大日本帝国における超常科学
rating: 0+x
blank.png

寺田寅彦『俳句と地球物理』

哲学も
科学も寒き
嚔哉


日傘を差しても暑い。

私、催馬楽さいばら綾香あやかは亜熱帯の沖縄より高い本州の気温に心の中で悪態をつきながら、所属するサイト-81██へと出勤した。最終防波堤たる制汗剤のパラフェノールスルホン酸亜鉛の抵抗虚しく、私の汗腺は、コンクリートや建物からの電磁波──短波長、長波長問わず全ての領域の光──の放射によって引き起こされる刺激に屈服した。汗は肌を濡らし、白いシャツは肌に張り付くことで不快感を与える。

「早く冷房の効いたところに行きたい……」

私の財団での仕事は主に空間異常を数理的に扱うモデルの構築だ。財団の中では基礎的な方で、かなり多数のオブジェクトに関係する分野ではあるが、個別のオブジェクトを扱うことはない。基礎的な研究をする職員は、多くのオブジェクトの収容と理解に頭を捻らせている職員と異なり、より独立性の高い研究室に属している。それは特権的な地位ではなく、単に確保、収容、保護のいずれにも直接は関わらないからだ。

「超常現象が発生して、それが被害を与える」ということを私は数式を通じて知るのみで、近しい人が関わったことはない。だから私はどうしても自分の拵えたものがどこで何をしているかを想像できない。だから私は財団での研究を煩わしく思いつつもその中毒性のためにやめるという選択肢を取らないのか、と自分を変に納得させつつ歩みを進めた。

丘の上に3階建ての建物が見える。この坂を登れば職場であるサイト-81██の第3研究棟に到着する。多少古いとはいえ見事に冷房の効く建物だ。

最後の坂をなんとか越え、入館手続きを済ませた。早く自室で涼みたい。エントランスは空調が効いていない。暑い。

「おはようございます」
「暑いですね」

こんなときの同僚の挨拶ほど煩わしいものはない。暑い中で立ち話でもさせる気か。まあ彼も暑いのは好まないだろうから早く切り上げてどこかへ行ってくれ。適当に返し、自室へ急いだ。

自室に入るや否や机に荷物をぶち撒け、クーラーを全開にした。



涼しい風に当たり、皮膚が冷えていく。今日の予定の確認と昨日の資料の印刷のためにSCiPネットにログインし、自分の作った記事を検索した。昨日収容環境の査定のための資料を提出できたから今日やることはそう多くないだろう。


財団記録・情報保安管理局より通達

セキュリティクリアランスレベル3以下のドキュメントまたはあなたが作成したドキュメントのみが表示されます。

— RAISA管理官、マリア・ジョーンズ


資料作成日の古い上位20ページを表示しています。
  1. 蒐集院批判 by Kojyaku Saibara (SCL1)
  2. [デジタルデータなし]SSM Type Reality Stabilizer by Kojyaku Saibara (SCL2)
  3. 演説・██月██日神祇廳ニテ by Kojyaku Saibara (SCL1)
  4. On the Maxwell-Scranton Spectra of Hume Decay and Their Relation to Ontokinetic by Kojyaku Saibara (SCL3)

検索結果に表示されるべき昨日作った資料がない。並ぶ論文はどれも現実改変を題材としていて、日本語の文章は旧字体で書かれている。空間異常の数理を扱う私にとっては馴染みのない物ばかりだ。

何かを間違えたかと思いつつそのリストをもう一度凝視すると、著者欄には朧げながらも見覚えがある高祖父の名が表示されていた。

私は高祖父に会ったことはない。ただ、私の家は古くから学者を輩出し続けてきた貴族の家系だった──所謂名家というやつだ──ということもあり、祖先の話はよく聞いていた。祖父が自慢げに広げた家系図に大きく記された「██帝国大学教授 催馬楽考寂」の文字、そして白黒写真の中で笑う優しそうな丸眼鏡の老人の顔が幼いころの記憶から蘇る。彼は物理学者であったと聞かされていた。

なぜ高祖父の名がここにあるのかわからない。一つわかるのは、何かしらの理由があって、祖父が正常性維持に関わっていたということだろうか。

とりあえず職員の人事ファイルを検索しても高祖父の項目は存在しなかった。財団職員でない人間が作った資料、特に財団外でも入手できる可能性がある物のセキュリティクリアランスレベルはそう高くない。歴史資料となれば、物にもよるが申請さえすればすぐ見ることができる。申請の際はシステム越しではなく権限のある上司に直接お願いした方が早い。多分私の上司は権限を持っているだろう。私は立ち上がって上司に会いに行くことにした。


