幻実逃避

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「どうしてこんなミスをする」
反響する頭痛と共に跳ね起きる。耳に残る嫌な残響と、じっとりと汗で濡れたシャツの不快感。
こみ上げそうになる吐き気を押さえつけながら、喉が渇いていることに気がついた。

見上げれば、つけっぱなしの電気、エアコン。開けっぱなしのカーテンから見える空。机の上にはコンビニで買った夕飯の残骸、それとこんなに開けたかと思う缶ビールが設定した覚えのないスマホのアラームの振動で転がっていった。
畳まれた状態と、人が寝ていた状態を半々に見せる布団を撥ね除けて、その上から落ちたカーディガンとシャツを拾う。洗濯機にまとめて放り込んで洗面台を見た。寝癖とクマだけが酷く目立っていた。

通勤時間を見れば到着までギリギリな電車とバスを捕まえて、なんとか2分遅れで職場に着いた。皆一瞬だけこっちを見て、そして仕事に戻る。希薄な人間関係で出来ている現実に感謝するべきだろう。

食堂の隅でおにぎりを囓りながら、寝不足な頭を立たせるのに躍起になっている。
「ねえ、朝遅刻したでしょ」
見れば、ええと誰だっけ。ああ、一週間に2,3回会話をする奴だ。
お互いに興味も無い、ただ彼女は時間を潰したいだけ。彼女の連れの昼休みはもう少し後。そして私は理由をつけて逃げるのすら億劫なだけ。
「したけど、なに」
中身のない会話。中身のある会話の方が少ない。生産性も何もない時間が過ぎる。空気のような関係が彼女の連れに見つかってやっと終わった。眠い。

無味なデスクワーク。フィールドワークが終わったばかりの報告書作成は只々タイプ音が響く。
「どうしてこれが出来ないんだ」
火花、埋め尽くされる思考。どうして私は出来なかった。あの時こうしていればよかった。なぜ私は無かったことにしている。吐き気、頭痛、それから這い上がってくる悪寒。
手を握り、爪を掌に突き立てる。このまま裂けてしまえ。唇を強く噛む。乾燥で剥がれた皮が剥げて、うっすらと血が滲む。痛みという現実逃避によってフラッシュバックがただ切れるのを待っていた。

あの後も数回同じことが起きた。仕事中だろうが関係ない。ただ、私に後悔と不快さを与えるためだけに何度も波のようにやってくる。暖房で酷く淀んだ空気のバスに乗って家に着く。一日があと少しで終わる。終わるはずがないのに。

玄関の扉を開けて、冷え切ったベットに座り込む。暗くなった外を見るも、やっぱり面倒くさくてカーテンに手が伸びない。机のゴミをひとしきりまとめて40Lのゴミ袋に放り込む。そこから先はやる気が起きない。
エアコンがやっと効き始める。冷え切った足は一向に温まらない。洗濯機を回さなきゃ、明日でいいや。ご飯は、めんどくさい、なんか冷蔵庫に無かったかな。何も無い。そうしてまたベットに舞い戻る。
動きたくない、面倒くさい。それが全て。棚の上のぬいぐるみが悲しそうな目でこっちを見ていた。
そうだ、シャワー浴びなきゃ。やっと重たい腰を上げる。金曜日で時間があるはずなのに、お風呂を溜める気力がわかない。そもそも、風呂の沸かし方ってどうするんだったかな。覚えていないし、見る気も無い。体を洗って、暖房の届かない冷え切った脱衣所で着替えて、またベットに座り込む。椅子は上着かけになっていてもうずっと使っていない。敷き布団のクッションが座る部分だけへこんでいる。自堕落さの一種の証明は、私の心に少しだけ罪悪感を生むが、それは倦怠感に覆い隠されて見えなくなる。
また、ビールを開けた。時間は本当に無意味に過ぎていく。時計の針は回り続け、0時を過ぎる。ビールは5本目に入っていた。酔いがある程度回る。

