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2018/07/14、私は焼けるように暑い砂漠の大地に降り立った。マリ。アフリカの内陸部に位置するこの国では、たった数年前まで民間人による虐殺が横行していた。
奇蹄病という病気がある。2009年に一般社会に露呈した「奇蹄病ウイルス」による感染症だ。この病に罹ると、発症から僅か数時間〜数日で、身体の一部が他の動物の相同器官と似たものに変質する。超常技術を使用する団体、日本生類創研によって開発されたが、流出。感染者数の増加と後遺症による差別が日本国内で社会問題となった。
しばらくして、SCP財団は奇蹄病ウイルスの収容に成功したことを発表。これ以上、新たな感染者は出ないと考えられていた。ところが、今度は遠く離れたアフリカの地で、突然新型奇蹄病の感染報告があったのだ。新型奇蹄病は空気感染を広範にわたって引き起こし、従来のウイルスに比べて症状が軽微である分、感染力が高まっている。日本生類創研は関与を否定した。
2010年にモロッコで新型奇蹄病の集団感染が確認されると、アフリカ全土に一気に広がった。財団はこのウイルスの由来が不明であると発表し、収容が困難であると述べた。現在も感染例は相次いでいる。
そのアフリカの中でもっとも奇蹄病の“あおり”を受けた国のひとつがマリだ。
「マリ虐殺」。またの名を「AFCジェノサイド」と呼ばれている。政治を行っていた軍部が暴走し、民衆に奇蹄病の後遺症を持つ人々を殺すようにと伝え、たったの5ヶ月で35万人が殺害され、50万人以上が裁判にかけられた歴史的大事件。
今回は、マリに潜入したレポーターがマリの過去と、そしてこれからを見つめていく。
事の始まりは2014/10/01、軍事勢力によるクーデターが起こり、主導者のアヌブ・ケラサンが大統領の座を奪い取ったことだった。大統領としての最初のスピーチの時、彼は言った。
我が国には歴史がある。先人たちが紡いできた気高く、価値ある歴史が。
我が国には力がある。汗と涙と血でできた、確かな国民の力がある。
しかし、我が国の歴史を見ても、我が国民に人魚がいた、ミノタウロスがいた、というものはない。我が国の歴史を疑うことは決して許されざることだ。我らは歴史を創り、歴史に生かされてきたからだ。
今こそ我らの力をふるう時である。国民よ、武器を取れ!国民よ、奮い立て!憎き歴史の侵略者を討ち滅ぼす時が来たのだ!
このスピーチが、全ての始まりだった。
村の役所に勤めているカーナリ・ピチン氏はそのスピーチを生で聞いた。
「ある人は奮い立ち、またある人は震え上がった。彼のスピーチには絶対にそうすると思わせる力があった。私たちの心に肉薄する何かを感じた。スピーチが終わり、奇蹄病の後遺症を持つ人は崩れ落ちた。しかしそれは他の多くの人々にとって、決して最悪ではなかった。」
彼のスピーチは予言となり、すぐに実現する。ケラサン大統領は議会を解散し、憲法を停止するとさっそく動き出した。“キャンペーン”が始まったのだ。
“半獣の首を最寄りの役所に持っていくと、ひとつにつき700フランを与える。”
このキャンペーンは首都バマコから始まり、政府の人間が地方へ出向くことで広がっていった。始まってから3週間もしないうちにマリ国民は政府に扇動されるようになる。その影には異常物品があったことが明かされ、国際社会を震わせた。マリに一体何があったのだろうか。
これは当時発行された新聞の見出しだ。政府はまず、新聞や国民放送といったメディアを支配することで国民を扇動した。
“半獣は我々にとって絶対に滅ぼすべき害敵である。マリの歴史を慮らない愚者が神なる者の裁きを受け、その姿を獣に変えたのだ。彼らは人にも獣にもなれないコウモリ野郎であり、我々が決して許してはならない存在なのである!今こそ団結せよ!これは神の仰せだ!確固たる愛国心を以て敵をうち滅ぼせ!”
