依談下書き「あだとほ」

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私は大学生なんですが、小説を書くゼミに入ってるんですよ。みんな趣味みたいなもので選んだゼミだからなのかけっこう楽しくやれてまして、ゼミ選び成功したなって。
そこでは例年決まったお題で、前期には三つ四つ、短編を提出するんです。その「土地」というお題の回で、少し不思議な話を課題として提出してきた、和歌山県出身の同級生がいたんです。
本人はここへの掲載を快く了承してくれました。将来作家になりたいらしいので、良かったらここに感想なんかを書いてほしいと。私にとっても、ぜひ多くの人に読んでもらいたいなあと思える話でした。

こういうのって、いわゆるお話なら何でもいいんでしょうか。土地にまつわる話、ってことで考えてみたんですけど。私あんまり他のところに行ったことがなくて、やっぱり地元のほうがよく知ってるから、面白く書けるかなと思って。
そういうわけで和歌山の話です。まあ南の方なんで、ここからだと大阪よりずっと遠いから地元と括ってしまうと正しくない気もするんですけど。

私元々、地元の怪談とか伝説の類が好きなんですよ。怖い話でも地元というだけで何だか親近感が湧いてかわいいおばけの気がして。そういうのちょっと調べればネットで案外出てくるんですよ。だからたまに、暇で仕方ないときなんか眺めたりするんです。

そうやって見ていたときに、和歌山の古座川って地域に面白い神社があるって知ったんです。紀伊半島の最南端に近いとこ。九割以上川と山の、もうすごい僻地です。古座川自体には意外と人はいるんですけどね。
そこの川の中流域に、洞尾っていう地域があるんです。うつお、です。昔は村だったみたいですね。洞尾村。
そこに、洞尾の矢倉神社っていうのがあるんです。何が面白いのかというと、社もご神体もないんです。神様の名前はかろうじて残っていて、空神様ということだけは分かったんですけど。他なんにも分からないんですよね。そもそも神社としての情報が少なすぎる。
不思議じゃないですか? だんだん気になっちゃって。

調べるうちに、空神様は一説にはソラではなくて、空っぽを表す『空』の字をあてられた神様だとか出てきて、それで私も気づいたんですけど、そもそも洞尾というのは『うつろ』が変化した名前なんじゃないかって。洞って漢字自体がぽかんとうつろになったものを表しますからね。
そしたらもう俄然、興味が湧いてしまって。

ひとまず、気軽に行ける距離に県の図書館があるんでそこで地域資料なんかを調べてみたんですが。矢倉神社や空神様はおろか洞尾のこともほとんど書いてなくてちょっと困ってしまいましたね。
古座川史をまとめた分厚い本に、合併された地域として洞尾の名前が一か所、簡単な表に記載されていたくらい。かろうじて『紀伊続風土記』の現代語訳版に、どうも矢倉神社は昔は別の名前で呼ばれていたらしいことが書かれていました。

ちょうど夏休みだったので、もうこれは現地に行くしかないなあと思って。暇でしたし。
父も結構神社とか好きらしくて、聞いてみたら快く休みを取って車を出してくれることになりました。同じく夏休みで暇だった弟も連れて、いざ古座川です。

古座川の洞尾は、本州の中でも相当南なのに思ったより涼しいところでした。いたるところ緑で、本当に民家がないんです。後で調べたら九世帯二十人みたいな規模とも書かれた資料があるくらいなので当たり前ではあるんですが。
養蜂がそれなりに盛んなようで、人より蜂の巣箱の方がずっと多かったのを覚えています。道のいろんなところにぽつりぽつり箱があるんです。ちょっと変わってますよね。ふつう一箇所に集めて置く気がするんですけど。

肝心の矢倉神社は本当に小ぢんまりしていて、地図がなければ絶対に見つけられなかったと思います。案の定神主さんや関係者は見えなくて、無人です。
手すりも何もない、本当に段だけの石階段が見えました。それなりに段数があります。その上に建物があるのが見えたので、私はほとんど四つん這いなりながら登ってみました。

