Tale - されどそれは残酷に非ず

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 海上に架かる橋の上に俺は立っている。いつからここにいるのかは思い出せない。思い出そうとすると頭の中に靄がかかってしまう。数度の思案の後、俺は思い出すことをやめた。ふと橋に意識を向ける。橋は果てが見えなくて、どこまでも続いているように思えた。

 ここから出られるのか、という漠然とした不安を抱えながら空を見上げる。視線の先には雲一つない青空が広がっている。差し込む太陽の光に鬱陶しさを覚え、手で光を遮る。心持ちが暗くなっていく自分をあざ笑うかのように、太陽は輝きを増していく。

 照りつける陽光を浴びながら欄干に寄りかかる。ここに来てからどれくらい経ったのだろうか、という疑問を振り払うようにして上を向く。そこには先程と変わらない、雲ひとつない退屈な空が広がっていた。しん、という時間が止まったような静寂がその場を支配する。

「いつになったら出れるんだろうなあ」

 ぽつり、と呟く。呟きはどこに響くわけでもなく、静かな現実によって希釈された。橋下には海が広がっている。ざざあ、という波の音だけが辺りに響いている。潮風が吹き込み、肌の上をなぞっていく。涼しさ混じりの風が突き抜けていく感覚を全身で感じていると、遠くから足音が迫ってきていることに気付いた。

 足音のなる方向をじっと見つめていると、そこにはもう一人の俺が立っていた。そいつは顔も、体格も、着ているオレンジツナギも、目の横のほくろの位置さえも同じだった。そんな自分と同じ姿の存在を目の当たりにして、少しの恐怖を覚える。

「な、なあ。お前――」

「ん? どうした?」

 あいつが声を発する。声色までも一致しているそいつは柔和な笑みを浮かべながら応えた。それに対し、俺は更に言葉を紡ぐ。

「――お前、いわゆるドッペルゲンガーってやつか?」

「ドッペルゲンガー?」

「あ、ああ。自分とおんなじ見た目で、見たら死ぬっていう――」

 声が震える。その発言を聞いたあいつは、にやりと微笑んで言った。

「あー、あれね。……違うよ」

「違う……?」

「ああ。"俺"は――そうだな。もう一人のお前だ」

「もう一人の、俺」

 声に出して言葉を反芻する。あいつが静かに相槌を打つ。正直言って意味が分からない。自分というのは世界に一人しかいないはずだ、と心の中でつぶやき、問いかける。

「本当にもう一人の俺なのか確かめさせてくれないか?」

「ん、いいよ」

「じゃあ――俺が小学六年の時にこっそり描いてたマンガのタイトルを答えてくれ」

「メメント・モリモリ、だろ? 懐かしいな、絵が下手なりに頑張って描いてたっけ」

「……正解だ」

 予想より早い回答に若干驚く。数秒の沈黙が場を支配する。波の音が騒がしく聞こえてくる。どうやら本当にもう一人の自分のようだ。そう確信し、再度口を開ける。

「なあ、もう一人の"俺"――お前はなんで俺の前に現れたんだ?」

「聞くと思ったよ」

 あいつは笑みを崩さずに応える。ふっと潮風が吹き込む。磯の香りが鼻腔を刺す。ツンとする匂いに顔をしかめながら、話の続きを促す。「まあ、焦るなって」とあいつが言う。声のトーンも、発声の癖も俺と同じだ。

「わかりやすく言うと、悩み事相談だ。お前、何か悩んでるだろ?」

「なんで悩んでるって思ったんだ?」

「うーん、なんでだろ。ちゃんとした理由は分からないけど、そんな気がするんだよね」

「なるほど?」

「で、お前今悩んでんの?」

「……悩んでるよ」

 呟くようにして答える。それを聞いたあいつが俺の隣に腰を下ろして座る。こちらを向くことなく、あいつは話を続けた。

「よかったらその悩みごとについて教えてくれないか?」

「……わかった」

 数秒の逡巡の後、問いかけに反応する。「よしきた」とあいつが呟いたのが聞こえた。俺は俯きながら口を開いた。

「実を言うとな……ここから出たいんだよ」

「ほうほう」

「いつまでもここにいるわけにもいかないしさ。早く元居たところに戻りたいんだ」

「なるほどね」

 そう応え、思案する素振りを見せる。しばらくして、あいつは何かを思いついたような様子で勢いよく立ち上がった。その勢いの良さに、ふっと横を向く。あいつは屈託のない笑顔で俺に向かって言い放った。

