記憶と忘却の狭間にて

今日もまた、お客様は来られない。

いや、むしろ来なくてもいいのかもしれない。
ここに来るお客様は、愛を求める人ばかりなのだから。

頑張りすぎて疲れた人や、忙しすぎて過去を忘却してしまった人。
そういうお客様がこの列車に乗ってくる。愛を求めてやって来るのだろうと、私は勝手に考えている。
お客様はそれを自覚していることもあるし、自覚していないこともある。

どちらにせよ、しがない車掌にできることは、仕事の合間に少々の話をすることだけ。
それは車掌と言うよりは、案内人の仕事かもしれないが。
話を望まず、郷愁に浸るお客様の邪魔はしない。
話を望まれるお客様には、記憶と忘却の狭間に映る愛を説く。
そうしてお客様と接することで、私もまたお客様を愛し、自分自身を愛し、あの街を思い出す。


私が車掌になり、初めて来たお客様。
この列車と共に、世界の境界で過ごし始めて少しした頃に、彼はやってきた。
彼はどんな仕事をしていたと言っていたか。詳しく覚えてはいないけれど。
ほんの十分程度。彼は何も語ろうとしなかった。
だが、窓の外をずっと眺めていたその姿は、今でも鮮明に思い出すことができるのだ。

そういえば、この列車に何度も来られた、あの写真家の方はお元気だろうか。
しばらく来ていないということは、この列車のことを忘れてしまったのかもしれない。
だがそれでいい。ふとしたときに思い出していただくことが、また愛なのだから。
きっといつか、疲れたときにまたいらっしゃるのだろう。

少し前に、今度は画家の方が来られた。
写真家の方がしばらく来られなかったから、人付き合いが恋しくなっていたところだ。
天涯孤独のお客様は、忘れられやすい。自身を強く覚えている身内の方がいらっしゃらないから。
「完全に忘れられてしまえば、もう愛されることもない。それは寂しいことです」と、愛を込めた。
きっと、あの方にも分かってもらえたのだと思っていよう。


お客様が来られないとき、ふと自分のことを思い出す。

あの街を離れ、この列車の車掌になり、どれほどになるだろうか。
あの街を出た子たちや、私と同じように案内人をしている皆は元気だろうか。

仕事をしていると、ふと彼ら彼女らを忘れてしまうことがある。
だけれども、仕事を終えたとき、仕事の合間のとき、ふと思い出す。
思い出し、また忘れ、思い出し、その境界を揺れ動く。この列車のように。

街からの便りも時々届く。
どうやらあちらの世界に遊びに行った子たちは増え続けているらしい。
たまには顔を見たいものだ。


手紙が届いた。あの街にいる友人からだ。
いや、確か今は靴を磨いているのだったか。

彼女は他者の幸せを願う女性だった。
歩み続けることで、その先の幸せを得ることを願っていた。

歩み続けるには愛がいる。
忘れられたまま、或いは覚えられていることを当然とするままに歩み続けるのは難しい。
私がこの列車でお客様と語り合うのも、それが彼らの歩む糧になると思うからこそ。

そんな彼女からの手紙に、何が書いてあるのだろう。
変わらずにいるのか、特段の事情で友人を思い出して手紙を出したのか。
どちらにせよ、きっと彼女は今も誰かに愛を込めているのだろうか。

……どうやら、切符が切られたようだ。
迎えに行こう。愛を求める誰かのもとに。

手紙を読むのは、また後で。

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