変化の兆し

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「ソーニャッ!!今すぐその窓開けて飛び出せ!」

10、11──

「……っ!開きません!カギはかかってないのに!」

12、13──

「下がれソーニャ!!」

14、15──

「ああクソッたれ!!現在進行形で脚本上書きされてんのかよ!銃も効かねえとかふざけんなよ!!」

16,17──

──そういえば今日は21日だな。可哀想に。

18、19───

「ソーニャ────」

20、21

銃声は、4発響いた。


昨日

「こちら実働調査課課長補佐ソフィア……コードネーム『ありのままを見せて』の収容に成功、これから解析調査課そっちに戦闘記録込みで送るので、後の解析よろしくお願いします……」
『はいはいお疲れ様。声の調子がまたずいぶんと低いけど、なんかあった?』
「いえ、いつもの上司のおかげです……」
『あ~……』

女性の少し高いハスキーなあきらめの声が耳を伝う。
モスクワ郊外に出た異常存在を収容しようと動いたロシア内務省異常調査局の実働調査課だったが、この課の課長は実戦においてスタンドプレーが酷く目立つのである。というのも、課長のタチアナは理屈抜きで答えにたどり着ける天性の思考回路と視点を持つ。その答えに沿ってタチアナなりに最適解の行動をとるのだが、異常存在の前になると行動に対していちいち説明を行わないのだ。
ソフィアがタチアナとバディを組むようになって1年と4か月、ここ最近になってソフィアは「ここでの課長補佐はじゃじゃ馬課長の騎手という意味」だと思い当たり、良い騎手たらんと振舞っているところだ。しかし、彼女を抑えるのは困難極まる重労働だ。今回もタチアナの独断専行で収容できたのだが、その分周囲が迷惑を被るのである。しかし、彼女の行動によって無用の犠牲を払わずに済んでいる節もあるため、迂闊にどうすることはできない。組織的な動きを土台から揺るがすタチアナを、どうすれば組織の一部として制御するか。ソフィアの課題は目下それであった。

『まあ、とりあえずお疲れ様。帰ったら愚痴くらいは聴こうじゃないか』

1999年、12月20日。冬空は高く、太陽は弱々しい熱を携えて地上を照らしていた。


内務省異常調査局

「はい、おつかれさん。待ってて、今コーヒー淹れるから」

実働調査課としての報告が終わって、いざ解散。そんな夕暮れ時にソフィアをねぎらったのは、解析調査課課長補佐、同期のナージャである。先ほどの連絡相手も彼女で、同い年、補佐といった共通項から、特に親しくしている人物の一人だ。

「コーヒーに砂糖とミルクは?」
「いえ、いつも通り何も要りません」
「毎度毎度ブラックとは、珍しいもんだね。極東にはブラックをたしなむ文化があるとは聞いたことがあるけど」
「そちらこそ、毎度毎度懲りずに砂糖とミルクについて訊きますよね」
「だって、気分ってものがあるだろう?昨日はこれだったけど、今日はこれがいいかもしれない、ちょっと冒険したい気分だ、そういうとき、ささやかな変化を楽しみたくなる。でもそんな気分はいつ来るかわからない。だから私は、そうやってささやかな変化を選択肢に入れているんだ。それに、変化は練習なんだ」
「練習?」
「そう。いずれ自分が変わらざるを得ないときのための練習。いずれ必要な時に、必要なだけの変化を……なんて、冗談。かっこいいこと言ってみたかっただけ。はいおまたせ、何も入れてない激苦ブラックコーヒー」

コーヒーの奥ゆかしい薫りを挟んで会話は弾む。愚痴や笑い話が、互いの口からひとしきり吐き出された。会話は途切れ途切れとなり、そろそろ頃合いか、そんなときである。

「じゃ、あまり長居してもアレだしこっちも休憩時間終わるし。頑張っ……」
「異常調査局はここか?」

スーツ姿の男がひとり、実働調査課の扉をにわかに開けて飛び込んできた。妙な沈黙が物置じみた広い部屋を支配する。男の表情には神妙な好奇心が募っていた。

「じゃ、私そろそろ行かないとだから、ファイト!暴漢なら撃っちゃえ!」
「え゛っ、ちょ、ナージャ⁉」

「忘れ物忘れ物……」と戻ってきたタチアナと入れ替わりでナージャは退室。状況がよくわかってないタチアナと真顔で立ち往生する男と茫然としているソフィアで構成されたこの部屋は、ひどく微妙な沈黙を引き継ぐには余りにも状況が整いすぎていた。
あぁ、これはまだ一波乱あるなと、ソフィアは深い深いため息をついた。


