お試し下書きtale:ジャック・ブライトのとある1日

5時52分、起床。カーテンを閉じ切った部屋では空の模様は分からない。
固い身体を引き伸ばす。最近新しくしたそれは私には些か大き過ぎるようだった。
いそいそと身支度をしながら、回線の絡まった脳を整理していく。
がつん、がつん、がつんと、ハンマーで釘を打つ音が反響する。摩訶不思議な事に釘には生命が宿っている。これが神秘とでも言うのだろうか?私には理解し兼ねるが。釘の性別は、生物学的には女であるらしい。甲高い悲鳴なんて聞こえはしない。それは声ではない。殴打の度に漏れ出すものは、音だ。生物の中枢機関である脳に刺激を与えられているが故に反射的に、必然的に漏れる音。取っ手の付いた鉄の塊を数十発でも打ち込めば、鉄より固く出来ていない骨はいとも容易く砕けて散って、残骸に血液が滲み出すだろう。同じ所ばかり叩き付けるものだから、骨の破片は更に細かくなり、手応えは無くなっていく。代わりにぐちゃりと、粘着質な音色に変わる。酷い悪臭が鼻をつく。時折痙攣する女の身体に再び鉄を振り上げた所で、目が覚めた。
例えるならば、操作の効かない一人称ゲームだろうか。ゾンビを殴り殺す事より、ずっとリアリティがある。なんて事はない。これは現実だったものだからだ。殺しを知らない者が制作した陳腐なシミュレーションなどでは決してなく、かといって殺人に至るまでの道筋にミステリー映画のようによく出来たストーリーなんてものもない、至ってシンプルかつ明快なノンフィクション。誤解を生んでは困るから釈明をしておけば、これは私が行った事ではない。決して。第一、私は正気だ。こんな悪趣味でグロテスクな殺し方はしない。他人の脳に潜む現実を劣化したビデオテープのように繰り返し再生しているだけなのだ。
夢の残滓を振り払う事は既に日常と化していた。…まあ、実際の所、振り払えはしないのだが。それは単なる誤魔化しに過ぎない。他人の脳の片隅に、もしくは胸元で煌めきを放ち続ける宝玉の中に、記憶の一部として奥深くに蓄積していくだけ。フラッシュバックなどザラではない。忌々しい事に、容量の際限は未だに見えない。
着替えを終えた。水をコップ一杯分胃に流し込み、チョコレートを一欠片口に含んで部屋を出た。

6時12分。麗らかな日差しが真上から降り注ぐには程遠い時間帯でも、24時間年中無休サービス絶賛継続中の財団内では常に人が往来している。白衣に、スーツに、私服に、オレンジ色のつなぎに。多種多様な人種性別年齢の職員どもは私を見て、正確には私の首飾りを見て、各々の反応を見せる。大抵は妙なものを見てしまったという顔をして直ぐに視線を逸らすが、廊下の端でこそこそと陰口を叩く輩と目が合ったのでわざとらしく微笑んでやれば慌てふためいた様子で逃げ出した。いい気味だ。
本日行う実験の開始時刻にはまだ時間がある。細かい人員の管理の仕事は前日に終わしてしまった。勝手知ったる我が管轄内のサイトだが、今も特に目的があって歩みを進めている訳ではない。
簡潔に、暇なのである。
数秒の思案の後、1人のいけ好かない職員の全体像が頭に浮かんだ。それと同時に、1つの、小さな悪戯を仕掛けてやろうとも。
明滅し出した視界の端の光を無視して、お目当てのオフィスへと足を進めた。気を紛らわせる為、鼻歌なんてものを歌ったりしながら。

