【idコン A部門作品】年の瀬、彼女の小さな交流話

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20██/12/29
自室を整理していたら、ちょうど1年前の今日に撮った集合写真が出てきた。全員覚えているわけではないし、多分もういない人もいるだろうけれど、みんな笑顔で楽しそうだと思った。



「──の───みう───のさん、すみうのさん、角宇野さん」
「……え?」

誰かに名前を呼ばれたような気がして、は現へと緩やかに意識が浮上するのを感じた。
目を開けてすぐに見えたのは白い机と自分の腕。そしてちょっとブサイクな猫が書かれたマグカップの下半分で……そこで私は、直前まで何をしていたかを思い出し、勢いよく顔を上げたのだった。

「す、すいません遠野さん。寝てしまったみたいで」
「いえいえ、大丈夫ですよ。──お疲れみたいですね」

どうやら私はあまりの忙しさに微睡んでしまっていたらしい。時計を見ると、最後に確認した時刻からまだ十分も経っていない。
安堵した自分の前にどうぞ、と差し出されたのは、目が覚めてすぐに見えた猫のマグカップだった。中身はホットミルクのようで、いつからあるのかは忘れてしまったが、おそらく私専用らしいそのマグはぬくぬくと温かい。
口をつければ優しい甘さが感じられる。蜂蜜でも入っているのだろうか。

「美味しいです」
「それはよかった」

私がそう言うと、目の前に座る少年と似た風貌の彼はにっこり笑い、もう一つの青いマグに入ったホットミルクを飲み始めた。
お互いの間に森閑とした時間が流れる。けれども居心地が悪いわけではなく、どちらかと言えば落ち着く時間だった。思わず笑みがこぼれてしまうくらいに。
一息ついてふと窓の外を見れば、辺りはもうすっかり暗くなっている。冬だから当たり前だろうけど、業務に集中しているといつの間にか外は真っ黒になっているのだから、夏よりもいっそう太陽が見えなくなる早さに驚いてしまう。
もう冬になってしまった。今年は雪が降るのだろうか。普段から持ち歩いているメモ帳を取り出して、去年がどうだったか見返そうと思ったけれど──けれど、この穏やかな時間の中では誰かと向き合っていたくて、私はそっと浮かんできた疑問を胸の内にしまった。
喧騒とは程遠い今の時間を楽しんでいると、いつもよりやけにこの空間が静かなことに気がつく。

「……そういえば、さっきよりも人が少なくなっているような気がするのですが……」

私の言葉に、タコのぬいぐるみを抱えながらマグカップを両手で包み込み暖をとっていた遠野さんは、「ああ」と納得したような声をあげた。

「食堂の方でパンケーキが振る舞われているらしくて。多分そちらに行ったんでしょう」

パンケーキ。はて、このサイトの食堂にパンケーキなんてメニューはあっただろうか。
私の疑問を察したのか、遠野さんは「サイト-8148からの差し入れらしいですよ。なんでもクリスマスだと言うことでいつもより豪華な盛り付けなんだとか」と説明してくれた。

「この牛乳も、あちらの食堂料理長である多那瀬さんからの差し入れなんです。実は僕砂糖も何も入れていないんですよ」
「そうだったんですか。てっきり蜂蜜が入っているのかと思ってました」
「甘くて美味しいですよね」

先ほどとは打って変わって会話がはずむ。この前借りた本の事、私が覚えている人の事、食堂のメニューの事、明日の事。正直今日がクリスマスイブだと言うことを忘れていたし、棚の上に置かれた手乗りサイズのツリーだけが、談話室内での今の時期を彩る唯一の要素だったけれど。
そしてサンタクロースの話題になったところで、私は遠野さんがどこか楽しそうな目をしていることに気がついた。

「角宇野さんは、サンタクロースの存在を信じていたりします?」
「サンタクロース、ですか。うーん……」

彼の言葉に私は考え込む。小さい頃どうだったかは思い出せないが、少なくとも現在ではどちらかと言えば信じていない方だと思う。
答えると遠野さんは内緒話をするかのように小さく笑って、楽しそうな声色で言った。

「実はですね、去年のクリスマスに、あなたのもとへサンタクロースがやって来たらしくて」
「えっ?」
「本当ですよ、あなたから聞いたんです。アロマオイルを貰ったって」

実に嬉しそうでした。
その言葉を聞いて、私はいささか信じられない気持ちになった。
確かに自分は身長も小さい上に年齢も詳しく分からない。が、そもそもの話、サンタとは架空の生き物ではなかったか。