男は、自らを「パラウォッチで活動する『ルーズィー』」と名乗った。顎髭は整えられ、目は狐のようだ。なんとなくうさん臭さを感じるが、そこはそれ、反射神経で財団を訪ねたのではなく異常調査局に頼ろうとしているのは、なかなか気になる神経をしている。

「パラウォッチ、『都市伝説』やら『陰謀論』やらをたしなむ連中ねえ。主な活動場所は電子掲示板。将来やべえのが出来そうだな」
「そうですか?現状閉じたコミュニティでいろいろ楽しんでるだけだと思いますけど」
「世の中冗談通じねえ奴の方が多いンだよ」
「あのォ、そろそろ本題に……」
「ああうん、本題ね」

パラウォッチ、彼らは財団のちょっとした誘導もあってヴェールがはがれるまで一度たりともヴェールの向こうにたどり着けなかった要注意団体だ。彼らの発信する情報は真贋それ以前の問題で、事実と考察の区別がついていないことが大半なものだから、タチアナもソフィアも聞くだけ聞いてスルーしようと腹に決めていた。しかし……

「シベリア鉄道の『客室』の一つのことだ」
「シベリア鉄道ォ?」

タチアナは訝しさをありったけに込めた声を上げる。シベリア鉄道。総距離9297㎞、ロシアを横断する世界最長の鉄道である。アジアと欧州を結ぶ重要な交通路でもあり、その歴史は帝政ロシア時代からと、相当に歴史がある鉄道だ。ロシアで知らない者はいないだろう。

「その一等車の前から3番目の客室で、去年の12月21日のことだった。夢を、鮮明な夢を見たんだ。今でも覚えている」
「夢?作り話と混じったとか、そういうやつじゃないのか。『鮮明に』覚えているのか。お前の顔と名乗る名前からお前の身元ってのは簡単にわかるんだぜ、統合失調症だとか妄想癖だとか、そういうのだったらただじゃあおかないからなッ」
「そ、そんなことないッ!調べるなら何なりと調べてくれ、俺はいたって正常、だと思う。『メモ』だって残している!かなり奇妙で細部まで覚えている夢だったから、起きたとたんにメモしたんだ!」

ルーズィーはカバンの中をごそごそとまさぐり、すこし鮮度のないくしゃけた紙を引き出し、ソフィアに渡した。

「読み上げても?」
「ん」
「構わない」

では、とソフィアは目に映る文字を読み上げ始めた。

「『視界はセピア色。けれどもなぜか彼女は金髪だとわかる。俺は電車の寝台で座っている。彼女は自分と親しく話している。けれども俺が話しているわけではない。会話もノイズが酷くて聞けたものではなかった。彼女の背後に日めくりカレンダーがあった。1967年12月21日だった。数分して悲鳴が聞こえた。銃声や殴打の音が聞こえた。悲鳴は増え続け、叫び声も聞こえた。まずいかもしれない、そう思って彼女を見やった瞬間、ドアのかぎが壊されて、扉は開いた』……これで全てですか?」
「それで全部だ……だが夢が終わっても、異変の続きはあった……」
「どんな?」
「床に、『古い薬莢』があったんだ……」
「古い、ねェ……」
「詳しい種類は知らない、ただ、シベリア鉄道はちゃんと『掃除』をする。なのに『古い』薬莢が床にあった……何かとてつもなく嫌な予感がして、すぐに窓を開けて外に飛び出した」
「冬なのによく生きて帰ってこられましたね」
「駅がすぐだったから……何とか助かったんだ」

へぇ、ふーん、その他諸々の感嘆詞を零し、タチアナはルーズィーに一つ質問を投げた。

「お前、他に人を頼らなかったのか?例えば、そのパラウォッチの『お仲間』とか」
「もちろん、余りにも不思議な体験だったから、何か知っている奴はいないかとスレッドを立てたさ。だが、結果は空振り。やはりあそこは真剣に『異常』について語る場所ではないと感じた……仕事場の上司にも、遅れた理由として報告したんだ。そしたら、『忘れろ』とだけ言って、帰ったんだ」
「はぁ⁉お前そんな胡乱なこと馬鹿正直に報告したの⁉」
「仕方ないだろ!正直に言わないとうまく説明できないんだよ荷物がモスクワに先に届いたこととかさァ!」