「ここから出たいんだろ?」

「……ああ。さっきも言ったろ」

「じゃあさ――競争しようか」

「――は?」

 意味が分からなかった。聞き間違えたのかと思い、「競争する?」と問いかける。それに対し、あいつは表情を変えることなく「ああ」と答えた。

「競争ってそりゃなんで――」

「なんでって――なんとなくだよ。でもさ、何もしないよりかはマシだとは思わないか?」

「まあ……確かに何もしないよりかはマシだけどさ」

 顔をしかめながら言う。それを確認したあいつは穏やかな表情で「じゃあ決定だね」と言いながら遠方を指さした。

「そんじゃ――あそこまで競争しようか」

 そう言って指し示したのは大体一キロメートル先に存在している橋柱だった。白い塗装がなされたそれを見つめる。あいつの発言には不思議と説得感があった。俺は数秒沈黙した後に「わかった」と返事をした。

「よし、じゃあ位置について」

 俺とあいつがクラウチングスタートの構えを取る。緊張が全身を駆け抜けていくのが分かる。足をはじめとした全身の筋肉がこわばっている。はやる気持ちを抑えるように、深く息を吸い込んでは吐いてを繰り返した。

「よーい……」

 心臓の鼓動が高鳴っていく。身体の末端にまで血がめぐっていく感覚が伝わってくる。全身に熱がともる。額を一筋の汗が流れていく。ぽたり、と垂れた汗の雫が地面にぶつかり、爆ぜる。

「ドン!」

 あいつが開始の合図を告げる。せっかく競走するなら勝ちたい、という気持ちが沸き上がる。俺の闘争心に火がついた。地面を全力で蹴り上げて加速する。向かい風を全身で浴びる。腕を大きく振り上げ、更に加速していく。

 走り出しは順調だった。あいつにも十分に差をつけているし、このまま走り続ければ圧勝できると考えていた。勝機を逃さぬよう、更に足の動きを速める。地を蹴り、加速度的に進んでいく。

 ――思ったより楽勝じゃねえか。

 心の中でつぶやく。本当にこのまま走り続けてここから出られるのか疑問に思うくらいに手ごたえがない。ゴールまであと百メートル。ここまで来たら絶対に勝てるだろう、と内心独言した。

 しかし、その直後、急速に心の中が曇っていく。漠然とした不安感が全身にのしかかる。気が付けば、空は曇り、雨が降っている。まるで自分の心情を反映したかのような天候の中、俺の足はぴたりと止まった。

「ん? どうした? 腹具合でも悪いのか?」

 立ち止まっていると、後ろからあいつに声を掛けられた。ぽつぽつと降っていた雨はいつの間にか大降りになっている。進まなきゃ、と呟いて足を動かそうとする。しかし、鉛の塊のように重くなってしまった足が動くことはなかった。

「なんというか――不安なんだ」

「何が不安なんだい?」

 あいつが問いかけてくる。思わず安心して涙が出てしまうほど優しい笑みを浮かべるあいつに対し、心の中に抱えていることをぶちまける。

「何もないことが怖くて、不安で」

「何もないこと、ねえ」

 思わずその場に座り込む。大きな雨粒が身体にぶつかる。今すぐに泣き出してしまいそうなほどの感情を押さえ込んで、俺は続けた。

「ああ――俺は空っぽなんだ。今までずっと、それっぽい理由を並べて現実から逃げてきただけだった」

 声が震えているのが分かる。本当ならこれ以上は言いたくなかった。言ってしまったら自分の全てを否定してしまうような気がして。それでも、俺の口は動き続けている。

「嫌なんだよ。もう空っぽのままで居続けるのは。もう現実から逃げたくないんだ。だから、だから……」

「……」

 自分のすすり泣く声が聞こえる。頬を涙が伝っている。着ているツナギの裾で涙を拭う。それでも涙は溢れ続けている。もう一人の俺は黙っている。空間を、すすり泣く声が包んでいた。そして、それを破るかのようにあいつは口を開いた。