「まあ会ったことは夢だったかもしれないんですけど……でも実際に小瓶を見せてもらったので、プレゼントを貰っていた事は本当でした」

なぜなのかは分からないが、彼の様子がとても楽しそうで、とても私をからかっているようには見えない。嘘を言うような人じゃないと分かっているのもあるだろう。
遠野さんの様子から、かすかに過去の私の、全て忘れる前だった私の残骸を感じる。アロマオイルの小瓶。もしかしたら既に中身が無くなって捨ててしまっているかもしれないけれど、部屋に戻ったら探してみよう。
とっくに飲み干して空になったマグカップを机に置いて、遠野さんはにっこりと微笑んだ。

「角宇野さん」
「なんでしょう」
「──サンタクロース、今年も来るといいですね」


サイト-08██の廊下を歩いていた私は、サイト中の業務に直接の関係がない場所のあちこちにある飾り付けを見て、ふと今日がどんな日なのかを把握した。
財団は意外にもこういうイベント──例えば忘年会やお見合いのことだ──が存在しているようで、食堂のメニューも今日限定でローストチキンやポトフなど、おしゃれなメニューがたくさん並んでいた。
もうすぐ一年が終わるのもあり、見かけるほとんどの人は慌ただしく動いている。
かく言う私も雑用を始めとした仕事に追われており、書類の手伝いや掃除の手伝いなどで色んな部屋を行ったり来たりしていた。おかげでカレンダーを確認する余裕が無いのだ。食事も、せっかくのクリスマスメニューなのに味わう暇が無いのが悲しい。
大量の書類を抱えて歩く。慣れているのか、意外にも抱えきれずに廊下へ紙束をぶちまける、なんてことにはならなかった。

「角宇野記録官」

角を曲がったとき、目の前の部屋から出てきた、自分よりも遥かに背の高い白衣の女性に声を掛けられた。三つ編みと眼鏡の組み合わせに前髪の髪留め。馴染みの薄い声だからこのサイトで働いている職員ではないだろう。

「あ、はい。ええと……こんばんは。何か御用ですか?」

仕事の関係上仕方ないのだが、記憶に残っていない人に声を掛けられるとき、顔と名前を覚えていないことが申し訳なくなる。
気にしている人の方が少ないらしいけれど、きっと記憶処理をするたびに私は毎回こう思っているのかもしれない。
私の心境とは裏腹に、やはり目の前の女性は気にした様子も無く、「長夜空です。普段は主にサイト-8181で働いています」と軽く自己紹介をしてから話し出した。

「SCP-███-JPに関しての書類を受け取りに来ました。先ほど研究室に伺ったら、角宇野記録官が手伝っているとお聞きしたので……」
「あ、なるほど」

SCP-███-JPはスコップ型のSCiPだったはずだ。
おそらくこれだろうと見当をつけ、しっかりとファイルに挟んでいたその書類を取り出す。
そして欄が全て埋まっていることを確認してから、私は長夜さんに書類を手渡した。

「ありがとうございます。不備もありませんね。……本当はデータ上でやりとりできれば負担も少なかったんですが、このオブジェクトばかりはどうしようも無くて」
「あはは、お疲れ様です……」

ため息をついた彼女は、私から見てもとても疲れているように思えた。隈こそ出来ていないものの、声に疲れがにじみ出ている。

「ええ、お互いお疲れ様ですね。もうすぐ休みなので私の方は大丈夫なんですけど──あ、そうだ。手、出してもらっても?」

何かを思いついたのだろう。長夜さんは白衣のポケットから袋のようなものを取り出し、それを私の手に乗せる。見ると、渡されたものはそこそこに大きなキャンディだった。赤と緑で彩られた個別包装の、クリスマスモチーフらしいパッケージが可愛い。

「これ食べてお互い頑張りましょう。隈もひどいですし」

彼女は私の慢性的な隈を、忙しいであろう最近に出来たものだと思っているらしい。特に否定する要素も無かったため、私はただお礼を言って受け取るだけにとどめた。

「足止めしてすいませんでした。良い年の瀬を。では」
「いえ、こちらこそありがとうございました。良い年の瀬を」

お辞儀をして遠ざかっていく長夜さんを見送る。次の業務に進む傍ら、私は貰ったばかりのパッケージを破く。
今日が終わればますます慌ただしくなるだろう。きっと明日から掃除の手伝いが多くなる。
けれど頑張らなければ。去年も一昨年も多分この慌ただしさを体験して、何事もなく過ごせたはずだから。
たった数分間だけの邂逅だけれど、私はとてつもなく活力が満ちるのを感じた。