今日も彼は不機嫌そうだが忙しくはないようだ。紫煙が立ちこもる部屋の窓際でしかめっ面をして外を眺めている。

「すみません、████博士」
「なんだね、昨日ようやく収容環境の査定が終わったのにまた面倒ごとか」
「いえ、閲覧したい文書があるので許可を頂けないかと思ったのですが」


これらの文章は私の高祖父の超常現象界でどのような立ち位置にあったかを示すものかもしれない。この文章を閲覧してみようと考えた。

催馬楽孝寂博士は明治初期に蒐集院との方針の不一致により九十九機関に合流した研儀官です。下記の文章は博士が九十九機関に所属していた時期に書かれた蒐集院の手法を批判する文章です。

……

蒐集院と九十九機関、その繋がりには驚いたが、もしそうなら財団に関わっていることは当然あるな、と思った。蒐集院と財団日本支部の関係は濃く、今でも一部の部署やプロジェクトでは旧蒐集院閥が幅を利かせているのは公然の秘密だったが、自分に関係のないことだと思って特に気にしていなかった。

財団の歴史については職員のオリエンテーションで多少触れられるが、前身組織がここまで財団に根を張っているなんて誰も教えない。多くの職員が「このオブジェクトについてなら〇〇にお伺いを立てた方がいい」だとか「これはあの人たちがずっと行ってる収容プロトコルだから」などと言う。人に依存しない安全な収容の概念はどこへ行った?陰陽寮、蒐集院、その他の機関。財団の旧弊じゃないか。財団の前身とはいえ伝統なんてのが正常性維持機関で役に立つとは思えない。

九十九機関についても聞かされたことがある。三菱系の団体として富国強兵と共に財団の理念に近い方針を採用していたらしい。ただ財団にも受け継がれている具体的な資料を見たのは初めてだ。しかも私の高祖父ときた。やはり祖父は何をしていたのだろうかが気になって仕方ない。文章をスクロールする。文字が流れる。私はその勢いで文章読み続けた。

蒐集院批判

著: 催馬楽さいばら孝寂こうじゃく博士

蒐集院いにしへより鬼神を鎭め、その害惡を封ずるの功あり。三道三敎1により國家安泰を實現せしむる本來の事由は正に蒐集院の智見の活用にあるのみ。

しかれども解決はただ蒐集の一方法のみにあらずとのことは論議するに及ばず。單に特異なる諸物を蒐集し、鬼神を慰撫するのみにてその怪異の生ずる危機の本質を諒解せず、災難を收めるに呪術の類をもつてすること正に院の賤しき見識によるものなり。見識を高尙の域に進めんとするには科學をもつてすべし。古典のみをもつてそれに變えるべからず。

むかしある硏儀官、某村にて信ぜらる鬼神の調査の折、祭儀の結果など古典と相異なることを發見するも、古典を信ずるがゆゑに覺書に付記せざりき。これにより、不幸なるかな、誤りたる智見のため後に某村を訪れたる硏儀官らことごとく死すといふ話あり。正に虛學の極みなるべし。

科學を修めることは單に技術水準の問題にあらず。ここに最も必要とされるは科學的手法なり。抑も科學は第一に「ヲブセルウェーション2」及「リーゾニング3」を行はざれば成立すべからず。第二に觀測さるる事實及その客觀性を重視し論理的なる推論の過程に重きを置く態度を尊重すべし。アドホツクな追加假說を幾度も提唱し從來の假說に拘泥せんとする態度は批判を受けるべきものなり。第三に少數の前提で足る場合多數の論理を鼎立すべからず。必要十分な原因のみを認め、同種の事象に對しては出來る限り同じ原因を說明に用ゐるべし。現代及將來に於いて國家安泰を維持せんとする者はこれらの手法に依て科學的に推究すべし。

さて昨今の西歐列强の繁榮を見よ。全て科學に依るものならざるべからず。科學をおいて富國强兵を成功せしむる要因は他にあらず。鬼神怪異に於いても科學の適用は同樣に重要な課題なるべし。これらを管理體制に編入せしむること迅速に行ふあたはざれば、淸朝の太平天國などの如く諸衆の面前で怪異が明らかとなり社會に混亂を招き、正に我が國存立の危機を招くものなり。最早鬼神怪異の語は非科學的なれば、改めて「超常現象」、畧して「超常」とすべし。

