森は答えず

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二つの墓標は星辰のために。

二つの墓標は太陽のために。

最後の一つは、ただあの夜闇のために。
 


 

蠢く小さな夜闇に気付いたのは、結局、その夜闇の子も傷持ちとして日頃から軽んじられていたからなのかもしれない。

顔に斜めに傷があることに大した理由など無かったのだが、集団の中ではその特徴だけで弱者として扱われるのが常だった。仲間の一員になることはできても、その中心になることはない。自然と、移動するときは後方で、一歩遅れて仲間の背を見て進むのが日常になっていた。

太古を冠する時の流れの、最後のひとしずく。その時代、地上の光の当たる場所ほとんどを占めていたのは、原初の支配種である妖精──“星辰の子ら”と、原初の力を失った後も数を増し続ける人間──“太陽の子ら”に連なる種族の二つだった。
夜闇の子らと呼ばれる「もう一つ」は、生まれてこの方、気が遠くなるほどの長い時間を暗闇に閉じ込められてきた。彼らが自らの運命にようやく疑問を持ち、抑圧と無視にひたすら耐え続けるのをやめることができた、記念すべき日。与えられた暗闇から顔を出し、星辰と太陽を夜の底へ引きずり下ろすために一歩踏み出した、まさにその時のことだ。
傷持ちの夜闇は、低い木のうろの中でうずくまる、小さな夜闇を見つけた。

小さな夜闇は痩せ細り、動きは緩慢で、意識がはっきりしているのかも怪しかった。生まれたてなのか、それともただ大きく育てなかっただけなのかすら不明だった。おそらくは別の集団に置き去りにされ、外敵への恐怖から闇に身を隠していたそれを、傷持ちはどうしてもそのままにしておくことができなかった。
仲間の後ろで小さな夜闇の手を引いて歩くのが、その日から傷持ちの日常になった。小さな夜闇が目を閉じた時はそのまばらな毛を撫で、水や果実を口に入れている時は辛抱強く側で終わるのを待つ。あまりに仲間から遅れた時は、首根っこを掴んで抱えて走った。小さな夜闇は、口に入れたものを咳込んではよく吐いた。傷持ちはその度にそれを拭ってやった。拾われた小さな生命は、世話を焼かれていることを段階的に理解したのか、日に日に安心して無邪気に振る舞うようになっていった。

すべきことのある現実は、傷持ちに苦しみではなく、張り合いと活力を与えた。この先星辰の子らや太陽の子らと会敵した時、小さな夜闇が何もできず死んでしまうのではないかと、それだけが生活に影を落とす不安だった。その時が来れば、自分が小さな夜闇のために相手を殺すしかない。夜闇の子にはそれを可能にする力があった。ただ、絶対に側から離れなければいいと、それさえ守っていれば全て上手くいくと、不安が生じるたびにそう結論付けた。傷持ちは他所から聞こえる音や気配に殺気立つようになっていった。

仲間は傷持ちの変化を気にしなかった。居てもいなくても同じだったのだ。小さな夜闇も、傷持ちの夜闇も。
 

傷持ちと小さな夜闇のいた集団は、中々他の種族に遭遇しないまま、妖精の住む森を進軍し続けた。ある時、最後尾の背中が夜に紛れ、傷持ちはついに完全に仲間を見失った。急いで追い付こうと小さな夜闇に手を伸ばすと、それは手からすべり抜けるように、仲間とは別の方向へと走り出した。

どちらに進むべきかは、迷うまでもない。小さな夜闇を追い、傷持ちは深い森を奥へと進んだ。やがて、周囲を取り巻く空気が少しずつ変わっていることに気が付いた。これまで嗅いできたような、息するものを鬱蒼と押しつぶす樹木の匂いではなく、優しく軽やかな、咲きこぼれる花のような香りがする。小さな夜闇はどうやらそれに惹かれているようだった。草をかき分け、さらに香りの強い方へ歩く。予感がする。何か、自分が生きてきた記憶からは想像も付かないことがこれから起きる、そんな予感が。空を覆う木々の天井が不意に途切れた。

森の中の開けた地、天をあおげば、隙間なく散らばる光のまたたきが見えるところ。
そこには、きらめく金の瞳をたたえた、星辰の子らが立っていた。
  


 

太陽と呼ばれた栄光も今やむなしく、人間の青年と少女は、どこまでも続く暗い森をひたすらに走っている。木の根に躓いても、頬を鋭い草がかすめ血が吹き出しても、その場に止まることはできなかった。彼らは怪物の──“夜闇の子ら”の実体に襲われる恐怖から逃げると同時に、突然街に現れた毛むくじゃらの怪物に積み荷のように舟に詰め込まれ、たどり着いた先で他の人間が引き裂かれているうちに隙をついて駆け出したという、自分達の記憶に追い付かれる恐怖からも逃げていた。立ち止まり、呼吸を整えれば状況を思考しなければならない。それが彼らにはとても耐えられなかった。

