黄昏の時代 あるいは闇の石と光の肉

世界を分断する壁はあっけなく崩れ去った。その壁とはベルリンの壁であり、時代の波は資本主義社会と共産主義社会を隔つ城壁をいとも容易く砕き壊した。
それからほどなくして共産主義国家の象徴たるソビエト連邦も解体された。なるほど既に内部が腐っていたというわけだ。
折しも我が国で天皇が入れ替わる時期の出来事であった。平成という時代は工事現場の近くの葬式場のような、耳を劈く轟音を聞いて聞かぬふりをしているような始まりであった。

1992年、平成4年8月九州某所。奈良香文化センターにて二人の男が座禅を組んで瞑想をしていた。
扇風機の回る音が聞こえる。少しガタが来ているようで変に音が大きく耳障りだ。茹だるような暑さは耐え難いものだがエアコンの類はなく、二人の男、一人はやせ型でTシャツを着ている30代ぐらいに見え身長は170cm程度で頬に大きなほくろがある、もう一人は筋骨隆々でありポロシャツを着ている20代ぐらいに見え身長は180cmを超えている、はバケツで水をかけられたかのように汗をかいている。
道場のような部屋で、だだっ広い割に二人しかおらず、物も扇風機の他には掃除機と蚊取り線香ぐらいしかない。
九州の太陽は強く厳しい。現時刻は正午を少し回ったころ、窓の外に目をやると虫の一匹すら見えない。あまりにも暑すぎるからだろう。
ほくろの男がふいに口を開いた。
「休憩にしましょうか」
筋骨隆々の男は声を出さず頷いた。

テーブルとイスのある部屋で彼らは休憩に入ろうとしていた。相変わらずエアコンは無いが冷蔵庫があった。二人は冷やされた麦茶をガブガブと飲み干す。
ほくろの男が潤された口を開く。
「煮雪さんも修業が進んできましたね」
筋骨隆々の男、煮雪も言葉を返した。
「あんたの指導のたまものだ、肉倉さん」
ほくろの男、肉倉は照れたように小さく微笑んだ。

「それじゃあ今日のお昼はこれです」
肉倉が袋から饅頭を取り出す。煮雪は受け取り、噛り付く。

「中身は…… 人肉だな」

肉倉は平然としており、自らも人肉饅頭を食べ始めた。
「食事も修行の一環です。むしろナラカの文化において食こそ人生の要だと言ってもいいでしょう。どんな人間のどこの肉かわかりますか?」

煮雪は少し思案し、答える。
「挽肉だがポロポロとした触感で脳だとわかる。この柔らかさと香りの薄さは成人ではありえない。恐らくは幼児だな。あるいは胎児かもしれん。性分化が進んでないから性別まではわからんが当てものをするなら女児かな?…… この妙な酸味とエグ味はストレスが長い時間かかったもの、恐らくは病死か虐待死した赤ん坊の脳ってところだろう。冷凍されて運ばれてきたものだな」

肉倉は少し驚いた顔を見せる。
「素晴らしい。女児であることを含め正解です。中国の病院で産まれた直後に死んだ赤子を冷凍輸送してもらいました。あまり非合法なことばかりしていると目立ちますからね。」
「どっちみち非合法なんじゃないのか?法律には詳しくないが」
煮雪が疑問を呈すと肉倉は顔を掻きながら答える。
「さて、まあ殺人よりは罪が軽いんじゃないでしょうか?それよりも若い人間の血肉を取り入れることは健康にいいことですからね。私は400年生きていますがこの通りまだまだ体も心も若者のままです」
「俺はハタチを超えたばっかりだけどな。…… 俺の知り合いにも同じぐらいの歳の爺さんがいたが、あの爺さんは白髪に白髭だったな」
「ほう、興味深いお知り合いをお持ちで」
人肉饅頭は中身の赤ん坊を余さず使って作られたようでかなりの数があったが、二人は極端な健啖家のようで見る見るうちに減っていった。


人肉饅頭を食べ終えた二人は腹をさすってテレビを見ていた。
テレビには紫色の服を着て髭と髪を伸ばした豊満な男が映っており、座禅を組み空中浮遊をしようとしていた。多くの信者たちがその周りで見守っている。
一昨年衆議院議員選挙に出ていた男だ。
オウム真理教の麻原彰晃。

煮雪はテレビを見る肉倉の顔を見ながら話しかけた。
「あんたもあんなふうになりたいのか?」
肉倉は苦笑しながら首を振る。
「ナラカの文化はただたくさん布教できればいいというものではないのですよ。とはいえまあ、確かにもうすこし信者さんが増えれば、道場にもエアコンがつけられるんですが」
煮雪は肉倉の顔をじっと見つめる。バブルは崩壊し、どこもかしこも景気が悪い。
「思うにあんたには威厳がない。あの教祖みたいに恰幅がいい訳でもなく、信者の俺にも丁寧語で話す。それじゃあ誰もついてこないよ」
肉倉も煮雪の顔を見た。
「では煮雪さんはなんで私のところに来たんですか?」
煮雪はテレビの方に顔を向けて言った。
「そりゃもちろんあんたの教えが興味深いからだよ。欲望の赴くままに生き、神の肉を喰らうことで神へと近づく。たいそう魅力的だが、凡人どもはオウムの方が面白く思えるらしい」
肉倉はテレビに映る教祖を目を細めて見ている。