「……ミカン味?」

オレンジ色のキャンディは欠けた部分が無く、いっそ関心するほどに丸っこい。食べると思ったより甘さが控えめでとても美味しかった。
キャンディーが大きいので砕ききれず、片方の頬が丸い形に膨らんだおかげで通りすがりの人に驚かれたのは完全に蛇足だ。


午後からの仕事は簡単な実験の記録、それから住居スペースでの掃除の手伝い。持ち歩いているメモ帳を見る限り、私的な用事は特に無し、と。
午前の仕事と予定の確認が終わり、日野博士と一緒に休憩時間に食堂へ向かっている途中のことだった。
もうすぐで一年も終わろうかと言う頃。財団にこれといった仕事納めの日は無いものの、年末に合わせて休暇をとる人はいるため、サイト-08██もいつもより人が少ない印象だ。そんなわけか、食堂に足を踏み入れた私達は、すぐに端の方に何人か職員が集まっているのを見つけたのだった。

「──で、なの……」
「しか──になっ────」
「で──れは──」

声は一応聞こえるが、所々が途切れている。白衣を着ている人、スーツを着ている人、ラフな格好の人。どうやら職種は関係なく集っているみたいだ。集まっている人々はみな真面目そうな表情をしていた。
最初はどこかで収容違反でも起きたのだろうかと思ったが、その割には雰囲気がのんびりとしているし、何より警報が鳴っていない。それにこんな不特定多数が出入りする場所で情報をおいそれと口には出さないだろうからと、私はすぐに考えを引っ込めた。

「なんでしょうか、あれ」
「あー……確かになんでしょうね」

周りは特に気にしていないようで、後から食堂に来た人も彼らを一瞥しただけですぐに通り過ぎてしまう。

「……まぁ、何かあったらすぐに通達されるでしょうから。それよりも何食べますか?」

日野博士は少々彼らを興味深そうに見ていたが、すぐに諦めたようなそぶりでこちらを振り向いた。おそらく彼女は「詮索するのはやめておきましょう」と言いたかったのだろう。彼女の狐耳が何か拾ったのかは分からない。
行き過ぎた好奇心は身を滅ぼすと聞いた覚えがある。人ならざるものを収容している財団内では当たり前のことだった。私も知っているし、サイトで働いているならば直接の関係が無い警備員や事務員も知っているだろう。

「そうですね、今日のメニューは……」

時計を見て休憩時間がまだあると確認した私は、目線をメニュー表に移動させる。そして私達は周りと同じく気にしないことにして食券機へと向かったのだった。今日のお昼は日替わり定食を食べよう。そう思って。
──そして数時間が経ち、現在。

「パーティのお知らせですか?」

突然やって来た「プチパーティをする」との知らせに、自室にいた私は首をかしげた。
日時は今日の午後八時過ぎから。格好は何でもよし。持参するものも特に無し。終了時刻は未定。そんな内容のパーティだ。
ドアの前にいる男性はうなずいた後、「でもまあ」と前置きをして言った。わざわざここまで足を運んでくれた彼の名前は覚えていないが、顔に見覚えがある気がする。おそらく何回か会ったことがあるような。

「と言っても鍋パですけどね。今年は特に忙しくて、大々的に忘年会をする余裕が無かったんですけど。でもその、ほぼ毎年やっているので、今年もやりたいと言う人が何人かいて」

言葉の途中、彼は首の後ろを神経質そうに掻いた。
突然のことに驚きはしたものの、どちらかと言えば私は先にワクワクとした気持ちの方が勝った。
昼間集まっていた人達はこれを計画していたらしく、時間やら内容やらで頭を悩ませていたらしい。私も言い出した人の気持ちは正直分からなくもない。大勢で過ごす時間はとても楽しいだろう。少なくとも自分は好きだ。

「これ、人数確認の意味も含めているので、出来れば今すぐ返事がもらえると嬉しいんですけど……」

参加しますかと問うてくる彼に、私は迷いなく返事をした。


***


「それで、あいつどうしたと思う? ついにはアタシの名前を間違えてさぁ。だからリコーダーで叩いてやったってワケ」
「ああ、あの事件現場もどき、そういうことだったんですね」
「卵焼きって何でできているか知ってます? 実は生まれてこなかったひよこの無念が……ううっ」
「なんで卵焼き限定なんだよ」
「あの、すいませんが売ってある卵ではひよこは生まれませんよ」

