かつてエジプトの奴隷であったヘブライの民は、モーセに率いられ自由の身となり解放された。これを祝う祭りを古くから「過越祭すぎこしさい」と言う。
さて、毎年の過越の日、時のユダヤ総督であるポンテオ・ピラトは民衆の希望する囚人と麻雀を打ち、自分に打ち勝ったならばその罪を恩赦することにしていた。麻雀対決はゴルゴタの丘で行われ、民衆は自由に観戦することができる。そしてピラトは総督になるぐらいであるので、麻雀の腕もかなりのものであった。
ただ、今年の過越は一味違う。
死刑を待つ囚人二人、それぞれ名はソフィア・イエスとバラバ。
ソフィア・イエスは新興宗教団体の指導者にして「ユダヤ人の女王」と名乗り皇帝の権威をないがしろにする不届きもの。「神殿をうち倒し、三日で新たな神殿を築き上げる」と豪語したとのもっぱらの噂である。
バラバは七十二回の強盗と七十二回の殺人の罪で捕らわれた大犯罪者。本来であれば即刻死刑にされるところを、イエスが麻雀に勝って釈放されるのを恐れた祭司長らが、民衆を扇動して対決の席につかせた。
更にピラトを悩ませるのは、推挙されたもう一人の雀士。
名をロンギヌス。盲目の身でありながら「ローマ帝国軍の背骨」とも呼ばれる百人隊長ケントゥリオの職についており、麻雀の腕も確か。民にも軍人にも信頼されている人間だが、しかしピラトは裏の顔を知っている。
ロンギヌスが普段装備しているのは、短めの投槍が一般的となったローマ軍の中では目立つ、1カニイム1の槍。そして彼の密かな趣味こそが、この槍を使って罪のない女子供を突き殺すこと。ピラトは機を見てその罪状を告発しようと思っていたが、その前に過越の日が来てしまった。
ところで、釈放される囚人は一人のみ。仮に二人ともがピラトに勝てば、点数の高い方が優先される。これらより、各人の思惑は以下の通りとなる。
- ピラト: 凶悪犯バラバを処刑したいため、麻雀で彼に勝つ。更に、イエスを処刑したい祭司長らが強い圧をかけてくるため、イエスにも勝つ必要がある。
- イエス: 預言者たちの書いたことを成就させる。
- バラバ: 釈放されたいため、イエスとピラトに打ち勝つ。
- ロンギヌス: ソフィア・イエスをその槍で突き殺すため2、彼女を麻雀で打ち倒す。
そして、ゴルゴタ麻雀対決が始まる
午後二時。未だ肌寒い春空には雲一つなく、ゴルゴタの丘には雀卓が鎮座していた。
群衆、群衆。中には祭司長や長老の姿も見える。その真ん中、なだらかな丘の頂上には直径二十歩ほどの円が軍人たちによって形成されており、それ以上前には誰も進めない。勝負の趨勢を後方の者へ教えることで小金をせしめようと画策する者が台の上に立って、円の中心で雀卓に着いている四人を見物している。
東一局、親はピラト。南家、西家、北家はそれぞれバラバ、ロンギヌス、ソフィア・イエス。
牌を洗いながら3ピラトが群衆に向けて大声で告げる。
「この麻雀の結果誰が死のうとも、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」
すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」
「ならば、始めよう」
西:ロンギヌス、銀貨300枚 |
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北:イエス、銀貨300枚 | 南:バラバ、銀貨300枚 |
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東:ピラト、銀貨300枚 |
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「一筒イーピン」
ピラトの第一打。盲目の雀士・ロンギヌスのために、参加者はその打牌を口に出すことが求められている。そこに早くも仕掛けるのは南家のバラバ。
「その一筒イーピン、ポンするぜ。そして打・北ペーだ」
一巡目から一筒イーピンのポン。染め手か とピラトが思ったのも束の間。彼はイエスが切った九筒キューピンをポンし、打・東トン。更に次順にピラトが捨てた一萬イーマンをもポン。
「打・中チュンだ。悪わりィが、この一局で勝負は終わらせてやるぜ。バラバ様が娑婆に凱旋だ」
三度泣き、そして字牌を切り続けるバラバの姿に、三人の思考が一致する チャンタ系列……まさか、清老頭チンロートーではないだろうな?