しかし、いくら若いとはいえ体力は無限ではない。先に少女の足が音をあげた。振り返り、崩れ落ちる少女の腕を支えた青年に、彼女は厳しい声で告げる。

「置いていって、ここに」

「でも──」

「あなたは分かっていない、私達、あれだけの人を丸ごと見捨てて生き延びたのよ」

そうだ、いや違う、などと彼は何やら口ごもっていたが、その話を詳しく聞き入れる時間など、彼女にはあると思えないようだった。

「もう、自分が生きることを優先するしかないの」
 

そう言い切った次の瞬間、森に生命が芯からざわめくような風が走り、彼女の毅然とした表情は凍りつく。
風に乗ってあの音が聞こえる。キィキィと、聞き分けのない子どもが笑うような、悪意のない残虐なものの出す声が。
咄嗟に二人は低い茂みの陰に身を隠した。葉の間から少し先に木々の途切れる開けた場所が見え、そこに真っ黒な、巨大な物体が動くのが見えた。物体は左の手に妖精のようなものを持ち──右手でそれを千切っているように見える。そして物体から少し離れた手前側には、地面に膝をつき、動かなくなっているもう一人の妖精がいた。

人間の青年は震える手で腰に差していた短剣を外し、握りしめた。少女はそれを見て青くなり、剣を持つ彼の腕を強く掴む。できるだけ静かに首を振る。捕まっても剣が取り上げられていなかったのは、それが夜闇の子らの前では何の役にも立たないからだった。

ひと呼吸置いて、青年の震えが止んだ。彼は少女に顔を近付けると、少し前に話がまとまらず彼女に伝えられなかった言葉を、ようやく口にした。

「そうだ、君の言う通りだった。僕はもう山ほどの人を見捨ててきた。だからこれ以上何か一つでも諦めたら……もう自分が生きていることを許せなくなる」

少女の手を振りほどき、青年は駆け出した。木々の間を抜け開けた地に飛び出すと、伏せる妖精の横を抜け、怪物の前で剣を振りかざす。
 

顔に大きな傷のある怪物は、驚きもしなかった。青年を頭から掴み、地面に叩きつける。

怪物が青年を掴むために手放した妖精の娘は、怯えて膝をついていたもう一人の妖精の前に投げ出された。怪物の陰から出てきた、小さな類人猿のこどもが、娘の死体の頭をつついていた。
 


 

傷持ちの夜闇に地に押さえつけられながらも、青年にはまだ息があった。
残った力で、短剣をうずくまる妖精の前に放り投げる。青年は、死の恐怖はほとんど感じていないようだった。せめて誰かに誇れるような死に方ができるのなら、もうそれだけでよかったのだろう。

「君がやるんだ、立て、君の仲間がやられたんだろ!」

振り絞る青年の声に呼応するように、妖精の手が剣に触れる。

「やめろ」

か細いが、はっきりと聞き取れる声だった。二人のやり取りが分かっていないのか、傷持ちの夜闇は首を傾げている。青年は微笑んで、目の前の妖精が立ち上がるのを待っていた。

「それ以上……それ以上、私を見下すのをやめてくれ」

掠れかけた意識の中、青年は何かがおかしいと気付いた顔をした。星辰の子は、夜闇の子を見ていなかった。
 

彼は太陽の子に、人間に向かって訴えていたのだ。
 

「私は……知っているんだ、お前達はいつもそうだった、今も立ち上がらない私を蔑んでいる、我々をおだて、お伽噺として敬う芝居をして、あと一歩を怠る脆い我々を、あの時からずっと嘲笑ってきたのだろう!」

堰を切られた水のように、星辰の子から流れ出る苦悶を、太陽の子が押し返すことができたならどんなに良かっただろう。実際には、青年には彼の言うことの、おそらく半分も伝わっていなかった。それも当然のことだ。ほんの十数年前に生まれた青年は、夜闇の子らに連れてこられたこの森で初めて妖精を見た。二つの種族に流れていた時間は、あまりに別のものだった。

「だけどお前達さえいなければ、星辰の子らが恨みを知ることなど無かったのだ!お前達さえいなければ、夜闇の子らなどこの世に生まれてこなかった」

言葉はそれを聞く者達に戸惑いばかりをもたらしてく。仲間を殺した目の前の傷持ちを無視し、青年に矛先を向けるその思考は、青年にも傷持ちにも理解できないものだった。

「お前達さえいなければ、このような惨い滅びなど、誰も知らずに済んだのに」
 
 

