アレクサンドリアよさようなら
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まるで冥界のような暗闇、広がるのは大小さまざまなかすかな輝き。空が、大地が、暗闇を通るかすかな風が、私を来世に解き放ったかのように感じられた。同時に、目の前に広がる全ての、あまりにも莫大すぎる情報量に、私は追いつけないままでもあった。どうですか?と永遠なるアレクサンドリアの新たな観察者は問いてくるが、今はまだそれに答えられそうにない。そのくらいにこの世界は、理解するに時間を有するものだった。されど忘れられはしない。彼女と共に過ごしたまさに永遠ともいえる時間、この世界と離れていく自分を、直に感じてきた時間を。


闇の中で、彼は声を聞いた:「観察者よ、私を忘れないでいてほしい」

回想する。彼女と私が初めて互いを認識した日、私はまだ、外に出ることへと熱心だったような気がしている。

「観察者というのは、私のことか。私は具体的にどうすればいい」

闇の中で、彼は声を聞いた:「待て。ある時、私の価値を理解し、適切なことを行う者たちが現れる。それまで、観察者は私を覚えていなければならない」

「ここから出ずに、その者たちが来るのを待ち続けろということか。外は今どうなっている」

闇の中で、彼は声を聞いた:「まだ外には出られない。上の図書館の亡骸が残っている。どうか、手を貸してくれないだろうか」

彼女は偉大で素晴らしい存在だ。前の観察者から聞いている。正直なところ、外の様子も分からないままに彼女と共に過ごすことには、ちょっとした恐怖感を覚えていた。それでも、外へ逃げて、ローマ人に殺されることと比べたら断然素晴らしい。

「喜んで手を貸そう。テオポレス、永遠なるアレクサンドリアの観察者として、その勤めを果たそうと思う」

ありがとう、と言うかのように柔らかな風が耳の後ろを通っていった。

本のページをめくる。この図書館の外で生きる誰かの人生。面白いか、そうでないかは分からない。ただ他人の人生について説明されているだけだ。その人物に対して何というものはない。未完結の本を閉じると、本棚に入れ、適当に他の本を持ち出す。知らない誰かの人生だ。一度も交わることのない誰かを、文字で観測し続ける。いつ終わりが来るのかもわからない毎日。しかし不満はない。今こうして命がある。ここに来れなかったとしたら、かつてこの図書館の真上に存在していた図書館の中で死んでいた。それを思えば、ここで名の知らぬ誰かを待ち、彼女の残している者達を遠くから眺めることくらい、何の苦痛でもない。

闇の中で、彼は声を聞いた: 「心が疲れているように見える」

ふと、風が頬を撫でるような気がしたので、巻物を開いてみれば、彼女はそう語りかけてきていた。

「私はそうは思わない」

闇の中で、彼は声を聞いた: 「私には疲れているように見える。このようなやり方は本意ではないが、私にはあなたがまだ必要だ。そのことは、忘れないでほしい」

「分かっている。命を助けられた。できる限りのことはしようと思っている」

金属片を取り出し、指に血だまりを作る。開いたままの巻物に、赤い字でもう一日を作っていく。彼女が私の調子を話題にするなんて珍しいな、と感じていた。

心は確実に疲れていたらしい。

目を覚ます。まるで何か月も眠っていたようだ、先ほどまで死んでいたかのようだ。そんな風に思える。

「私はどれくらい眠っていた」

彼女が答えを教えてくれるとは思えなったが、巻物を開いてみる。

闇の中で、彼は声を聞いた:「17時間。あなたはそれくらい眠っていた」

単なる質問に対して彼女が答えてくれるなんて珍しい、と思いながらも、どこか嬉しく感じられたのもあり、話を続ける。

「それは私の体にとって問題なのか」

闇の中で、彼は声を聞いた:「否。だが、疲れが取れたようには見えない」

またその話か、率直な感想はそれだけであった。彼女がそう言うということは、何かあるのだろうが、私にとって疲労の実感はなかった。巻物に全ての疲労が回復する、と書き込んで以来、大きく疲れたことはなかった筈だ。

