お茶の幽霊、██年後

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最近時間の流れが速くなったように思う。
気付けば数年は帰省してない。両親からの電話で時々地元の様子を教えてもらうが、近所のおばあちゃんは亡くなり、学生時代に通った個人店のベーカリーは後継者が見つからずに潰れたそうだ。
大好きだったおばあちゃんのお手製シュガーパイ、お気に入りだったあのベーカリーのマフィンやベーグル。数々の思い出の中でも特に強く残っているあの匂いと味、もう誰にも作れないそれはもう子供や学生時代の思い出と一緒に色褪せていくのかと思うと寂しい。

でも感傷に浸っている暇はない、そんな余裕はない。今は目の前の黒画面に意識を集中させなくてはいけない。引き出しのドライフルーツで気を紛らわしつつ、エンターキーを一押し。

「あぁ、もう何なのよ……!」


何の変哲も異変もないある日、業務中に別室へ呼び出された。椅子に座るように促され、緊張で震える体をなだめて何とか上司の顔を見る。

「さて、本題から話すが」
「はい」
「君には財団言語を勉強して貰う事になった」
「……はい?」
「財団には独自のプログラミング言語があってね、君にはそれを習得して貰うという話だよ」

聞けば職員の能力が十分に発揮できるよう、職員一人一人に対して個性や能力の調査がされる事があるらしい。そこで私はプログラミングに関する適性があると判断されたとか。
確かに財団に来る前から多少の興味はあったし、本屋でページをめくった事もある。でもいきなりそんな指示を受けて動揺しない人間は少ないだろう。
そもそも財団が財団だけに通用する独自のプログラミング言語を使ってるなんて聞いた事もない。そりゃ外じゃまだ存在しないはずの技術も機械もあるからと言われれば仕方ないけど。

「最初はシステム関係とアプリ関係の分野を押さえるだけでいい」
「はい」
「いずれはそういうのを専門にしてもらうけど、覚えるまでは実験や報告書を通してどんなものが必要になりそうかじっくり観察しておいて欲しい」
「はい」

まるでボールをパスするみたいに軽く言われたから、何とかなるだろうと空返事をした覚えがある。今となってはその過去の自分にビンタを食らわせたい程憎らしい。
つまりはいずれ全ての分野の財団言語を習得しないといけないという意味だ。それでいて実験や報告書作成は今まで通りやれと。
どんだけタスクをこなさなければならないと言うんだ、気が遠くなる。でも思い返せば、分かっていたとしても私に拒否する勇気はなかった。

「これがアプリとシステムに関する財団言語の標準マニュアルだ」

最後に渡された数冊の本はどれもこれも普通に人を殴り倒せる厚さで、デスクに持ち帰るのに苦労した。次の日筋肉痛になったのはあのマニュアルのせいだ。
字は細かいし説明はごちゃごちゃ、挙げ句に全ページ白黒で全然頭に入ってこなくて、せめて独学の本を買おうとサイトの本屋に駆け込んだ。

「財団言語ですか?でしたらスポ根シリーズが評価が高いですよ」
「スポ根シリーズ?」
「シリーズの愛称です、愛称はともかく分かりやすいと評判ですよ」

そうして渡された本の表紙には【スッと頭に入る!重要ポイントから根本的理解へ 財団アプリ言語のABC ~入門編~】と書かれていた。
詳しく話を聞くと昔はマニュアルしかなかったのが、今では色んな国の色んな職員が財団言語の教科書みたいな本をいくつも出してるらしい。
その中でも分かりやすいと人気なのがこれだという。どうして財団でしか通用しない言語の本がいくつも出てるのやら。
でも本はホントに分かりやすかった。イラスト付きだと文字だけよりも分かりやすく思えるのは何でだろう。
アプリ関係とシステム関係、入門から上級までついまとめて買ったらお小遣いが吹っ飛んだ。


言語習得を指示されていつの間にやら1ヶ月。まだまだ上達してる気がしなくて焦りが募る。
サンドボックスに放りこんだアプリから返ってくるのはエラーとエラーとエラー。もう何がおかしくてどこがエラーを吐いてるのかもわからない。ホントに勘弁してよ。
今すぐ手元のキーボードを引っこ抜いて画面に叩きつけてやりたい。代わりにドライフルーツの空袋をごみ箱に叩きつけて本を掴んだ途端、頭の横から声が落ちてきた。