階段は一面緑に深く苔むしていて、足を滑らそうものなら捕まるものもなく地面に叩きつけられるのが目に見えていたので、慎重に登った記憶があります。
登り切った先に、賽銭箱も何もありません。建物は祭具なんかを仕舞った倉庫といった様子で、それ自体が何か神聖なものではなさそうでした。そもそももう長く人が出入りした形跡が見えませんでした。
ただ、その苔だらけの高台に少量の御神酒だけは供えられていたので、とりあえず手を合わせて、私は階段を下りました。

他に、神社にこれといったものはありませんでした。家族も拍子抜けのようでした。あまりに収穫がなさすぎます。
どうせ暇なんだからと、宿泊の準備をしてきて正解でした。矢倉神社からそうは離れていない場所に民宿があるんです。
未だに疑問なのですが、こういっては何ですが特にめぼしいものがあるわけでもない洞尾に、観光客など来るのでしょうか。正直言って宿泊施設の需要があるようには思えませんでした。実際、宿泊している間は他の利用客に会うことはありませんでしたし。まあ私たちのようなもの好きがたまに来るのでしょうね。
しこたま鮎が食べられて、部屋も数がない分なかなか広く快適で、そこ自体はいい民宿だったんですけどね。

女将さんも「おんなじ和歌山言うてもえらい離れますからねえ。まあ、かだらゆっくり休めもて行きぃよ」って丁寧にもてなしてくれるので感じのいい宿だなあと思って。かだら、というのは和歌山の方言で『体』です。どうして順番が入れ替わるんでしょうかね? ともかく、亡くなった祖父がよく言っていたので懐かしくなってしまいました。
ちなみにこれは一般的に『和歌山弁』と呼ばれる方言そのもので、どちらかというと紀伊半島の中部以北で顕著だと聞いていました。北ほどの露骨な訛りはなくとも南の方でも案外使われるんだなあ、と思った記憶があります。

矢倉神社のことは、そこの女将さんにまず聞いてみました。女将さんはほとんど何も知らないみたいだったのですが、今神社を管理している方のお住まいを教えてもらいました。まだ夕方だったので早速行ってみました。
和歌山の神社なんかが好きで、来てみたんですよ。和歌山の学生です。その程度の自己紹介しかしようがなかったのですが、玄関先で快くお話を伺えました。

それによると、その家の方は昔は本当に神主の筋だったようです。しかし今はあの土地の管理人でしかなく、いろいろな神事や伝承は失われてしまっていました。こういったごく小規模の神社では、わざわざ調べて記録や歴史をまとめよう、と一念発起した方でもいない限り過去が形にならず、失われるのも珍しいことではありません。
御神体がない、というのも自然信仰のこの国では実はよくあることです。そういう場合、対象を失った信仰は時とともに途切れたりもします。

分かったことは、星の巡りを神に伝える神事があったらしいこと、空神様という名は後から付けられたので昔には別の名で呼ばれていたかもしれない、ということくらいでした。
神事については詳細は分かりませんでしたが、星が良い巡りの時期はそれを大げさなくらい祝って神に伝え、良くないときにはそっとしておいて神の気を逸らすような内容だったようです。
あとは、その神事の間はドクダミなんかの葉で耳に詰め物をするんだとか。その程度です。
「わだわだ来てもろたのに悪りなあ。またなんど気になったら聞いてください」と少し申し訳なさそうに言われてしまったのを覚えています。ザ行がダ行に置き換わってしまう、訛りの強いの和歌山弁にまた懐かしさを感じつつ丁寧にお礼を言いました。

民宿で一晩泊って、翌日私たちは同じ古座川地域内の高池へ行きました。事前に調べた分では古座川内に公営の図書館はそこしか見つけられませんでしたので。県立図書館にない情報は書物でも、やっぱり現地で探すしかないんです。
公民館に併設の、その本当に小さい図書館はもちろん不慣れなので、下手に探さずに最初から職員さんにお願いして大まかに資料を探してもらいました。
洞尾に関することなら何でもいいので、と伝えたのですがそれが書かれていそうな本は一冊しかなかったようです。