「心配しているのか」

闇の中で、彼は声を聞いた:「している。私にはあなたが必要だ」

少しの驚きを得る。彼女は、いくら私が永遠なるアレクサンドリアの観察者だからといって、特別に体調までを気にかけるとは考えていなかった。嬉しい、や、ありがたい、よりもどうして、が勝ってしまう。そのまま何を言うべきなのかを失ってしまった私は、現在抱えている全ての不調が回復する、と赤い字で書きこんだ。


今にして思えば、不調が回復してもまた新たに不調は毎日のように発生していたのだろう。永遠なるアレクサンドリアの観察者でなければならないと自分を無理に律し、心を全く顧みなかったように思える。それだからか、崩壊の日は、比較的簡単に訪れた。


虚無感が体中を支配する。体が鉛に置換されていき、動けなくなっていくような、そんな感触がしてくる。そして私は特定の結論に辿り着いていた。死んでしまおう、と。彼女は私の役目を理解してくれるものが確実に現れる、それまで待つべきだ、と告げてくる。しかし、それはいつなのか、を告げることはせず、私も悠久の時を待機に使えるほど悠長ではなかった。寿命を延ばすための金属片を首筋にあてる。このまま力を入れて首を掻っ切ってしまえばいい。力をこめようとする、だが手が震えてそれどころではない。歯を食いしばる。これ以上手は動かせまいと悟る。死ぬことは確かに恐ろしい。それよりも、愛する彼女を置いていくこと、望みに応えられないことの方が恐ろしい。

闇の中で、彼は声を聞いた: 「死なないのだな」

「お前が私を死なせないようにしているのだろう」

ため息をつき、そう答える。どこか、彼女に敗北したように感じられた。

闇の中で、彼は声を聞いた: 「私は何もしていない。私には人の生死を決めることはできない」

嘘つけ、お前は確実に私を支配している、今日こそは騙されない、そう伝えようにも、言葉にしようとした途端、憚られる。彼女を傷つけることを本能が阻止する。

「そうか。疑って悪かった」

闇の中で、彼は声を聞いた: 「あなたにとってこの時間は長いだろう。もう少しだけ、待ってほしい」

こうして対話が終わるときには、不思議と死のうなんて思わなくなっている。こんないとおしい彼女に、鮮血をとばすなんてありえないとも。


「彼女が私を必要としたからだ。彼女には観察者が必要だ。彼女の通路を歩き、彼女の文書を讃え、彼女が愛されていることを知らしめる誰かが。彼女は時折、私が光から逸れると、話しかけてくる」

生き続ける意思をどうやって保っていたのか、その疑問に私はそう答えた。このこともまた真実だが、私もまた、彼女を愛していたからだろう。

一通りコウドポリスと名乗った学者との会話を終え、私は動物の皮を潰したような、彼はソファと呼んだ椅子へと座りこむ。永遠なるアレクサンドリアの観察者でなければならない、そういった責任感のような感情が一気に消えていくようだった。しかし、私の中に潜んでいた唯一のものだったそれらが抜けた体は、まるで魂のない肉体のようであった。そんな私に、彼女が語り掛けてくるのを感じる。

闇の中で、彼は声を聞いた:「聞こえるか」

私の名を呼ぶ声がする。私は急いで巻物を開いた。

「ああ、ここにいる」

闇の中で、彼は声を聞いた: 「ありがとう、観察者よ。あなたの世話に、あなたの献身に、あなたの気遣いに。あなたは自由だ」

「私はもう不要か、あの学者たちがいれば私は必要ないのか」

黒一色の虚空を眺めながら、彼女に聞き返してみる。

闇の中で、彼は声を聞いた:「あなたは人間として長すぎるほど生きている。すでに休息をとるにはふさわしい」

「休息……?」

聞き返す。今までの永遠は労働よりも休息と言えるものだった。それを踏まえて、彼女が何を言っているのか、ということに察しがついてしまった。それでも、聞き返さずにはいられない。

