ブライトの遺言

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         母に






 イーヴィン荘は、ネブラスカ州サンドヒルズにある、いまは亡きブライトの父が建てた邸宅である。ネブラスカは彼の故郷であり、息子に寄りそってやれなかった未練を残す場所でもあったため、アダム・ブライト1は評議会を辞任後、残された余生をここに費やすことを決めた。ジェームズは自身の父の選択をいまさらになってと非難していたが、結局のところ、彼もまたおなじ轍を踏むことになってしまったという。

    *

 ジェームズ・ブライトが目をさましたのは、早朝の四時のことだった。ブライトは腕への鋭い痛みと、懐かしい浮遊感を感じ、目を見ひらいた。冷たい汗が染み込んだ羽布団をはね除け、彼はその上に座り込んだ。
 ブライトは彼自身の手足を力無く見下ろした。自分の体にかろうじてつながっている、貧弱で小枝のような手足。その首には、もはや首飾りはない。このところ、ブライトの顔はますますみじめなものになっていた。その容貌はしみやしわにあふれ、あふれんばかりのアイデアやユーモアは、老獪で固い岩のようになりさがってしまった。時の移り変わりは見るに堪えないものだったが、それでも、ブライトはいまだに963を無力化できたのは、正しい判断だと考えていた。
 彼はこのイーヴィン荘に、いまはたった一人で住んでいる。その理由は、おそらくは、彼の家族を心配させないためだ。

    *

 アダム・ブライトが健在だったころは、どうやらここはいま以上には賑やかだったらしい。
 まれに帰省していたマイケル2から聞いたかぎりでは、父は多くの使用人を雇い、日夜いろいろなかかわりを持つ人間を屋敷に招いていたという。とにかく、できるかぎり一人になる時間を減らしていたらしい。
 わたしがなぜかと問いてみると、マイケルは父が暗殺を恐れているのか、単に彼が極端な寂しがりやだっただけなのか、と答えた。なぜだか、わたしはそれで府に落ちてしまった。
 トゥエルブの業務はさぞかし孤独なものだったのだろう。彼の家族はたしかに組織内部に散ってはいたが、彼にはそのなかで、また一歩踏みだす余裕と勇気は残されていなかった。その証拠に、彼は妻の死さえまともに看取ってやれてなかったのだ。

    *

 わたしはその日、弟の命が燃えつきるのを、ガラス越しに見ていた。
 トーマス3。彼は療養ベッドの上で、瞼を閉じ、力無く横たわっていた。彼の胸に、脇腹に、脚には、電極とチューブが張り巡らされていた。しかし、包帯の下から垣間見えるあざや、失くしてしまった片足を見ると、まるで意味をなしていないことが誰でもわかったはずだ。
 わたしたちはチャンバーへは入らなかった。わたしはただそれを、ずっと眺めていただけだった。あの時とおなじように、ここに誰かがいてくれたら、と願うだけだった。
 しばらくして、財団の医療チームが到着した。が、みな沈痛な面持ちでかぶりをふるだけだった。もうすでに彼に与えるための万能薬が底をついていることは知っていたから、わざわざ医師たちが驚くようなことはなかった。
 そしてわたしたちは、モニターの波長が平らな線へと変わりゆく瞬間を目にした。
 おのおののオフィスへと戻る人ごみのなかから、わたしは弟が運び出されるところを、虚ろな目で眺めていた。
 トーマスは、最後に誰かの手をにぎったり、目を開けるようなことはしなかった。きっと、わたしが近くで見ていたことさえ、知れることではなかったんだろうと思う。
 わたしは他に仕方がないのだと、これが生きていられるもっともいい選択なのだと、自分を丸めこんでいた。しかし、時がたつにつれ、幼いころの考えでは、もはや通らないことを知ってしまった。正直なところ──彼らのもとに向かうことのできるトーマスが、羨ましいとまで思えてしまったのだ。おそろしいことに。
 それでもわたしはせめて、一言だけでも声をかけてやりたかったと、いまもまだ思置くことがある。

    *

 エヴリン4
 エヴリン・ブライト。
 彼女の訃報が夫のもとにまい込んできたのは、二日も遅れたあとだった。
 しかし、それでもなお、トゥエルブの臨時休暇が認められることはなかった。財団はアダムがここに居座りつづけるかぎり、彼とその家系に強引にメスをいれ、引き裂こうとしているのだ。
 ならば、なぜ彼はこの道のりを突きとおしつづけるのだろうか? それは、彼であっても説明のつかないほどに遠い昔の、わずかな希望のきっかけからだ。
 アダムは引き出しから、数枚の便箋と、一枚の写真を手にとった。その便箋たちは、どれも彼らの子供がその両親にあてて書いたもので、どれもついには届くことのなかったものだった。
 「すまない。すべてを破滅に追いやってしまったのは、紛れもないわたし自身なんだ。」
 弱々しくそうつぶやくと、アダムはデスクの下で、静かにすすり泣いていた。
 写真は彼女を写したものなかでも、非常に古いものだった。たとえどれほど彼女が家族を想っていたとしても、いまとなってはアダムが知るべきものではない。