さて、ここまで聞いて、よくあるちょっとばかり出来のいい陰謀論だと斬り捨てるのは簡単である。異常存在があらわになった世界でも、こういった陰謀論は結果として絶えなかった。わずかに方向性がずれただけである。しかし、陰謀論にしては古めかしすぎる、異常存在が絡んでいそうな雰囲気があるのもまた事実。ソフィアは果たしてこれをどうすればいいのか考えあぐねていた。しかし、タチアナは「よし」、と結論を下す。

「わかった、私達は『正直』に言おう。この件について私たちは『調査』をする。理由は一つ、『陰謀論のネタにされたくないから』だ。ただし、その調査結果は異常があってもなくても『教えない』。これは私の意志ではなく異常調査局としての取り決めだ。財団が蒐集した異常を開示しないように、私達も基本的に開示はしない。詳しくは公式サイトに載ってるからそれ見とけ」
「そんな……」

なんて理不尽な、こちらが情報を提供したのに何も教えてくれないのはあんまりじゃないか、そんな不満をルーズィーは口にしようとしたが。

「知ること自体がアウトなヤバい奴もいるから本局は開示をしないんだよ。勘違いをするなよルーズィー。私たちは公務員、『全体の』奉仕者だ。主に誓って『お前の個人的な好奇心の』奉仕者じゃねえのよ。結論は『調べる』って出てるんだ、そこに今のお前ができるこたあ帰るしかねえんだよ」

と、こうもタチアナに威圧されてはこうしたトラブルに慣れていないのもあって返す言葉もなく、ただ帰るほかなかった。

「いいんですか、彼に『異常調査局は傲慢だ、誠実さがない』なんて上層部に垂れ込まれたら、私たち職を失いかねませんが」
「話だけは分かるような奴だったし、よしんば垂れ込まれたところでこういったトラブル慣れしてないあいつにつかまされる物証もない。それに私は異常調査局と公務員のスタンスを説明しただけだ」

そんなことよりシベリア鉄道一等車の予約取るぞと、打って変わって上機嫌なタチアナである。

「シベリア鉄道に乗ったのはモスクワに来る時以来だよ。何年ぶりかな、多分10年そこらは乗ってないかなあ」
「私も大学に入って以来一度も乗ってませんでしたが、まさか観光ではなく仕事で乗ることになるなんて……」
「よし、今すぐ行動あるのみだ。とりあえず一等車の前から三番目の客室をおさえよう」

かくして、ソフィアとタチアナの二人はシベリア鉄道の怪を追うことになったのである。


当日 モスクワ ヤロスラフスキー駅

「ソーニャ、もういるのか。早いな」
「そりゃまあ、家が近いので」

ここがシベリア鉄道の始点である。この駅からモスクワに足を踏み入れる人間はそう少なくないし、ここから別の都市へ足を踏み出す人間もそう少なくはない。彼女らは異常調査局の調査官手帳を検査官に見せつつホームを通り抜け、列車に入った。
件の客室に向かう狭い通路を抜けつつ、そういえば、とソフィアは思い出したように声を上げた。

「実働調査課のみんなはどうしてあるんですか?」
「あいつらは別の仕事やらせてる。今回は私とソーニャの二人で任務の遂行ってことよ。ちなみに気になる統括役に対しても説得済みだぜ。乗車賃は自腹ってことで合意した」
「自腹……」
「そりゃそうだ。事情があるとはいえ、一等車だぞ。国民の税金で動いている以上、心象的にアウトなラインってのはある。私たちは存在自体が悪いかのように言われてるけど、レッテル貼られるだけなのと実際にそういうマイナスイメージを自分から植え付けに行くのは全然違う。あ、一応言っておくけど昨日どやしつけたのは絶対安全だからだぜ。ま、ああして事態がマズくなる余地のないときだけだ、公務員が調子に乗っていいのは」

言われてみればそれはそうだとソフィアも納得したところで、予約していた客室が目の前まで来ていた。

「そら、話しているうちに仕事場だ。きっちり気を引き締めるぞ」

瞬間、二人の空気はがらりと変わる。タチアナが先頭で客室に入り、慎重にハンドバッグを置いた。

「アシモフ現実観測器用意」
「アシモフ現実観測器、用意」

ソフィアがバッグのファスナーを開き、方位磁針のような機材を向ける。針は微動だにしない。

「現実強度、1のまま安定。問題なし」
「了解、現時点でのタイプ・グリーン以外の存在による現実改変行為不可能を保障。これより客室の壁に固定し、現実強度の変動を30分おきに観察する。金属探知機用意」
「金属探知機、用意」