13時38分。捕まった。肺が凍り付く感覚を覚えながら説教を受けている。長ったらしい愚痴交じりの文句を聞き流してざっと1時間が経過した頃だろうか。
243を利用し大人向けのおもちゃの大移動をけしかけて驚かしてやろうとしただけだったのだが、これが思った以上に傑作で、活性化範囲に入った彼らが彼らなりの役割を果たそうとしたが故に、サイト中がちょっとした騒ぎとなった訳だ。予測を超越した結果が出る事はここでは常だ。それに迅速に対応出来た君は優秀だよ。と、話を聞いているのかと尋ねられたので答えたら、目の前の若い研究員は一瞬面食らった様子を見せた後に咳払いをした。話を逸らさないでください。頭に響く見知らぬ声を無視しながら、若さを微笑ましく思った。他の、もっと習熟し捻くれたシニアスタッフども相手ならこうも言い逃れは出来なかっただろうな。
これは最近知った事だが、禁止リストなどという代物をO5が作ったらしい。見間違いでなければ、そのリストの管理者の番号は全能なる神の数から1を欠く不完全なナンバー。なんとも暇なようだ。彼はそこまで愚かではないと踏んでいたのだが。人事ファイルを見返しても、彼は私の財団内での権利を保障したいのか、それとも縛り付けたいのか、理解し兼ねる点がある。もしかしたらとうの昔にいかれてしまっていたのかもしれない。何れにせよその“ブライト博士が財団で二度としてはいけないことの公式リスト”とやらは、誰もが自由に書き込んでしまえるというセキュリティの寛大さが故に項目ばかりがだらだらと増え続けるというなんとも聡明さに欠ける、当事者の私からして見れば抜け道だらけのジョークを寄せ集めたような出来になってしまっていた。まあ、実際私が事を起こしている事実には変わりはないのだが。不思議な事に私怨が詰め込まれた虚偽の書き込みは速やかに削除されているらしく、私が本当にやった事しか表示されない仕組みを維持している点は興味深い。どうやら今回の暇潰しも項目として追加されそうだ。ふむ、それでは、今度私が直々に中身の編集でもしてやろうか。

14時25分。漸く解放される。暇潰しにはなったので良しとしよう。
霧がかかったかのように判然としない頭を意識で殴りつけ、研究室へと歩みを進めた。15時から963-1に関わる実験が控えていた。詳しい方法は機密事項であるので省かせて貰うが、簡単に言えば、Dクラスと私とをリンクさせようという試みだ。脳を完全に上書きするのではなく、当人の意識を残したまま、私が他人の身体の五感で通常どのように感じているのかを調査する、というのが主な内容だそうだ。全くもってプライバシーもへったくれも無いのは今更過ぎて突っかかる気も起きなかった。苦情を申し立てた所で、一蹴されるのがオチだ。女性の身体に入った時のオーガズム及び妊娠、月経への影響に関して実験よりは数段マシであることは確かなのだが。毎回毎回、妙に権力も後ろ盾もある連中が963-1に関する実験の権限を握っているらしく、たった1人の職員にまあなんてご執心な事だと思う。今すぐにでも世界が滅びてしまうような重要案件は他にもあるだろうに。
使用するDクラスは身体精神共に疾患のない、10に満たない子供を5人殺した男だそうだ。流石に反吐がでるような連中が後から後から蛆のように湧いてくる。当分の間、合法的に得ることのできる身体の心配は無さそうだ。
無駄なものは一切排除された遠近感の狂いそうな真っ白な部屋の中、無駄に目立つオレンジ色が椅子に拘束されていた。

「やぁ、博士。…その首飾り、間違いでなければお前はジャック・ブライトか。部屋の連中から聞いたよ。なんだい、俺はこれから死ぬのかい?」
「君は黙ってそこにいればいい。もう直全てが分かる。」

上の連中はある程度理性的で最低限の知性を有するDクラスを選んだというが、お喋りのオプションは必要なかったな。そもそも人を5人殺した輩に理性が残っているとでも?
局所的に痛む頭を誤魔化しながら、早々に会話を打ち切り実験開始の合図を出した。

「15時02分。実験を開始する。」

脳の一部を繋げてから、異変は直ぐに現れた。男の顔が青くなっていく。目が見開かれ、体が小刻みに震えている。私の意識が揺れる。内臓が焼かれるように熱い。上手くいっているとすれば、この感覚を男も感じている事になる。

