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「逃げたければ逃げればいい」
高校時代、部活の顧問が言った言葉。へこたれていた僕らに対して投げかけられた叱咤の言葉に、僕はずっと縋ってきた。
サイト-8181地下にある、小さくて簡素な部屋。その部屋の中に居るのは僕一人だけで、その僕は目の前に置かれた拳銃を眺めていて。
プロトコル・ヴェルダンディ。たった一人の死と引き換えに、世界を救うことができる、まさに魔法のようなプロトコル。僕はそんなプロトコルの実行役を任された職員である。
このプロトコルの実行役を任されるというのは、大変な名誉である。そして、それと同時に"暗闇の中で一人で死ぬ"ことを意味するものでもある。実行者の死によって完了するプロトコルだから、当然のことではあるが。
それでも僕は、死ぬ気にはなれなかった。
財団職員と言えど人間だ。人間である以上は、欲とか感情とかは当然持ち合わせているわけで。余程変わった人じゃない限りは死にたいなんて思わないだろう。だから、僕のこの思考は正常ということになる。
異常を相手にする中で自らが異常になる、というのはよくあることだが、僕はどうやらそうならなくて済んだようだ。
でも、この先自分が正常なままでいられるのかは分からない。自分では正常だと思っていても、どこかで異常に堕ちてしまうのかもしれない。そうなってしまうくらいなら、今、ここで死ぬべきなのかもしれない。
「逃げたければ逃げればいい」
体育館の横にある、備品倉庫の前で投げかけられた言葉。へこたれていた僕らを激励するために、顧問が口にした一言を思い出す。
「君達には逃げる権利がある。今、この場で部活を辞めて、家に帰って寝ることだってできる」
顧問の目線は真っ直ぐで、熱意に満ち溢れていた。僕らはその目線にただ貫かれているだけで、誰も何も言わなかった。
「でも、いつかは現実に向き合わないといけない時が来る。その時がいつ来るのかは誰にも分からないが、必ずやって来るんだ」
僕らは何も言わなかった。いや、正確には言うことすらできなかった。言葉の"重み"というものを目の当たりにして、怯んでしまったから。
「そうなった時にちゃんと向き合えるようにするためにも、今、この瞬間に少しでも向き合ってみないか」
僕はずっと、この言葉に縋り続けてきた。いつか来るであろうその時に、目を逸らしてしまわないようにするために。そうやって、ただひたすらに現実に向き合い続けてきたからこそ、分かる。
今こそが、その"現実に向き合わないといけない時"なのだと。ここで目を逸らしてしまえば、今までの人生が無駄になってしまう。そうなってしまうことを、僕は望んでいない。
目の前に置かれた拳銃を手に取って、こめかみに押し付ける。正直、怖くて仕方なかった。死ねば全てが無になる。天国や地獄なんてものは存在していないのは分かりきっている。
「やっぱ死ぬのは……怖いな」
なんてクリシェな台詞を吐き捨てて、恐怖で震える右手を左手で押さえつける。言葉の通りだ。やっぱり死ぬのは怖いし、消えてしまうのはもっと怖い。
それでも、今。現実から目を逸らさないために。
僕は拳銃の引き金を引いた。
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- portal:7178014 (30 Dec 2020 05:31)