夜の食堂内。とあるテーブルでタイトなスーツを着用した女性が愚痴るそば、別の意味で顔を赤らめた男性がひよこに感情移入して泣いている。

「すみませーん、このコンロ、火がつかないでーす!」

そこから少し離れた場所で、しばらく火のつかないコンロをいじっていたらしい女性が大声でヘルプを呼んだ。もはや買い換えた方が良いのではないかと思うほどにコンロの型が古いことが私でも分かる。壊れていないのが不思議なくらいだ。

「もうシメ……はまだですね。しらたきって入ってます? ここの鍋」
「多分ありまし……あっ、待ってそれ俺の肉です!」
「野菜も食べなさい」

また違うテーブルでは、お肉を掻っ攫われて代わりに大量の野菜を押し付けられた長袖シャツの男性が焦ったような声を出していた。

「角宇野さんはご予定などってありますか?」
「ええと……明後日は無いですね」

何事も無く、と言うと少し語弊があるだろうが、プチ忘年会も順調に進みもうそろそろお開きかという頃。
随分と賑やかな雰囲気の中、私はというとお酒ではなく麦茶を飲みながら色んな人と話していた。
プチ忘年会は仕事が休みだった人も含め意外と参加する人数が多かったらしく、キムチ鍋やもつ鍋など様々な種類の鍋が振舞われた。加えてそれだけでは飽きるからと、いくつかの飲み物とおつまみも一緒に提供されたのだ。私が飲んでいる麦茶もその一つだった。
おかげで大半とまではいかないが酔っ払っている人も少なくはない。──ああ、あの人、椅子を二つも使って寝転んでいる。
時計の短針はとうに三周していた。プチなんて名目だったが、結局こんな時間になってしまっている。

「そちらの鍋って何味ですか? え、豆乳?」
「こっちのシメは雑炊にしましょ」

今夜、この時間ばかりはみんな仕事を忘れて騒いでいる。このサイトにそこまで危険なものは無いから、と言うのも理由の一つだろう。そこらかしこで行き交う様々な会話にはいとまなど存在しない。
そんな仕事中とは違いのびのびと過ごしている周りの職員達を見て、今日を除いてあと二日あるけれども、私はああ本当に一年が終わってしまうのだと実感した。
些細なことで例えるなら、一つの月が終わる時、年が終わる時。何かが終わってしまう時、覚えている瞬間はいつも形容しがたい気持ちに包まれているのだ。それはきっと過去の私が消えて終わる時にも。
とっくに自分に配られた器と、それから近くの鍋はシメのうどんすらも食べ尽くして空っぽだ。

「……もうすぐでお開きですかね」

終わりがあるなんてことは知っていたけれど、いざ意識すると寂寥感が胸に広がる。
私の寂しさを感じとったのか、タコのぬいぐるみを抱えて隣にいた遠野さんは「大丈夫ですよ」と微笑んでみせた。

「お祭りが終わった後って、何とも言えない物悲しさがありますよね。夢から覚めてしまったような」

慰めるわけでもない。誤魔化すわけでもない。同意だけをして彼は椅子に座っている。
そして、ちょっぴり愉快さを滲ませた表情をして「ここだけの話ですが」と打ち明けるように口を開いた。

「実は、僕も忘年会のあの集まりに参加していたんです」
「えっ?」
「本当ですよ。聞いたところ今年中に終わらせなくちゃいけないサイトの業務もほとんど終わり間際だったらしいですし、何より楽しいほうがいいじゃないですか」

この会話のどこかで、私は小さな既視感のようなものを感じた。しかしそれが何なのか記憶を手繰り寄せる前に、分からずじまいのままただ会話は進んでいく。

「また今度も、集まりましょうね」

いつかの私も、こうやって約束をしていたのだろうか。分からないけれど寂しさはもう感じない。ただの口約束でも、跡が残らない約束がむしろ今の私の未来を信じてくれているような気がして。だからたとえ気休めだとしても励まされたように感じたのだ。
カツリ、飲み物が入ったグラスのぶつかる音がして、まるでそれが合図かのごとくタイミングよく手を叩く音が聞こえた。必然的に会話は中断される。
私達はほぼ同時に音がした方向を見た。

