nanasi1074-24-0948
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私の生涯は酷く呆気ない幕切れだった。高校2年の夏、いじめを苦にして屋上からの投身自殺。そんな一文で表せる終わりで、私が紡いできたほどほどの生はぷつりと千切れてしまった。
 
そのはずだった。
 
キーンコーンと、聞き慣れたチャイムの音。もう縁がないと思っていたその音を合図に、私の意識は長い夢から覚めるように段々と鮮明になっていった。
 
そうしてハッキリとしてきた視界は周囲の情報を獲得する。前方には真っ新な黒板、白い天井とフローリングの床は役割を逆転させており、数十個ほどの学習机が天井と化した床に沿うように配置されている。それらがまるで堂々と、何もおかしくなどないと主張しているかのように存在していた。
 
だが、そんなことは今はどうでもよかった。それらを一蹴するように、些細に感じるほどに明らかな異常が、この"教室"らしき場にそぐわない異物が、私と相対するように床から垂れ下がっていた。
 
首吊り縄
 
死へと誘う輪っかが、私の眼前にだらんと無気力に垂れている。まるで早く首を通せと言っているかのように。
 
この状況は、いったいどういうことなのか。
 
私は確かに死んだはずで、けれども私の意識は明らかで、身体も健在だ。つまり、生きている。……何故? そもそも、ここは何だ? 逆さまの教室? 生徒の身で死んだ私への当てつけか? 私はどうして今、空中に立っている?
 
ははっと、乾いた笑いが漏れ出る。私の小さな脳みそでは到底処理できないほどに、この状況は異質で、どうしようもなく不可解だった。
 
何も分からないまま、この場から逃げだしたかった私は辺りを探索しようと思い立ち、早速扉へと向かおうと一歩踏み出した。そして、そこで私の探索は終わりを告げたのだ。何が起きたか? 一歩動けば、その先は透明の壁に阻まれているかのように進めなくなる。
 
分からないことが一つ増えたところで、ちょうどその一歩で首吊り縄へと私の首が届きそうなことに気づいた。
 
思考を巡らす。この状況は夢のような不可思議さであったが、確かな現実味を帯びた感触がある。縄を触ると、荒目なのかざらざらとしていて、死というものを強く想起させる。一瞬、私は2度の死を撫でているのだと錯覚してしまいそうになるほどに。
 
八方塞がりな現状で、やれることは一つだけしかない。この首吊り縄で、再び死ぬこと。それを理解していながら、私は恐怖で立ち竦んでいた。何らおかしいことではなかった。1度目の死だって私は決して望んでいたわけではない。逃避の手段として、楽になるために死んだのだ。投身自殺にしたのも、一息に苦痛を感じることなく死ぬためだ。こんな、長い苦痛と共に死ぬことは御免だった。
 
それでも、やらなくてはいけない。誰かに脅迫されているかのような、ポンと後押しされているかのような気分だった。これは、神様からの罰なのか。今になって罰を与えるくらいなら、なんであのとき救いをくれなかったんだ。
 
ぐちゃぐちゃの思考をよそに、私はゆっくりと輪っかに首を通していく。目を閉じて、それしかできないからと、自分を励まして。
 


 
首に縄の感触が伝わる。しかし、何も起こらない。そんな状態が暫く続き、恐る恐る目を開く。
 
人がいた。私のいる位置からでも、10人ほどが、私と同じように首を縄に括り付けていた。すぐにでも話しかけたかったが、身体の自由がきかない。頭、腕、足などの胴体は勿論のこと、口や目といった細かな部分ですら動かすことができなかった。私の意識だけがこの身体に取り残されてしまったかのようだった。
 
事態が更に悪化していることに目を背けながら、私は彼らが前方のある一点に顔を向けていることに気がついた。その一点は、黒板だった。先ほど見た時は何も書かれていなかったというのに、今は2、3文字ほど白い何かが書かれている。意識を集中させて、その何かの正体を読み取ろうとする。教室が暗くて見えにくかったが、夜目に切り替わっていくにつれて黒板の内容が判然する。
 

「天国」


 
一瞬見間違いかとも思ったが、確かに黒板にはそう書かれていた。カッカッと、まるで板書をしているかのような音が聞こえた。視界にはチョークもなく、黒板の内容は依然として変わっていないが。
 
数十秒して音は止み、代わりに先ほどの文字の下に新たな文章が現れた。
 

「救いは信じる者にこそ授与される」


 
たった1文。その文章に、私は驚くほど心を揺さぶられた。心の底から叫びたかった。私がずっと望んでいたものをそんな綺麗事で、という絶叫。しかし、その激情を発することはできない。
 
ただ、せめてもの反抗として私はジッとその文章を見つめ続けた。何も変わりはしない。文章は書かれたことをそのままに、時間だけが流れていく。その事実が、私の心をじわじわと蝕んでいった。
 
異変が起きたのは体感で何時間か経った時のことだった。私の前にいた子の足元に突如、教卓が現れたのだ。疑問を抱くよりも先に、異変は進行する。その子の手には、いつの間にか一枚の原稿用紙が握られていた。何だ? 何が起きようとしているのか。その子は少しの間を置いて、手元の原稿用紙を見つめる。そうして、声を発した。
 
「僕は父から虐待を受けていました。児童相談所や学校に相談しても、父の暴力は止まりませんでした。母はただ見ているだけで、何も解決してくれませんでした。それが積もり積もって、僕は辛くなり、家の包丁を使って自殺しました。」
 
辿々しい言葉であったそれは、ある種の懺悔のようにも聞こえた。自身の苦痛であるはずの過去を淡々と読み上げられていく様は、不気味でありながらも後悔の念とが伝わってくる。私は語りを傾聴した。

