その花は薄氷の下に
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ある冬の澄んだ夜に、眠れなくて、部屋のカーテンを開けた。いつの間に雪が降ったのか、サイトの敷地は、薄く雪化粧をされていた。
もう一度寝ようかという気持ちもなく、その景色をただ眺めていようとも思えなかった。だから、1人、白銀の中を歩く事にした。

こんな風に、何故か眠れない夜は、今まではあまり無かった。その原因を自問自答しているうちに、玄関に着いた。重い扉を押し開ければ、澄んだ冷たい空気が、するりと頬を撫でて、廊下の奥に逃げていった。

外は、思いの外寒くはなかった。まだ誰の足跡も付かない新雪に、1歩踏み出す。さくりと心地のいい感触がして、白いキャンバスに、新しい軌跡が付いた。

頭が、透き通る。絵の具が、水の中で溶けて踊る。揺らめく思考が、彼女の顔を形取った。
 
 *
 
私は、貴女の助手になってから、一体どれほど貴女の事を知れたのだろうか。

きっと、何一つとして知れてはいないのだろう。
 
 
どこまでも、貴女は高嶺の花だった。
その花は、高山に咲く1輪の花であって、脆く美しい氷で出来た花だ。
ちょうど、貴女が見に纏わせているものと同じ様な花だろう。

だが、高山に咲く花は、過酷な環境だからこそ美しく力強い花を咲かせ、氷の花は、極寒の中で咲き誇る。
優しく摘み取って、手元に置いたとしてもとしても、それは同じ花を咲かせない。
どこまでも手の遠いところで、現実を阻む冷たいベールに守られながら咲き誇っている。
 
それと同じ様に、貴女は、冷たいベールの中で、どこまでも温かく笑う。
 
 
植物園で花を育てている時の横顔が、優しい音色に乗せたその美しい歌声が、誰にでも見せる柔らかい笑顔が、どこまでも陽だまりの様で。

そして、その温かさの裏に、どこか悲しく、寂しい響きがある様に思えて。
貴女という明るい人の内側に、触れれば壊れてしまいそうな暗い貴女がいる気がして。

私は結局、何も分かっていないと思い知らされる。
 
 
その、万人を惹きつける美しい歌声も、どこか泣きそうで、精一杯の力を振り絞っているようで。
弱い自分を隠して、どこまでも強がっているように思えて。
 
貴女の花が一つ、二つと散るたびに、貴女が何かを無くしていくのではないかと、内側に鈍い痛みが伴っているのではないかと思ってしまう。
貴女が、辛さを押し込めて、暗い感情を切り離しているように見えてしまう。
 
 *
 
雪を踏みしめながら、庭の小道を歩く。寝静まった夜に、虫や、鳥の声も聞こえずに、ただ、静かに吹く風の音だけが聞こえる。藍を集めた夜に、吐息が白く模様を描く。普段は、少しでも気に止めることのない世界が、冴える思考を加速させていく。

道の端に来て、考えながらの立ち往生の末、電灯の灯りに照らされた潔白の世界の端で足を止め、そこにあったベンチに腰を下ろす。静寂の世界では、私自身は不要だった。思考だけが正しく存在し、他の全てが静謐に溶けて沈んでいく。
 
 *
 
貴女は、泣かない。誰にも涙を見せたことはない。弱音も吐かずに、優しいまま。
その涙は、あの薄氷の花になって、凍ったままに消えていくのだろうか。それとも、誰も知らない暗い場所で、人知れずに流すものなのだろうか。

私にはそれも知るすべは無い。
それでも、貴女の強さは、どうしようもない程に、弱さと同意義に思えてしまう。
 
 
辛いこと全てを無視して生きることの出来る人間などいるはずがない。痛みから、苦しみから、闇から逃げるのは、生存していくための生物の、人間の本能だ。
そこから逃げていくのは、自らの命を縮めてしまうのと同意義だろう。
 
そして、今は亡き私の父が貴女を確保した時のことも、その後の能力実験時にDクラスを一人殺してしまったことも、貴女は薬の力で忘れてしまっている。
 
私は貴女より上のクリアランスを与えられる時がある。その時にその真相を全て知って、それ以来、貴女に嘘を吐き続けている。
 
貴女は、危うい。閉ざした氷も、一度でもひびが入ってしまえば、そのまま砕けてしまいそうで。その事実を知った時に、貴女が、深く冷たい海に一人沈んでしまいそうで。
そうしたら、2度と元の貴女が戻ってこない様な気がして。

