日は落ち、夜が更け始めた。木の陰に隠れていた太陽もすっかり姿を消し、夕焼けの橙も次第に薄くなっていく。
宵闇に全てが溶けていくようなこの時間帯が俺は好きだ。ただ、腕に付いている電波時計はとっくのとうに飾りになっていて、正確な時間はわからないが。
例の車の中には既に先客がいた。狭い車内で足を組み、座っている。私がドアを開けて入ると、彼が横を向き、笑顔を見せた。
「遅かったな。もうすっかり夜だぞ。」
横に座っている彼はトマトジュース片手に、ガラガラの声でそう呟いた。
「いいじゃねえか。おかげで星が綺麗に見えそうだし。」
私は天体観測なんか一度もやったことはないのに、そう呟いた。
車の窓から上手く夜空を見上げるのは至難の業だ。エンジンも壊れてしまっていて、窓も開けることができない。車の外に出ればダムの上から夜空を一望することもできそうだが、面倒くさいのでやめた。今はそれより大切なことがある。
「なあ。あれ、スピカか?おとめ座の。俺誕生月がおとめ座だからわかんだよ。スピカ。」
私は子供のように星座を見つけて叫ぶ。都会ではこんなに星も見えなかったから、これぐらいは許されるだろう。
スピカは二つの星が結びついた連星らしい。乙女座は恋人と結ばれやすい、と言われるのはそういうことからなのだろうか。そのあとスピカは五つの恒星による連星ということを知り、浮気どころじゃねえな、とも思った。
「俺は星が綺麗ってこと以外は何も知らねえぞ。どうでもいいし、俺にとっちゃあ夜は仕事の時間だったからな。しし座は誕生月だから名前だけ知ってるけどな。」
「お前にはロマンちゅうもんの欠片もねえな。つまんねえやつ。」
「黙っとけ。暗くてパンフが読みにくいから集中させろ。」
「んだよ、パンフって。俺より大事なものか?」
暗がりの中、彼は頷く。俺は大きくため息をつく。
かったりい。生きてることも。ここにこうして座っていることも。
「おい。ライターあるか?」
「忘れたのか?馬鹿だなあ。人生、いろんな物を忘れてそうだな。どうだ?数えられるか?忘れ物の数。」
かてぇ。このかてぇライターを片手で引けるようになった頃には、もう煙草は吸えていた。
私ははライター特有の、透明でいて濃い、飴玉のような火で夜空を染める。
「無理そうだわ。俺には。」
彼が用意していたランタンに淡い光が灯り、発煙装置もついでに稼働させる。
「ま、そうじゃなきゃこんなことしてないわな。」
あ、最後の1本、残しといたマルボロ吸ってねえな。折角とっておいたのに。
「おい。雲が出てきてちまったぞ。宇宙のゴミぐらい綺麗に見せて欲しいもんだけどなあ。」
横を見ると、彼は窓の外をぼんやりと眺めていた。彼の眼には星が反射していて、宝石のように輝いている。暗がりの中でも隈の濃い奴の顔の輪郭はくっきりとしていた。
どちらかと言えば、実物より彼の眼に映るそれの方が美しい気がした。
四角にちぎられたこの世の天井に目を向ける。
海に浮かぶ燈火でも撒いたような夜空。
金盞花の色を溶かして、煮詰めたらきっとこんなに綺麗だろうなと、思う。
奴の血色の悪い頬まで、時を置いて燃え立ったように赤く塗り替えるようだった。
「てめえは俺の顔ばっか見てねぇで空見ろよ。見れて喜んでたじゃねえか。」
少し笑うと、窓に向き直る。窓は雲より先に自分の吐息で曇って見えなくなってしまいそうだ。一等星は自分が幼少期に見た田舎の星より圧倒的に綺麗だ。目が痛くなってくる。
いつもより圧倒的にでかい黒い空の下、ずっと街が眠っている。
幾筋もの夜這い星、一滴一滴の啼泣が其れを伝って流れ落ちた。
「なぁ、次はいつ会えると思う?」
「もうお前の顔は見飽きたわ。」
言い訳だろう。それでも、口を歪ませて笑った。
「あっそ。」
嗚咽を漏らす。馬鹿みたいに二人で泣き始めるのは滑稽とも言えた。静かになる余地は存在しなかったように思える。
外に辛うじて付いていたガス灯の明かりはカウントダウンのように消えていく。ただでさえ暗い夜が常闇に染まっていく様子は、圧巻とも言えた。
ぬくったい煙が車の中を包み込む。おとめ座としし座を雲が隠す。
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- portal:7636440 (03 Sep 2021 11:02)