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今の彼氏と同棲を始めたばかりの頃の話。
大学の近くで彼が入学時より契約していたマンションの部屋に転がり込んで、夢に見た2人での生活がスタートした。その際、彼から生活の上での注意を幾つか教えてもらった覚えがある。隣の部屋の人とかゴミ捨てのこととかWi-Fiのこととか、殆どは波風立てず暮らす為の些細な留意点だったが、1つだけ奇妙な「お願い」を聞かされた。
「トイレとか寝室を出る時に、電気のスイッチを消してから、扉を閉めるじゃん?その時になるべく後ろ手でやらないで欲しいんだよ。つまりは、自分の手元から目を離さずに、しっかり見ながらスイッチを消して欲しいんだ。」
当然、そんなお願いをされる意味が分からず困惑した。だが彼氏の口調が私を茶化したりする時のそれではなかった為、その時はあまり深く考えずに頷いておいた。
その晩のことである。初めて彼の部屋で入浴したことに少しドキドキしつつ、後始末をして浴室から出ようとした時だった。彼との話を忘れていた訳じゃない。ただリビングに足を向かわせながらつい、いつもの癖で後ろ手にスイッチを消してしまった。その、直後。
消したスイッチから離れようとした自分の手の甲を、生温かいものがゆっくりと撫ぜていった。今日だって彼と手を繋いだ時に覚えた、自分の皮膚と相手の皮膚が微かに擦れ合う感触。人間の指だ。
慌ててリビングに駆け込んで来た自分の様子から彼は全て察したようで、事情を丁寧に話してくれた。
曰く、このマンションの彼が暮らしているこの部屋には、「出る」らしいのだ。とは言っても深夜に偶にやっている映画やドラマのように、はっきりと人の形をして「出る」訳じゃない。今しがた自分が体験したように、暗闇の中から人間の指のようなものが、住人の手を目を離した隙にそっと撫でてくる。「出る」のは何もスイッチを消す時だけに限らない。例えばクローゼットへ外出用の服を取るために手を入れた時や、戸棚の下の隙間に入り込んだ小物を探そうと手を突っ込んだ時。同じようにどこからともなく伸びて来た誰かの指に撫でられることが屢々起こる。自身の手をしっかりと見ていると、決まってそんなことは起きない。その為、指を直接目にしたことは彼もないと言う。どうやら彼が契約しているこの部屋以外の部屋には「出ない」らしく、マンションの管理人に問い合わせても返答はいまいち要領を得ない。注意していれば「出る」ことは滅多にないし、これまで明確な危害を加えて来たことはない。それにせっかく念願の同棲生活が始まった矢先に彼女を怖がらせたくはないから、出来る限り隠そうと思っていたようである。
自分は生まれてこの方幽霊とか怪奇現象なんかを馬鹿馬鹿しく思っていた性質の人間だったから俄には信じ難かったが、実際に遭遇してしまったからには信じるしかなかった。無論、浴室に他人が潜んでいる訳がないことは自分自身の目で確認している。彼氏に隠し事をされていたことは嫌だったが彼に非がある訳ではないし、自分を気遣ってのことであったから怒る気にはなれなかった。
一先ず納得して、その夜はロフトに準備してくれたベッドで彼とは別に眠りにつくことにした。が、その際も彼から「お願い」を受ける。
「ロフトは若干蒸すから、ちょっと寝苦しいかもしれないんだけど、その、毛布からは、手とか足を出さないようにした方がいい、かもしれない。」
理由は聞かずとも察せられたので、彼の言う通り手足を抱き抱えるようにしてベッドに潜り込むことにした。
こうして不穏な気配を帯びた彼氏との同棲生活は、しかしいざ始まってみればそれまでよりもずっと身近で彼と共有出来る楽しいことや嬉しいことで、胸が一杯になる日々となった。不安だった件の怪奇現象も、着替える時や料理をする時、兎に角部屋の中で手先を使う際に慎重に気を配っていれば、彼の言った通り「出る」ことはない。ただそれでも月に2、3度ほど、部屋をさっさと出ようとする勢いのままにスイッチを消した時や、寝ている最中に通知音を聞いて寝惚けたままにスマホへ手を伸ばした時、そっと手首や指の付け根を撫でられて悲鳴を上げることはどうしても避けられなかった。
そんな生活に少し慣れてしまった自覚があったから、多分あんなことをしてしまったのだろう。その日はゼミの研究発表を無事に終えられた記念に、彼と夜遅くまで飲み過ぎてしまったせいでもあると思う。
すっかり潰れた彼をソファーに寝かせて、自分もいい加減眠ろうと寝室に向かった。ふらつく頭を押さえながらパジャマに着替えて、ベッドを調えてから電気のスイッチを消す。その時、アルコールで鈍った頭の中からは「後ろ手でスイッチを消してはいけない」というルールが、抜け落ちてしまっていた。「あ、しまった」と思った時には、暗闇の中で微かな体温を伴った人間の指が、スイッチに掛けた自分の手をじっとりと撫でて来た。手首から爪の先までゆっくりとなぞった指が、自分の手から離れて行く。その時だった。
左右から自分の手を、「なにか」にぎゅっと掴まれる。直感的に理解した。人間の手なんかじゃない。
そのまま物凄い力で、自分の手は部屋の天井に近い方に、「穴の中」に引き摺り込まれる。「穴の中」で手の至る所が、柔らかくざらざらした蛇のようなもの、それからなまぬるい粘液に包まれてそれで、