ピラトは未だ二度しか牌を切っておらず、その手牌も東トンの暗刻子がある以外はバラバラ。幸にしてバラバは東トンを切っているため最低三巡は振り込む事はない、と一筋の光明が見えたのも束の間。
「打・一索イーソー」
ロンギヌスが超危険牌をツモ切り、思わずピラトが息をのむ。バラバが本当に清老頭チンロートー、一と九のみで手牌を染めていれば、銀貨320枚の放銃で即座にゲーム終了の一手のはず
が、それこそがロンギヌスの目的。ここで自分がバラバに振り込めば、バラバはピラトの点数を超えて釈放。そしてイエスは処刑。大言壮語する預言者気取りの女の腹に、自慢の長槍で穴を開ける絶好のチャンス。
……バラバは発声せず。無造作に出された一索イーソーをじっと見つめるのみ。
胸を撫で下ろしチラリとイエスの方を見れば、彼女は何かに得心がいった様子。ピラトはその光った目の奥4を、概ね以下のように解釈した。
なるほど、私ソフィアを処刑するほかは眼中にないか、盲目の雀士・ロンギヌスは!
一時的にではあるものの、イエスとピラト、バラバとロンギヌスのタッグが組まれた瞬間である。数瞬のアイコンタクトの後イエスは、バラバの捨てた牌である北ペー・東トン・中チュンを凝視。そして打・八筒パーピン。そのアイコンタクト中、ピラトにはイエスの顔が日のように輝き、衣は光のように白くなったように見えた。
今のは、通し5のサインに違いない!
一先ずピラトは打・東トン。バラバは五筒ウーピンを盲牌し、すぐさまツモ切り。ロンギヌスも老頭牌を持っていなかったのか、手牌から南ナンを繰り出す。
そして三巡後、ピラトは東トンの暗刻を落とすことになり手牌は大して揃っていない。バラバは二度牌を入れ替え、中張牌チュンチャンパイ6を捨て続ける。ロンギヌスは一度は自摸った九索キューソーを打つも、アシストは成功せず。
ピラトは自分の両隣に座る、イエスとバラバの一挙手一投足を睨め付けるように観察していた。もはや自分の手牌など関係ない、とにかくイエスにここで上がらせないと東一局で勝負は終わり、バラバが解き放たれ、また新たな殺人が起こる。それにつけても自分たちの立場を守ろうとする祭司たちの頑なさときたら。
イエスが牌を自摸る。ここ三巡は一瞬の悩みも無く牌を切っていた彼女が、僅かに手を止めた。その目線が全員の河に向く。
その動作が、ピラトにはどこか不自然に見えた。いや、不自然というのは語弊がある 彷徨う視線は「テンパった者が、アガリ牌が何枚残っているかを勘定する」ような雰囲気を微塵も漂わせてはいなかった。彼女の向かいに座るバラバが、圧倒的な眼光にたじろいでいるようにすら思える。
イエスが手牌を入れ替え、口を開き、牌を出す。
「打・一索イーソー」
超危険牌! バラバが聴牌していたらイエスは処刑、聴牌しておらずとも鳴かれれば秒読み! 自身の生死をかけた決闘で打つには余りに豪胆!
が、バラバはこれをスルー。イエスを不可解な目で見つめつつも、鳴く手筈は整っていなかった様子。
思わず安堵の息を吐き、改めて牌の山に手を伸ばす。そうしてピラトが自摸ってきたのは北ペー。それは三巡前、イエスが見つめていたバラバの捨て牌三枚の中にあった一つ。
「打・北ペー!」
直感に支配され、ピラトは迷わずその牌を差し出した。
「北ペー、ポンです。そして打・八索パーソー」
イエスの凛とした声が、ピラトに投げかけられた。そして彼の次のツモは。
九萬キューマン! 仮にイエスが北ペーを鳴いていなかったら、一と九を集めているバラバのやつに絶好の牌が渡っていたのか!
この九萬キューマンは手中で握り潰すしかない。バラバが既に出している中チュンを打つ。
「その中もポン! そして打・二萬リャンマン」
出すや否やイエスの声が響く。さらにピラトが引いたのはまさかの九索キューソー! 二回の鳴きによるツモ順のズレが無ければ、バラバかロンギヌスに渡っていた!