次に取り出したのは金属探知機。部屋のものはあらかたかざしたが、特に問題はない。

「金属製異常の不在を保障。その他特異な熱源についても確認できませんでした」
「とりあえずは良し、か。まあ『掃除』したってんなら、薬莢なんて落ちてるはずはないが、『古びている』なら話は別だよなあ」

薬莢、中でも古びた薬莢は手作りで弾薬を作る際に用いられる材料の一つだ。理由はいつ使われたのかをわかりにくくして、証拠としての質を落とすことにあるという。そんなものが落ちていれば、掃除などあっても途中で事件が起きたということにもなる。

「人の仕業か本物の異常か……あの話自体信憑性のかけらもない流言飛語ということは否定できません」
「いや、コイツは時限式じゃねえか?」
「時限式?」
「ま、見てりゃわかるさ」

これだ、情報を出し渋るこの動き。私の手綱を振り切って、今にも暴れだす瞬間だ。今回この人が暴れだして迷惑を被るのは私だけだからと、いい練習になると、そう思っていたがこのじゃじゃ馬は変わらない!私だけでは御しきれないのか、永遠に、私は騎手たる器にあらざる者なのか。ソフィアの焦りは加速する。

「課長、情報を共有しましょうよ。課長なら確かに全部見抜いているのかもしれませんが、私たちは見てもわかりません。言われなければわかりません」
「そうはいっても、説明しようがない。『見れればわかる』、そうとしか言いようがない。時限式っつったのは、事前情報と部屋がそう見えることからの結論だ」
「そうやって情報を渋ったって、私たちがそれを完全に理解することはありません。お願いですから、私達にもわかるように説明をしてください。そうすればちゃんとした作戦立案だって私も力を貸せます」
「……困ったな、不和は絶対に避けたいんだが……かといって本当に私も伝えようがねえんだよな……」

ソフィアは悟った。ああ、この人は歩み寄りの姿勢をしたことがないんだ。私たちに合わせたことがないんだ。他人はおろか、友達とも、下手すれば親とも、先生とも。彼女はおそらく頭が良いのだ。途中の計算過程を全部暗算して答えを出すタイプの。だから私たちのような彼女に比べて劣る人を意識したことがない。これまで面と向かって言われたことがないから、計算過程を紙に書きだす人種をファンタジーか何かだと信じて疑わない。私の通っていた大学にもそんな奴はいた。今、ソフィアはそんな彼と相対したような気分を味わっている。

「…………っ」

完全な手詰まりだ。人種として、理解ができない。ソフィアの焦りは、急速に失望のような諦めに転じていった。

「……なら。私が合わせます。その場その場で何とかして合わせます」
「……悪い」

あぁ、やってしまったな、端的に言ってソフィアは後悔した。このような空気にしたかったわけでは、何一つ生まない不毛な場にしたかったわけではない。このような状態では、今後の仕事に悪影響が出かねない。しかし、ソフィアは発言したこと一つ一つを間違っているとは思っていない。本当に組織で独断専行をされると困るのは事実だ。間違っていない。元戦車乗りならその辺をわかっていると思っていたが、軍として常に最適解を求められるなら自然と似通った行動になる可能性もなくはない。だとすれば私たちの練度が足りないだけなのだから、私たちが本当に合わせる必要があるだろう。それだけの話。それだけの話なのだ。ただ、言うタイミングが悪かった。言い方も、ベストではなかった。悔いるところはそこである。

──ナージャならどうしただろうか。

考えても甲斐ないことを考えては、ソフィアの自責の念はだんだん重くなっていく。あまり良くない兆候だ。そう感じつつ、ソフィアは窓に目をやった。セピア色の街が列車に追い抜かれている。列車は動き出したようだ。

「あら、███だ███████に██████よ██」
「██、█、██ま█████い████あ████ね」

タチアナがなにか話しかけている。ノイズが酷い。ソフィアにとってはなにがなんだかさっぱりだ。ついに耳が聞こえなくなったのか。仕事が終われば医者にかからなければ、と、あくまで冷静に考える。今は仕事中だから、平常心を崩せば死ぬかもしれない。それにしても、先ほどの重苦しい雰囲気が嘘のようだ。なんだって、そんなに明るくふるまえるのだろう、カラ元気か?

