≪2028/08/15 09:13≫
朝食を目当てに食堂へ訪れた職員の大半が各自の持ち場、仕事へと戻っていた朝。男はクラムチャウダーを少しずつ口に運び、そして蛤を皿の片隅に退けていた。スプーンの皿に触れる無機質な音が、静寂に包まれた食堂に響いては消える。
「蛤は嫌いなのかい?タローラン研究員。あんまり感心しないが……」
「……これはこれは、コナー博士。珍しいですね。いつも博士は研究室に入り込んでいる印象でしたが」
目の下に深い隈を残しているタローラン研究員に諫言する白衣姿の優男。丸縁の眼鏡と童顔が相まって実年齢よりも若く見られがちのコナー博士は、多くの職員からも知られている安住の地、自らの研究室からわざわざ足を運んできたのだ。驚くのも無理はなかった。
「ああ、何てことはないよ。AIC1の待遇に関する書類を監査部に提出するところでね。丁度腹ごしらえに何か買おうと思ってたところさ」
そう言う彼の手にはサンドイッチが1パックと、かなりの分厚さがある書類群が携えられていた。昨今のペーパーレス化の波は財団でも例外でなく、書類が必要になるのはこういった監査を通す必要のあるものなど一部に限られる。
そのペーパーレスの象徴とも言えるAICに関する書類でこれほど大量の紙を必要とされるのは、かなり出来過ぎた皮肉と思ったのは彼の性格のためか。
「そういえばコナー博士、AIAD2にも関与してましたっけ。お疲れ様です」
「ははは、君みたいにはっきりとした隈を浮かべる程の重労働ではないよ。……というか本当に大丈夫かい?休んだ方が良いんじゃないのかい?」
「えぇ、まあ……」
Neutralizedのくせにやたらと面倒なオブジェクトの報告書を書き続けていたために、タローラン研究員の睡魔は限界を迎えつつあった。実際は抜けが多かったために幾度もやり直しを受けた訳だが今のタローラン研究員はそれを3999という仰々しい番号のせいだと思う程度には判断力を失っていた。
迂闊にもコナー博士が大量の書類に紛れて置いたタブレットの画面に触れる。
その辺に売っている市販のものなら大したことは無いのだが、コナー博士が用いるものは何から何に至るまでチューニングされた特注品オーダーメイド。それに掛けられた費用はいくら給与面で恵まれた職員といえどその十中八九が眩暈を起こすものだ。
タローラン研究員に限らず、コナー博士の器物に迂闊に触れたという話を聞けば同じ反応をする者は少なくない。超高額物品を壊したとしたら、自らの給料が何カ月吹っ飛ぶか……という恐怖によって。
初めまして、ジェームズ・マーティン・タローラン研究員。
ワタシ、コナー博士の助手を務めております、02380911.aicです。
よろしくお願いします。
「うおぉ、ビックリした。それがAICですか」
普段使っている型落ちのタブレットとは比較にならないくらいの感度の良さで起動したそれは、内部に眠っていた人工知能徴募員AIC、財団にとっての良き電子の海に漂う職員の覚醒を促した。そして、タローラン研究員は危うく椅子から転げ落ちそうになった。
「おや、もしかしてAICを見たのは初めてかい?」
地面へ向けて一直線に進もうとした椅子を停止させて。コナー博士はタローラン研究員の顔を覗き込む。呆然とした顔を見て障りないことを確認すると椅子を元に戻す。
「そも、AICと関わる業務しているのは少数派って分かってますか博士?」
「あ、そっか。ごめんごめん、四六時中一緒に居るからつい」
嫌味交じりの返答を、単なる指摘として返されたタローラン研究員は肩の力は抜けるのを感じた。AICとばかり接して人の機微に疎くなっていると考えると、これ以上この話を続けたところで意見箱の投函程度にしかならない。諦めて話を変えることにした。
「ところで博士。AICってそれぞれ名前が付いてたと思うんですけど、それには付いてないんですか」
画面に表示される音声波形の映像と、無骨な型番号の如き名称。
噂で聞く実際の人が乗り移ったかのような、自律意思の温もりはその画面と音声からは感じられなかった。
「実はね、この子はちょっとしたエラーで停止してたのを前倒しで再起動させたばかりでね。まだアップデートが完全には終わってないんだ。今まで名前を付けるのはそういったインストールの段階が全部終わってから付けてたからさ」
あたかも我が子を見守るような慈しみのある眼差しを向け、頬を撫でるが如く優し気に画面に触れる。やはり、コナー博士も財団にいる変人の一人だと考えていると予期せぬ申し出が飛んできた。
