忘れた者、待ち続ける者、かつて忘れられた者

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川野祐は苛立っていた。数ヶ月前に乳がんに罹った恋人、絵里の見舞い帰りだったが、道に迷ってしまったのだ。彼のいる場所は運悪く圏外なので、インターネットが使えない。
「クソ!なんでこんなときに…どう帰りゃいいんだよ…!」
ぶつぶつと文句を垂れながら歩き続けた。
しばらく歩き続けると、彼の前に一軒の建物が現れた。木造の小さな建物だ。その扉の上あたりには、“おもいでや”と書かれた看板が掛けてある。何かの店のようだ。
「おもいでや?まぁいい。少し休ませてもらおう」
そう言って、彼は店のなかに入っていった。

店内は少し狭いが、洒落た家具がいくつか置いてある。そして店内の中心には、机1台と向かい合わせに置かれた椅子2脚からなるテーブル席が1つ。
「いらっしゃいませ」
店の奥から青年が出てきた。祐にはその男が二十歳くらいの青年に見えたのだが、同時に立ち振る舞いや目つきになにか老成したものを感じさせられていた。もしかすると若く見えるだけで、本当は自分よりもかなり歳上なのではないかと祐は思う。
青年は祐に、
「そちらにおかけください」
と促した。祐は言われるがまま、テーブル席に腰掛ける。そして青年は祐の正面に座ると同時に、コップ一杯のお茶を差し出す。祐はすぐさまそれを飲み干した。
「随分とお疲れのようですね」
「まぁな。….そうだ。ここって何の店だ?お前は店員か?おもいでや、とか書いてあったけど」
「あぁ…申し遅れました。私はここの店主です。ここ、おもいでやは“思い出を売買する場所”です。ここに売られた思い出は売り手の頭から消えてしまいます。その思い出に関連する私物も同様です。思い出を売る、というのは、誰かが売った思い出を買い手の頭に植え付ける、という表現ができます。実際にやってみせましょうか?」
にわかには信じがたいことを、表情一つ変えずに口にする青年。祐は、とりあえず青年を信じてみることにした。
「..えっと…じゃあ、やってみてくれ。どんなのを売ればいい?」
「何でも結構ですよ。友達との思い出、家族との思い出…。そう、何でもね。」
意味ありげに笑う青年と、眉をひそめる祐。しばらくの沈黙を破ったのは祐だった。彼は、小さい声で言う。
「…絵里との思い出、全部売ってやるよ。出逢ったときのものから、今までのものまで。たった数年間の思い出だけど」
「全て…本当にいいのですか?」
声のトーンを下げて言う青年に、祐は頷く。
彼は、身も心も疲れ果てていた。少しずつ弱っていく絵里を、少しずつ生気を失っていく絵里を、もう見たくなかった。彼女のがんは他の器官へ転移し、彼女の残された時間も少なくなっている。祐には、これから彼女とどう接すればいいのかわからなかった。出来ることなら看取ってやりたいが、祐にはその勇気と覚悟がなかった。荷が重かったのだ。愛する女性を失うくらいならば、出逢わなかったことにすればいい。彼女の存在ごと忘れてしまえば….そう思ったのだ。
「…わかりました」
「いくらになる?」
「そうですね…私が見た感じだと…100万円、ですね」
「100万、か。…でもなぁ」
「ゆっくりで結構ですよ」
祐は頭を抱えた。もし思い出を売ったのなら、祐は心の負担から解放される。だが、絵里は独りになってしまう。もし思い出を売らなかったら….。2つの考えが、彼の頭の中をぐるぐると駆け巡る。15分ほど経ったころ、祐は顔をあげて言った。
「俺さ、アイツの最期を看取る資格が…アイツのそばにいる資格がないんだと思う。怖いし、辛い。覚悟すら出来てない。….だから、いいよ。…売る」
寂しそうに笑う祐。青年は、いつかの自分を見ているような…そんな感情で満たされた。彼は祐に、恋人の最期くらい看取ってやれよと言いたいところだったが、客の決めたことなのだ。これ以上口出しをしてはいけない、と自分に言い聞かせた。
「….では準備をしますので、少しお待ちください」
彼は立ち上がると、店の奥へと消えていった。それから10分ほど経ち、青年が祐のところへ戻ってくる。
「お待たせしました」
青年は、コーヒー、書類、札束を載せたトレイを持っている。そしてゆっくりと椅子に腰掛け、祐に書類とボールペンを差し出した。“契約書”と書いてある。
「これをお読みになってから、下の欄に署名をお願いします」
「おう」
祐は契約書の文面に軽く眼を通し、署名をした。青年はそれを受け取り、軽く頷く。そして札束を載せたトレイと封筒を差し出した。
「代金はこちらです。ご確認ください」
祐は紙幣の枚数を確認すると、大切そうに鞄にしまった。
「で…どうやって売ればいいんだ?手術とかか?」
「….これを飲んでください。そうすれば」
青年は、先ほど持ってきたコーヒを指差す。
湯気とともにコーヒの香りが広がっている。
祐は一瞬ためらったが、意を決してカップを持ち上げた。
(ごめん。ごめんな、絵里)
彼は思いを押さえつけるように、一滴残さずそれを飲み干した。

祐が眼を覚ましたのは、最寄駅近くの路地裏だった。
「….うっ」
もう辺りは暗くなり始めていた。時計は、ちょうど6時半を指している。
彼はゆっくり立ち上がった。そして、はっとしたように鞄の中身を確認すると、祐は安堵のため息をついた。お金を入れた封筒がしっかりと入っている。
「…なんだこれ?」
封筒には、一枚のメッセージカードも入っていた。カードにはコーヒー独特の苦く香ばしい香りが染みており、祐の鼻をくすぐる。店主が祐に出したコーヒーと同じ香りだ。
 
 

本日は、ご利用いただき誠にありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
貴方の幸せを願って。
おもいでや 店主 

 
 
「あぁ…俺道に迷って、おもいでや?に入って、思い出売って…。しかもここ駅近くの路地裏だろ?..あれ?俺、何の思い出売ったんだっけ…まぁいいか」
祐は服についた砂などを払うと、路地裏を抜け、自宅へ向かった。
 
 
 


 
 
佐藤絵里は、とある病院の一室で看護師と話をしている。
「明日は…祐くん来ますかね?」
心配そうに窓の外を眺める絵里。外は既に暗くなり、月の光が病院の辺りを照らしていた。
「連絡してみては?」
「いえ。….迷惑だと思うから。明日来なければ明後日、明後日来なければ…明々後日。来るまで待ちます」
「明日も来るといいですね」
病室には、絵里と看護師の楽しそうな笑いが響いていた。
 


 
 
 
その夜。
「….これは」
“おもいでや”店主のもとに、一通の手紙が届いていた。手紙からは、ほんのりとアルコールの匂いがする。彼はそれを手に取り、内容を確認した。
 

お久しぶりです。お元気ですか?
しばらくお返事がなかったので心配でした。
やはり忙しいのでしょうか?またいつでも戻ってきてくださいね。わたしたちは待っています。   

酩酊街より    愛を込めて    

 
 
  

 
 
 


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