イエスは既に二鳴き。聴牌テンパイもしているだろう。ならばここで差し込むしかない。自らの手牌とイエスの捨て牌をじっと見つめ、考える。
待ち牌は十中八九数牌の中頃。五索ウーソーを自分が四枚全て所持しているため、索子で待たれている可能性は低い。四筒スーピンの後に一索イーソー、二萬リャンマンと捨てているなら、やはり萬子マンズであろう。
九萬キューマンはさすがに捨てられない、ならば。
「打、六萬ローマン!」
意を決したピラトに、イエスが優しく告げた。
「有難うございます、六萬ローマンをロンです」
「北ペー、中チュン、ドラ1。3飜30符で銀貨39枚です」
イエスの声に場が静まり返った数瞬後。粛々と銀貨を数えるピラトに対し、雀卓の外側から怒声が投げかけられた。
「ポンテオ・ピラト、貴様ーッ! ソフィア・イエスと結託してイカサマをしたなーッ!」
もう少しでバラバがロンギヌスを飛ばしてイエスの処刑が決まるところだったのを邪魔され、憤懣やるかたなしといった祭祀長がピラトに詰め寄る。
「否! なぜわたしが罪人と内通などする!」
「ではあの鳴きはなんだ! 異常に決まっておろう!」
ヒートアップする二人。続く埒の明かない応酬を聞きかね、ロンギヌスが「面倒なことはやめんか! 再開しようじゃないか」と声を荒げる。
ふん、自分もバラバをアシストしていたということを民衆に指摘されるとまずいから、ことを収めようとしているだけだ。ただ、場が落ち着くならそれでいい。
ピラトが内心見下げていると、更にイエスも口を開く。
「モーセの律法は、不正の告発は二人または三人の証言が必要だと定めている。確たる証言をする者は他にいないのか」
しかし祭司長はかたくなであったので、兵に無理やり命じて民衆の輪を十歩ぶん下がらせた。人々の中に、イエスと手を組み合図をしているものがいたのかもしれないと考えたからである7。
これで、預言者によって言われたことが成就した。すなわち、『彼らがユダの人々とエルサレムの人々をつるぎによって、遠く離れさせた』のである。
南:ロンギヌス、銀貨300枚 |
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西:イエス、銀貨339枚 | 東:バラバ、銀貨300枚 |
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北:ピラト、銀貨261枚 |
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東二局。ピラトは配牌時点では二向聴リャンシャンテン。十分早いものの、ドラを一枚持っているのみで打点は低い。
程なくそれぞれから不要牌が切り出され、ピラトも浮いている九筒キューピンや一索イーソーを捨てていく。先ほどのように初っ端からの激しい仕掛けあいは起こらず、ピラトは内心安堵の息を吐いた。
そのままゲームは進み、七巡目。それまでにバラバの捨てた西シャーをイエスがポンし、またイエスの捨てた東トンをバラバがポンしている。ピラトは二向聴のままだが、先ほどよりは良くなっている。
そのまま八巡目となり、バラバが牌をツモる。そして瞬間的に八索パーソーを手出し。
ここでの八索パーソー落としは、恐らくドラを持っているからだろう。そうだとするなら、親で東トンを鳴いているから銀貨58枚以上の手。わざととはいえ先ほどイエスに振り込んでいるから、当てられると心もとなくなるな。
ロンギヌスの手番。先ほど東一局では気が急いたサポートをし、その結果バラバの準備の方が間に合わなかったことから学んでいる彼は、少しゆっくりと麻雀を打っていた。バラバが上がれば必然的にイエスは処刑。彼が聴牌テンパイ気配を見せたらすぐに振り込もうと考えつつ、牌効率に従って手を進めていく。
「ポン。一索イーソーをポンです」
そこに待ったをかけたのはイエスだった。
見たところ、混一色ホンイツ、西シャー。ドラを持っていれば満貫銀貨80枚近くにも手が届く。先ほどは彼女に協力したが、それももう終わり、今は敵同士だ。索子ソーズもあまり捨てたくなくなったな。
そう考えつつ、ピラトが次に引いたのは四索スーソー。イエスやバラバを意識すると索子ソーズは出しづらい。少々悩んだ末、彼は既に一枚切れている南ナンを崩すことにした。
そしてもう一巡が過ぎ、ピラトがもう一枚の南を切ったところで。
「東トンをカン!」
バラバが先ほどポンしていた東トンに加槓カカン。
親が聴牌テンパイしたか! ならば、この局は降りるべきだな。
カンしたその手が新たなドラをめくる。新ドラは場に一枚も出ていない三筒サンピン。増えたドラをもっとも活かせるのは、これ以降立直リーチを掛けることのできるピラトとロンギヌスの二人だけではあるが。
「打、七索チーソー」
自分の点数がどうなろうと構わない、ただイエスが釈放されなければよい。そう考えているロンギヌスにとっては、そのカンは「聴牌テンパイしたから差し込んでよい」の合図。当然のようにドラを落とした。
その行為にバラバは眉をひそめる。東一局に続き、ロンギヌスが自分をサポートしているかのよう。
結局、誰も七索チーソーには手を伸ばさない。イエスもチーはしなかった。そして、
「西シャーにカン」
イエスも、対面に座っているバラバと同じように、先ほどポンしていた西シャーに加槓カカン。鏡写しのような行動だった。
「新ドラは……東トンです」
な、イエスは何をしているんだ! バラバが上がるだけで跳満銀貨180枚確定になってしまったではないか! 幸い一萬イーマンは二人のどちらにも安全だが、それ以降は最早分からない!
