幽霊が認知できて良かった事なんて殆どは無かった。理由は単純。死人と話せたって、特に何が解決する訳でも無いからだ。最初の頃は死人と普通の人を見分けるのにも苦労したし、第一幽霊なんて見えない方が精神衛生上良い。
でも只一つ、「死んだ経験がある人達の話を聞ける」という事は役に立っていると言っていいだろう。物事を選択するときは、まず経験者から聞くのが最善の手なのだ。何事も。
僕は、最善の死に方を探している。
希死念慮という奴は存外厄介な物で、人の心を気付かないうちにじわじわと蝕んでいる物だ。特に、「死」という概念が普通の人よりも近い僕にとっては尚更。死にたいという衝動に起伏は無くて、平坦な、まるで決められたスケジュールかの様に僕は死ぬ事を選んだ。死ぬ理由が劇的な物である必要なんて無い。
今日もベッドを出る。三度目のスヌーズで漸く開いた目を擦る。時刻は9:23。高校に通ってた時期なら軽く絶望してた時間だが、今となっては心地良い朝だ。歯を磨く。シャワーを浴びる。スマートフォンとイヤフォンを片手に靴を履く。忘れ物。危ない危ないとメモ帳を持って、ドアを開けた。
幽霊的な備忘録
Section1 : 飛び降り
スマートフォンを片手に街をぶらぶらと歩く。朝の柔らかい日差しがふやけた世界へと染み込んでいくのに、少しだけ目を細めた。それにしても、午前10時の鬱屈とした平穏は一体全体何に例えられようか。その甘さ、気怠さこそが日常の象徴なのだろうか。とすると、そこに全く馴染む事の出来ない僕は、実質的に存在が"日常"という枠組みから抹消されているのかもしれない。誰も僕の存在を記憶せず、僕の名前を呼ぶ事など無いのと同様に、だ。
閑話休題。
目的地への到達が間近になったタイミングでイヤフォンを片耳だけ外す。Youtubeでの、平均再生回数30万のアーティスト。その彼らが狭苦しく並ぶプレイリストをちらと見てスマホをポケットにしまった。恋愛なんぞ経験もした事が無いのにベッタベタな恋愛ソングばかり聴いている自分に、また希死念慮が増幅する。
ついた。顔を上げる。郊外の隅にぽつんと建っている、もう誰もいない廃墟。六階建てのその屋上から飛び降りれば、まぁ間違い無く死ぬだろう。実際ここは自殺スポットとして有名で、最近もここで人が死んでる事例が後を立たないとネットの記事に書いてあった。
勿論、今すぐ自殺する訳じゃあ無い。でも、こういう所には確実にいるのだ。
先に飛び降りた、経験者達が。
:
『えっ、じゃあ君ガチで俺見えてるって事?』
「まぁそうなりますね」
『そんな事あるんだな。まぁ、幽霊が居るんだしいても可笑しくは無いわな』
「何よりです。勝手に納得してくれたようで」
『何か出会ったばっかりだけど生意気だね君』
「すいませんね。俺は用が終わったらさっさと帰るのでご心配なさらず」
随分と馴れ馴れしい奴に話しかけてしまった事を既に若干後悔している。幽霊共は基本的に時が止まってしまった様な廃人状態で彷徨いていて、話しかけられた事を認識した瞬間蘇生された様に人格を取り戻すのが常である。無駄に絡まれない事は嬉しいが、人となりが全く判断できないせいで性格が読めないのが面倒くさい。固いスーツに整えられた髪型を見て安易に話しかけるんじゃ無かった。思えば、こいつフレームのない眼鏡掛けてやがる。痛恨の見逃しに漏れた舌打ちに気づきもせず、幽霊男はべらべらと捲し立てる。
『秋蛇 澪。これ俺の名前な』
「はぁ」
『にしても、久しぶりの人の声ってやっぱ良いもんだね。君の名前は?』
「いや、そういうの良いですから」
『連れねぇな。死人同士で意思の疎通まともに出来ないから寂しいんだよ。というか、君は何で俺に話しかけたのさ』
「あぁ、その事についてなんですけど」
『何?君も自殺しに来たクチ?』
「いや、そういうわけでは無くて」
幽霊相手にペースを握られている自分がごく普通に情けなく思える。一体何が悲しくて「いや、そういうわけでは無くて」なんてダサい繕いをしなければならんのだ。しかも幽霊相手に。秋蛇と名乗る幽霊は『肝試し?学生らしくて良いね』とか『俺も学生の頃は色々と無茶したもんだよ』とか聞いてもいない自分語りを始めようとしている。こちとら雑談しに来たわけじゃないんだ。
隙を見繕って口火を切る。
「貴方、こっから飛び降りて死んだ人ですよね」
『え?……そうだけど』
「なら良かった。実は一つ質問がありまして」
『何』
「飛び降り自殺って、やってみてどうでしたか?」
秋蛇が露骨に嫌そうな顔をしたのが僕でも分かった。まぁ当然と言えば当然か。彼が死んだのにも生前経験した何かがあっての事だろうし、ましてや死んだ瞬間なんて思い出したくも無いだろう。知った事じゃ無い。理解できる上で、本当に、知った事じゃ無い。そもそも、それで嫌な顔をするなら飛び降りなんてするなと言う物だ。