「████████ね、████████を████████████」

ソフィアの違和感は止まらない。タチアナがこのような話し方をするだろうか。ノイズが酷くて発音すら聞き取れないが、いつも粗野なしゃべり方をしている人がする声の調子ではない。

「失礼ですが、どちら様でしょう」

明らかに別人だ。そう確信し、名前を訊いてみることにした。しかし、言葉はこのように出力された。

「████████████か、█████が████で██████████」

──違う、違う違う違う、そうじゃない。私の口にそんなこと言えなんて命じてない。腕が勝手に動く。私の腕はダビデのようなしなやかな豪腕になっていた。ダビデがやったのは身振り手振りのジェスチャーだった。今度は勝手に視線が下に行く、私の双丘は剛毅な板に変わっていた。ありえない、私の体はそんなじゃない。強烈な違和感が私を襲う。そういえばなぜセピア色の視界でこの女性が金髪だなんてわかるのだろう。そんな色してないのに。視線が相手の女性の後ろへ行く。日めくりカレンダーがあった。日めくりカレンダーには、こんな数字とキリル文字がロシア語で並んでいた。

21 декабря 1967 г.1967年12月21日

……は?今は1999年12月21日だぞ?
混乱が深まる中、ふと、答えがちらりと見えた。

これは、夢だ

そう、夢。これは夢。あのルーズィーがメモに残した夢だ。ならば、この後────
銃声が響いた。心臓がのけぞる。その直後、女性の叫び声と悲鳴が、続いて老人のおびえた声、男性の怒号と殴打の音、銃声、殴打、銃声、叫び声、殴打、悲鳴、悲鳴、銃声。

「████████████、████████」
「████████」

会話のノイズが酷くなった。
ついにこの部屋の扉もがたがたがんがんなり始めた。少しして、銃声が三発響き、鍵が壊れる。そして、その扉はついに────


「ソーニャ!」

開かなかった。目の前の色彩はセピアではない。腕はダビデよりも細いし、双丘は健在。そして何より身体が自分の思うままで、声にノイズが入っていない。気づけば外はもう日が沈んでいる。

「あぁ、課長……」
「よかった、目覚めたな。お前、すごいうなされてゆすっても起きなかったけど、あれか、あの夢を見たのか」
「……はい。実際に見ると、気味の悪い夢でした。どのくらい寝ていましたか」
「ざっと6時間は。急に倒れちまうんだからな」

『倒れた』、『夢を見た』、たしかに少々疲れているとはいえ、倒れるほどではないことから鑑みても、これは明らかに『異常』だ。ソフィアは認識した。

「あと、その、ごめんな」
「……え?」
「いや、考えてみれば、お前みたいに私をとがめる奴はいなかったんだ。で、ソーニャに指摘されて、初めて私が他人を考えてないことに気づいた。いや、他人を考慮するという発想自体しなかったことに気づいた」

いや、そんな簡単に謝らないでくださいよ

そう口に出そうとしたが、さっきに続いて今も、思ったことをすぐに言った結果を繰り返そうとしていることになる前に、慎重にならざるをえなかった。罪悪感は募るばかりである。
対してタチアナはそんなことを知る余地などなく、色々何かを考え始めた。

「あのルー何とかって野郎の夢と同じ、過去に実際に起きたことを夢に映し出す。目が覚めると、『古い薬莢』が転がっている」

ふと、ソフィアは下を見やる。目に映ったそれは、まるでタチアナが予言者であるかのように思わせる。

「課長……」
「……まァ、『ある』よな。私が『調べる』っつった案件だ、ないはずがない」

古びた薬莢。最低でも50年は前の代物だ。

「ソーニャ、金属探知機」
「は、はい」

言われるがままに金属探知機をかざすと、当然のようにかん高いアラートを吹き出した。金属製、それも部屋の中に突然出現したモノ。しかも霊的なものではなく、質量を持つ実体である。

「なんで夢なんて形にもならないところから物質が出現するんだ?なにか、こう、隔たりを感じる。なんで夢を見せた後に薬莢を?わからない、ここまでわからんのは初めてだ」
「そもそも夢が現実に出るとかあり得るんですかね?」
「まぁなくはないな。財団の資料にそういうやつがあったのを見たことがあるが、それじゃない。年に一度、過去の再演ばっか繰り返して、それじゃあまるで『無機的』だ」

タチアナの脳内には、初めから夢の受肉などという選択肢はなかった。なぜならすでに答えは出ているから。過去の、1967年の12月21日に実際に起きたことを、この客室を舞台に繰り返す。さながら夢が予告編で客室で起こることが上演だ。だが、これは『見かけ上の答え』で、解法をすっ飛ばしたものである。異常性の弱点や特質を見抜くことはできる。しかし、残念ながらこれから起きる異常はその特性を知ったところで防ぐ術はない。きっと『解法』にこそどうにかする方法があるのだが、それを見抜くのはタチアナの畑ではなかった。