そして、私は、どこまでも私の無力さに嫌気が差す。
 
 
ここまで近くにいて、同じ時を過ごしているのに、私は貴女に寄り添えない。
冷たく、鋭い氷の中へ、手を伸ばすことが躊躇われる。

表面的で、空虚な、この私の手が、どうして向こう側の貴女に触れられるのだろう。
忘れているとは言え、異常性も、外見の違いすらも受け入れて、ひたむきに生きていく貴女に、家庭を顧みないまま空へ旅立った父を嫌い、その父を想起させてしまう目の色を、コンプレックスにして隠している、逃げている私が、貴女の隣に立つ事など、本当はおかしい事も分かっているんだ。
 
 
それでも、そんな貴女と共に日々を過ごすことが、いくら事務的なつながりであろうとも、いつ切れてしまうか分からない縁であろうとも、どうしようもなく大切に思えて。
 
その声を、その笑顔を、少しでも長く見届けて、その明るさを、少しでも強く受け止めて。私の下らない心を揺り動かしてくれた生き方を目に焼き付けて。
その氷から、貴女の被る仮面の先を知ることが出来なかったとしても。
 
私が、貴女の隣に立っていられると、自己満足でもいいから思わせて欲しい。
 
 *

青い闇を見上げてみれば、人の明かりに隠された星たちが健気に瞬いている。雪ほど白く淡い月が、銀の世界を照らしている。月の灯りと電灯の明かりが、決して交わる事の無い自然と人工物が、溶けて、混濁し、一筋の跡になって流れ落ちていく。

その視界の片隅で、1輪の花が静かに揺れる。薄い雪の化粧をして、このまま寒さに枯れてしまうだろう花が、それでも強く、花を開いて揺れている。
 
 *
 
私だけに見せてくれる、少しわがままな、自己中心的な面も、普段は受け流している様に見えるかもしれないけれど、私は私なりにそれを楽しく思っていて、その時間が、貴女が私に心を許してくれているのだと、たとえ薄っぺらな事実でしかないかもしれないけれど、私はそれがとても嬉しい。
 
私が貴女の中で、特別な何かでいられている、と思えるんだ。
 
 
普段少し辛辣にしてしまうのも、私の本当の感情が貴女に伝わってしまうのが恐ろしくて。
この、ほんの少しだけ神様が作り出してくれた儚く、美しい箱庭を、私の手で壊してしまうのが。
貴女を傷つけて、より深い氷を作ってしまうのが、どうしようもなく怖い。
 
私の想いは、きっと貴女に届くことは、今日も、この先もずっとないのだろう。
それでも、その揺らがない、貴女の走っていく後ろを少しでも長くついていくことが出来るのならば。
貴女のその薄く美しい強さを、残していくことが出来るのならば。
私は、何十、何百の時を、仮面を被って過ごすことだって構わない。
 
 
普段私が花に見えているのは、実は現実という光を反射して輝く薄氷で、その中に閉じ込められた一輪の花が、本当の貴女ではないかと思う。
 
でも、その花は私にも、ほかの誰かにも見えない。それでも、無理に見ようとは思わない。
ただ、私は、貴女の隣にいることで、その氷が少しでも溶けて、たった一枚の花弁が見えることを望んでいるだけだ。
 
 *
 
その花を眺めていると、この花と同じ様な花を、身体に纏わせる彼女の顔が、より強く、美しく、鮮明に象られていく。

花がもう一度ふらりと揺れる。降りた霜が薄く舞う。霧の道の、その先へ抜ける。揺れる炎が大きくなる。
全ての思いが、重なり、混ざり、一つの流れとなって、色のない世界に溢れ出した。
 
 *
 
貴女の隣にいれば、そう思わずにはいられない。
 
神恵 凪雪、その名前を、私の世界に光る一番星として、残しておきたい。
 
 
それすらも、高望みと言うのだろうか。でも、仕方がない。
 
 
私、いや志文 ハルジは───────

 
 
 
 
 
 
 
 
 



───────貴女に、恋をしているんだ。


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執筆者: Rivi-era
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最終更新: 14 Apr 2022 07:24
最終コメント: 27 Nov 2020 04:38 by p51

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