永劫と懐旧

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SCP-1098-JP - 思い出して のTaleです。

男は自分が世界で知らない事など全体の2%も存在していないのではないかと思う。

初めはなんだったか、などと考えるような一瞬の逡巡も無く男の脳は勝手に記憶を漁り出した。簡潔に言ってしまえば彼はボケていたのだ。少しずつ薄れていく記憶は恐怖さえ感じさせ、自分が自分ではないものに代わろうとしているかのように思えてしまって仕方がない。靄のかかった頭の中が端から消え去ってしまうように、少しずつ要領の狭まる記憶域の杯から溢れだしてしまうように。

男は不死身の体を持っていた。寿命だけの話ではない、傷が付くことも、風邪を引き拗らせることもあれどどうしようと男は死ぬ事がなかった。

だから考えもしていなかったのだ。自分が何もかも忘れてしまうなど。

世代の交代を見て、家族の死も当たり前に常人より多く経験した。曾孫は既に50も後半である。不死身の老人など誰が好き好んでなろうと言うのか。肉体の全盛期などとうに過ぎている。自分では分からなかったのだから仕方がない。だが残った親戚曰く後天的に不死となった頃には既に重度の認知症であり痴呆の兆候がとっくに見えていたのだと言う。

男は驚愕した。自分は数百年感忘れていることに気が付かぬまま忘れ続けて居たのだろうか。その事実を知ってから怖くてたまらない。自分はどれだけ生きてきたのだろうか?自分が数百年だと思っていた年月は既に数千年、数万年を超えていたのだろうか?自分が子だと、孫だと思っていた彼らはもっと遠い遠い誰かだったのだろうか?そう考えてしまったら止まらない。抱いていた世界への疑念と不安は記憶と共に無くなってはくれなかった。

忘れるなど嫌だと、そんな取り留めのない事を夢想しても記憶は緩やかに薄れ去っていった。

眠れぬ夜が続く。

──そんな折だった、世界が終わり始めたのは。空には黒煙が上がり、建造物は崩れ壁には血がべっとりと付着している。終末と形容するに相応しいその地獄は、人々をゴミのように蹴散らし初めからそこに居なかったかのように消し去っていった。

男の前には何処か見覚えのある女が居た。齢は70手前程度だろうか、その老女は荒廃した街で泣き崩れている。男の脳内には濃霧がかかり、シンとしたそこはどれだけ振り払えど記憶に纏わり付きそれを隠す。

はて、この女は誰だろうか。記憶にあるような気もするが喉元まで出ている名前は口まで流れて来てはくれない。そんな時女が口を開いた。

自分は男の親戚であると。男が不死である事も知っている、だか深く関わったこともないと。そんな自分に何の用かと男は訊いた。そこで女は更に大声を上げて咽び泣いた。背後には姿もよく分からぬようなおよそこの世のものとは思えぬ怪物が闊歩している。

そしてただひとつ。女は男に願った。憶えていて欲しいと。自分の事も、抗い死んで行った者たちの事も。誰かに伝えるような事もしなくていい。ただただ、そこに強く生きる事を願った者たちが居たことを憶えていて欲しかったのだ。

男は思ってしまった。そんな事を言われてもどうにも出来ないと。自分は覚えていることなど出来ない。それとそ今現在最も苦手とする分野と言っても良いやもしれぬ。

だが断る事も出来なかった。

人間が死の間際に見せる気迫、狂気とまで取れる執着は凄まじいものであったのだ。これを断るなど出来てはいけないようなものであった。

怪物はこちらに向かって来ている。女は無様なまでに、縋るように祈った。そして最期の望みとばかりに強く口にした。

自分を覚えていないのか?皆のことも忘れてしまったのか?自分の事が分かるだろう?忘れないでいて、頼むから──





──思い出して。





…死は、すぐそこまで迫っていた。

そのまま怪物は号泣する女を瞬く間に消し去り、男に牙を向いた。が、男がどれだけ手を出しても死なぬと理解すると去っていった。

そのまま男は茫然自失と言った様相で立ち竦んで居た。頭が痛い。割れそうだと、どこか俯瞰したような心持ちで考えていた。その瞬間、男の脳内に常にかかっていた靄は消え去った。何時になく晴れやかな頭は、逆に男を混乱させた。