「あ~、解法とか考えるだけ無駄だ。答えだけ言おう。ここがやるのは『過去の再演』だ。毎年12月21日に起きる、1967年12月21日、このロシア号が走る区間で起きた事件の再演だ」
「さい、えん?」
「そう。再演。それ以上のことは説明しようがない。この薬莢は、いわば『よーいドン』のスターター、『開演の合図』だ。コイツの出現を皮切りに再演が行われる。これ以上説明のしようがないから細かいこと訊かれても困るぜ、こちとら精いっぱい説明してんだ。事件については……だいたい予想はつくな」

やけにタチアナが饒舌になったのはいいことなのだが、やはり、わからないことに変わりはない。いきなり再演だのなんだの言われて、ソフィアからすればはいそうですかとしか言えないわけだ。

「では、タチアナ課長はどうするんですか?」

こういうとき、騎手は合わせに行かなければならない。相手の計画を自分から聞き、自分の行動計画に組み込む。今、ソフィアにできるのは「合わせる」だけだった。

「私は、これから実働調査課として調査する。『過去の再演を邪魔したらどうなるか』『過去の再演が起きるようになった理由』『なぜ今日だけなのか』。それを考える」
「では私は再演の邪魔をしてみます」
「頼んだ」

ふと、ソフィアは窓の外を見やった。いつの間にか雪が降り、ロシア国旗が遠くにはためいている。どこかの愛国者が立てたのだろうと気にも留めずに出入り口のドアを引いた。微動だにしない。

「あれ、押すんでしたっけ」

押してはみるもそれでもだめだった。出られない。鍵を閉め忘れたか、そう思って鍵の方を見るが開いている。閉めて、開けて、また押してみるが微動だにしない。引いても開かない。

「……やばい、課長!開きませんよ!」
「ん-脚本の根幹にかかわる行動は修正されるのかな、ちょっと私のケースからライフル出して」
「了解です」

バッグ、というよりはギターケースにカモフラージュしたライフルケースだ。中に入っているのは大型動物狩猟用の大口径ライフル、ハンニバルモデルライフル。

「これを、ドアに?」
「こういうときこそ国家権力が強いんだよ。大丈夫、責任は統括役がとる。火器に制限をかけなかったあいつが悪い」

弾を込め、構える。耳栓をし、引き金に指をかけ、すっと指を引く。大の男ですらその反動に耐え兼ねてあとずさり、ライフルは取り落とさざるをえない化け物のような火力は、扉に触れたとたんに消失した。

「ぐぅっ……反動重っ……!」
「やっぱだめか、万が一物理的な手法が通じる結界の類ならいけるかと思ったが、そうラッキーなんてことはないよな。火力じゃどうしようもない。オカルチストがたまーに使う概念結界か?……いや……そもそも、毎年術者が一回だけなんでそう過去の再演をしたがるんだ?ああクソ、わからねえ!!」

ソフィアは扉を確認した。着弾したような跡がなければ、このドアの装甲云々の話ではない。跳弾したような跡がなければ、この平面のドアが弾丸を弾き飛ばした、即ちこの部屋は物理的干渉を拒絶するという事実になる。部屋の内部からの物理的干渉の拒絶は対策が容易だ。しかし、今回はそのどちらでもなかった。

「着弾した跡も、弾丸も、見つかりません。跳弾した訳でもありません。おそらく、この部屋から完全に『消えた』のでしょう。なら、ここは文字通り『舞台』と解釈するのはどうでしょう?舞台の外は観客には見えません、舞台の外を演者は考えません。舞台の外に行った弾丸は、観測できない……そういう異常では?」
「『舞台』……?」
「今、世界は、私達がここにいる世界は、この客室に『限定』されています。舞台の外に弾丸が飛べば見かけ上は『舞台から消失する』……そうは考えられませんか?」