窓の外に雪が降っている。電柱のあるはずの場所に街灯があるのに気づくことはない。

「またか、またなのか」
明滅。その瞬間覚醒する。エアコンの吐く暖かい空気が喉の水分を根こそぎ持って行った。急に弱くなったエアコンの風と一緒に、凍り付くような寒気が足から這い上がる。這い上がって、這い上がって、喉元まで来て止まる。吐きたいのに吐けない気持ち悪さが延々と続く合図。
なんで、どうして、なんで、なんで。私は、あなたは、あの子は、お父さんは。
さび付いていた歯車は一時的な油で元気よく回り出す。壊れかけているせいで止まろうとしない。
膨らんで膨らんで、両手では抱えきれなくなる。
ごめんなさい。ごめんなさい。あんなことしなきゃよかった。
したから失敗した。失望された。軽蔑された。
きっと私が全部悪い。きっと皆今でもあれを笑ってる。きっと彼女は今も軽蔑してる。
やめて。許して。私が悪かったから。
私が出来ないのが悪いんだ。私が無能なのが悪いんだ。私が鈍感だから悪いんだ。
頭からかぶった布団の重さが岩のように感じる。その闇の中にたくさんの目が見える。軽蔑の眼差しがいくつも。

窓の外に雪が降っている。街灯の下を酔った何かが通り過ぎたが気づく事は無い。

ふと、我に返る。
ああそうか。私は死んだ方が良いんだ。間違った結論は心を救うのに十分だ。
死んだ方が良いほど無能だから部屋の片付けすら出来ないんだ。だから仕方が無い。少し心が軽くなる。
死んだ方が良いほど馬鹿だからあんなミスをしたんだ。だからしょうがない。また心が軽くなる。
死んだ方が良いほど鈍感だから人の感情に気がつかないんだ。だから皆逃げていくんだ。心が、軽くなる。
終わらせてしまえば皆喜ぶさ。この生活をもう引きずら無くてもいい。
彼女ももう忘れているだろう。覚えていても清々するはずだ。
悲しいなんていう人間はきっとうわべだけだ。心の奥ではあの時のことを根に持っていたり、不快に思っていたことを覚えているはずだ。
誰かに助けを求めるべきだなんて言うけれど、そんなのは不可能だ。
だって、伸ばした手はいつももう一人の自分が握っていて、皆に迷惑だよって笑いかけてくるのだから。

そこまで考えて、まだ涙が出ていないことに絶望と侮蔑を感じて、止まらない吐き気が喉に張り付いているのをなんとかしようとしてビールを飲み干した。
本当に我に返った後が一番辛い。なにせ、自分の無能さを客観的に永遠と見させられていたのだから。

学生の頃は、同じようなときSNSに吐き出したりもした。自分がゴミだということを理解してくれて、それでも側にいてくれる人が心地よかった。でも、それはきっと助けて欲しかったり、拠り所を求めていたんじゃない。

私を見てくれる人が欲しかっただけ。

承認欲求が満たされればそれでよかったんだ。誰かが私を見てくれるだけでよかった。私に心をさいてくれる人が欲しかった。ただそれだけの屑な感情だった。
だから、何度も似たようなことをしたんだろう。そして人が離れていくのに絶望して、それでも認めて欲しかったから止められなくて、延々と沈む泥沼の中に一人でいたんだ。

窓の外に雪が降っている。アルコールの匂いを含ませて、外界の全てをぼやけさせながら。

この仕事柄SNSを使わなくなって、そういった事は無くなった。人とか変わらないから、似たような事も起きなくなった。その代わりさっきみたいな感情の激流を制御出来なくなった。
自分は無能だってレッテルはもう剥がれない。人に嫌われているという自覚はもう消えない。
自分が自分をそう解釈してしまったから。

泣きたくなって、でも泣けなくて、失意の底に目を閉じる。エアコンのスイッチは入ったまま。
窓の外の雪がほのかに強さを増して、漂うアルコールの度数は上がっている。
彼女の名前の様に、長い夜になるだろう。
自分で自分を忘れてしまったら、一体誰が思い出せるというのだろうか。

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