「空っぽなわけねえだろ」

 あいつの口から発せられた言葉は意外なものだった。数秒の沈黙の後、俺の口から「え」という声が漏れ出る。ふと頭を上げてあいつの顔を見る。そこにあったのは先ほどまでの柔和な表情ではなく、俺の心の奥底を覗き込むような真剣な表情だった。

「何言って――」

「空っぽじゃねえって言ってんだよ」

「でも――」

「でもも何もねえよ。お前は昔から正義感が強かっただろ?」

 思わず押し黙る。確かに、俺は昔から正義感が強かった。「でも――今の俺は違うだろ」。そう呟こうとした刹那、あいつの発言によって口を閉ざされる。まるで口を封じようとでも言わんばかりの勢いに思わず気圧される。

「それに――面倒見がよかった。まあ、それのせいでいじめられたり、トラブルに巻き込まれたりとかは多かったけどな」

「確かに、その言葉に間違いはない。ただ――」

「ただ?」

「――俺は過去に人を殺してる。正義感とは遠くかけ離れた犯罪者になっちゃってるんだよ」

 強めの口調で言い放つ。正義感は強かったが、人を殺したのは事実だ。今の俺に正義を語ることはできない。心の中でそう呟く。雨の勢いは更に増していた。横殴りの強い雨が身体を濡らしていく。

「でも――人を殺したことだって正義感故のものだろ?」

「人を殺すことが正義なわけないだろ」

「"俺"は知ってるぞ。あの時の殺人が正義感故の行動であること、お前が空っぽの存在なんかじゃないこと」

「……」

「人を殺したとき、お前は人を助けようとしていただろ? その結果、相手が運悪く死んでしまった。それだけだ。行き過ぎたものだったかもしれないが、正義感があったことに変わりはない」

「……だとしても、それが俺が空っぽじゃないことを証明するわけじゃないだろ?」

「確かにそれはそうだ。でもな、空っぽな人間が正義について考えるわけないと"俺"は思うんだよ」

「……そりゃなんで」

 独り言とも思えるような口調で問いかける。それに対し、あいつは凛とした声で答える。肌をなぞる潮風が先ほどよりも冷たく感じる。

「これはあくまで個人的なイメージだが、空っぽな人間ってのは何にも興味を示さないと思うんだよ。興味を示す、って感覚すらも欠けてるから。でもお前は欠けてない」

「そう……だけど」

「てことは、少なくともお前は空っぽじゃない。少なくとも"俺"から見たお前は、だけどな」

「……」

 思わず黙り込んでしまう。実のところ、不安感などのネガティブな感情は既に消え去っていた。今まで自分を否定して生きてきた自分が、誰かに認めてもらえたみたいで、ここに立つ自分に意味があるような気がして――それが嬉しくて仕方がなかったんだ。