何故こんな事を忘れていたのだろうか!?彼が孫だっただろうかなんだだと馬鹿馬鹿しい。当時から既に25000年以上が経過しているじゃないか!!動悸がする、目眩が酷い。視界がぎゅうと狭窄する。立っていることが出来ない。自分が昨日のことのようだと笑っていたのがどれだけ昔の事だったか。男の覚えているままの彼らは不確かな口伝のままに流されて忘れ去られていたのだ。それに言い知れぬ不快感を強く感じた。

痴呆などと言われる要素が全て消し飛び、男は深く考えた。あの女が何か特殊な力を…違う。彼女を呼ぶべきは"女"などでは無いと、頭が告げている。頭からズルズルと記憶が引き出される。そしてパズルのピース、或いは複雑に造られた歯車がピタリと全て噛み合いハマるように、全ての情報が思い出される。

彼女は南橋京子と言った。出身は北海道、 産まれた時刻は2118年の5月21日深夜4時39分、体重は2941gだった。丁郷幼稚園に通い、送迎は常に祖母だった。そんな情報がつらつらと滑るように出てくる。1度誰かから聞いただけであろう情報ですら、一瞬で頭に浮かぶ。そんな異様な状況に吐き気を催した。

彼女の最期の願いは、それ程強い力を持っていたのだろうか?そう考えても分かる訳が無い。男は憶えることが得意となった。しかし知らぬ物は知らぬままなのだから。

そして男は唐突に理解した。これこそが自分の務めであると。

不死となりよく分からぬまま死にたいなど死を渇望することも無く、ただのうのうと木偶のように生きていた自分の、最初で最後の、そしてこれから永遠に続く永き務めを果たすのだと。

ふと、顔を上げると荒廃した世界の硝煙がやけに美しい色彩として男の瞳に映った。



そしてそれから6週間と4日と19時間が経った頃。人の手によって生み出された神の意思が動き出した。ボロボロになり、この世には自分1人しか存在していないのではないかと思ってしまうほどの静寂が包み込んでいた世界を、突如喧騒が塗り替えしたのだ。

現れた人々はボロボロになった世界を再建し始めた。それは再建だけを目的にプログラムされた機械か何かかと見まごう程に、淡々と行動を始めた。しかし彼らはなんらおかしいところのない"人間"だった。喜怒哀楽もあり、愛を育み次代に繋ぐ。そんな普通の存在。

そこに小さな生命が産み出された。可愛らしい顔をした赤ん坊がひとたび笑えば周囲の人間が幸福に包まれ、雰囲気が軟化する。男は思った。多くの時が流れ、多くの人間が居る。その中の1人が確かにここで想いを紡いでいる事実がどれ程素晴らしいことか!それが呆気なく無かったこととなってしまうのはなんとも勿体無い。誰に頼まれずとも、自分勝手なエゴだとしても、それは忘れてしまうにはあまりにも幸福な世界だった。

それから数十年が経ち、突如としてその光景は崩れ去った。しかしそれは前回のように絶望に塗れたものではなく、これからの世界への希望があった。空から降る薬品と共に世界は完全に組み直され、新たな世界がそこに誕生したのだ。

だが誰もが以前の世界とそこで起きた惨事、そしてその後の懸命な活動のその全てを忘れてしまう?いいや冗談じゃない!そんなものはそれこそ無かったことにしてやろう。そして何かを残そうと生きた人々の想いを忘れさせてやるものかと。



星空の下、男は1人佇んでいた。長き永き旅路に疲れる事も無く、確かにそこに居た彼らが忘れられぬように憶えている。それはもはや世界に対する哀れみや慈愛とすら呼べるかもしれない。



あれから数えるに7831年が経過した。世界は既に3度リセットされ、その度に誰もが忘れ去られて行った。



だがそれは誰かに話す訳でも無い。

皆が知る必要も無い。

必ずしもいつまでも憶えていてくれとは思わない。



けれどただそこに誰かが居た事を、憶えていて欲しいのだ。

誰もが彼らを忘却しようと、

永き世の末に消え去ろうとも。

男は思い出す。



それは終わることのない懐旧の旅路であり、いずれ溶けて消える雪のような儚い想いであった。

だがいつまでも、絶対に。







私は決して、忘れない。

Never forget you.


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