ソフィアの『解法』から、タチアナが新しく『答え』を出す。

「あっ、なるほどそういうことか!じゃあ、そうまでして強固な『脚本』を書いた奴は誰か、それは────!」

銃声が響いた。続いて女性の叫び声がする。
舞台から降りることは許されない

駄目だ。わかってしまった。『答え』が見えた。今のタチアナなら断言できる。「この世には知らないほうがいいことが存在する」ことを。

タチアナは、勢いで言いかけた言葉を飲み込み、ただ、こうつぶやいた。

「────知っては、いけない。『知られたくない』から、こんな回りくどい方法をするんだ……初めて、私が『間違えた』……『正解』は……夢の異常とこの異常は別の────!くそっ!やられた、完全にしてやられたぞシベリア鉄道の怪異ッ!」
「知ってはいけない?『知られたくない』?何言ってるんですか?」
「ソーニャ、何も考えるな!何も考察しようとするな!何も知るな!今すぐその窓開けろ!アレが舞台から退場する唯一の出口だ!きっと逃げられる!」
「えぇ!?あんな雪の中を!?凍死しますよ!」
「大丈夫、ルー何とかが飛び出したときには駅に近かった!それに今はまだ電波が圏内だからきっと助かる!時間がない、21時21分21秒に来るぞ!あと30秒!」

相次いで銃声、打撲音、叫び声、悲鳴が沸き立つ。
劇の途中で役目も果たさず逃げる役者がどこにいようか

「えっ、あ、はい!」

ソフィアは座席のすぐそばにある窓に手をかけ、力いっぱいに持ち上げる。が。

「くっ……鍵開いてるのに……開かない……!」
「ソーニャッ!今すぐその窓開けて飛び出せ!」

10、11──

「……っ!開きませんッ!カギはかかってないのに!」

12、13──

「下がれソーニャ!!」

ソフィアを押しのけ、ライフルで一発窓に撃ち込む。弾丸は扉に撃ち込んだ時と同様に消えてなくなり、事実による推測はただの楽観であることを知らされる。

14、15──

「ああクソッたれ!!現在進行形で脚本上書きされてんのかよ!銃も効かねえとかふざけんなよ!!」

16,17──

そういえば今日は21日だな。可哀想に

18,19──

「ソーニャ、記憶処理剤が私のバッグの中に入ってる、だからそれを────」

20、21

タチアナが扉に対して真横……ソフィアの方向に向いた瞬間、銃声が響いた 。夢とは違って、4発だった。3発は鍵を壊すために。1発はタチアナの頭から赤いものを噴き上げるために。

「課長ッ!」

いや、待て、動揺するな、課長の胸はわずかに上下している。頭に弾丸が入ったなら基本は即死。どうやらかすっただけで済んだようだ。ならばとソフィアは自分のやるべきことを行動に移す。タチアナの言いたかった手段は記憶処理剤。『知ってはいけない』なら、『知らなかったことにすればいい』。そういう魂胆なのであろう。幸いにもタチアナのバッグは手元にあり、記憶処理剤はまさぐればすぐにあった。銃撃をしたその主は姿を現さない。もしや、ここからの脚本は『アドリブ』か?誰も夢の先を『知らない』から、脚本は決まってないのか?そのあとの行動を好きにできる一方、銃撃手たちは行動するまでにラグがあるのか?

ならば。

絶対に死なせない。課長は絶対に死なせない。私はまだ謝っていない。このままあんな私の辛辣な態度をうやむやにしたままアイツラに課長を始末されるのは嫌だ。ソフィアは錠型の記憶処理剤をひとつ飲みこみ、ひとつをタチアナの喉に押しやる。飲み込んだことを確認すると、今度はすぐに止血の作業に入った。止血剤を打ち、頭に包帯を巻き終えたと同時に、記憶処理剤特有の眠気がソフィアを襲う。

「課…ちょ……」

12月21日のソフィアの意識は、ここで途切れてしまった。


翌日

「シベリア鉄道に乗った記憶が途中から空っぽです」
「だな。記憶処理剤は減ってたし、頭には包帯巻かれてるし血がすごいし、私もソーニャも倒れてたし、二発も使ってるライフルがむき身のまま放置が特に酷かったな。ま、知るとヤバい奴がいたんだろう」

結局、シベリア鉄道をはじめとする一般の人々に対する説明は、ライフルに関してはなかったことにして、タチアナの頭の傷は転んで角にぶつけたということにした。血痕もそれで突き通すつもりだ。忘れたことについては、考えないようにするのが最善だとして、統括役にもそう報告することにした。負傷は事実だし、事実並べれば説得はできるとはタチアナの言だ。