『……俺が言うのも何だけどさ。自殺はよくないよ、君』
「聞いてないです。俺の質問に答えて下さい」
本当に聞いていない。第一、そんな答えを求めて此処に訪れる人間は居ない。
『いや、やってみてどうもこうも無くない?』
「あるでしょ。痛みとかどうとか」
自殺をする際に分泌される脳内麻薬はセックスの何倍もの快楽作用がある、と何処かで見た事がある。でもそれが一体何になるのだろう。そこにあるのが激痛なのか絶頂なのかなんて、僕には心底どうでも良かった。この2つの差異なんて、シャツの色違いぐらい程度の物だ。
『何で、何で俺がそんな事言わなきゃいけないのさ』
「別に愉悦とかじゃ無いですよ。只聞きたいだけです」
早く答えろようるせえな。実際にそう言ってやりたいがそこは堪えた。
僕は生き急ぐ気はない。単に死に急いでいるだけだ。
『じゃあ一体何の為に?』
──そんなの決まっているだろう。
「僕の、最善なる自殺の為に」
◇◈◇◈◇
廃墟から足を踏み出せば、暴力的な太陽光が薄暗さに慣れ切った目を攻撃する。白んだ世界はまるで一種の地獄の様な無機質を映していた。鼻腔へ流れ込む若緑の気配に気づき、今一度マスクの位置を直す。
『落下死は痛いよ。滅茶苦茶痛い。いやもうそんな覚えてねえけどさ。俺みたいに即死出来なかった場合更に地獄の苦しみなんじゃ無いかな。即死できたら滅茶苦茶痛いかも、で終わるんだけどね。まぁ運よ運。お勧めは出来ない』
一通り飛び降り自殺について聞き終えた後、秋蛇から『これから俺はどうしたらいいのか』と聞かれた。勿論知った事じゃない。自由にすれば良いんじゃないですかとだけ言ってその場を後にした。彼が地縛霊なのか浮遊霊なのかは知らないが、無限の退屈を潰す方法はあるにはあるだろう。
にしても、まぁ予想通り飛び降りはお勧め出来ないという事だった。万が一にでも即死出来なかった場合を考えただけでもう嫌な気配がしてくる。最善の自殺手段とはとても言い難いだろう。メモ帳を開き、ペンを動かした。
Section1 : 飛び降り
→即死出来なかった場合の苦痛を考慮。最善では無いと判断。
◇◈◇◈◇
Section2 : 服毒
『薬の種類にもよるけど、安易な毒はやめといた方がいいよ。本当に死ぬほど苦しかったわ。いや死んだんだけど』
「楽に死ねる薬とか知ってます?」
『自分で調べなさい。男の子でしょ』
「関係無いすけど」
Section2: 服毒
→そもそもの話現実的に死ねる薬を調べ、入手する必要アリ。要考慮
◇◈◇◈◇
Section5 : 溺死
『最後ら辺はまぁ良いんだけど、最初がマジでやばい。身体が拒絶するんだよ。そら拷問でよく使われてる訳だよね』
「マジですか」
『うん大マジ。もっといい方法はあると思う』
「成程。そろそろ釣り人の視線が痛いんで帰りますね」
『あぁそう。じゃあな』
Section5 : 溺死
→最有力かと思われたが、意外に苦しそうだった。
◇◈◇◈◇
Section9: 電車
『まぁ一つ言える事はさ。やめとけ』
「分かりました。ありがとうございました」
『えっ』
「えっ」
Section9 : 電車
→当然の如く。
◇◈◇◈◇
「いい自殺方法って意外と見つからねぇな‥…」
思わず呟いたところが電車内だったのがまずかった。周囲の乗客の視線が一瞬こちらに集められたのを、肌で感じる。まだまだ序盤とは言え、メジャー所とも言える自殺手段はもう粗方出尽くしてしまった事に焦っている自分は否定出来なかった。そもそも自殺に最善を求めるのが可笑しい、と言われればそれまでだが、僕としては人生の最後くらい穏やかに終わりたい物である。
電車が止まる。空いた扉から吐き出される人の波に流されながら改札を出る。空腹を覚え、コンビニでCCレモンとメロンパン、雪見だいふくを手に取った。自動ドアを潜ってバリカーに腰掛け、CCレモンを飲み干せば、喉を通過していく炭酸に何処か毒々しい「生」を覚え、虫唾の様な嫌悪感が迸った。
メロンパンを食べ終え、雪見だいふくを1個つまんで立ち上がり、家を目指す。時刻は13時過ぎ。少しだけ白く廃れてしまった様な太陽に見下されながら、大通りを1人歩いた。ちらと公園を見れば、3組程の親子連れが平和で牧歌的な日常、その典型的な光景を演じているが、それ以外に人気という人気は無い。誰にも聞かれない事を確認してから、今一度愚痴を吐いた。
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- portal:7245815 (07 Jul 2021 17:38)