皆が目を見張っていると、更にイエスが透き通るような声で言い放つ。
「更に九索キューソーをカン! 新ドラは、三筒サンピン」
引いてきた嶺上牌リンシャンハイを使って、二回連続のカン。あまりに異常な打ち筋。これが初心者の行動であれば、ピラトも「何も考えず、カンできるからしてみた」のだろうと考えられた。
しかし、イエスは先ほどバラバ・ロンギヌスペアの攻撃を、ピラトを巻き込んで躱して見せた。であるならば、異常なカンにもなんらかの意図があると考えてもおかしくはない。そう思わせるだけの凄味をこのユダヤ総督は感じていた。
自分の手牌以外に三枚あるはずの三筒サンピンが不気味だ。一枚持っているだけで二翻ぶんのボーナスになる牌は誰が持っているのか、それとも山に埋まっているのか。どちらにせよ恐ろしい。
イエスが嶺上牌リンシャンハイの北ペーを捨てる。既に二枚が捨てられていたその牌を気にする者はおらず、ピラトの手番となる。
引いてきたのはその三筒サンピン。それ以外の手牌には安牌の一萬イーマンが一枚に「恐らく通るだろう」程度の確信度しかない七萬チーマンが一枚。他は全て危険牌であり、どちらかには当たってしまいそうなものばかり。
とりあえずは一萬イーマンを切る。それ以外の選択肢は無かった。そのままバラバの手番となるが、彼は即座に發ハツを捨てる。完全な無駄ヅモであった。
そして、ロンギヌスのツモ番。切りたいのは「イエスには安牌、バラバには危険牌」となる牌であるが、残念ながら手牌にはない。
唯一持っているイエスへの安牌は一筒イーピンのみ……バラバも既に四筒スーピンを切っているから当たりはしないだろうが、イエスに振り込んでしまうよりはいいな。
「打、一筒イーピン」
その瞬間、ピラトの頭の中に雷鳴が響く8。
「その一筒イーピン、カンだ!」
バラバもイエスも一筒イーピンに対してロンを宣言せず。そこに切り込む形となった。
「そして、打・七萬チーマン……! 通るか!?」
その確認に、声を上げるものはおらず。ただ首を横に振るのみ。
「ならば。異なる者が合計四回カンをした、ゆえに四槓算了ス―カンサンラーの条件を満たし、強制的に局は流れる!」
[† 底本に東三局、東四局は欠けている。いくつかの異本には「ソフィア・イエスの口から鋭い諸刃の剣が飛び出し、対面に座っていたバラバの目を貫いた」や「十四万四千人の童貞がエルサレム南西のシオンの山からゴルゴタの丘まで歌いながら行進し、よこしまなものを退散させた」などとあるが、いずれも内容が激しく食い違っている。この後、場面は南一局の八巡目まで飛ぶ]
西:ロンギヌス、銀貨346枚 |
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北:イエス、銀貨319枚 | 南:バラバ、銀貨385枚 |
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東:ピラト、銀貨150枚 |
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激しく点数を失ったピラト。現在三位のイエスとは銀貨169枚の差。この親番で何とか取り返さねばならないと意気込む彼に、しかし手牌は答えてくれていなかった。
一見すると筒子ピンズ以外は中々そろっているようにも見えるが、ピラトにはその筒子ピンズを捨てられない事情があった。
対面に座るロンギヌスはこの八巡の間、萬子マンズと索子ソーズをひたすら切り続けている。明らかに筒子ピンズの染め手であろう。しかも前順にバラバがカンしたことによって新たなドラがめくられており、持っているだけで点数の増える牌が筒子ピンズに二種類ある。