それも風土記の類でした。筆で書かれた書物がそのまま読み込まれて印刷されているので私にはまったく読めないのですが、親切にデータの文字に直したものが付け加えられていてどうにか内容が分かるものでした。
古座川の一地区、三尾川についての資料です。区分としてはその中に洞尾が含まれます。やはり特筆すべきこともないのか、洞尾のみに割かれたページはほんの見開き二、三でした。多分、洞尾特有の出来事歴史というものはほとんどなく、三尾川や古座川という大きな括りで語ってしまって済むようなことなんだと思います。

で、そのわずかなページに何が書いていたかということなんですが。一つの神社と、ある風習についてが書かれていました。洞尾唯一の神社は宝神社という名であること。また、そこに残る口伝が書き留められていました。
『紀伊続風土記』に書かれていた、矢倉神社の前の名前というのはこの宝神社で間違いないでしょう。何だか縁起が良さそうな名前ですよね。なんでわざわざ、関連のなさそうな名前に変えたのかなあと疑問ではありました。

口伝は、確認してみたところその日付のスマホのメモ機能にちょうど書き起こしのメモが残っていました。以下が口伝の文章です。

てうだれたげほうのあだとほわここうつろやさけ ほしありくろたらあだとほのねぶりもうつろわ いづれなもかもうっしやろほうならんなん しわいなづきもせんぐりみみごにもら わえらわなっとかすかやらんかった てごたああかん

でも、よりによって何でこんなデータを残していたんでしょうか。何年も前なのでもうずっと忘れていました。嫌になって、ここに書き写した時点で消しました。

肝心の意味なのですが、たしかろくに解説も書いていなくてほとんど意味が分からなかったと記憶しています。
ただ、口伝なので訛りが強いということ、あとはデータで打ち直した部分の「あだとほ」の箇所に *不明。 と脚注がつけられていました。活用形らしい近い言葉もなく二回出てくるのでどうも固有名詞らしいのですが、それが何を表す言葉なのか判明していないようでした。
逆に言うと著者にはほかの部分は大体意味が分かったということのようです。不親切ですね。

結局、「あだとほ」については何で調べてもそれらしい言葉を使ったり解説したりしているものは見つかりませんでした。

残る情報は風習ですが、これはいわゆる「牟婁病」についてでした。
実は紀伊半島南部の牟婁(むろ)地方には風土病があるんです。牟婁地方には洞尾も含まれます。風土病がある事実は和歌山の人間にもあまり有名ではないようなのですが、私はネットの情報で存在は何となく知っていました。

今、この課題を書くにあたって調べ直したのですが、詳しくは筋委縮性側索硬化症/パーキンソン認知症複合(ALS/PDC)という病名のようです。パーキンソニズムと認知症を主症状とする特異な神経変異性疾患である……と解説しているWEBページもあるのですが分かりにくいと思います。私も正直よく分かりません。
本当に簡単に言うと、体が思うように動かなくなり、さらに認知症のような症状が出るということらしいです。牟婁はこの病気の世界的多発地域(他はグアム島の一地域のみ)であり、原因は特定されていないのですが牟婁でも今は減少傾向にあるようです。
しかし依然、高い場所で他の地域の百倍ほどの発生率はあるともWEBには書かれています。

その牟婁病なのですが、洞尾の、さらに一部でのみ見られる、それについての変わった風習があるということが図書館の資料には書かれていました。
洞尾のそこでは、牟婁病を発症した人やその家族を祝福する風習があるというのです。さらっと書かれていましたが、妙な文化だ思ってしまうのも仕方ないと思うんです。言葉にしがたい居心地悪さみたいな違和感がありました。

