tale下書き 原案「少女鵺」夜コン

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老爺は懐をまさぐる。懐中時計を見れば、もはや、丑三つ時であった。
自らの主君が書斎へと入って十時間。未だ出てくる気配は微塵も見せない。果たして臣として、これは止めるべきなのであろうか。コーヒーに五つ目の角砂糖を、一切の飛沫を上げさせずに放り込みながら、”乾”は主君の身を案じる。

「お仕事中失礼致します鵺様、コーヒーのご準備が出来ました。」
一瞬の沈黙の後
「ご苦労さま、いつもの所へ置いといて。」
書斎1のドア越しによく通る、透き通った少女の声が聞こえた。すぐにドア横の小窓2を開き、ソーサーと共にコーヒーカップを置く。
「角砂糖は五つでよろしかったでしょうか?」
「ええ、いつもいつもありがとう。」
小窓を閉めつつ、乾は問う。

「鵺様、今されているお仕事はすぐに処理しなければならないものでありましょうか?」
「いや、そんなものとっくに終わらせているわ。少なくともすべて完璧に。」
「ならば今日はお休みしてもよろしいのではないでしょうか?もう夜も遅いですし、明日もお早いのでは…」
「いつ何が起こるかわからないじゃない?できる仕事はできるときに片付けておかないと」

 その落ち着いた声色は、いつもの様子と何ら変わらない。書斎に入る前の、じゃ、やるから、と素っ気なく言った声のトーンそのままであった。
できるとき仕事はできる時に、と彼女はよく言う。そうやって、彼女はいつも机に向かう。
 彼女の日々闘う問題は、自分のような老いぼれには到底理解のできぬ領域の話である。若い彼女は、これから幾多もの試練に直面し、数多もの判断を迫られることであろう。
やはり彼女は、先代の”あの方”と似ていると、常々彼は思う。顔とか、所作とか、そういう点ではない。そもそも、血縁関係なのかすらも知らない。
あの矍鑠とした、どこか浮世離れした───あの方からは、お前は妖怪のようだな、私の方が笑われてしまったが───彼と、あの少女はどこか重なる部分がある。
ひとりの人間ながら、その体は余るほどの重圧を抱えながら、それをすべて飲み込んでしまう。

だからこそ、その体を、若いからこそ、少しは労わってほしいと言うのは、自分の我儘であろうか?と乾は思う。
いつ何が起こっても────少女の背負う問題は、彼女自身が発したその言葉を一笑に付すほど、重く、そして複雑怪奇そのものなのだ。
明日、一年後、若しくは今、そして過去にまで、”何”が起ころうと彼女は正しい判断をしなければならない。人類の未来、この世界の正常のためならば、自らの命を焼いてでも、それらを守らなければならない。

「だからこそでございます。鵺様の御考えはきっと正しい。ですがだからこそ────」
「乾」
穏やかに、しかしはっきりと、水面に波紋の広がるように。彼女の声は、他者とは比較できない嫋やかさを持つ。

「次もまた、同じのを頼むわね」
「鵺様───」
「できるだけ早くお願い」


少女の、”鵺”としての情報処理能力は、未だ落ちる気配を見せない。連日の長時間にわたる作業であるが、その程度のことで音を上げる”鵺”ではない。
真に恐るべき問題は、目の前にある書類以上に山積みなのである。日々活動し続け、世の平常を乱す要注意団体との駆け引き。予測不能な収容違反。そして何より、蒐集院残党をどう処理するか。先代が自分に残した、最も大きく、そして自らの代で終止符を打つことを決意した彼女の使命そのもの。
と、いつの間にか眉間にシワが寄っていることに気づき、頬を叩いて気持ちを入れ替える。気づけばもう朝の四時近く。夕立ちを経て澄み切った空はきっと綺麗に白んできていることだろう。この部屋からでは想像することしかできないが。
 と、彼女の手が不意に空を掴んだ。刹那、彼女の手が久しく止まる。
ああ、なるほど、とコーヒーカップを手に取ろうとしていたことに気づくのに、一秒もかからなかった。
ふふ、と少しだけ口元を綻ばせ、少女はペンを置き、インターバル代わりにと、自らの付き人に思いを馳せる。