「包丁は鋭く、僕の身体からは血がいっぱい出ました。痛かった。苦しかった。」
 
徐々に、その子の言葉に熱が入っているように感じた。冷たい悔やみから、熱を持った恨みへと変貌していくようだった。
 
「どうして、僕がこんな目に」
 
熱がピークに達するかと思えたその瞬間。キュッと縄が上昇し、綴りかけた恨み言はか細い息を吐く音へと変化した。
 
暫くして縄は元の位置に降ろされ、その子の懺悔も佳境に入っていた。

「どんなに苦しい目に遭わせられたとしても、ここまで育ててくれた両親には感謝をしています。これまで、ありがとうございました。」
 
そうして懺悔は締め括られた。そして、やるべきことは終えたと言わんばかりに、その子の足元にあった教卓は消え去った。当然、足場もないのだから、その子の首はぎゅうと締められる。手から零れ落ちた原稿用紙には、とても大きな花丸、そして「天国行き」というスタンプ。天国、あの子は天国へ行くのか? 本当に?
 
あの子はもう息をすることもなく、宙ぶらりんの状態だ。しかし、その魂は天国へと昇るのか。そんな疑念が芽生えたと同時に、後ろ頭しか見えないあの子の顔が、僅かに微笑んでいる想像をしてしまった。
 
手が勝手に動いた。盛大な拍手を、あの子に送りたかった。天国で楽しく、次は幸せに暮らせますように。苦痛のない世界で、ゆっくりと過ごせますように。多大な祝福と、少しばかりの羨望を交えて、在らん限りの拍手を。それは周りの皆も同じだったのだろう。教室には拍手の音が響き渡った。




あれから長期間の拍手で見送りを終えて、私は再び黒板の文章に意識を向けていた。

「救いは信じる者にこそ授与される」

信じなければ、救われない。先ほどの出来事を踏まえて考えるなら、自身の自殺、辛い過去と向き合うことでのみ救いは得られるということなのか。天国へ行けると、純に信じた先が、扉を叩く道へと繋がっているのだろうか。ほんの少しの違和感。だが、実体を掴めぬままモヤとなって霧散していく。

「救いは信じる者にこそ授与される」

信じるだけで救われるなら、これほど楽な道もない。見え透いた甘言に流されるほど愚かなつもりはないが、一寸先が死であるこの状況においては縋るほかなかった。天国へと救いを求めることの何が悪い? 誰が私を責められる? 何もかもが言い訳染みた思考だったが、それでもやはり信じることを止めようとは思わなかった。
 
私は天国に殉じることに決めたのだ。




それから、何人もの同志が天国へと向かう様子を見てきた。皆、自殺の方法も動機も似通っている部分があったりなかったりと、個々の人生の色が表れていた。
 
その間、私はずっと彼らの行き先である天国を信じていた。救いを手繰り寄せるように、ただひたすらに信じ続けた。それしか私にはできなかったから。
 
────そして今、私の足元に教卓が現れた。
原稿用紙を握る手に力が入る。深呼吸。大丈夫、救いは信じる者にこそ授与されるのだから。落ち着いて、深呼吸。
 
「私は高校からいじめを受けていました。先生に相談しても、なぁなぁに終わるだけで、いじめはエスカレートしていくばかりでした。両親にはいじめを受けてるなんて恥ずかしくて、言えませんでした。」
 
一言ずつ、あの子と同じような辿々しさで、ゆっくりと述べる。
 
「そんなある日、いつものように登校のために通学路を歩いていたら、石に躓いて転んでしまいました。それで、たったそれだけのことかもしれませんが、その瞬間に色々な思いが溢れ出てしまいました。」
 
もう終わったことだというのに、胸が苦しい。
 
「それでも学校にはきちんと登校しました。ですが、彼らはそんな事情などお構いなしにいつも通りいじめを行いました。」
 
救いが欲しい。チクと、何か刺さったような痛みを覚える。
 
「もう限界でした。これ以上、こんな辛い思いはしたくありませんでした。だから、屋上へ行って、そこから飛び降りました。」
 
何か、訴えるような悲鳴染みた物を私の心から感じる。
 
「そんなことがありましたが、今は彼らに恨みなんてありません。私はここから天国へ行けるのですから、私にとって、彼らはある意味で天使だったかもしれません。」
 
それらを必死で押さえ込む。私は信じているんだから、もう良いんだ。
 
「私は天国へと向かいます。私を支えてくれた両親、私をいじめた彼ら、見てみぬふりをした先生たち、全てに感謝したいと思います。ありがとうございました。」

これで、終わり。ようやく、救いがやってくる。

教卓が消える。足場を失った私の身体は重力に従い落下していく。
 
ああ、長かった。
 
ぎゅう、縄が首を締め付ける。それはあまりにも辛く、苦しく、痛く……痛い?
 
首だけじゃない、全身がジリジリと焼けるような激痛が走る。どうして? これが救いなわけあるはずがない。
 
ふと、あの時、あの子の見送りの拍手を終えた時に抱いた違和感を思い出した。この立場になって気づいた。どうして私は、あの子が微笑んでいる想像なんてしたのだろうか。天国への疑念が、知らず知らずのうちに矯正されていた? 天国というのを信じるように仕向けられていた?
 
分からない。結局私はここに来て、何一つとして分かってはいなかったんだ。────いや、一つだけ。
 
天国へと昇るというのなら、どうして床から、地から首吊り縄が垂れ下がっていたんだ。
 
万雷の拍手が皆から送られている。違う、やめてくれ。私は、地獄行きの親不孝者だった。


「天国行き」



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