「そうだ、この子の名前をタローランくん、君が決めてみないか?」
「……自分が、ですか?」
「ああ!普段からAICに触れている者だけでは、雰囲気が似たり寄ったりだからね。常に同じというのは"成長する"存在であるAICには相応しくない」
私からもよろしくお願いします
ジェームズ・マーティン・タローラン研究員。
コナー博士の話を考えると、このAICの文言は自らの意思で請い願ったというよりも博士の発言に対しての計算結果で導き出された"回答"のように感じる。これがアップデートでどうにかなるものだとは思えない。しかしまあ、専門家の博士が言うのだからそうなのだろうと思考を切り替える。
「しかしですよ、30過ぎたしがない一研究員にそんな驚くべきネーミングセンスがあるとは思えませんけどね……」
「いやいや、そう悲観する程タローラン研究員は凡庸な人間ではないさ。この職場で働いていることはその一つの証拠じゃないかな? そうでなければ本当なら10年ほど後に再起動する筈だったこの子とも会えてないからね」
画面の波形に指を触れ、AICに対してもう一度意識を向ける。
やはり、博士が何故そこまでこの人工知能に陶酔するのか分かりそうにない。
「さながら未来からやって来たAIってわけですか、……」
皮肉交じりの命名ではあるが、自画自賛ということではないが、妙にこの言葉が型に嵌るような感覚を覚えた。これで良いのだろうかという良心もあるがそれ以上に子供のような純粋な眼差しを向けてくるコナー博士にこれ以上耐えられそうになかった。
──半ば吐き捨てるようにして、自らの提案を口に出す。
「──Spoiler、ってのはどうですかねコナー博士」
ほんの一瞬。確かに、呼吸が変わったのを体感的に察する。
一呼吸置き、その反応を耳に捉える。
「Spoilerネタバレは、苦手かな……。でも、面白いね」
その命名に用いられた単語に対して困惑しつつも、どこか興奮しているようにも受け取れる笑みを浮かべてコナー博士は率直な感想を述べた。
タローラン研究員は図らずも狙った両面の反応を見せたことに内心歓喜し、直後見え隠れする自分の意地汚さにも似た性格に対して自嘲するのであった。
≪2028/08/15 11:03≫
カーテンが全て閉ざされ、実に冷淡なLEDの光と外気温との等価交換で得られる快適な空気の中、サイト-46所属、レベル3研究員、ローガン・イゴッタ博士はタイピングの音を淡々と響かせていた。
「ちょっと、煙草は止めたんじゃなかったのローガン?」
白衣のポケットに入った"それ"に手を伸ばしたところで、横槍が入ってきた。
自部屋のドアを開き入ってきた女性。いかにも研究者という風貌をしたローガン・イゴッタ博士に対して、声の主である着崩したスーツ姿の彼女はどこか闊達な雰囲気を与える。
「……アリ。勿論止めたわよ、これはそうね、うん、ちょっとした手慰み」
そう言って自らの婚約者である彼女の方へ向けて、ただの空箱を乱雑に投げつける。
コントロールの欠片も無い軌道を描くことになったが、そこはアリが上手く適応することで地に落ちることなく彼女の手に収まる。
「ん、確かに空箱。ちゃんと煙草との三行半は効果覿面の様子ね」
受け取った箱を指先でバスケットボールを回すように、器用にくるくると回す。
着崩した姿に男性的な顔立ち、そしてスタイリッシュな立ち振る舞いに裏で女たらしと言われるだけのことはある、そうイゴッタは思った。
「私は今すぐにでも復縁したいくらいなんだけどね。落ち着かないし」
「良い禁煙外来を紹介してあげるから今度一緒に行きましょう」
投げ渡されたいかにも健康に悪そうなパッケージの空箱を滞りなく胸ポケットに仕舞う。
そして、靴音を鳴らしながらデスクの上に広がったエナジードリンクと栄養補給食、コーヒーカップを一瞥するとカーテンを思いっ切り全開にする。溜息を伴わせながら。
「ぎやぁぁぁぁ!!!体が溶けるぅぅ!!スライムになるぅぅぅ!!!」
「新解釈の吸血鬼ね。そういう頭の回転というか冴えてるのはいつも通り、か」
灰にではなくスライムに変化するという全く新しい解釈を行ったイゴッタ博士の痴態を、どこか嬉しそうに見ながらアリは冷え切ったブラックコーヒーをコップに移して飲む。
イゴッタが作ったそのコーヒーは、徹夜を乗り切るためのものとはいえ恐ろしく不味く、苦かった。吹き出して水で今すぐにでもゆすぎたくなる程に。
「っっっ!!?? ゲホッゲホッ!! ン”ン”! ……それより、本題。フィリップス管理官からよ」
「えぇ……? 私あの人苦手なんだけど」