案外共感できるところが多いな、と私は思った。観測に基づく妥当な推論を除けば科学には何も残らない。やはり私も高祖父も同じ科学という連続な軌跡の上に位置している同類なのかもしれない。実行できているかは別として。

私は明治という時代を知らない。封建的な社会制度が解体され急速に近代化が進行した時代、明治。この国の現在のあり方の根底となる時代だ。私は知らないけれども、いや、知らないからこそ想像の翼を広げることができる。ヴェールに隠された側の日本も外からの刺激により急速にその姿を変えていったのだろうと容易に想像できる。

下記の文章は催馬楽孝寂博士が九十九機関に所属していた時期、日本国内のアノマリーの取り扱いについて当時の神祇官に提言した際の演説の書き起こしです。

催馬楽博士の演説

神祇官の皆樣に新政府の行ふべき政策を說くと云ふことで、今日は我ら九十九機關の考えを述べやうと思ふ。

(拍手)

蒐集院等の組織は特異な物を隱すということをやつて來たが今是れを近代の國家で行う理由は何處どこに有るか。

以前にも僕は蒐集院の非科學的態度を批判した文章を書いたが實感と科學の對立には何か宿命のやうな物があるのではないかと感じてゐる。まア考えさえすれば至極眞當なことである。抑々實感とは個人にのみ屬する主觀であり科學の礎たる客觀と鋭く對立するといふ狀況は當たり前であると言つてよい。

九十九機關は開明的團體として正常の維持を目的とする。正常の維持とは何ぞや。守るべき正常とは何ぞや。

先ず第一に我々は文明を守らねばなるまい。明日も生き續けることが可能であると確信せしむる物は文明の資產に相違無いことは明らかである。理性と身體こそ人類文明第一の資產である。ここに於て正常を人閒の日常の精神と云ふことが出來る。富國强兵によりこれを實現せしむる爲に鬼神の存在が何だか風が惡いと云ふことになつたとして、封ずるなり蒐集して仕舞のが宜しい。

扨、是れは世界中において普通に行はれる事である。是れを本邦では行はないと威張つてゐると云うことでは本邦は列强鄰國の嘲笑する所となる。如何いかにしてもソリヤ出來られない。然るに今日の日本に流行する奇き鬼神を殘らず調べる他なからう。 鬼神を信ずる道德が宜しくないと云ふのではない。然れども是れが人閒生活を妨げ文明を破壞するとなれば甚だ都合が惡い。何分にも呪術などでは西洋列强との競走に閒に合わぬ。これらを排他的に確保し隠蔽するのが宜しい。

其の爲に神祇官の行ふべきことは單純である。

一つ、祠や社の祭神を調べ國家安泰のために利用できるものか、又は國家安泰の妨げとならぬか調査すべし。

一つ、祭神が不穩有害であると發覺したならば卽座に確保した後九十九機關に保管すべし。尙神體の代りに周邊の余剰現實を安定化する機器4を設置するのが宜しい。

再び申し上げるが文明を守らねば何の意味も爲ぬ。神祇官の皆樣には其の所を閒違いないようにして貰いたい。

(拍手)

後藤象二郎の支援により、この方針はのちに政府によって実行に移されました。その結果、多くの特異性を持つ神体5が収容され、由来不詳の神社の祭神が神明神社や稲荷神社など有名な神社の祭神に置き換わることになりました。催馬楽考寂博士は正確なリスクアセスメントを要求していましたが、新政府の杜撰な政策により様々な災害が発生しました。この政策が原因と思われる災害の一覧のリストはここで閲覧できます。

超常政策を国家の富国強兵という具体的な国家の政策のレベルへと押し下げる行為に見える。

災害とはなんだろうか。そもそも高祖父は反対なしに政策を実現することができたのか?

資料保管庫の扉にIDカードをかざし、入室する。蛍光灯が窓のない薄暗い部屋を照らしている。ひんやりとしたその部屋は、まるで石棺のようでもあった。

E-8、E−9、E-10…と棚を巡り、目当ての棚を探す。かなり奥の方でようやく棚を見つけると、その前には着物を着た白髪の少女が立っていた。彼女は正規の手段でここにアクセスしているのだろうか。とても職員には見えないような年齢だ。