「…待て、おい、なんだ、これは、待ってくれ、腹が痛い。内臓が、痛い。それに、頭も。違う、だれだ?俺は、俺の中に、なにかが」

その嗚咽にも似た言葉を聞いた私は、目の前の男を眼を細めて見ていた。
その時、いっそ心地良いような、久方振りに穏やかな気持ちでいたのだ。どうやら実験は成功のようだった。
男の言う通り、自分が自分ではない誰かになっているような感覚は、頻繁に引き起こされていた。コピーは自分だ。だが、自分ではない。切り離された時点でそれは、私の支配を離れてしまう。それなのに声だけは大きく、脳に残り続ける。
男の元へと歩み寄り、目線を合わせた。

「私を知っているならば、この首飾りの性能も知っているかね?」

胸元で揺れる煌めく宝玉を手に取り目の前にちらつかせれば、辛うじて男は首を縦に振る。宜しい。Dクラスにしては優秀だ。

「私が君達Dクラスの脳を書き換え、私にしている事は知っている筈だ。そのコピーの私は、この私からは独立した違った行動を取る。時折私の感覚器を刺激したように錯覚させるそれは、現在生きて動いている他の私達の脳と脳とを繋げ、感覚を、思考すらも共有させている事を意味すると結論付けた。視覚、嗅覚、聴覚、触覚、果てには味覚まで。突如予告無しに脳を蹂躙する感覚は万が一にも心地よいものではないが…この副次的な効能を利用して、人の脳に死が訪れるその一瞬すら、感じ取る事ができた。あれは、あの感覚は、そうだな、なんと言おうか。あえて言うとすれば、とても奇妙だった……。君は今、脳を私と共有している。君が感じる苦痛は、もれなく私も感じているんだ。安心したまえ。その苦しみは、君だけのものではないのさ。」

私の一人芝居は、男が吐瀉物を床に撒き散らした事により中断される。鼻をつく臭いはつい先日見た夢をフラッシュバックさせた。骨が砕ける音。脳が潰れる音。金属が振り上げられる。女の音が漏れる。細い裏路地で、たったひとつの死が濃厚に熱を帯びて充満していた。操るキャラクターの全貌が見えない一人称ゲームでは、自分ではない自分がどんな表情をしているのかはわからない。ただただ、どこまでも他人事で。それでもやはり見るには不快で、絶望的で、救いようがなくて、陳腐だった。その夢の内容すらもしっかりと男に伝わったようで、胃の中の物を全て吐き出して尚目玉を剥き出しにしてえずいていた。多くの声が脳内に響き渡る。私が私でないような感覚は、既に慣れていた。慣れなければならなかった。私はどこまでも孤独にはなり得ない。いや、分化しただけの私は結局はひとりに集約されるのだから、結果的には孤独なのだろうか。脳と身体は直結している。身体は他人で、脳だけは見せかけの私で、それが本当に私たり得るというのだろうか。つまりそれは、

「なあ、どうしてだ。どうしてあんたは、まともでいられるんだ」

思考の海に溺れそうなっていた時、不意に、悲痛と憐憫とが入り混じった声が鼓膜を揺らした。
これは、こんなことは、あまりにもつらいだろうと。
不意にぐるりと視界が反転する。
目の前のDクラスが呼応するように再び喘ぎ声を漏らした。

「さあ」

私は幸福だよ。
ところで、君には私がまともに見えていたのかい?

問い掛ける前に男の目は白を向いた。

18時48分。報告の後、この先通常の生活が出来ないだろうと判断された被験体のDクラスの身体を貰い受けた。
963-1により作り変えられた脳の一部を他人と共有したとしても、通常の人間では耐え切れないことが分かった。そこから導き出される事として、私の精神力がなんらかの方法で増強されているという可能性が浮上している。もしも私が生前の身体だったとしたら、この日常茶飯事と化した苦痛には耐えられただろうか?今となっては明確な答えは出しようがない。が、今の私が限りなく人とは違う極地へと歩み出している事は、理解できた。これは必然だった。財団が私を生かす限り、私は生きていかなければならない。
多くの他人を抱え込むだけのキャパシティを持ち得なかった哀れなDクラスの身体を操作し、研究室を後にする。右腕が酷く痛んだ。

その日の夜は、見覚えのない5人の子供達が笑う夢を見た。


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