「皆様、宴もたけなわでございますが、ひとまずこちらをご注目ください! 締めの挨拶をさせていただきます!」

よく通る声をさらに張り上げ、スーツ姿の女性が窓側の、ちょうどこの部屋の半分に立つ。
まるで宴会のときに言うような──まあ、あながち間違ってはいないのだけれど──口上を疲れを感じさせないほど元気よく述べて、数時間にわたった賑やかなイベントもついにお開きとなったのだった。

「えー、では最後に記念撮影といきましょうか!」

そのまま終わるかと思いきや、解散の空気となっても女性はマイペースだった。既に寝てしまっている人もあちこちに見かけるのだが、お構いなしに「こちら側に寄ってください」とテキパキ動き、時にはいつの間にか脱がれた上着を大雑把に移動させている。

「角宇野さんも移動しましょうか」
「はい」
「あ、角宇野さん遠野さん! 机のこちら側押してもらっていいです?」

動ける人で協力しながらテーブルと椅子を隅に寄せて、私達は部屋の中心に寄った。ゴミや脱ぎ散らかした上着を回収する人もいた。何人かが寝ている人を引きずったり叩き起こしたりしていて、なかなかこの場は混沌としている。
一体いつどこから連れ出してきたのか。全員がほぼ揃い終わると、先ほどまではいなかったはずの甘梨さんが複雑そうな顔でカメラを構える。その時ばかりは、周りは示し合わせたと言わんばかりに静かになった。
いくばくかの静寂。静かになると、途端に内容はどうあれいつの間にか様々な言葉が頭を巡るときがある。

「えー、それじゃあ撮りますよ」

カメラのレンズを見つめながら、写真が撮られる直前、私は考える。
自分はこの光景を完全に覚えることは出来ない。仕事をこなしていくうちにきっといつかどこかの記憶と混じり合い、忘れてしまうだろうから。明日の私は今日の私と違う。記憶処理をすれば、今の私でさえ数分前の私とは違ってしまう。これはもう自分の仕事だから仕方ないのだ。
また明日、私は忘れるべきことを忘れて無垢に笑うのだろう。

「はい、チーズ」

けれど、せめて今だけは覚えておきたい。たとえ明日忘れても、これから先思い出せなくても、無くなる瞬間までこの思い出は留めておきたい。そうすればいつかの自分も──
私は控えめにピースサインをした。その瞬間パシャリとカメラが光る。
そのまま誰も動かず一秒、二秒。しばらくして食堂内にざわめきが戻ってくる。
きちんと写真が撮れたことを甘梨さんが確認すると、プチ忘年会は今度こそ解散となった。遠野さんは後片付けで残ると言い、私も手伝うと申し出たが、今の人数で足りるから、あなたは休んで下さいと断られた。

「……それではおやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」

ヒラリと片付けをしている数人が手を振ってくれた。私も軽くお辞儀を返してその場を後にする。
自室に戻った後、私は真っ先にメモ帳を開いて今日の出来事を書き連ねようとした。しかしどうやって書こうか、書きたいことが多すぎて分からなくなってしまう。今までの私はどうしていたのだろうか。考えるもとっくに過去の記憶は無く、思い出そうとしても他人事にしか思えない。
結局これまでのメモを見返して、その内の文章が長いところを真似することにした。自分自身なのに真似をするなんて、と笑いかけたところで、ふと自分が忘れることを不安に思っていないことに気がついた。積極的なわけでもポジティブなわけでは無いが、心が穏やかなのだ。さっきまでの空気に感化されたのだろうか。分からない。
時間をかけてメモを書き終わった後、私はグッと思いきり背伸びをした。
そういえば撮った写真は数日後に配られるらしいのだった。そのことを思い出して、再び忘れないうちにメモ帳を開き「写真の受け取りを忘れないこと」と書き足した。
さて、もう寝てしまおう。明日も早いのだ。
最後にやり残したことはないかと思い部屋を見渡すと、窓にアロマオイルの小瓶が二つ飾ってあるのが見えた。ラベルで隠されて見えづらいが、瓶の片方の中身は未だある。飾るだけではもったいない気がして、どうせならと私はアロマディフューザーを作動させた。気化式なので空気に溶けてとても便利なものだ。
電気を消してそのまま布団に入る。かすかな香りが広がる中、私は意識が沈むまで、記憶に刻みつけるように今日の出来事を繰り返し思い出していた。


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  1. portal:6666282 (11 Sep 2020 11:06)
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