「迷子ですか?大丈夫ですか?」

かける言葉を間違えた。迷子なわけない。こんなところに迷い込む子供なんていない。もしこの少女がオブジェクトならば私は即死してしまうかもしれない。

「迷子ではありません。安心してください」

顔は笑っているものの、その眼差しは冷たい。

「いえ。ここにアクセス権があるとは思わなかったので」

明治3年太政官布告(特-秘)第████号

今般陰陽寮ヲ廢シ
怪異管理社團ハ怪異ヲ一般公民ヨリ祕匿可致事
以下ニ示ス組織ヲ以怪異管理社團ニ指定可致事


異常事例調査局
蒐集院
九十九機關

後藤象二郎様

暑中見舞申上候

此ノ度我等九十九機関ハ新政府ノ支援スル所ト相成候
超常政治ニ於、我等九十九機関ノ主導ヲ維持スル為神祇系ニ秘匿サルル新政府ノ超常行政機関ヲ理解有ル者ニテ構成スル事御願申候

催馬楽考寂

催馬楽考寂様

政府太政官ノ決定トシテ各寺社ノ国家管理ノ為ノ機関ハ九十九機関ト蒐集院トノ合議ニ依決定サルル事確定セリ。超常ノ秘匿ハ我等ノ本意ナレバ、我等ニテ独占スル事不能トナルモ否定シ難ク御理解御願申候。

後藤象二郎

九十九機関


明治二〇年██月██日

九十九機関収容部門
部門長████


改良現実固定機要求書


概要: スクラントン氏により単胞式スクラントン現実錨が開発されるも、現在の平均安全出力は150レアル毎立方吋毎秒6であり、未だ260レアル毎立方吋毎秒に達しない。この規模ではカント測定器の上側素子として必要な出力を達成できないうえに、強力な異常存在の収容を行うことができない。それ故現実度の測定には不十分である。よってこの計画は安定して260レアル毎立方吋毎秒の出力を維持するスクラントン現実錨の開発を目的とする。

用途: オントキネシス7を行う強力な異常存在の収容及びカント測定器に十分な高現実度空間の確保。

寸法: 一胞あたり1.5呎迄

最大現実流量: 300レアル毎立方吋毎秒

現実牽引力: 2分で980レアル毎立方吋迄上昇

維持能力:

設計大綱

高出力安定化の為媒質を回収し再利用する

現実価を維持する錨の部分だけでは現実吸引能力を向上することはできないが、その内部構造である現実吸引門により強い動力を接続することによって解決が可能である。また、接続する空間の位相を変化させることでより高現実度の出力を期待できる。

高現実度の空間をスクラントン現実錨で維持する場合、影響範囲外に現実価が流出することにより、出力が低下し、安定して空間を維持できなくなる問題が発生する。

これらを解決するために、現実素の溶媒をスクラントン現実錨の中で

実験計画

実験記録

被害状況

現実牽引錨カラノ現実流入ニ因ル活性現実波ノ発生

高現実度空間ヘノ曝露
約一時間

研究員作業員併セテ三名中
死亡二名
重症一名

付近ノ職員
軽症九十名

治療記録

高現実度ノ空間ト低現実度ノ空間ガ隣接スル現実場ハ自ズカラ安定ナル状態へ変化セントスル為、現実価核種ノ速度ヲ超越シ伝播スル衝撃波ガ境界ニ生ズル。

医院搬入時ノ容体
血圧心拍数共ニ正常ノ範囲ヲ逸脱シ七割程度ニ低下。
左半身ニ現実線ガ照射サレタ為皮膚ノ上層ニ岩石質ノ層ヲ生ズ。
表皮ノ二割一部ハ真皮迄置換サレル。

財団は異常なオブジェクトを収容したり理解するために科学という手法を使う。財団の深くに根付く考え方だ。いつも有用かと言われるとそうでもない。実際私のやっていることは空間異常が何にどのような影響を与えるのかを推定することだが、「さて、これは根本的な解決となるのですか」と聞かれても、全くならないと答えるしかない。

私だけでなく財団の多くの未知に対峙する人々は暗闇の中で仕事を行う。科学という手法を使えないものに科学という手法で挑もうとする私たちは滑稽な存在なのだろうか。

本当に何も解明できていない分野

ここに書かれていることが自身に無関係だとは全く思えなかった。しかし何も変えようとしない自分に空調以外の寒さを感じた。


tale-jp



ページ情報

執筆者: hitsujikaip
文字数: 12238
リビジョン数: 181
批評コメント: 0

最終更新: 26 Sep 2020 06:37
最終コメント: 批評コメントはありません

ERROR

The hitsujikaip's portal does not exist.


エラー: hitsujikaipのportalページが存在しません。利用ガイドを参照し、portalページを作成してください。


利用ガイド

  1. portal:6611312 ( 04 Jul 2020 01:21 )
layoutsupporter.png
Unless otherwise stated, the content of this page is licensed under Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 License