私はマドヤ・ガーティブ氏に会うため、とある村へ向かった。マリ国民の9割はイスラム教徒だが、この村ではキリスト教徒が多く暮らしている。彼もまた、この悲惨な歴史の犠牲者である。彼は、娘と妻を殺された。
ガーティブ氏は畑を耕していたが、私に気がつくと爽やかな笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、よく来たね。待っていたよ。よろしく」
「畑も以前は家族で耕していたから、かなり広かったんだけどね、一人だと限度があるから、随分小さな畑になったんだ」
しばらく話した後、彼は松葉杖をつきながら家の裏口に案内してくれた。
「私の娘だ」
戸を開けると、乾いた草の匂いが立ち込める。藁の上にミイラになった腕が置かれていた。
「これしか、手に入れられなかった。妻の死体はどこにもなかった」
「埋葬せず、敢えてここに置いてあるんだ。ここで何が起こったのかを私たちは忘れるべきではないからね」
ガーティブ氏の娘は当時まだ10歳だった。村にはじめて小学校ができて、嬉しそうに毎日通っていたという。
「うちは貧乏で、教科書を買う満足なお金もなかった。それでもずっと家で働かせるのは不憫だったから、やっと学校に行かせてやれたところだった。娘が学校の話を楽しげにするたびに、私はいくらでも働けると思ったんだ」
しかし、その幸せは長くは続かなかった。
「娘が、頭が痛いと言った。手を当てるととても熱く、はじめは風邪をひいたのだと思った。薬もないので頭を冷やすことしかできなかったから、妻とふたりで必死に看病した」
奇蹄病だった。3日ほど経った晩、ガーティブ氏は娘の耳の形が変化していることに気がついた。茶色く長い、馬のような耳になっていたという。
「奇怪だった。当時はまだ奇蹄病のことなんて誰も知らなかったし、何が起こっているのか全く分からなかった。次の朝には彼女の熱は下がっていたが、彼女ははじめて学校に行きたくないと言った」
感染源はその小学校だったという。この村に住んでいた約4割の人が奇蹄病に感染した。ガーティブ氏とその妻もまた、奇蹄病に感染してしまう。
ケラサン大統領のスピーチが行われたのは、それから2週間後のことだった。
ガーティブ氏は新聞を読んだ次の朝、ラッパの音で目を覚ました。それは“狩り”の合図だった。
「私のような奇蹄病だった人たちのほとんどは、大統領の話を遠い異国のものであるかのように聞いていた。しかし実際はこの国のことで、この村にそれがやってくるのは私たちが想像していたよりずっと早かった。ラッパの音で妻も同時に起きてきて、妻は洗面台へ。私は水をコップに汲んだ。娘はまだひどく落ち込んでいて、部屋から出てこなかった」
政府の人間によって吹かれたラッパに合わせ、村人たちは狩りを始めた。使われた武器は包丁やナタといった刃物だった。
「その時ちょうど時計を見たので覚えている。6時41分、彼らは突然私たちの家に飛び込んできた。私ははじめ、何が起きたのか分からなくて、彼らが家具を壊し始めた時、ようやく今から何が起ころうとしているのかを理解したんだ。彼らのうち何人かは、破壊活動を行いながらも自分がなぜそうしているか分からない風でもあった」
「私は妻と娘を連れて裏から逃げた。既に村は地獄となっていて、私たちは耳を切り落とされる人たちの悲鳴を何度も聞いた。悪夢であることを願った。そうしてキリスト教会に逃げ込んだ」
奇蹄病の後遺症をもつ人のうち、上手く逃げられた人たちはほとんどが教会に助けを求めた。しかし、そこに救いはなかったという。
「徐々に足音が近づいてきて、そこで私たちはいつも間にか追い込まれていたことに気がついた。“狩り”をする人たちは楽しげに談笑しながら教会に入ってきた。そしてそのまま、奥で怯えて震えている私たちを殺し始めた。男は首を切り落とされ、女は脚を切られ、動けなくさせられた。まるでウサギでも狩るかのように淡々と作業が進むんだ。私は気づかれないよう、窓から独りきりで逃げた。妻と娘はパニックで他の人と同じように散らばってしまい、連れ出すことが叶わなかった。その時の神に縋って泣き叫ぶ声を、今でも私は夢に見る」
「それから私は川に逃げた。流れが緩くて濁っているから、身を潜めるにはちょうど良く、そこで20人ばかりの人が同じようにしていた。武器を持った彼らはまるで農業をするかのような気楽さで“狩り”をしていたから、川の中まで襲ってくることはあまり心配しなくてよかった。彼らが通りがかったら潜り、通り過ぎたらまた顔を出す。そうして夕方まで水に浸かっていた」
この日だけでも、バマコでは2000人もの人が殺されたと推測されている。
「日が暮れると彼らは再び、楽しげに談笑しながら各々の家に帰って行った。この頃になって、私はようやく教会に戻る決心をした」
「教会は、すっかり変わり果てていて……クソ。まるでカルトの……残酷な儀式の後みたいだった。肉や血がそこらじゅうにぶちまけられていて……そこで何が起こったのか、想像もできなかった」
「そしたらそこに、男がいたんだ。見たことのある顔だった。そう、確か、牛乳売りの男だ。うちも買ってたんだ。信じられないことにな。そいつが死体から服とか、アクセサリーとか、そういうのを奪っていた」
「そして、私は見たんだ。娘にあげた貝殻のネックレスを男が手首に引っかけていたのを。許せなかった。それで、私は足元に落ちていたナタで男を切り殺した」