「ただの業務報告だから文句言わない」
渋々といった顔を前面に、それもとりわけ強いものを浮かべながらサイト管理官からのメッセージを確認する。それほど厄介なものでなかったのは幸いだが、それはそうとして面倒だという態度が隠さず出てくる。
愛する彼女が酷く重い溜息を、やたらと長く吐き出すまで待つとアリは間隙を縫う。
コツコツと廊下から響く単調な足音が、その間を実際よりも長く感じさせた。
「何かあったの?」
「……いーや。ちょっとフロント企業に送る書類に不備があったから訂正しろだとさ。こんな分かりにくい不備に気付くって、向こうの事務員はさぞかし優秀なんでしょうねえ」
伴侶からのフロント企業に対する陰湿な嫌味を聞き流しつつ、文章を彼女よりは若干早い速度で読み進めていくアリ。見終わったところで口を開く。
「これ、私も手伝った方が良い?」
「え、いや、確かに手伝って貰えれば早く終わるけど。でも、大丈夫なの?そっちの仕事だって当然あるでしょ」
「それがね、退屈になるくらい何もない!だから手伝うよ」
仕事が楽になるという面では喜ばしいことだが、一方で自らのパートナーに本来単独でやり遂げなければならない案件を任せてしまったことによるばつの悪さで、複雑な心境だった。
「……」
──ごめんね。
その言葉に反応するよりも先に、イゴッタの思考は別の方向へと向けられる。
それは極めて本能的なものと言えるものであった。
──耳から伝わる快い痛覚。それが、甘嚙みから来るものだと判断するに時間は必要なかった。
「っっっ!? アリ!! 貴女何を──」
声を荒げて彼女を叱責しようとすると、その指先を口元に当てられる。
発言を制止した後に下唇をなぞる様にして指を動かす。
「考えすぎ。今更遠慮するような間柄じゃないでしょ? ……私の愛しい人」
職務中だということを忘れているのではないかと口を開きたくなったが、こういったらしくない素振りをする時は決まって自分のことを気にかけているということを考えて抑える。
ただ、顔が赤面することばかりは耐えられなかった。仄かな温もりが表情筋を緩めているのを感じた。
「……分かった。でも、こういうことは迂闊にしないでよ。私たちの関係は既知のことだけど、流石に……」
「言われなくても。でもこれだけは言わせて。 ──愛してるわ、イゴッタ」
唐突な愛情の表出に、イゴッタは虚を突かれる。
呼吸を整える。赤く火照った顔を少しでも冷やそうと深く、静かに。
そして素直な自分の気持ちを伝える。
「……私もよ、アリ」
互いに今すぐにでも肢体の温もり、感触、愛おしさを確かめたくなる衝動に駆られながらも、表面上は淡々としたやり取りで書類を精査し、訂正していく。口から零れていく絶え間ない愛の囁きを除いて。
ドアの裏に人影が一人。その額には大量の汗が伝う。
(せめて、ドアを閉めるくらいの配慮はしてくれ……)
間が悪い事に、廊下を通りがかったトーマス・バーター研究員は、女性同士の情事を目撃し、身動きが取れなくなっていた。
その後二人の熱烈な光景を小一時間見ることになる彼は、今月3度目の書類提出遅延という結果になった。
≪2028/08/15 13:47≫
「助かったわ、香織。財団で働いていても怪獣映画には詳しくなれないから」
「いえ、まさか財団で働いていて怪獣で話せる仲間がまた増えるとは思ってもみなかったので。お孫さんにはよろしくお伝えください」
老獪であるとも言われる財団の経験豊富な職員、マーサ・ハードキャッスル博士が借りた怪獣映画の数々を返している相手は対照的な、若々しい日本人女性であった。
「孫も喜んでいたわ。あんなに話が合う人はいないって」
「ははは……、趣味と仕事で得られただけのものなので喜んでいいのか……」
困惑気味に笑みを浮かべるのは三笠香織博士。財団内でも異色の専門分野を有する財団研究スペシャリストとして、特定のサイトに籍を置かず任務が与えられ次第世界各地に飛ぶ忙しい生活を送っている。
その専門分野は、要注意団体等によって人為的な操作が加えられた生物に対する戦略、戦術及び作戦立案である。一部の職員からは怪獣Kaiju担当の変人とも揶揄されているが本人は意外にも好意的に取っている。
「しかしまあ、サイト-40って財団でもよほどの僻地じゃないか。仕事とはいえあそこまで行ってからここに来て疲れただろうに」
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- portal:6360224 ( 22 Apr 2020 03:01 )