それからひとときのうちに、多くのことが起きた。

妖精は短剣を持ち上げると、膝をついたまま、自らの喉を掻き切った。

青年の頭は傷持ちの夜闇に潰された。それ以上の絶望を知らずに死ねたことは幸運だった。

傷持ちの夜闇は、妖精の死を確認しようと目を向けた。もし生きていて、手にした武器で小さな夜闇を傷付けられては困ると思った。

隙をついて、開けた地に少女が飛び出してきた。逃げる前に青年とともに大人の死体から盗んだ剣を、彼女もその手に持っていた。

少女が、小さな夜闇の背中に剣を突き刺した。

それを見た傷持ちの、空気を引き裂く金切り声が森に響き渡るのを、あらゆる生物が聞いた。
 


 

傷持ちの夜闇は、少女を弾き飛ばすと、小さな夜闇の体にすがりついた。もう息はしていなかった。息を取り戻すために何をしたらいいのか、傷持ちは知らなかった。

弾かれて木の幹にぶつかった少女は、致命的な怪我を負ってもなお、まだ憎悪を体中に滾らせていた。痛みよりもずっと強い感覚が、彼女を覚醒させたようだった。

「何だよ、あんた達も嘆くんじゃないか、奪われたら苦しむんじゃないか!その痛みを感じるなら、どうして何もしてない私達から奪ったんだ!」

声は、夜闇の子には届かない。

「あんた達が、もし本当の怪物だったなら」

それでも、毛の禿げかけた小さい猿にすがりつく夜闇の子を、太陽の子はずっと見ていた。

「もしそうなら、いつかは許せたかもしれないのに──」

そう言って、彼女はこと切れた。
 
 

傷持ちの夜闇は、ふらふらと立ち上がると、あたりを見回した。視界は悪く、あれだけ匂っていたはずの花の香りも感じられない。息をしている物は見えなかった。動物どころか、夜の訪れた森そのものが死んでいるようだった。

次に地面を見ると、ゆっくりとかがんで、地を這う枯れた植物を引き千切った。
露になった土に触れると、力をこめてそれを掘り返す。なぜ穴を掘らなければいけないのか、傷持ちも完全な理解はしていない。ただ、死体を前に、太陽の子らがそうしているのを見たことがあった。それがもし死体のためになるのなら、そうした方がいいと思ったのだ。

深い穴に小さな夜闇を埋めると、やはり見よう見まねで、その上に大きな石を置いた。
すべきと思ったことを存外すぐに終えてしまって、立ち尽くした。

仲間のところに戻る気にはなれない。それどころか、もうどこにも行こうと思える場所が無かった。

太陽の子らの肉を風がさらい、白い骨だけが残るほどの、長い時間そこで立っていた。
 
 

やがてある時、穴をもう一つ掘ってみることを思い付いた。
 


 

森の中の開けた地、天をあおげば、隙間なく散らばる光のまたたきが見えるところ。
そこには、石の墓標が五つ立っていた。

大きな耳、大きな目の森の住人と、額に印を持つ褐色の肌の異邦人が、連れ立って歩いてくる。

森の住人は、花を五本抱えている。

二つの墓標の前に二本を置く。
少し歩き、旅人に何か語っている。
鳥のさえずりがやけに騒がしく、その声は周囲には聞き取れない。

次の二つの墓標の前に二本を置く。
また少し歩き、旅人に何か語っている。
虫の鳴く音がやけに騒がしく、その声は周囲には聞き取れない。

最後の一つの前に一本を置く。
墓標らしきものは、他にはもう見当たらない。

生き物の声がぴたりと止み、彼らの声が聞き取れる。
 

「では、ここにある墓標は、彼のものだったのですね。そして今もこうして残っている」

「そうだ。しかし作り直したさ、災いが訪れるたびに何度もな。あいつは変わり者だった。ここに止まるうちに、傷持ちではなく墓守りと呼ばれるようになった。自分があの日殺さなければ殺されなかったんじゃないかって、そんなことを考えていた夜闇はあいつぐらいだろうな。あいつらが悪夢を通じてしか話せないことは知ってるな?あいつはここを残してくれと、他人の夢の中でいつも懇願していた。最後には他の連中と同じように、花の日を迎えて消えていったよ」
 
「墓標ができるまでの詳細な物語は、そうして夢を通じて知られ、今日まで語り継がれたということですか。いえ、もちろんそれだけではないのでしょうね。先ほどお聞きした話には、墓守りからだけでは知り得ない情報が混ざっていた。他にも、見ていたものがいたのでしょう」

大きな目が、ぎょろりと旅人の顔を見た。

「ああ、お気になさらず。責めているわけではないのです。いつも同じことの繰り返しですよ、記憶された歴史の中でも、忘れ去られた歴史の中でも。見られるものは舞台の上の役者のように殺し合い、見るものは舞台の下の観客のように黙して関わらない」

名無し男は夜を見上げ、囁くように自嘲する。

「私達は、自ら望んで暗闇を目指しているようだ」
 
 
妖精の生き残りは静まり返り、何も答えない。
 

黒洞々たる夜は静まり返り、何も答えない。
 

森は静まり返り、何も答えない。
 
 
 
 


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