「結局、その後ひどい臭いの中で歩き回ったが、娘の腕しか見つからなかった。彼女の爪は前日に切ったばかりでね、見ればすぐにわかったんだ。妻はどの肉なのか分からなかったし、それ以上探したくもなかった。死体の様子から、女が皆、レイプされたのは明らかだった」
「娘の腕は家に置いた。いつかこの騒ぎが終わったらちゃんと弔ってやろうと思ってね。それから一晩中、私は殺した男のことばかり考えていた。それしか考えられなかった。だからこそ分からなかったんだ。どうして彼らは何の頓着もなく人殺しができたんだ?」
ガーティブ氏は目に涙を浮かべながら語った。娘が遺したその腕には、くすんだ貝殻のネックレスがかけられている。
「この脚は……自分で切り落としたんだ」
「奇蹄病に罹ったあと、右脚は牛のそれのようになっていた。このままじゃどっちにしても殺されると思った。だから切り落として、隣町まで這ってでも逃げたよ。そこも地獄だったが、私のことを知っている人はいなかったから、幾分マシだった。少なくとも殺されることはなかった」
「皆、色んな手段で色んな場所に逃げた。山へ逃げる者、川や池に逃げる者。色々ね。そして次々に死んでいった。切られるだけじゃない。病気にもなるし、飢えもしたんだ。結局、私はやっとのことで生き延びたが、山からはひとりも降りてこなかった」
「私たちは多くが殺されたが、決して心で負けやしなかった。生きたいと願う力で戦ったんだ。これはこの国に永久に着いてまわる真っ黒な歴史だ。だが、ここで何があったかは絶対に忘れてはならない」
ガーティブ氏は力強い眼差しで、そう語った。
首都バマコから始まった虐殺の波紋は瞬く間に全国に広がった。バマコの虐殺からわずか20日後には、マリ全土でラッパの音を聞くようになった。
郊外に住むマリネ・ケーパ氏は当時のことを語った。
「虐殺なんてはじめは信じていなくて、変な軍人が大統領になって妙なことを言っているとしか考えていませんでした。私の父には奇蹄病の後遺症があったけれど、大丈夫だろうと楽観的でした。」
「気づいた時には遅かったんです。首都で虐殺がおこったことを嬉々として語るラジオの音声を聞いて、私は自分たちが大変な境遇におかれていることを察しました。でも、父は腰が悪くて長く歩けないし、国境は全て閉ざされていたんです。逃げ場なんてありませんでした。いよいよ祈るしかなかった。狂気の火の渦が私たちの元へやって来ないことを。一抹の希望に賭けるしかなかった」
「SCP財団という組織が表に出て、世界は大きく変わりました。常識も180度変わって、様々な価値観が生まれました。ここらの治安の悪さは相変わらずだったけれど、一歩外に出るとその変貌ぶりは感じることができます。だけど、信じることができますか? ある日突然、国のリーダーに国民を虐殺することを宣言され、実際にそうなるなんて。かつてドイツがそうだったということは知っていました。だからと言って、私たちの故郷でそれが起こることを信じることなんてできませんでした」
「ケラサンは何がしたかったのでしょうか。ただ無為に私たちを殺したかっただけなのでしょうか。本当に分からないし、許せません」
「ただ、本当に後悔しています」
「父は守れませんでした」
多くの人が隣人たちによって殺された。では、彼らを殺した隣人たちは今、どこにいるのだろうか。
このジェノサイドは、2015/03/04に突如として終わりを迎える。ケラサン大統領が暗殺されたのだ。犯人は依然として不明。奇蹄病患者によるものだという見解と、そうではないという見解の両方が存在している。
その後、軍事派のキャダリ・マッキーが大統領になるも、国民からの支持は得られず、わずか3ヶ月で議会は解散した。
虐殺を行った民間人に対する裁判が執り行われ始めたのは、それからだった。
ケラサン大統領によって禁止されていた出国が暗殺事件によって解除され、既に“隣人たち”の多くはマリに残っていなかった。それでも国内にいた人々は国のあちこちで裁かれ、そのほとんどが10~25年の懲役となった。刑罰が軽すぎるという被害者たちの声は、政府には届かなかった。
届かなかった声のうちの一人、ペイジャ・リャヒ氏は当時のことをこう語る。
「私は、夫と息子を殺されました。ケラサンがいなくなり、ジェノサイドが終わりを迎えた時、私は、これで私たちをめちゃくちゃにした彼らが公正に裁かれると、そう喜びました」
「しかし次の大統領は、裁判を行わなかった。彼は国外へと逃げて行く犯罪者たちを見過ごしたのです。それから3ヶ月が経って、ようやく裁判が始まったことを新聞で知りました。嬉しかった。ようやく報われる。そう思いました」
「ところが、彼らに課せられた罰は釣り合わないほど軽かった。私は、私たちは必死で声を上げ続けました。しかしそれは、なんの意味も持ちませんでした」
「何より、私たちのたくさんの命が、たった10年や20年ほどの価値だとレッテルを貼られたのが悔しかったです」
街の大通りに出ると、たくさんの人やバイクが行き来している。その中には、奇蹄病の後遺症が見て取れる人も。“キャンペーン”が終わりを迎え、徐々に彼らは社会復帰していった。奇蹄病患者に対する継続的な金銭的・社会的支援は、彼らが訴え続けたことで勝ち取ったものだ。
しかし未だ、軋轢はしぶとく爪痕を残している。多くの人が仕事を、家族を、希望を失ったことに怒り続けていることは言うまでもない。
私は、かつて加害者だった男性、K(仮)氏にインタビューすることができた。彼は刑務所で衣服を作りながら罪を償っていた。K氏は当時のことをこう語る。