テレビが旅行番組に変わった頃、肉倉はまた話し始めた。
「煮雪さんはバナナ型神話というものをご存じですか?」
「…… バナナ饅頭なら知ってるが」
「全然関係ないですよ。様々な民族の神話で見られる類型的なモチーフです」
肘をついてテレビを見ていた煮雪は視線を肉倉に向けた。
「お、ナラカの説話か?」
肉倉はお茶を淹れていた。
「ナラカだけに関係するものでもないですが、そうですね、神話というものはあるいは事実や物事を歪んだ形であっても伝えているという話です」
煮雪は肉倉の淹れた茶を一気に飲んだ。
「ちょっとは面白そうだな。聞かせろ」

「バナナ型神話とは世界各地の神話で見られる同一のモチーフで、人間が何故死ぬか、という事に関する起源説話です」
煮雪は黙って聞いており、肉倉は続けて喋る。
「インドネシアのスラウェシ島に住むトラジャ族の神話では人間は創造神から下された石を拒絶しバナナを食べたことで、石のような不変不老不死の存在ではなくバナナの木のような子が成長するころには親が死ぬ存在になったとあります」
「そりゃ石なんて食えねえもんな」
肉倉はさらに続ける。
「そういった神話類型は日本にもあります。天孫ニニギは最高神アマテラスの命を受けて高天原から高千穂、ここ九州のどこかに降り立った訳ですが、ニニギは山神オオヤマツミの娘コノハナノサクヤビメに求婚した際、もう一人の娘イワナガヒメも差し出されます。ニニギは醜いイワナガヒメを追い返しますが、それによりニニギの子孫、つまり天皇家や人類の寿命は木の花のように儚いモノとなったとされます。コノハナノサクヤビメは花、イワナガヒメは岩をその名の通り指し示していた訳ですね」
「昔の武士もあえてブスを妻に娶ったとかいうよな」
肉倉の言葉には熱が入り始める。
「キリスト教の旧約聖書の創世記、エデンの園の下りでは生命の樹の実と知恵の樹の実の話がありますがこれもバナナ型神話の変形であると言われています。最初の人間アダムの妻イヴは蛇に誘惑されて、唯一神ヤハウェの命令に背き知恵の樹の実を食べ、アダムにも食べさせます。ヤハウェは二人と蛇に罰を与えエデンの園から追放しますがその理由は生命の樹の実をも食べて永遠の命を得ないようにと恐れたからです。二者択一の話ではないですが非常に似通ってますね」
「バレる前に生命の樹の実も喰っちまえばよかったんじゃないか?」
煮雪は水を注いできた。
「ギリシャ神話にもその亜流がありますね。神々の王ゼウスが古い人間を洪水で滅ぼした後、新しい人間と神々を区別するための役割を文化英雄プロメテウスが担いました。プロメテウスは牛を屠殺し、骨に脂身を巻いたものと皮に肉と内蔵を詰めたものに分け、ゼウスにこれらを選ばせました。プロメテウスはおいしそうに見える骨を神々に与え、栄養のある肉と内蔵を人間に残すため、という意図ですがゼウスはあえて腐ることのない骨を選びました。それが故に人間は死んで腐るようになったという訳です」
「骨だって中々料理のし甲斐があるぞ。スープにしたり骨髄を抜いたり無理やり柔らかくしたりな」
肉倉は煮雪が持ってきた水を飲んだ。

「まあそんなこんなで歴史が始まるよりも前から人はなぜ死ぬのか、なぜ不死ではないのかということに関して、肉を選んだからだという風に解釈されてきたわけですが、逆もまた然りと言えます」
「ほう?」
窓から蟻が一匹ヨタヨタと入ってきた。煮雪は肉倉の話に興味があるのかないのか、蟻の歩みをじっと見つめている。
「すなわち、石、̪̪醜女、生命の実、骨は神の特徴、バナナ、美女、知恵の実、肉は人の特徴を比較として表しています。つまり、神はただ存在し増えないものであり、人は力強く増え、結果この惑星を支配したのは人だということです。石を選んでいては神と同じようにただあるだけの存在となっていたわけですね」
「ナラカの教えでは神を食らって超人となるみたいな話だよな」
「そこです。つまり、神と同等の存在、それを超えるには石を選んではいけません。神自身の肉を喰らわなければならなかったのです。そのために神以外にもあらゆる肉を喰らわなければならないんですね」
「わかったようなわからんような話だな」

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