その、祝福する風習の該当地域が地図で示されていたんですが。ネットの地図を比較してみても今はもう深い森しか見えません。昔は家があったのでしょうか。そもそも洞尾はほとんどが森なのですが……。さすがに迷いそうなので、森を歩いてそこまで行く気にはなりませんでした。
該当地域を固有に指す地名もあったようなのですが、この資料が記された時期にはすでに失われた後のようでした。その場所でのみ、牟婁病も何か別の言葉で呼んでいたようです。
「みみごほき」とか「うみほき」とか書いていたような気がするのですが、これは風土記当時の時点で不確かな情報だとやたら丁寧に脚注がつけられていました。

結局、洞尾についての資料は本当にそれだけでした。その日のうちに洞尾に戻って、私はとりあえず民宿の女将さんに「あだとほ」について聞いてみました。
あの、宝神社と呼ばれていたはずの矢倉神社についての資料で、何か未知の単語が出てくるなら、それこそが空神様の前の名、本当の名かもしれないと考えたからです。
結果から言って、女将さんは「あだとほ」という言葉にさっぱり聞き覚えがないようでした。

それは矢倉神社の管理人の方も同じでした。もう一度お邪魔してお話を伺うことができたのですが、その言葉についてはさっぱり分からないそうなのです。
牟婁病を祝うという風習については、私はただの夏休みの学生で調査研究などという大義名分もない以上、土地特有の病について現地の方に問いただすのも失礼だと思って尋ねることができませんでした。

ただ、上げてもらったその田舎特有の板張りのやたら広い玄関の隅に、ガラス箱入りの日本人形飾りなどに紛れて(田舎ではやはりよくあるインテリアだと思います)、折り畳み式の車椅子が置かれていることに気付いてしまいました。
何もそれだけで牟婁病の人がいるという断定にはならないはずです。それでも本当にこの人たちは病にまつわる当事者かもしれない、と余計聞き辛くなってしまったんです。
結局、図書館で得た情報の答え合わせは何一つできませんでした。その、玄関の片隅の車椅子が、安っぽい造花で飾り付けられていた光景をまだ忘れられないでいます。

この旅行で私たちは一泊分の準備しかして来ませんでした。夕方には洞尾を出なければ、夜中までに家にはたどり着けません。諸事情により寄り道がしたいこともあって、そろそろ立つ頃合いでした。
私は最後にもう一度矢倉神社に行きました。そして、そこで「あだとほ」の名を呼んでみたんです。
オカルトがちょっと好きな人は知っているかもしれないのですが、神様の力や存在の確かさはその信仰の規模、つまりヒトからの認識の度合いによって変わるという考え方があります。ちなみに、この国では人知を越えた存在はほぼすべてが神のようなものでもあります。

信仰と、それを司る神というものは文化です。神域も御神体も、もはや名前もなく、忘れられていくだけの洞尾の神が何か勿体ないような、寂しいような気がしていました。だから最後の御参りついでに名前を呼んだんです。
名前はその存在や形を定義するものなので、仮に神様(万が一そういうものがいるとして)自身が自分の名前すら忘れているのなら、それを思い出すだけでも何か変わるのではないかと思ったんです。

まあもちろん、本心でそんなオカルトを信じているわけでもなかったんですが。
でも神を信じていなくてもみんな初詣にはとりあえず行って手を合わせ、お盆には墓参りしますよね。この国の人なんてそんなものです。そういう、何となくの延長線上です。

こういうことは自己責任なので細かな手順は伏せますが、このような不確かな存在に対してはまず自分が名乗り、「○○(私)はあなたの名前を知っています。あなたの名前を呼んでいるのは私です」という形で呼びかけるのがいいと聞いたことがありました。
名前も忘れた存在はこちらの世界とのつながりも失いかけているので、名を知り呼びかける人物をこの世界との橋渡し役に使うとかなんとか。ちょっとそれっぽいですね。

三回小声で呼びかけて、やっぱりというか何というか別に何も起こりませんでした。当たり前ですが。
それでひとまず満足して、私は父と弟を待たせた車に戻りました。私たちは帰路につきました。