果たして、あの男の善意の色は、一体どこから湧くものであるのか。
 人のひとつひとつの所作には、”色”がある。そこには特別な動きも、言葉もなく、ただ”色”という形で現れる。実際に色彩が目に見えるわけでないが、直感というのであろうか、相手の、自分に対してどう思っているのか──それらが指先に、瞳に、足に、時にはシャツのシワにも、まるで絵の具のように、ベッタリとへばりついているのである。

それは、敬意であったり、感心、期待、そして疑念、不信、不満。まさに十人十色である。
まぁ、どのような感情を抱いていても、彼らが完璧に業務を遂行しているのならば何ら問題はない。自分の、このナリを見て不信感を抱くのはある意味当然でもある。そもそも、この”色”がどれだけの信頼性があるのかすらわからない。全くの間違いを見ている可能性だってあるのだ。

しかし、あの老爺は、乾という男はいつも、見たことのないような色を、その体に纏っていた。しかしそれは、悪意も、疑念も感じさせない、もっと柔らかな何か。敬意とも違うその色を、少女は”善意”と呼ぶことにした。

先程の自分を制するような声にも、やはり敬意と、善意の色があった。それらを無下にしたことに、なにか思わないわけでもなかったが。

 はて、と老爺は思う。目の前にはコーヒーの倉庫。作業用、リラックス用、携帯用、と、場所状況別に数種類のコーヒー豆が堆く積まれている。袋越しでも漂う芳醇な香り。その中のひとつを手にとったところで、乾はしばし手を止めた。

ちょうど時計が午前四時時のベルを鳴らしたとき、ドアの外から
「失礼致します、お飲み物をお持ちしました。」

と、乾の声。小窓を開きながら、彼には無理をさせているかもしれない、と彼女は思う。先代からの付き人だとしても、彼ももう年であることは理解している。少しでも楽を、自分も自分の分コーヒー程度淹れられるようにならなければ。
と、カップを受け取った時、彼女は思わずその手を止めた。
「申し訳ありません。コーヒーの在庫を切らしてしまったようで。明日朝すぐに在庫を補給するので…どうかこれでご容赦くださいませ。」

鵺の手にあるのは、ホットミルクが一杯に注がれた、あのときのマグカップ。あの苦い記憶はずっと自分の舌と頭にこびりついている。
それよりも、鵺には気にかかることがあった。
あの男がコーヒーを切らすなど、初歩的なミスをするのか?先代からの付き人であり、この邸宅については自分よりも熟知している可能性がある、彼が。

鵺の知識と、知恵、判断力をフルに行使…するまでもなかった。何をやっているのだろう。このようなつまらないことを心配させて。先程彼の身を案じたばかりではなかったか。やはり私はまだまだ未熟なのか。はぁ、と少女は自分に大きくため息をつき、

重いドアを身体で押すように、書斎から少女が出てくる。とその片手には、空のマグカップが。
「お仕事、お疲れさまでした。これからはどうなさるおつもりで?」
乾は、いつもと変わらぬ、柔らかな微笑みで迎えてくれる。
「ん…歯磨きしてから、寝る。」
「左様でございますか。お布団のご準備は出来ているので、お着替えなさったら是非すぐにご就寝なさってください。今日はさぞお疲れでしょう…」

目の前にいるこの少女は、自分の想像のしようもない大きなものを背負っているのだろう。磁器のように白い肌、幼い印象を与えるおかっぱ、そして小さくて、細くて、ともすれば簡単に壊れてしまいそうな身体で。
ならば、自分がすべきことは、自らの主君の身体を誰よりも気遣い、そして護ることである。傷だらけの体だが、せめて彼女の日傘にはなれるだろう。彼女が涼む場所を、わずかにでも作れるだろう。
それが、先代を見送り、そして今代”鵺”に仕える者としての晩年なのだから。


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