「政府の人間がラッパを吹いてやって来て、シメイラ(奇蹄病患者の蔑称)を殺すように言った。おれはそれに従うほかなかった。もっとも、シメイラは見た目も気色が悪いから嫌いだったけどな。だが何より、周りのやつらから白い目で見られることが恐ろしかったんだ」
「一度だけ、誰かが「殺したくない」って言ったことがあった。おれたちがそいつを政府の人間に見せたら、そいつを殺すように言われた。「もし殺せなければ、おまえたちも国家を疑る半獣になるであろう」と。そしたらあいつらは……ほとんど躊躇いなく、彼を殺した。もちろんおれだって殺せた。殺せなければ、きっと次に殺されるのはおれだったからな。ただ、あんなにあっさり殺すとは思っていなくて、絶対に逆らわないようにしようと心に決めた。」
「それでシメイラを殺し続けた。毎朝ラッパ吹きはやって来て、その度に殺さなきゃいけねえと思った。殺すフリをして殺さないようにすることもできたかもしれない。だが、フリをしていることがバレたらどうなるか。想像しただけで鳥肌が立って、殺すしかなかった。朝になったら、まるでかくれんぼでもするかのようにシメイラを探して、夕方になったら酒場で酒を飲む。そして今日殺した数やレイプした女についての話をしたんだ」
「おれは、できることなら殺しなんてやりたくなかった。だが、自分の命がかかっているとなると、人間ってのは意外となんでもできちまうもんだと思ったよ。シメイラにとっても辛かったのかもしれないが、おれだって地獄であることに変わりはなかったさ」
「大統領が射殺されてこの日々は終わった。結局、首を役所に持って行って金と交換できた人はいなかった。政府の人間がラッパを吹いてやって来ることはなくなって、あまりにも突然、前までの日常が戻ってきたんだ。それがどんなに恐ろしいことだと思う?おれはすっかり殺しに慣れていて、シメイラのことを人だと思えなかった」
「だが、おれには満足な金もなかったし、土地を失いたくなかったから海外には行かなかった。心のどこかでは、こんな歪んだ人間が外の環境で生きていけるはずないって、分かってたのかもしれないな」
「おれは狂ってしまった。懲役15年が言い渡された時、おれがどう考えたと思う?「儲けた」って、思ったのさ。笑えないだろ?」
これは、当時の政府が所有していたラッパだ。全部で2000個製造されたと言われているが、ケラサン大統領の暗殺後、3個を除いて破棄された。
SCP財団が調査を行ったところ、その音を聞いた者に軽微な認識災害を植え付ける異常性があったという。しかし、あくまで極めて軽微なものであり、振り払うことは容易であると発表された。
国際刑事警察機構(ICPO)の調査により、このラッパは日本企業である東弊重工が製造したものであることが明らかになった。そして更に、東弊重工とマリの間でマーシャル・カーター&ダーク(MC&D)が中継していたことも明かされた。東弊重工はラッパがマリ政府に売られていることを知らされておらず、MC&Dが製品の販売先を記載する書類を偽造していると主張した。結果、2社ともに経営は大きく傾き、東弊重工は大幅な営業の縮小、MC&Dは全世界から非難を浴び、ほどなくして倒産した。
心理学者である渋谷 優氏はこのラッパについてこう語る。
「同調圧力というものは恐ろしいのです。人間は長い歴史を生きてきましたが、それは進化するには不十分な長さです。私たちの遺伝子はまだ群れる生き物としての性質を忘れることができません。現に社会でも群れなければ生きていくことは困難ですからね。群れの中での立場が危ういと感じると、人間は大きく動揺するのです。そういう意味では、このラッパは扇動することに関しては効果てきめんだったのでしょう。最小限の異常で、最大の効果を発揮できたのですから」
O(仮)氏もまた、隣人たちを殺した。
「私には妻と息子がいた。“キャンペーン”についての新聞を読んだ次の朝、ラッパの音を聞いた瞬間、新聞の内容を反芻するように「殺さなければ」と漠然と思った。殺しをしなければ家族を守れないという思い込みが、私の頭の中を埋めつくしたんだ」
この思い込みはラッパによる認識災害だと考えられている。O氏が人殺しとなったのは、他でもない家族のためだった。
「私は、怖かった。私が殺しをしないことによって周りが私の“家族”に向けるであろう目が。だから殺したんだ。8人も。私は彼らの顔をずっと夢に見る。守りたいとあれほど強く思っていた妻子の顔はもう、私の中で黒く塗りつぶされてしまったよ。だが、それでいいんだ。私が赤の他人になることで、ふたりはきっと清く強く生きていけるんだ」
「私に、懲役10年は軽すぎる」
O氏は1日のうち3時間半をモスクで過ごす。彼にとっての正義は正解ではなかった。自らの正義と向き合い、そこで懺悔するのだ。家族を守るためにと殺してしまった人たちに。関わってしまったばかりに辛い思いをさせてしまった、顔すら覚えていない家族に。彼は目に涙を浮かべながら、面会室を後にした。
なぜ、ケラサン大統領はこのような政策をとったのか。彼は奇蹄病患者のことを「国家の裏切り者」「他国のスパイ」「国家転覆を企む売国奴」などと呼び、数々の表現で攻撃した。「首ひとつにつき700フランを与える」という“キャンペーン”を行ったが、対応することができるほど予算に余裕はなかったと言われている。