    *

 どういうことだ。
 3215のクラスが廃止されたあの日から、親父がイーヴィン荘から突然姿をくらませた日まで、一月もたっていないじゃないか。

    *

 わたしの退職許可がおりたのは、もう二十年以上もまえの話になる。
 いま思い返してみれば、わたしの生涯は財団の本質を知ってしまったときから、避けえないものだったんだろう。わたしが母の権威を継ぐことを表明したとき、わたしの人生はまだ始まったばかりだと錯覚していた。963事件に苛まれたときも、しばらくしてトゥエルブへ選出されたときも、単なる不都合にすぎないと考えていた。最も単純な考えとして、わたしが少年時代に両親をうらめしく思う心持ちが、またちがった、現実的な形で成就することを願っていた。しかし、そういう信念が、財団のために曲げられていたと気がついたときが、すでにわたしが自分の死だけを望みに行動し始めていたときなのだ。
 そしてわたしは、とうとう963を殺すことに成功した。それが、こうした財団からの解放というかたちでなってしまった。
 皮肉な話だが、わたしはつねに両親のあとをなぞり、みずから追い求めていたのだ。おそらく心の奥底では、彼らをまだ見かぎることができていなかったんだと思う。
 しかし、わたしは変わってしまった。一人の男が過ごすには、あまりにも長い時代を生きてしまった。トーマスや、時をおなじくしてサラが寿命を迎えたと知ったときから、そして、マイケル──彼は長生きさせてやれなかった──が心臓発作で亡くなってしまったときから、わたしは死ぬことを極端に恐れるようになってしまった。毎朝、自身の不自由になりつつある手足を眺める習慣が、恐怖の色を持つようになってしまったのだ。
 本当のブライトを知るものは、この世に誰一人として残されてはいない。そうだというのに、わたしはまた生きながらえてしまったではないか! わたしはあまりにも、多くのものを失いすぎてしまった!
 財団に戻るつもりはない。わたしはせめて、この最後には家族と、なにより自らの意向に素直な人間でありたい。
 それから、わたしは仕事──仕事に戻ろうと思う。彼らが待ってくれているような気がしてならない。

    *

 日の落ちかけるころ、ブライトはたった一人で、ネブラスカの広大な土地をゆったりと横断していた。その足で近くの丘陵へと向かっている。彼はこの時刻になると、いつもこうして散歩へ出かけるのを日課としていた。
 寒さによるせいか、彼の手は震えが止まらない。まだ冬のなごりでそこらさしこに、こしまり雪が残っていた。
 いまやネブラスカは変わってしまった。幼いブライトが見たトウモロコシ畑、その側にそえられていた牛舎や水車小屋は、背の低い草地で平らになっていた。この地に強く根づいていた文化と芳ばしい人々は、みなここを立ち退いてしまった。そして最後には、とめどなく広がる、なにもない土地だけが残された。ブライトの見ないうちに、彼を育んでいたすべては、一足早くこの下で深い眠りについてしまったらしい。
 ほどなくして、頂上についた。ブライトは近くの岩に腰をおろすと、頭にのせていたカウボーイハットのほこりをはらい、慎重に隣へおいた。彼はそこから故郷を見まわし、嘆息をもらした。
 すっかり彼とともやつれてしまった大地には、いまだ色あせることのない月光がいっぱいに注ぎ込まれている。そこへもの悲しく揺れる雑草たちが、放牧地にとり残された兄弟の夢を見させてくれている。何もかもが始まりにすぎなかった、ブライトが財団を知るよしもなかったころの物語だ。そして、彼が死にもの狂いで手に入れようとしていた軌跡だ。その端に、ぽつねんとイーヴィン荘はたっていた。
 かつてのブライトの老いた父も、よくこうして散歩へ出かけていた。彼はここに来る度に、夜の道に迷わぬよう、イーヴィン荘で明滅する窓の光をたよりに、帰り道を歩いていたという。イーヴィン荘、もともとその名称は、彼の妻であるエヴリンにちなんで名づけられたものだ。いまブライトが眺めるそこには、明かりも道しるべもないが、彼は退屈には考えなかった。少なくとも、いまは。
 ブライトは沸きだった雲のなかの、きらきらとひかめく六つの星を目で追った。
 なにもかもが安穏とし、異常とかけ離れていた。彼がものいわずとも、夜の帳は次第におりていく。雲は落ちる幕のように、夕暮れは物語をしめくくるカーテンのように。
 ブライトはつぶやいた。
 「母さん、」
 ブライトは、ゆっくりと目を閉じた。

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