闇の中で、彼は声を聞いた:「死だ。あなたと同じ時代を生きたものがそうしたように。いつまでも運命を狂わせ続けるわけにはいかない」

思わず笑みがこぼれる。彼女の言葉を聞くと、死までもがなぜか受け入れられてしまいそうだ。かつてあれほどに恐れていたというのに。目的を果たしたからだろうか。それとも、長すぎる人生の余りに、疲れ果ててしまったからだろうか。

「ありがとう、死を受け入れようと思う。だが、一つだけ、聞きたいことがある。この先の未来において、私と同じ運命をめぐる者は現れるのか。そうならば、未来の私に、何かを残したい」

巻物に目を向ける。彼女は何と告げるだろうか。

闇の中で、彼は声を聞いた:「財団が存続する限り、それはないだろう」

巻物を閉じる。同時に、SCP-4001-1、と私を呼ぶ声もした。私は立ち上がり、新たな観察者、コウドポリスの話に耳を傾ける。どうやら星を見る許可が降りたらしい。心が躍る、というよりも、ささやかな幸福感が全身をめぐっていた。


「とても、言葉が出ないほどに素晴らしい」

それは良かったです、とコウドポリスは答える。私はそれに頷くとふと、先ほど彼女と話していたことを思い出す。

「彼女はお前たちを心の底から信頼しているらしい。それは私も同じだ。だからこそ、知りたいことがある」

コウドポリスの返答を待たずに、私は言葉を続けていく。

「言った通り、私が今日までを生き続けられたのは、彼女が私を必要とし、私もまた彼女を愛していたからだ。お前たちは、彼女を愛するか?」

月明かりの綺麗な夜だ。星も静かに瞬いている。惹きつけられる、しかし鮮烈な光を放っているわけでもない。不思議なものだ。

「……ええ、SCP-4001がそれを望むなら、可能な限り、そうしましょう」

ありがとう、と無意識のうちに私は呟いた。コウドポリスにその言葉が届いているかは分からなかったが。

「私は、休息をとることにした。彼女のことは任せる。どうか、彼女を守ってほしい。こうしてお前たちと会えて良かった。ここを見つけ出してくれて、ありがとう」

今度はしっかりと聞こえるようにありがとう、と口に出す。とても晴れやかな気分だ。まるで新たな門出を祝福されたかのように。

どれほどの時間が経ったのだろうか。朝日が昇ってくるのが見える。地平線が橙から淡い赤のグラデーションを作り、白い光は、かつてないほどの強烈さを有して、空の色を変えていこうとする。それと同時に、私は立っていることもままならなくなり、砂の地面へと倒れこんでしまう。意識が朦朧とするほどの空腹と、焼き付くようなのどの渇きが押し寄せる。体が鉛のように重くなり、視界も靄がかかっているかのようで、かろうじて光を認識できる程度だ。コウドポリスが何か話しかけているようだったが、もうそれすらも聞こえない。さようなら、永遠なるアレクサンドリア、愛していた。割れそうになる喉を無理やり動かしてそう伝える。その言葉が、彼女に届いたのかは、分からない。

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気になっている点/スポイラー

  • 起承転結が弱いのではないか
  • 雰囲気勝負みたいなところがあると自分では考えており、それによって「中身のない話」になっていないか
  • SCP-4001についてのSCP-4001-1(テオポレス)の回想という形をとっているが分かりにくくないか

SCP-4001とそこで生きた人間、という関係性に興味を持ち、作成した作品です。これと同じようなテーマでこちらの作品が存在していますが、こちらが財団職員であり永遠なるアレクサンドリアの観察者である人々が良くも悪くも壊れゆくさまを描いているのに対し、自分はSCP-4001への愛(ここではloveというよりrespectと解釈しています)をテーマに描いています。


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