現在に至るまで様々な意見が唱えられてきたが、真相は明らかになっていない。単なる差別意識の発露という意見があれば、かつてのナチス・ドイツがユダヤ人を迫害したのと同じように国民にとっての共通の敵を設定することによって国家としての統率力を高めようとしたのではないか、もしくは奇蹄病パンデミックによる国民の政府に対する不満を逸らすためではないかという意見もある。
しかし、最近になって新たな可能性が浮かび上がってきた。
ケラサン大統領は、入軍以前の経歴がほとんど分かっておらず、出自すら明らかになっていない。しかし、事実への糸口として、ある書物が発見されたのだ。
当時軍事派だった人物の日記帳だ。筆者は判明しておらず、ところどころページは破れているが、ケラサン大統領が“キャンペーン”を始め、キャダリ氏が大統領になってから議会が解散するまでの出来事が、当時、軍事派だった者の目線から詳細に記されている。
「大統領は元々快活な人だった。彼が大統領になる以前、私たちはよく酒場で妙ちきりんなものに覆われたこの世界の未来について大きな声で語り合ったり、一気飲みの早さを競ったりしていた。彼はひときわ正義感が強い人物だった。だから私たちは彼に協力して腐った政治を変えるべくクーデターを起こした。きっと正義感自体は今でも変わっていない。ただ、大統領になる前後あたりから、彼のようすは一変した。彼は誰とも深くつるんだりすることはなくなり、酒場にも行かなくなった。そして奇妙なことに、この時になってようやく、私たちは誰一人として彼の家も、出身地も、家族構成さえも知らないということに気がついた」
驚くことに出自だけでなく、彼が生前書いた文章なども全て燃やされて抹消されている。しかし、1枚だけ、彼が書いたものだと考えられている紙が残っている。大部分は焼けており、端の方しか残っていないが、公的書類を除けば彼の肉筆はこれしか残されていない。そこにはこう書かれている。
“もううんざりだ。”
これがどういった意図で書かれたものかは分かっていない。
元々快活な性格だった彼は、ある日を境に大きく変わってしまった。一体彼に何があったのだろうか。
「ラッパを吹くように言われた。大統領は私の目を見て、地図の一点を指さした。曰く、ここに行ってラッパを吹け、ということだ。私たちは醜い半獣に正義をふるうべく、さながら牧羊犬となり、民衆を駆り立てるのだ。渡されたラッパには神通力が備わっていて、この音色を聴いた人々を意のままに操れるらしい」
「今日、大統領によるキャンペーンが幕を開けた。私は北東部の小さな村へ向かい、ラッパを吹き、叫んだ。「民衆よ!武器を取れ!半獣を叩き殺せ!」効果は絶大だった。家からぞろぞろりと出てきた村人たちは片手に武器を持っていて、私がもう一度「半獣どもを殺せ」というと、全てを理解したように、彼らは時に雑談をしながら、また時には神妙な面持ちで半獣どもの家に押し入った。そのようすは少し異様で、不気味だった。神通力は実在した」
「大統領は身体が健全ではない。本人曰く、軍人だった頃に被弾した影響で、あまりにも長い時間は立っていられないそうなのだ。演説は彼にとって容易いことではない。演説をし、裏に下がってから彼は一人にするように言った。それを見て、我々は戦う必要があるのだとより一層強く思う」
彼は素性だけでなく、徹底的に自分の素顔を隠していた。勿論、これに関しては暗殺などを恐れて慎重になっていたことも考えられる。しかし、それだけでは説明のつかない不自然なことも存在している。
例えば、現在残っている彼を捉えた写真には、一枚も彼の背中を撮ったものがない。全て正面か、横顔だけなのだ。さらに、彼が演説をする時、彼の背後に立つ護衛の人物は必ず同一であり、そしてその護衛が誰なのかについては何も情報がないのである。
そこから、「ケラサン大統領もまた、かつての奇蹄病患者だったのではないか」という説が浮上した。
彼は日記帳において、長い間立っていられないと言った。被弾した影響だと書かれているがそれは嘘で、実際は背面のどこかが奇蹄病の後遺症によって変形していたのではないか、と言われているのだ。例えば、背中に鱗が生えれば、服を着て活動すると布に引っかかって不快だろうし、骨盤付近が変形して尾のような器官が形成されれば、服の中に尾を押し込めるのは窮屈で、苦痛になりうるだろう。
「この説が事実だったとしたら、もしかすると、ケラサン氏は知らず知らずのうちに、自らの経験を通じて「奇蹄病患者の社会的地位は低い」という偏見を定着させてしまったのかもしれません。いじめられっ子が、自らがいじめられた経験から「いじめられっ子は弱い」という認識を自分でも知らない間に持ち、いつの間にか他人をいじめる側に回っていた、ということがあります。彼の場合も、それと同じだったのではないでしょうか」
そう渋谷氏は語った。
市場に出る。衣服や飲食物、骨董品などの多種多様な商品が道の脇に所狭しと並んでいる。ここは街の中で最大規模の市場。多くの人がここで生活に必要なものを買い揃える。
物を売る人たちは大きな声で通行人を呼び止め、一方の通行人は値下げ交渉を持ちかける。そんなやりとりがあちこちで行われ、その中には奇蹄病の後遺症がみられる人も。
ガーベラ・ニア氏はその一人。彼女の鼻から口にかけては変質しているが、彼女はそれを隠さない。
「この人混みの中なら、別に隠さなくても平気なの。同じような不幸に見舞われた人は私だけじゃないし、何より店をやっている人たちのほとんどは顔見知り。とても居心地がいいの」