その点数は最低でも満貫銀貨80枚に届くだろう。ただでさえ一人持ち点が低い現状、後からツモってきた筒子ピンズは手牌の中で浮いているといえども捨てにくかった。
更に、右に座るバラバも四索スーソーをカンしている。既に南一局、ブラフとは考えにくく、ピラトは威圧されてしまっていた。とりあえずは、と既に二枚切られている白ハクを打つ。
そしてバラバは躊躇わずにツモった發ハツを切った。ロンギヌスのツモ番。彼がしばらく逡巡するような素振りを見せた後に。
「打・西シャー!」
切られたのは手牌から出された一枚切れの西シャー。
いくらロンギヌスが西家だからといって、八巡目まで西シャーを持っているか? 一枚目の西シャーは六巡前にわたしが切ったというのに。
そして一巡。ロンギヌスが切ったのはまたしても西シャー。筒子ピンズで染めているであろうところに対子落としと来ては、かなり怖さがある。彼を意識しつつ二萬リャンマンをツモ切りしたピラトに、右手から声が投げかけられた。
「その二萬リャンマン、カン。そして俺様の手番だ」
バラバが槓ドラに手を伸ばす。裏返って現れたのは、ロンギヌスに有利となるであろう六筒ローピン。
「おおっと、ドラは七筒チーピン。怖いなあ?」
「バラバ貴様ッ……!」
ロンギヌスは成程と頷き、五索ウーソーをツモ切り。最早二枚以上場に出ていない字牌は中チュンだけであり。必然的にロンギヌスが手牌を筒子ピンズのみで染めている可能性は増大。そうであれば最低で跳満銀貨120枚、そこに三つあるドラが乗ってくる。見え見えの手にまさか振り込みはしないだろうが、ツモられれば親のピラトには大打撃。
そして更に二巡。筒子ピンズ以外の安牌を切り出すことしかできないピラトに対し、ロンギヌスから遂に宣告が下される。
「打・五筒ウーピン。そして立直リーチ!」
まずい、まずすぎる! 立直リーチを宣言したロンギヌスにとってドラは六枚、清一色チンイツと合わせれば数え役満銀貨320枚すらありうる手。ツモ上がりすれば親であるわたしは銀貨160枚を取られることになり、飛ばされてその時点でゲームは終了。釈放されるのは一人ゆえ、より点数の高いバラバが街に解き放たれてしまう!
しかし、ピラトは完全安牌である八萬パーマンを出すことしかできない。ロンされてしまえば終わり、それは左右に座るイエスとバラバも同じこと。ならば、三人がロンギヌスに振り込むことはないはず。ピラトはロンギヌスがツモらないことを祈るのみ。
しかし、その予想はバラバによって覆される。
「六筒ローピンだ」
バラバが出したのは超危険牌! 当たれば銀貨320枚の放銃で己の処刑が決まる一手を、東一局のイエスのように打ちはなつ。しかし彼は確信していた、この六筒ローピンのせいで己が飛ぶことはないと。
東一局の清老頭チンロート―から今までずっと、ロンギヌスの野郎は俺を手助けするような動きを見せやがった。つまり、どちらかと言えばこの女より俺を釈放させたいと思ってんだろ、何でかは分からねえが。どうせ他の奴らも見え見えの染め手に振りこみゃあしねえし、俺をサポートしてるなら俺からアガられるこたあねえ。
確かに、彼の予想通りロンギヌスからの発声は無かった。盲目の雀士は粛々と牌をツモり、そして切り捨てる。
そこで遅ればせながら、ピラトも何が起きているかに気づいた。もし仮に、本当に六筒ローピンがロンギヌスのアタリ牌であった場合、振聴フリテンとなるため彼は誰からもロンアガリすることができない。彼のツモ番は後七回かそこら、それを耐えれば……
そう思いながら、ピラトがツモったのは二索リャンソー。手牌に四枚が揃う。
これは……ならば、押し通りたいが。
左隣のイエスを横目に捉えると、ピラトには彼女がかすかに頷いたように思えた。
「よし、ならば二索リャンソーをカン!」
もう一度、東二局の再演をしてやろう!