完全に酔い潰れていた彼が飛び起きて駆け付けて来たばかりか、隣の住人がけたたましくチャイムを鳴らして来たことから、自分の絶叫がどれほど大きな物だったのか想像が付く。病院に行く前に必死に流水と金だわしで擦ってしまったからかもしれないが、取り立てて自分の手に異常は見つからなかった。
彼氏のことは現在も変わらず好きで、交際は問題なく続いている。だがそれから程なくして彼との同棲生活は、私の方からお願いして終わりになった。
初めて、彼と体を交えたあの日。
愛おしげに自分の身体に舌を這わせて来た時の感触が、「穴の中」で包まれたぬめりのある温みと、よく似ていた。
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アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:7611828 (23 Aug 2021 07:39)
拝読しました。以下、批評です。何か参考になれば幸いです。
。が一つ多いかもしれません。
平仮名が続き少しだけ読みづらさを感じたので、「つい、いつもの癖で」みたいな表現にしても良いかもしれません。
全体的な感想としては、とても面白い記事だと感じました。比較的穏やかな冒頭から、読者を不安にさせる要素を散在させつつ、想像が容易い日常を演出し続けています。だからこそ、その後に起こる現実離れした出来事も現実味を帯び、なおかつ事件の結果を述べない事で、作品の緊張感が余韻として残っていると思います。
自分の基準では、あんまり指摘できる部分は無いと感じたのですが、強いて言うとすれば考察出来る要素を増やして見るのも良いかもしれません。現状、作中に登場する怪異の性質として、「この部屋にしか出現しない」等の要素がフルには活きていないと思ったので、作品の展開を変えない程度の情報提示はしても良いかもしれません。ただ情報提示は、オブジェクトの性質や正体に少し形を与えてしまい、怖さを和らげてしまうかもしれないので、多くの人が想像する”この部屋で死んだ人が~”みたいなモノを指して、「こういったものではない」という形での情報提示などが良いかもしれません。
とはいえ、現状でも大分まとまっていると思いますので、参考程度にしていただければと思います。自分以外の方の意見も聞いて見て頂けると幸いです。
以上です。執筆応援しております。
拝読しました。面白いと思います。具体的に何が面白いかというと、単純に性質が面白いですね。規則性と不穏性があり、異常性それ自体がめっちゃ面白いSCP記事を読んでいるのと同じような興味深さを感じ取る事ができました。
指摘できる事は多くはありませんが、
ここをなぜ『確かに』という言葉で形容したのか、やや判断しかねています。これの対比となるセリフに『間違いなく、人間の手じゃない。』というものが後半部で記載されていますが、個人的には明確に対比させた方が良いように感じました。
私はこの『確かに』というセリフは、『自分の手の甲を撫でたものを感覚で"人の指だ"と感じている』という経緯から『吟味』の逆を暗喩しているのか(或いは吟味そのものを指しているのか)と解釈しました。一方で、婉曲的な対比を用いている事によって目が滑ったのも事実です。最初読んだ際、『人間の指が撫でてくる!』⇒『この指、人のじゃない!』という物事の逆転は分かりませんでした。
ですが、これらの文章が意図したものであるのなら、変えなくても充分味があると思います。ここは他の人からも感想をいただくなどして調整していけば良いでしょう。
あと、些細な点で気になった事と言えば、最後の
という文章です。これまでの其方の著作は、このような"エピローグ"のような文章で、これまでの状況とは一転した文章を残すようなものが多かったと思います(ポジティブな意味合いです。これは貴方の作品の個性だと思っております)。
例えば『のりかえ』では、『ああ、はい。引き継ぎの話でしたよね。すいません。これ、部屋の鍵です。』というセリフを最後に挿入する事で話している相手や場所に広がりと想像の余地を持たせています。
『こだから』では『すいません、おかわりお願いします。特盛りで。』というセリフで最初の文と対比させると共に、作品の結びを担っている事が分かる仕組みになっています。
『ふた』では"鈴木さん"と"永井さん"という2人の、本筋とどのような関係があるのか分からない人物の会話を挿入する事で、『ふた』の意味を婉曲的に示しています。
一方、こちらの『吟味』で最後に使われているものは『今も自分の手から、目を離すことが出来ない。』という、やや言い方が悪いかもしれませんが普通の文章です。少なくともこの文章は作品の結びとしてだけ機能しているものの、内容の深さ・面白さにはあまり寄与していないと感じました。『同乗者』もそのきらいがありますが、ここを変える事が出来たら作品をより大きなものに出来るなと感じます。
一方で、展開が完成しているゆえに変える余地がほとんどないのも事実です。上記のような事を言ったものの、無理に変える必要はないと思います。今のままでも充分完成していますし、洗練されている事に変わりはありません。
批評は以上となります。応援しております。