人混みに流されながら、いつの間にか服を売っているテントの前へ辿り着いていた。
「こんにちは、おばさん、このシャツいくら?」
「あらニア、これ?これは350フラン」
「あらやだ、高いわ。200フランにしてくれない?それか、もう1枚つけるか」
「330フラン」
「200」
「315」
「200」
「300、これ以上はまけないわ」
「じゃあそれで買うわ」
それからも彼女は買い物を続け、ようやく市場を抜けたのは夕方になった頃だった。彼女は口許をスカーフで隠しながら言った。
「そろそろ帰らなきゃ。市場も人がかなり減っているわ。ここら辺は大きい街だから、夜は治安が悪くて危険なの」
日干しレンガの家に帰ると、顔のスカーフを取り、買ったものを布カバンから取り出す。
「夕飯を作るわ」
ジャガイモを包丁で剥き始める。ニア氏は家から40分歩いた先の飲食店で働いている。“キャンペーン”が終わり、新しい大統領、ムーサ・ザイザルが就任し、少しずつ、虐げられてきた彼らの権利は復活してきていた。それは顔に後遺症が残るニア氏が接客業をしているということからも読み取れるだろう。完全に差別がなくなったわけではない。だが今、マリは少しずつ再生への道を辿っているのだ。
ニア氏は手際よく料理を進めていく。
鶏肉を1口サイズにカットし、塩を振って鍋で炒める。そこにみじん切りにした玉ねぎとぶつ切りのジャガイモ、トマト缶などを入れ、水を注ぐ。キッチンには数種類のスパイスが並べられていて、そこからいくつかを加えた。野菜が煮えると取り出し、残った汁に米を加えて炊く。そうして完成した。ジョロフ・ライスと呼ばれるアフリカ西部でよく食べられている料理だ。
「一度に3日分作るの。3日目にはいつも卵を入れるわ」
頬張りながら言う。
「私は、夫を殺された。私は化粧品を売る店に勤めていたけれど、奇蹄病になってからは仕事を失っていて、夫は一人で懸命に働いていた、その矢先だったの。私は必死に逃げた。彼らにとっては私たちがどれほど苦しい生活をしているかなんてどうでもいいんだと思い知ったわ。サツマイモを盗み、ため池の水を飲んで生き延びた」
「私が店で働けているのは奇跡と言っていい。私たちはかつて多くを失って、今、多くの権利を手に入れた。それでも、まだ救われない人が沢山いる。私には一人で戦える力はないけれど、より多くの人が救われることを祈っているわ」
私は、首都バマコにある小さな事務所を訪れた。AFC差別と戦う団体、「HHA(Hold Hand with AFC)」の事務所だ。
屈強な警備員に会釈をし、中に入ると女性が出迎えてくれた。
「こんにちは、よく来てくださりました」
彼女はメイティア・サンガレ。HHAの創設者である。
「私たちHHAは、AFC差別とそれを取り囲む問題を解決するために活動しています。今は大規模な団体では無いためマリ国内での活動に留められていますが、国外の団体とも連絡を取り合っています」
HHAは2015年11月に設立された。サンガレ氏とその友人たち8名で平等を謳った大きな旗を作ることが最初の活動だった。
「お金をかき集めて事務所、つまりここを借りました。事務所ができると、停滞しかけていた私たちの活動は大きく前進したように感じられました。その頃には、ゴミ拾いのようなボランティア活動やポスターでの訴えかけの影響もあり、8人だった会員は30人あまりになっていました」
「今、会員には450人近くの元奇蹄病患者と、100人と少しの奇蹄病に罹ったことがない人がいます。活動も徐々に広がり、後遺症を持っている人でも雇用してもらえる職業の紹介などの、社会と元奇蹄病患者を繋ぐ活動も行っています。さらに、現大統領による手厚い支援や外部とのコネクションもあり、私たちは辛く苦しい過去を徐々に乗り越えようとしています」
「私もかつて奇蹄病によって激しい差別を受けました。まるで人として生きる権利を剥奪されたようなものだと感じていました。そして今、私は決してあの時の怒りを、恨みを忘れていません。忘れてはならないのです。風化させてはいけないのです。遠くに見える光はまだまだ小さい。それでも、この気持ちを捨ててしまったら、きっと私たちは前へ歩むことができないのです」
「しかし、この怒りに身を任せてはいけません。それは再び乱れとなり、同じことを繰り返す結果になるでしょう。なので私たちの活動は元奇蹄病患者だけに行われてはいません。雇用先の紹介は障がいがある人に対しても行われていますし、ゴミ拾いや学校の建設も活動に含まれます。なぜなら、私たちが望んでいる本当の未来は、敵ではなく、味方を作ることによって成されるべきものだからです」
その一方で、かつて虐殺をした人々を擁護するような運動も起こっている。「ラッパの強制力によるものなのだから民衆も被害者である」という考えだ。
この論は国を丸く収めるためにマリの政策としても取り入れられた。
しかし、キャンペーンが終わった直後、キャダリ氏が国を治めていた時期は虐殺に対する裁判もなく、国際社会の激しい批判も届かない郊外では依然として凄惨な有様だったという。
そのような状況だった地方ではこのラッパを悪者とする言説は浸透しなかった。
かつて大きく道を踏み外した人々と、未だ戦い続けている人々。彼らがともに手を取りあえる日は来るのだろうか。
ムーサ・ザイザル氏は世界で初めて奇蹄病の後遺症を持って大統領選挙に立候補した人物である。2015年に行われた選挙に出馬した。その頃はまだ社会の風当たりがきつく、票を勝ち取ることは叶わなかった。