新たにめくられた槓ドラは八萬パーマン、ロンギヌスには関係のない牌。「またしても無理やり流そうとしているのか」とバラバが睨め付けてくるのを尻目に、新しく引いてきた七萬チーマンを捨てる。
バラバの手番。ロンギヌスはアガってこないと判断して手を完成させに行ったはいいものの、ツモったのは不要牌。聴牌テンパイ状態のまま動かず。
そして、ロンギヌスに手番が回る。
あくまでゆったりとした手つきですぐ前に積まれている牌の山にその右手が伸び、日々の鍛錬で節くれだっている親指が牌の表面を撫でた。盲牌、指先の感覚で牌を見ずとも何をツモったのか当てるという動作。実際に盲目であるロンギヌスには必須の技術。
その牌が自らの当たり牌でないことを確信するまで、一切の間は存在しなかった。即座に發ハツが切り出され、イエスに手番が回る。
彼女が牌を引く。それ自体はどうでもいいかのように、無造作に。そして、彼女の手牌の内から四枚が取りだされ、倒される。
小さな、小さな声で彼女が宣言した。「カンです」
イエスが何をしたのか、盲目のロンギヌスは一瞬分からなかったのだろうか。彼が「今何をした?」と詰問する。
「はっきり言いましょう。中チュンを、暗槓です」
成った……! これでイエスが嶺上牌リンシャンハイを引き、そして適当な安牌を捨てれば四槓算了ス―カンサンラーでこの局は流れる!
奇しくも、東二局でイエスに対してピラトが仕掛けた途中流局が、今度は二人で協力してロンギヌスやバラバの目論見を阻止するためのものへと変貌した。
「そうか、中チュンをカンしたのか……」
いつの間にやら空は随分と暗くなっていた。午後の三時ぐらいだろうか。既に麻雀対決の半分以上が終わり、ピラトは他の三人に大きく後れを取っている。自ら流しに行ったとはいえ、親番も終わってしまった。これからはとにかく積極的な打ち方をしなければいけない と考えたところで。
「残念ながら、その中チュン、ロンだ」
ロンギヌスの槍槓が、イエスに突き刺さった。
盲目の雀士の手牌が倒されゆき、彼が戦場で鍛えた声量を発揮する。その腹の底から声が鳴り響き、曇天にこだまする。
「国士無双ッ! 銀貨320枚だッ!」
いや、まて、それは。まずい、確かイエスの持ち銀貨は……
「そしてソフィア・イエス! もはや銀貨は支払えまいな! 貴様の銀貨は319枚だったはず、これで勝負は終わりだ!」
その通り、イエスの持ち銀貨は-1枚、対してロンギヌスの持ち銀貨は666枚!
勝ち誇るロンギヌスに対し、イエスは呆然として何かをつぶやくのみ。
「エリ神よ・エリ神よ・レマ・サバクタニ私を見捨て給うたのか……」
ロンギヌスが立ち上がる。ピラトは「自分が狙った四槓算了ス―カンサンラーのせいでイエスが死に、バラバが解き放たれてしまう」ということしか考えられず、何も口に出せない。
……ゴルゴタの丘の上で群衆を抑え円を形作っていた兵士の一人が、上官であるロンギヌスの方に向かっていく。右手に、事前に渡されていたのだろうか、目立つ長槍を携えて。
「ご苦労。さて、少々早いが明日は安息日だ。死刑は今すぐ執行するぞ!」
ロンギヌスが部下から長槍を受け取り、その穂先をイエスに向ける。彼女は放心状態で座っており、それを避けようともしない。
「死ねぃ!」
……そして。風を切る音、金属がぶつかる音、布が引き裂かれる音がして。
曇天に、鮮血が舞った。
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ゴルゴタ麻雀対決 下
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アクションSFオカルト/都市伝説感動系ギャグ/コミカルシリアスシュールダーク人間ドラマ/恋愛ホラー/サスペンスメタフィクション歴史任意
任意A任意B任意C- portal:6442226 (15 May 2020 14:27)
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