「にしてもよく生きてましたね」
「傷の深さから見るに拳銃だよなあ。頭蓋骨ちょっと削れたかな?でもまあかすり傷で良かったよ、デコの傷が残りそうなのが残念ではあるけど……まさかルー何とか、全部わかってて……?」
「あなたが言うとシャレになりません」
「だな。陰謀論なんて、簡単に信じるもんじゃない。あくまで楽しむもの。ネタだよネタ。それを真面目に受けて首突っ込んだ私たちがバカだったわけだ」

ちょっとした微妙な沈黙が二人の間に生まれる。

「あと、あの……」
「ん?どうした?」

あぁもう、腹はくくったから早く言え!
そう己を鼓舞して、ソフィアはだいたいこのような意味の謝意を述べた。

「すみませんでした!あんなタイミングであの調子で言うべきことではなかったです!」

頭を下げるソフィアに、タチアナは少しぎょっとした。

「えぇ、おまえが謝るの?私が100悪いって思ってたんだけど」
「あぁ、その辺についてですが私の言ったことは間違いではありません。実働調査課全体として独断専行が重荷になっているのです。確かに課長の行動が最善手になっている節はあります。ですが課長も最初から作戦に組み込めなければ、いつか組織として破綻してしまうでしょう。私達もあなたの判断に精一杯順応します。ですから、貴方も私たちの存在を考えてください。私達も変化しますから、あなたも私を理解して、変化してください」
「コイツ謝ってんのか開き直ってんのかわかんねえな……」

タチアナは怪訝な顔をしつつもなんだかんだでカラッと笑い、「いいよ、私もこれまでを振り返って心当たり沢山あったし。これでトントン、というわけにもいかないな。私がお前たちを理解するから、それでトントンだな」と言うが、「いいえ、理解し合ってトントンです」とソフィアは訂正した。

「さて、どうしたもんかな。知るとヤバい三号室。犠牲者出すのは本意じゃねえや。その対応を考えるぞ」

冬も寒さをさらに増す年末近い12月の下旬、かくして、天才が凡人と歩み寄る物語は、始まるのである。


翌週 モスクワ 異常調査局実働調査課

「はいおつかれさん、コーヒーはいかが?」
「ナージャ、お疲れ様です。ではコーヒーを一杯いただきます」

課長補佐同士での女子会は実働調査課が解散してから盛り上がる。

「コーヒー、砂糖とミルクは?」
「多めで」
「はい、多めね~……ん?今なんて?」

聞き間違えかもしれないからワンモアセイ、ナージャは二度見ならぬ五度見を放ちつつ聞き直した。

「聞こえませんでした?コーヒーにミルクと砂糖、多めって言ったんですが」
「……どういう風の吹き回しで桶屋が儲かるんだい?」
「あれ、『ささやかな変化を選択肢に入れている』って言ってませんでしたか?」
「いやまあ、そうだけどさ、まさかそんないきなり、ねえ?」
「『ささやかな変化を楽しみたい気分は、いつ訪れるかわからない』とも言ってましたね」
「うぐ……」
「私にもそんな気分があるんです、それに……」
「それに?」
「私も、変わる練習をしませんと、あの人には追い付けませんから」

変わった。あのソフィアのちょっとお堅い雰囲気が良い意味で変わった。そんな同期の変化に好奇心をかきたてずにはいられないのがナージャという女の性分であった。

「じゃあ、ちょっと聞かせてよ。そう思うに至ったお話をさ」
「では10分で説明しましょう。先週のことです────」


2000年12月21日、シベリア鉄道「ロシア号」、一等車3号室にて

『立ち入り禁止』のテープを無視して入ってきた男が一人、彼は録画ボタンを押したビデオカメラを机の上に置き、カメラレンズの方向にある座席に座った。

「俺の名前はOda_Kent。パラウォッチで活動する、しがない日本のオカルト好きだ。まあそれは良いとして、去年12月22日までなんの問題もなかった『一等車の3号室』、これまたピンポイントな数字だが、23日にして突然利用できなくなった。理由は『暖房設備の故障』……だが、結果はこれだ。暖房は機能してるし、全くの嘘っぱちだったわけだ。気になるね、一昨年立てられたあるスレッドに、このロシア号で不吉なことが起こきたというものがある。日付は12月21日……みんな冗談として受け取っていたが俺はそうは、思わない……この裏には、何かがある……しかし、眠気がひどいな……長旅のせいか、少々疲れたようだ……」

彼はすぐに寝息を立てた。時々眉を顰めながら、すやすやと眠っている。

ころん

軽い金属の音がした。カメラの前には、古い薬莢が落ちていた。


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  1. portal:6859138 (21 Sep 2020 13:00)
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