「大丈夫?顔が怖いけど」
「タンさん……」

スー・タン上級研究員、今回の勉強で私の教育係についてくれた人だ。機器や財団言語に関してはサイト95でも指折りの凄い人。
湯気が揺れるコーヒーを片手に、可笑しそうな表情を隠さずに私の顔を覗き込んでいた。

「まるでマフィアとかギャングとか日本映画のGOKUDOみたいよ、今に人でも殺しそうな」
「やめて下さいよ人聞きの悪い」
「続きはまた今度にしたら?昨日オブジェクト実験に参加してなかった?」
「あ、忘れてました……」

そうだった、報告書を作らなくちゃいけないのを忘れてた。明後日は別の実験が入ってたはずだし、明日までにできるかなぁ……あぁ、もうパンクしそう。

「あら、これ財団言語の本?」
「本屋の人にオススメされたんですよ、最初に貰ったマニュアルだと私には分かりづらくて」
「へぇ、ポイントもしっかりまとまってるし、字も大きくてカラフルで見やすいじゃない。いいわねぇ、私の時代にもこんな本が欲しかったわ」
「タンさんはもうエキスパートじゃないですか……」

例え本の内容を丸暗記できたとしてもそれだけじゃダメなのだ。それを臨機応変に使うことができるか、ミスなく書けるか、書いたコードは分かりやすいか、それにどんどんアップデートされていく中身についていけるか。簡単なコードでエラー表示を出す私には雲の上のようなレベルで。

「……タンさんが羨ましいです」
「え、どうしたのいきなり」
「財団言語の知識は豊富でコードはキレイで打ち込みは早いし機器には強いし仕事は丁寧かつ早くてミスもなくて教え方も分かりやすくて顔は整っててニキビもなくて足も細くて」
「ちょっとちょっと」

あぁ、言ってて嫌になる。私なんかが比べられるような人じゃないって分かってるけど、どうしても比較してしまう。画面に光るエラー表示が劣等感を煽る。
分かりやすいと評判の本を買ってもなかなか進まない理解、今まで使うことの少なかった記号の入力方法だってあやふやな記憶。
本を見てノートを見て何とか書いても実行すればエラー、報告書の事なんて頭から抜ける始末。
そしてとどめに一昨日ニキビを見つけて潰したら腫れた。
この人の事は尊敬しているし大好きだ。だからこそプレッシャーが、圧が重くのしかかる。
早く成長したい、成長しないといけない、この人に迷惑をかけたくない、財団に役立たずなんて思われたくない。
自分を追い込んでいるのは財団でもタンさんでもない、私だと頭では分かっている。
それでも力が付いていると思えない現状とゴールが見えない程辛いものはなくて。
あぁ、肺が潰れそう。

「タンさんみたいに完璧な人間に生まれたかったなぁ……」

我慢できなくて突っ伏した。私を隠れて調査した奴の胸ぐらを掴んで揺すってやりたい。
どこをどう見て私に適性があるなんて判断したんだ、そもそもタイピングのスピードも人並み以下だし精度だって怪しいんだぞ。
今もどこかに隠れているならこのザマを見ろ、これで財団に貢献できると思うのか。

「私、そんな凄い人間じゃないわよ」
「ご謙遜を、この私を見てそれを言いますか」
「謙遜でも冗談でもないったら」

からから、隣の椅子が引かれる音がした。尊敬する人の前だと言うのに顔を上げる気力も湧かない。
この人の存在が大きすぎて、今では目を合わせる事すら億劫。
やめたい。もうパソコンも本もこのぐちゃぐちゃも全部焼却炉に放り込みたい。

「……さては、ちゃんと報告書読みこんでないわね?」
「え」
「量が多くて読みきれないのはわかるけど、私の事を完璧とか言ってると勉強不足って思われるわよ?」
「意味が分かりませんよ……」