車に乗せてもらっているとき、私は考え事がよく進みます。結局確かなことは何も分からなかったなあ、と洞尾での体験を思い出していました。そこでメモを取ったことなど、スマホをぼんやり眺めていたと思います。

何か、はっとしました。
ふと、口伝を文字に直したメモの最後、よく分からないひらがなの羅列に、そういえば聞き覚えがあるような気がしたんです。

てごたああかん。字にしてしまえば何のことかさっぱりわからないように見えて、よく考えれば和歌山弁によく似た発音の常とう句があるんです。私自身はそこまで強く訛った和歌山弁を使わないからすぐには分からなかったんです。
「てごたらあかん」です。「あかん」は普通に関西弁です。「てごたら」は「てがったら」という、「てがう」の仮定の活用です。
「てがう」は和歌山の言葉で、構う、ちょっかいをかける、といった意味の言葉です。てごたらあかん、と言うと、関わるな、というニュアンスの場合もよくあります。「あだとほ」の口伝が、そういった言葉で締めくくられていたんです。

あれ? と思いました。そう思うと、思考が反転するみたいに一転して、先に進んでいってしまったんです。
名前は、その存在や形を定義するのものだとさっきここに書いたんですが、空神、洞尾、などといった、結局具体的には何も指していないような仮の名前を付けることの意味とか。
神社に関しては一切を形あるものとして残さず、本来の名も伏せて、全部分からないようにしていることとか。
そもそも、全く関係ないと思っていた、認知症の症状を伴う牟婁病を祝福する習慣とか。その地域の情報が、かなり早い時点で失われていることとか。

どうせ考え過ぎだと思います。私一人のこじつけです。でも、全部繋がった気がしたんです。
あの地域の人には、そうまでして忘れないといけないことがあるのではないか? それがもし「あだとほ」という言葉が指していた何かだったら?

それでもやっぱり、考え過ぎです。そんな禁忌が公営の図書館に紛れ込んでいて今まで見つからなかった、なんてことがあるのでしょうか。日ごろから小説を書いたりしていると、妙に妄想力ばかり育っていけませんね。

それが数年前の出来事です。
ここでお話自体はおしまいです。何だか尻切れトンボで申し訳ないですね。ほとんど本当の話なのですが、やっぱり少しの嘘も混ぜています。創作課題ですから、そのまま書いても面白いお話にはならないので。

小説を書くゼミの課題として、これが相応しいのかはかなり悩みました。もしかしたら小説扱いにはならなくて、評価がつけられないかもしれないということは理解しているつもりです。でも、絶対ここで発表しなければならない理由が私にはありました。
課題としての文章なら、きっとみんな最後まで読んでくれるからです。

ああいう存在は、ヒトの認識によって存在したりしなかったりということを書きましたよね。それはつまり正しい姿で認識してもらわなければならないということで、例えばそれの存在を話で伝えたいなら、最後まできちんと読んでもらわないといけないということなんです。

私はあれに名前を教えてしまいました。おそらく、私が一番あれの影響を受けます。
あれはそもそも、一つの神社なんかに収まるものではないんです。
社がないということ、形ない神社は神域すら曖昧ということ、村の名前自体が伏せられていたこと。名前も存在も境界もあいまいな場所があるなら、それはもはやもっと大きな括りで語られるべきだということ。
あれは村という共同体ぐるみで忘れ去り、消してしまうように努めるようなものなんです。
それでも、ああいったものがヒトに及ぼす影響は分散します。これでようやく、どうにかなるかもしれません。少なくとも私ひとりについては。

この話にいくつか混ぜたうちの一番大きな嘘とは、『その名を呼んで、思い出させるように仕向けた私に何もなかったんですから』という一文です。
私、ここしばらくのゼミの最中でも片方の耳に、ずっとティッシュ詰めてたの、気づいてましたよね? もう、みみごがずっと漏れて、ずるずるで、しかたないんですよ。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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