「どうした? まだ不安なのか?」

「――いや、そういうわけじゃないんだ」

「じゃあどうしたのさ」

「嬉しくてね。ずっと否定してきた人生が、誰かに認められたみたいでな」

「当たり前だろ。"俺"はもう一人のお前だぞ? 自分のことすら認められなくてどうするんだよ」

「それもそうだな」

 その場に二人分の笑い声が響く。気が付いたら既に雨は止んでいる。先ほどまでの豪雨が嘘みたいだ。空は快晴に包まれている。青空を見ながら、俺は呟いた。

「俺さ、何でここにいるか思い出したんだ」

「おお、そりゃなんで」

「俺はずっと正義にあこがれてたんだ。ここにいるのだって、俺の働かされてるとこで"死ぬ前にヒーローになれるチャンスだ"って言われたからなんだよな」

 そう言い、自嘲的に笑う。ハハッ、という乾いた笑いを上げ、再度口を開く。

「こんな歳になってまでヒーロー気取るとか、俺って幼稚だよな」

「いや、いいんじゃないか? 何になりたいかは自由だろ?」

「そうだけどさあ……」

 その場で少し談笑していると、ある考えが頭の中に浮かんでくる。いくつかのバラバラだった言葉が繋がっていって、一つの形となった。

「なあ。お前って俺と同じだよな? 記憶とか、人柄とか」

「まあ、完全に同じとは言い切れないけど――大まかにはそうだね」

「なんで完全に同じって言い切れないんだ?」

「だってさ、"俺"には過去が――経験がないんだ。まあ、日常生活を送る上で致命的な程のものじゃないけどさ」

「なるほどね。なら殊更都合がいいな」

 あいつがきょとんとした表情を浮かべる。その見開いた目を見ながら、俺はあいつに言い放った。

「俺の代わりに生きてくれないか?」

「は? 何言って――」

「ここに来て、お前と話して――俺は満足したんだ。短い人生の中でこれ以上ないくらいにな」

「はあ」

「それで――俺の人生に悔いはなくなった。まあ、端的に言えば吹っ切れたんだと思う。とまあ、こんな感じで俺はここで人生から降りようと思ってる」

「なるほど?」

「でもさ、俺には死ぬ度胸も、殺される度胸もない。だから――ほとんど同じお前に任せようかなって」

「……」

「もちろん、自分勝手な頼みだってのはわかってる。自分でも逃げにしかならないと自覚してる。でもさ、これ以外に浮かばないんだよ」

「本当にいいのか?」

 あいつが先ほどまでの笑顔とは打って変わって真剣な面持ちで問いかけてくる。その気迫に気圧され、思わず俺も真剣な表情になってしまった。

「どういうことだ?」

「"俺"が代わりに生きるってことは、お前は二度と元の生活には戻れないんだぞ? それでも――」

「問題ない。俺はもう、十分に満足したから。今度はお前が満足する人生を送ってくれ」

 言い切る前に答える。あいつは少しの間驚いた表情を浮かべたかと思うと、すぐに笑顔に戻った。そして一言、「わかった」と告げた。今まで聞いた中で一番明るい口調だった。

 明るい口調で告げ、立ち上がる。最初は鬱陶しいと思っていた陽光すら、今となっては晴れ晴れしく感じる。空には虹がかかっている。七つの色が混ざったアーチを眺めながら足を前へと進める。

「そんじゃ――あとは任せた」

「わかった――頑張るよ」

 互いに言葉を投げかける。あいつに向けて手を振ると、あいつは小さくはにかんだ。走り去っていくあいつの背中に向けて、小声で「ありがとな」と呟いた。

 空模様は一つの終わりと新たな始まりを祝うかのような晴天だった。


◆ ◆ ◆



◆ ◆ ◆



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実験ログ 一部抜粋




実験記録473-JP-███ - 日付 201█/██/██

対象: D-01821

実施方法: 記録装置とGPSを装備させ、SCP-473-JP上に配置する。

追記: D-01821は██県██市のコンビニエンスストアにて民間人1名を殺害した経歴を持った29歳の日本人男性である。民間人の殺害後、財団にDクラス職員として雇用されている。

結果: D-01821の抱える悩みについて聞いたうえでSCP-473-JP-1は競争を提案。D-01821はSCP-473-JP-1との競争に敗北し、D-01821は消失。GPSの反応も同時に消失した。敗北後、SCP-473-JP-1はD-01821を褒め称えるような動作を行い、D-01821と離別しエリア-81██のDクラス職員用宿舎へ転送される。入れ替わったSCP-473-JP-1に目立った特異性は確認されなかった。

分析: 出現したSCP-473-JP-1に特異性は確認されませんでした。現在、当実験にて出現したSCP-473-JP-1はサイト-81██の標準人型収容セル内に収容されています。 -北村沢博士


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執筆者: teruteru_5
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最終更新: 06 Feb 2023 16:03
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