右側からため息と同時にキーボードを叩く音。3秒後に肩をつつかれて画面を覗くと、そこには見覚えのある報告書のページ。

「これ、ここの第4研究室の事ですよね、発見当時はお茶の幽霊が出るって言われてた」
「きちんと読んでるみたいね、でもほらここは見た?」

画面をスクロールされて指差されたのは実験内容と結果の表。上から三番目の欄に書かれていたそれを見て、喉から息が漏れた。

「……え?」

タン研究員は最近になって、より効率的なSCP-████の封じ込めのために設計された機器のコードを数ブロック書き上げていた。検査の結果、コードからは一連の収容違反を引き起こしかねない数ヶ所のタイプミスが発見された。エラーは修正済。財団文書のエラーを発見したSCP-3715の能力に関する議論が進行中である。

「タンさん、これ」
「数十年前かしら、財団言語にも慣れてきた頃の話ね。絶対に失敗できないって必死になってた」
「……」
「何度も何度も見直して見返して、よしここまでは完璧って思ってた矢先にこれ」
「……」
「責任感が足りないって怒鳴られて、もう精神ポッキリよ。でも受け入れるしかなかった、続けるしかなかった」
「そんな」
「私はオブジェクトにミスを指摘されたのよ、それもオブジェクトを閉じ込めるためのコードよ。皮肉でしょ?」
「……」
「しかもそれが報告書に載ってこれからもこうして色んな職員に晒される。これでも私を完璧なんて言える?」
「……」
「だからね、私は貴方が思うような凄い存在じゃないの、むしろ真逆」
「……」
「そんな私が上級研究員にまでなれたんだから、もっと自信を持ちなさい。それに私と貴方でどれだけ経験の差があるとおもってるのよ。年の差なめんじゃないわよ」

ぐいっ、とこめかみを押されて頭がふらついた。けらけらおどけるタンさんに対してまだ何も返せない。やっぱり私にとってこの人は、タンさんは余りに偉大すぎる。

「……正直私にプログラミングなんて、ってまだ考えてしまいます」
「岡目八目って言うでしょ?自分が思ってるより外から見られた方が案外本質が分かるってもんよ」
「……出来ますか、私にも」
「安心なさい、財団の職員適性調査は当たるって評判よ」

夏の太陽のように輝くような笑み。私より二、三十歳は年上のはずなのにそれを感じさせない若々しさ。
足を引っ張ってばかりの私にも優しく元気に接してくれるこの人は本当に天使のようだ。
この人みたいになりたいとは思うけど、今の私は自分にも自信が持てない未熟者で。
沈黙をごまかすように報告書をスクロールすると、さっきの実験ログが目に入った。

良い一日になるといいですね :)

二十文字にも満たない、簡素な文。
でも相手を思って書かれたであろう、温かい文。
そのたった一行の優しさが、何故か無性に羨ましかった。

「今から行ってみたら?貴方ならクリアランス的には十分だし」
「え?」
「疲れてるのよ、このままじゃ身に付くものも付かないわよ?」
「……」

やっぱりこの人には敵わない。何も言わずとも私の内心を読み取ってしまう。
タンさんの言葉に不服があるわけでも不足があるわけでもなくて、ただ羨ましいと思ってしまっただけで。
でも何を言っても言い訳にしかならなさそうでその場から動けない私の背中を、タンさんは軽く押してくれた。

「士気向上のために、財団の研究のためにもいってらっしゃい」
「……そうします」


いつも飲んでるお気に入りの紅茶のティーバッグ。報告書通りに壁に貼り付けておく。
窓際の席に座って外を眺めると、猫の親子が敷地を横切っていくのが見えた。
子猫の首をくわえて悠々と歩く母猫と、大人しくぷらぷら揺られる子猫。引っ越しでもするのか、住みかに帰るのか、仲睦まじいその姿はやがて小さくなり消えた。
一陣の風が景色を揺らす。何となく地元が懐かしくなった。

「ママに電話でもしようかな」

たまには私から連絡してみよう。ついでにママ特製のクランベリージャムとピクルスもおねだりしようかな。
思い出の味になる前にもう一度食べておきたい。本当は私がレシピを引き継げばいいんだろうけど「そんなの目分量よ、適当適当」なんて言われたらどうしようもない。
明日と言わず今から頑張って報告書を終わらせて、しばらくゆっくりと話をしよう。時間が余ったらまた財団言語の勉強もしよう。

廊下に足を踏み出す直前、何となく振り返った。
カーテンが束ねられた窓、整列するテーブルと椅子、視界の端には壁に並ぶティーバッグの袋、いつもと何も変わらない風景。
私はそこに何故か頭を下げていた。


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