しかし彼は諦めなかった。地方での精力的なボランティア活動やスピーチなどの地道な活動を国のあちこちで行った。翌年に行われた選挙では奇蹄病で苦しんだ人もそうでない人も多くが彼に投票し、ついにザイザル氏は大統領になる。
私は今日、同情の目を向けられ、顰蹙を買うことを覚悟してここに立っている。
私の背中は鰐の革で覆われている。しかしそれは些細なことである。今日まで笑われ、蔑まれ、同情されてきた。しかし明日からの我々は笑い、笑われてはならぬのだ。たった一つの病を前に、これ以上永くマリの清い歴史を黒く塗りつぶしてはいけない。
私が奇蹄病を患って大統領選挙に出馬した者、というレッテルを貼られるのは良い。しかし、絶対に、私の後に続く同様の人間にそのレッテルが付与されてはいけないのだ。
私が歴史における1人目になる。しかし、2人目は2人目と、そう呼ばれない社会を築かねばならない。
全ての人が自分でいられるために、私は国を、世界を動かす犠牲にもなろう。我々は、人間である。
彼が大統領選挙で行なった演説の一部である。
彼は大統領に選ばれて以降、支援金の給付、政府による農地の貸し出しなど、多くの支援を行い、たくさんの人々を救った。しかし同時に、それは支援の対象にならなかった人々の反感を買うことにもなる。彼は軍人ではないため、国家の統率に関する問題も山積みだ。マリは未だ、崖っぷちなのである。
しかしそれでも、ケラサン元大統領によって宣言された国交断絶が解除されて以来、ザイザル大統領は世界へ奇蹄病のことを発信し続けた。世界中のメディアがそのことを取り上げ、アメリカや日本などの各国からは支援物資が届いた。
確かにマリは、一瞬にして谷底へ落下した。それぞれがそれぞれの正義の方向を見て、誰も彼もが苦しんだ。しかし今、奇蹄病差別問題についてもっとも真っ向から向き合い、先進国すらも引っ張っている。この逆境から這い上がる力こそ、マリが秘めるエネルギーなのではないだろうか。私は子どもたちの元気に溢れた笑顔と真っ直ぐな眼を見て、強く思った。
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- portal:7603094 (15 Aug 2021 21:42)
批評ありがとうございます。誤字脱字、表現については修正させていただきました。キリスト教会について、イスラム教の部分は、イスラム教の祈りは基本的に飢えに対してや、神への服従?のようなものがメインになっているようなので、教会に逃げ込んで祈りを捧げるという描写はキリシタンの方がしっくり来るかなと考えたのでそのままにさせていただきました。その代わりに、ガーティブ氏の住んでいる村にはキリスト教徒が集中しているという描写を追加しました。
民族紛争などの資料、非常に助かります。あとで拝読させていただきます。
評価の部分に関してですが、確かにルワンダ虐殺に縛られすぎてSCPTaleらしさが薄れているなということに気が付きました。そのため、何か98らしいデカ目の異常を持ってきて、そこで98らしい光っぽさとSCPでやる理由と言ってはなんですが、超常らしさを出したいなと思います。
細かい点まで緻密に批評していただき助かりました。本当にありがとうございました。
時間がかかってしまってすみません。読みました。色々と工夫が見られており、前のものより良くなっていると思います。指摘させていただいた点も直っていました。ただ、それが表層的なものにとどまってしまった印象も受けます。まだこの作品は「消えはしないが、跳ねもしない」程度だと感じました。
今回の批評は、前回に比べて格段に厳しい表現になっているかもしれないので、先に謝らせてください。すみません。前回時点での作品をまだ全く完成には遠い時点のものだと勝手に思っていました。そうでないならば、この作品に対する評価を変えなくてはなりません。
基本的改稿方針の提案
前回の批評を経ての変更点に対する評価について書く前に、このたび読んで抜本的に変えなくてはならないと思った点を三つ挙げます。
1. 語り手(記者)がどのような人物かを掘り下げる
一般に見られるドキュメンタリーと比べてなにが足りていないかを考えたときに、これがまず挙げられると思いました。つまり、誰かが自分の体験を語る「相手」としているはずの記者の姿が見えてこないのです。こういう部分を捨象するなら、文中に「私」などのワードは出さないほうがいいかもしれません。
また、マリ各地を周ってさまざまな人々から体験を聴取したということを強調するなら、どういう旅程で移動したかぐらいはあってもいいなと思いました。その過程でロケーションの説明ができ、読者に情景をより想像させることができるのではないかと考えました。
2. 虐殺の前後を含めてリアリティを高める
これは以前指摘させていただいたことでもありますが、「マリ社会が変わってしまったタイミング」はもっと早くに訪れていたはずです。ケラサンの虐殺演説があったずっと前から、ガーディブ家は奇蹄病を理由に村で迫害に遭っていたでしょうし、それらが高じて殺害へ至ったと考えるのが自然です。
奇蹄病エピデミックから虐殺にいたるまでの、社会の変化を設定しておくことが必要だと思います。また同時に、ケラサン暗殺後の社会情勢についてもふわふわとした印象を受ける部分が目立つので、さらに細かい設定が必要だと感じました。
