろうかと考えた。彼が現場送りになった後、お互いのことはわからなくなっていた。だが、それが仕事だった。ドードリッジはサイト-23にフルタイムで行かされると知ったから、ソフィーのことを考えた。だが彼は結局……知らなかった。

彼はため息を付いて振り返ると、廊下をあてもなく歩いて行った。驚くこともなかったが、彼は二日間隠れていた例のオフィスの外に立っていることに気がついた。彼は扉を押して、中にはいった。

清掃班がすでに仕事を終えていて、物は片付いてあった。ギアーズのデスクが同じ位置に戻っていた。それだけでもなく、彼の古いデスクも戻っていた。不気味だ……同じだ。一緒すぎる。似すぎている。4年前の気がした。

「エージェント。」

ラメントは肩越しに目を向けた。手は神経質にも携帯武器にかけられていた。しばらく凍りついていたが、声は慣れ親しんでいたものだと気がつくと、気を抜いた。

「ギアーズ博士。」

彼の見た目は同じだった。禿げた頭頂。平らな、無表情な顔。冴えた、冷たい瞳。

「アウトブレイクの間、ここに退避していましたね。」

「ええ、博士。」
ラメントは言った。

ギアーズは彼にうなずき、彼を通り越して、自分のデスクまで歩いって行って、座り、ファイルを広げた。
「時間があるのでしたら、軽度なレベル2脅威について、君と相談したいことがります。」

「私にそれの許可はありますか、博士?」
ラメントは尋ねた。

ギアーズが彼を見上げた時、彼は微笑みを想像した。彼はそういう習慣にしていた。感情を意味するものがそこに存在しなくても。

「私はクリアランスを確保することができます、君が望むなら、エージェント。」

ラメント頷いた。
「もちろんです、博士。」

「承知しました。では、今日の昼食の後なら会いに来てもらえますか。」

ラメントは頷いた。ある種の親しみ、腸に穴を開けるような親しみを感じた。彼は男を見て、新しいアシスタントが攻撃で死んだのかと怪しんだ。アイスバーグがしたように、自殺したのかと。彼のように。

「もちろんです、博士。でしたら、私はサイト-14の監督と話して、一時的な再割当てをもらってきます。もし援助が必要なのでしたら。」

ギアーズは何も反応しなかったが、ラメントは反応を期待していなかった。ラメントは振り返り、ドアを押し、廊下に入っていった。それから左右を見て、植物園の方に歩いて行った。多分ソフィアはまだそこに配置されている……。


ギアーズはエージェントが去って行くのを見た。彼が去って行ってくれることを……幾分か……願っていた。その瞬間、少しは。彼は本当は……彼が戻ってくれたことが嬉しかった。感激すらした。だが顔はそんなことを表さなかった。彼は決して微笑まない。彼は決して彼を祝福しない。

何もしない。

彼は一番下の左の引き出しの鍵を開けて、引いた。いくつかの分類済みのメモを除き、引き出しの中は空だった。それは『処分』されるファイルだった。引き出しは、機密のまま完全に忘れさられるべきものを収めている場所だった。だが、一週間より長く、そこに置かれているひとつのファイルがあった。彼は静かに、引き出しに手を伸ばし、ビニールの袋を取り出した。その中には紙片があった。飛沫血痕の付いた、色あせたレターヘッド。彼はそれを見下ろして、また読みだした。彼は百回は読んでいた。

起きてしまった。終に起きてしまったのだ。私はエージェントシェリーが、流行りの事をしながら廊下を歩いてくるのを見ていた。
だが、私はそれを、ただ見ていただけだった。そして、書類を記録課に投函した。私はよだれを垂らさなかったし、口説いたわけでもなかった、何もしなかった。私は感じた、私は心の中で感じた。ぼんやりとした欲求を。だが、そういう事をする理由はなかった。私は、それに狼狽すら感じなかった、本当に……何も。
主な理由は私以外は誰もやらないからだろうが、彼らは私に任せすぎている。あるいは、それも一部だったのかもしれない。私はファイルを調べた。私は掘り返し、古いハードコピーを要求した。私は何が起きたのか知った。彼らが何を望んでいるか知った。
彼は罠にかけられたのだ。彼は、心のなかで、感じることができるが、反応することができないのだ。これ以上の地獄はありうるだろうか?それに、これ以上彼らにとって都合の良いことはあるだろうか?
彼らは、何をしているのか分かっていない。性格型も。感受性のある者も。彼のは事故だった。私は望んで、私のそのようなことを起こしたくは無い。
私は、これを見つける人があなただと分かっている。彼らに私のことは残念だったと伝えてください。どうか。まだ、あなたが魂を保ち続けていたなら、次の人に警告してください。
──アイスバーグ。

ギアーズは書付を長い間じっと見詰め、一瞬だけ、涙が頬を伝うように感じた。だが手を上げるまでにそれは乾いてしまった。乾き切ってしまった。

彼は書付を一番下の引き出しに落とし、立っていた。彼は四年間誰も座ることのなかったデスクを見つめた。彼は後悔を感じた。

だが、それを表すことはなかった。

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