浅学で大変恥ずかしいのですが、一度目の批評のときは「真実和解」や「移行期正義」の概念を知りませんでした。この概念を改めて学ぶと、ケラサン=マッキー政権崩壊後のマリでも同じ試みが起きたことは想像に難くありません。
そうなると、社会の再建にあたって「虐殺」の総括が長い時間をかけて行われたはずです。マリ国内に設置された特別法廷で事件の関係者が裁かれたということですが、このあたりはもっと掘り下げてみる必要がありそうです。
現状だと、被害者と加害者からそれぞれお話を聞いてはいますが、二者がぶつかり合う場面というのがありません。彼らはまったく別々に暮らしているわけではなくて──殺人を犯して収監されるほどではないような──消極的な形で加害に参加した市民もいたはずです。彼らの社会における立場は逆転しているでしょうし、どこかで被害者が加害者を「許す」ことがないかぎり事件は終わりません。
この「和解」のありかたについては以前ラッパを政治利用する話を提案しましたが、現状の扱いならいっそあのアイデアは消してしまった方がいいと思います。このあたりは、musibuさんがこの作品でなにを書きたいかにかかってきます。
以上については、できごとをまとめる年表を作ってみることをおススメします。現状の作品からだとmusibuさんの中でもどういう社会の変化があったのか、具体的につかめていないのだと思いました。政治社会、世界観について知識が足りないということであれば1998年サーバでお手伝いしますので、気軽に言ってください。
3. 隣人を殺すにいたる虐殺の論理を作る
この批評文を書くに当たっては他の方とも意見交換をしました。そこで話題になったのが「この演説とラッパの効果だけでは、昨日までの隣人を殺す動機には弱すぎるのではないか」ということです。
これは2番目のリアリティの話と通じますが、わたしは奇蹄病エピデミックが始まった当初から、罹患者は差別と迫害に遭っていたと考えています。こうして少しずつ隣人への害意が正当化され、それが臨界に達するそのときに、演説やラッパが最後のひと押しという役割を担うわけです。
そして演説も、ただ愛国心から隣人を殺せという内容に終始しています。これではまだ、虐殺の論理は完成させられないと思います。わたしが考えるに、殺すのを正当化するための方便を考え出さなくてはなりません。
例えば、人々が持つ感染者への差別意識に対して、
といったような信仰心に訴える論理で正当性を与え、殺すことに罪悪感を抱かせないようにするなどはどうでしょうか。
「殺すことが正しいこと」、「殺すことはいいこと」と刷り込むための演説やガジェットなどをいま一度考えてみる必要があると思います。
ここからは上の三点を踏まえつつ、以前に指摘した点への改稿についてさらに踏み込んだ意見を書いていきます。
欲しかった感じの描写が追加されているので、かなりよくなったと思いました。しかしまだ完成したとは思いません。たとえば、被害者・加害者を問わず現地からの証言は、途中からセリフ文が増えてきます。これはたしかに臨場感はありますが、あくまでこの記事が報道機関の作った文章であることを考えるとすこし客観性と情報量において物足りない部分があります。以下に例を示します。
1にも書きましたが、今回記者はマリの各地へ直接出向いて証言を集めています。これと並行して、国内にあるいくつかの記念施設や惨劇の舞台となった地を訪れる機会もあったのではないでしょうか。
K氏はたとえば刑務所で服役しているそうですが、その刑務所には特別法廷で裁かれた囚人たちがほかにもたくさんいるはずです。そういった人々がどのように刑務所の中で過ごしているのか、そういう部分にも着目することができるのではないでしょうか。以下に例を示します。
これも努力の形跡がすごく見て取れました。前回に比べて、ケラサンがどういう人物なのかがより分かるようになったと思います。ただ、それでもまだ不十分だと感じます。やはり虐殺の原因を解明するにあたって、「ケラサン奇蹄病罹患者説」を推すならばもっとカタルシスが欲しいです。
また、アヌブ・ケラサンの経歴について決めていることをいったん全部書き出して整理することが必要そうです。それを作品中にすべて出す必要はないんですが、考えてあるのとないのとでは全く違ってきます。
もっと謎めいた人物であることを強調できるような方向性での改稿を考えてみましょう。
前のバージョンから多少変わった部分はあるのですが、現状でもまだ「始まり」と「終わり」の部分が見えてこないなと思いました。始まりはラッパ吹きの回顧で補強されていますが、もっともっと描写が欲しいです。終わりも、ケラサンがどのように暗殺されたのかなどの描写があってしかるべきかなと思っています。
これは割と現行でも書けていると思います。しかしここまで書いてきたような改稿方針を採る場合、大きく手を加えないといけないことになるかと思います。まず虐殺劇の全体像を考え、そこから地域や職場、家族といった小さな共同体における虐殺、そして個々人の実行者や被害者といったように決めていくとうまく行きそうです。
以上になります。途轍もない文字数になってしまって遅れてしまいました。申し訳ありません。どうか挫折することなく、最後まで一緒に記事をいいものにしていけたらと思います。よろしくお願いします。末尾に参考になりそうな資料をまとめておきました。
参考になりそうな資料